六. チニとフォセ②
夕日に目を細め、フォセは腰を下ろした切り株の上でチニの作業を眺めていた。
普段はどこかぎこちない手も、作業をしている間は流れるように動いている。
楽しそうに作っている彼をフォセは静かに見つめていた。
「……でーきた!」
チニは完成した手押車を掲げて振り返った。
草が音を立ててそよいでいる。
誰も居ない。
いつの間にか日も落ちて夜になっていた。
フォセは飽きてどこかへ行ってしまったようだ。
ふとお腹が大きな音を立てた。
夕食の時間はとうの昔に過ぎてしまっただろう。
こんなに暗いんだもの……
ふと顔喰いの話が頭を過った。
特に子どもの泣き顔が好きなんだっけ……
震える手をギュッと握りしめた。
泣いちゃダメだ……
ブンブンと頭を振って怖さを取り払う。
大丈夫。
今までに、そんな化け物の噂、聞いたことない。
きっと大丈夫……
その時、背後で茂みを掻き分ける音が聞こえた。
「……っ!」
もうだめだ、そう考えた途端、腰が抜けて動けなくなった。
突然、茂みからにゅっと黒い影が飛び出してきた。
「うひゃぁっ!」
思わず顔を覆ったチニは目の前に落ちているものに目を見張った。
「あれ、まーくん……?」
続いてフォセがやって来た。
小さなランタンの灯りが凄く頼もしかった。
「フォセェ……う、うぇぇ……か、帰ってこないと思ったよぉぉ」
泣くまいと決めていたのに、涙が止まらなかった。
彼女はしばらくしゃくりあげる自分を見つめていたが、黙って隣に座ると、バケットを差し出した。
中にはパンがたくさん入っている。
「ん」
「……これは?」
「夕飯」
「勝手に持ち出したらダメなんじゃ……」
「要らないならあたしが食べる」
フォセはそう言うとパンを口に運んだ。
美味しそうに食べる彼女の様子にもう我慢できなかった。
負けじと頬張ったパンは、とっくに冷めてしまったのに、何故だかとても温かい気持ちになった。
ところが、数日も経たないうちに、この時の気持ちが裏切られるようなことが起きた。
急がなきゃ。
呼吸が荒くなる。
ついさっき聞いてしまった子たちの会話が蘇った。
――『あの子さ、ぬいぐるみに風をぶつけてんだって』
ーー『最近、喧嘩は減ったと思っていたけど、凶暴なのは変わらないんだな』
確かめなきゃ、自分の目で……!
「フォセ!」
そう叫ぶのと、彼女が手押車に風をぶつけるのは同時だった。
「な、何しているの……?」
パッと振り返った彼女は気まずそうに視線を逸らした。
揺れる視界に、真っ二つに割れた木製の車が飛び込んできた。
「酷いよ、フォセ!」
頭が真っ白になった。
「僕が頑張って作ったのに!」
「……何で怒るの? ただのおもちゃじゃん……」
「壊れたら直してもらえばいいって思ってんの?! 物とか、人とか、関係ないんだよ! 大事にしてくれなきゃ、寂しいし、悲しいんだ! そんな気持ち、君には分かんないだろ?! 友だちできたことないもん……」
そこまで言って我に返った。
何だか自分よりフォセの方が泣きそうな顔をしていた。
「……あんた、嫌い」
フォセはそう呟くと、走り去っていった。
***
それから彼女が声をかけてくることはなくなり、ばったり会っても、彼女の方が逃げてしまうようになった。
「はぁ……」
大きく溜め息を吐いて廊下を歩いていると、中庭を横切るフォセを見つけた。
彼女は何かを大事そうに抱えて歩いていた。
ふと彼女について行ってみようという気になった。
「あの時は僕も言い過ぎちゃったからな……」
そんなことを呟きながら茂みを掻き分けて驚いた。
手押し車がポツンと放置されていたのだ。
真っ二つに壊れていたはずだったものが不恰好に立っている。
車輪が大きく歪み、台車部分の釘の打ち方もメチャクチャだが、かろうじて形を保っていた。
荒く削られた手すりをなぞっていると、ふと紙が括り付けられているのを見つけた。
『ゴメン』
大きさもまちまちの3つの文字に思わず笑みがこぼれる。
あんなに釘を打てなかったフォセが……
直そうとしてくれたんだ。
不器用ながら作り直そうと頑張る姿が思い浮かぶ。
僕もごめんね、そう口を開きかけた時、すぐ後ろで鈍い音がした。
次第に意識はぐるぐる周りながら遠くなっていった。
***
「あれ……」
鈍い痛みと薬草の匂いに目を開けた。
どうやら医務室に居るようだ。
頭に手をやると包帯が巻かれていた。
「あら、チニ君。気づいたのね」
医務室の先生がやって来た。
「あ、あの、先生、僕……」
「ミランダ先生が君が倒れているのを見つけてね、連れてきてくれたのよ。でも、まさかフォセちゃんがこんなことをするとはね……」
「え?!」
「……私はまだ、あの子がやったということが信じられないわ」
先生は大きく溜め息を吐いた。
「あの子ね、これまで施設で預かってきた子たちの中で1番能力が強かったの。でも……ほら、あの子、我慢とか、そういうの苦手でしょう? だからここに来た時も「力の制御が出来ない凶暴な子」ってレッテルを張られちゃって……」
「……!」
「あの子を怖がって誰も近づかない。だから彼女も荒れるし……悪循環なのよ。チニ君、巻き込まれて辛かったでしょ? 今回のこともあったし、彼女は親戚に送り返すことに……」
医務室を飛び出して、どこへ行こうとしているのか、自分にも分からなかった。
ただ……ただ、あの先生の話を最後まで聞いていたくなかった。
何も変わらないのだ、自分もフォセも……
ひとりぼっちで寂しくて……
「謝らなきゃ」
あの時、言ってしまった言葉を。
あの時、傷つけてしまったことを……
ふと中庭にいじめっ子たちが集まっているのが目に入った。
反射的に物陰に隠れた時、リーダー格の子がひときわ大きな笑い声をあげた。
「あはははは! うまくいったな。あの弱虫チニ、もう3日も意識ないらしいぜ」
「そのまま一生、起きないんじゃね?」
笑い声に涙が出そうになる。
「あの弱虫、フォセにくっついて守ってもらおうとするからこうなるんだ」
「そういや、アイツの方はどうなったんだ?」
リーダーの子がツバを吐いた。
「ケッ……あっちはまだ仕置き部屋に居るぜ。黙ったままだからミランダ先生も手を焼いているらしい」
「でも、たまたま通りかかったのがあの人で良かったな。あの人、フォセに目をつけていたからアイツが「自分じゃない」って本当のこと言ったのに、信じていなかったもんな」
「良い気味だぜ。「謝れ」とか偉そうなこと言ってよ。今更、良い子ぶろうったって無理があんだよ、日頃の行いがああだしな」
再び笑い声が聞こえた。
「でもさ、アイツが黙り続けていたら、流石にまずいんじゃね?」
「施設長が戻るのは明後日だ。時間はまだある。それまでに認めさせれば良いだけさ。ほら」
クマのぬいぐるみが放り出され、地面を転がった。
「アイツがいつも持ち歩いているヤツだ」
少年がぬいぐるみを踏み潰した。
クマの顔は泥にまみれ、中の綿が飛び出した。
「これ以上、大事なモンを壊されたくなきゃ、ここを出てけって脅す。これで、アイツも折れんだろ……ん?」
「……くんを! まーくんを離せ!」
上ずった声で叫ぶ自分に、彼らは互いの顔を見合わせて吹き出した。
「まーくん? だっせー名前! おい、弱虫! 身体が震えてんぞ? これで喧嘩売ってんの? やめとけって! これがおまえに関係あんのか? ただのボロ雑巾だろ?」
「雑巾なんかじゃない! まーくんは……フォセの、僕らの……友だちなんだ!」
そう叫んで頬に入れた1発が、生まれて初めて誰かを殴った経験だった。
***
木の床板に固い靴音が響き、それに合わせて壁に映る灯りが揺らいだ。
白い手が金属のドアノブに掛かった。
じめじめとした湿気に満ちた香りが鼻をつく。
暗い部屋をぼんやりと照らす灯りの中に誰かの姿が浮かび上がった。
「施設長! 休暇の所、連絡してしまい、申しわけありま……」
手を上げて立ち上がりかけた職員を制する。
「それより、一体何があったのですか?」
「フォセですが……3日も経つのに口を割らないんです。いつもの悪戯なら「先生、ごめんね」って舌を出して言うんですけど……」
彼女は奥の方を見やった。
机の向こうに俯いて座るフォセの姿が見えた。
「ふむ……何かそれなりの理由があるのでしょう」
「ですが、子どもたちの証言もありますし……規則上、暴力によって生徒に怪我を負わせたとなれば、ここから追い返さなくてはいけなくなりますよね?」
「……フォセを連れてきたのはミランダだったそうですが?」
「えぇ。今、彼女は城に戻っていて……明日の担当日に戻って来るとは思います」
「彼女は何と?」
「フォセと数人の少年が口喧嘩をしていて……止めに入ったところ、彼らの傍でチニが倒れているのを見つけたようです」
「それで?」
「彼女が訳を聞くと彼らは「フォセがチニに暴力を振るっていたので止めさせようとした」と説明したそうで……」
「……ミランダはフォセの話を聞いたのでしょうか?」
「いえ、フォセが日頃からチニに指図していたこと、また、規則を破って時間外に能力を使っていたことなどを他の子どもたちからも聞いて確信したようです」
「ふむ。そうですか……」
施設長はしばらく黙って考え込んでいたが、ふと表情を柔らげるとフォセの傍に膝をついた。
「フォセ、話してくれませんか?」
フォセは相変わらず下を向いて黙っていた。
固く閉じた唇が僅かに震えている。
「言いたくありませんか……困りましたねぇ」
施設長が薄くなった頭髪を掻いた時、扉が大きく開け放たれた。
「先生! 僕も……規則違反しちゃった……」
泥だらけのチニがヨロヨロと部屋に入ってきた。
「僕ね、人を殴っちゃったんだ……」
そう言うチニの腕にはフォセのぬいぐるみが抱かれている。
彼の目元には大きな痣があった。
「これで、僕も施設を出ていかなきゃいけないでしょ?」
その瞬間、ずっと下を向いていたフォセが弾かれたように立ち上がり、チニに飛びついた。
小さな手がぎゅっとチニの背中を締めた。
「フ、フォセ……?」
チニは掠れた声で彼女の名前を呼んだ。
フォセの柔らかい頬を大粒の涙が零れていく。
また何かやっちゃったかな、チニの小さな声にフォセはパッと身を引くと、ぬいぐるみをひったくった。
「……あんた、嫌い」
フォセはぬいぐるみを抱きしめたままそっぽを向いた。
それをポカンと口を開けて見ていたチニだったが、ふと満面の笑顔で返した。
「……うん」
フォセは目元を擦ると施設長の横をすり抜け、部屋から出ていった。
チニも小さく頭を下げると彼女を追って出て行った。
「……どういうことでしょう?」
誰に言うでもなく呟く職員を見ていた施設長は、おもむろに近くの椅子に腰を下ろすと微笑んだ。
「フォセ、やっと見つけたんですね……友だち」
優しそうな目が開け放たれた扉に向けられた。




