六.チニとフォセ①
「今日からここが君の家ですよ」
チニは自分の手を引く青年を見上げた。
子どもたちが物陰から興味深そうにこちらを見ている。
新しく入ってきた自分がどういう者か、見極めようとしているのだろう。
「ここはね、君のように地上界から来た子や親元を離れて暮らさなくてはいけない子がいるんですよ。だから寂しくはありませんよ」
そうして始まった生活は決して楽しいものではなかった。
臆病で気弱な性格のせいで、あっという間にいじめっ子たちに目をつけられてしまったのだから……
「チーニくーん。宿題、見せろよー」
リーダー格の子が詰め寄ってきた。
「で、でも……し、宿題は自分でやらないと……」
「うるせぇなぁっ! さっさと見せろって言ってんだよ!」
「うわっ!」
突き飛ばされ、あっけなく後ろにひっくり返った。
彼は課題の紙をひったくると大きな声で笑った。
「おうおう……女みたいな字だなー、ギャハハッ!」
取り巻きたちの笑い声が裏庭に響く。
いつもこうだ。
こうして一方的に殴られて、言いなりになるだけ……
他の子たちは遠巻きに見ている。
止めに入って目をつけられるのは嫌だし、誰かが犠牲になっていれば、自分に火の粉がかかることはないとでも思っているのだろう。
どうせ引っ込み思案の僕には、こんな時に守ってくれる友だちなんていないんだ。
元々人見知りだから、自分から誰かに話しかけることなんてできなかった。
だから、最初に彼らが話しかけてくれた時は嬉しかった。
誰でも良いから仲間にしてほしかった。
でも、間違っていた。
ただ良いように使われるだけ……
友だちでも何でもなかった。
「あ、そうそう。どれか1つでも間違えてたら、いつも通り今日1日俺たちの言うことを何でも聞けよ」
「え……」
「文句あんのかよ?」
「う……な、ないよ」
本当は「嫌だ」って言い返してやりたい。
でも、言い返したらもっと殴られるだろうし、酷い目にあうことは間違いない。
だから、気がつくとこの人たちの言うことを聞いてしまう。
だが、その時だった。
いつもと違うことが起こったのは……
突然、嵐みたいな風が吹き荒れた。
折角起き上がりかけていたのに、吹き飛ばされて、またひっくり返ってしまった。
「……いててて」
ぶつけた腰の痛みに顔をしかめて立ち上がると、いじめっ子たちも同じように吹き飛ばされていた。
無様に茂みに頭を突っ込んだリーダー格の子は、身体を引き抜こうとジタバタともがいていた。
茂みの棘がズボンを裂き、大きな裂け目から青い水玉模様の下着が見えている。
それを見下ろす少女が1人。
「邪魔」
可愛らしい外見とは裏腹に、冷たい声が耳に刺さった。
「いってぇ……」
地面に転がっていた取り巻きたちは頭をさすって起き上がるとリーダー格の子を数人がかりで茂みから引き抜いた。
「何しやがんだっ……! て、てめぇはっ!?」
拳を振り上げかけた彼は、その女の子を見て後退りした。
少女は仏頂面のまま、もう1度手を振り上げた。
手の上に風の渦が出来ている。
それを見た途端、彼らは情けない声を上げながら逃げていった。
尻もちをついたまま、彼女を見上げる。
風の子だ……
長に認められるまで、どの属性の天上人なのかは名乗ることができないが、彼女の力が今までに出会った子たちよりも遥かに強いことは分かる。
手のひらに収まるくらいの小さな風の渦なのに、強い「気」を感じる。
本能が危険だと叫ぶほどに……
その時、彼女が大きなクマのぬいぐるみを引きずっているのに気づいた。
片方の耳はちぎれ、手足は今にももげそうだ。
その時、少女がちらりとこちらを見た。
大きな茶色の瞳がチニを鋭く射抜いた。
「何?」
「ひゃ……」
威嚇されたような気がして変な声が出てしまった。
「え、あ、あの……えっと、あ、ありがとうございました」
しどろもどろにお辞儀をすると、少女は鼻をツンと上に向けた。
「別に。助けたわけじゃないから。邪魔だっただけ」
そう言いながらも頬が薄い紅色に染まっていく。
もしかしたらこの子は、そんなに悪い子じゃないかもしれない。
彼女の様子からそう思った。
「ね、ねぇ! き、君のクマさん、直してあげるよ」
だが、彼女は途端に警戒したように、ぬいぐるみを抱きしめて後退りしたとした。
「良いから貸して」
笑いかけると、悪意は無いと判断してくれたのか、彼女はぬいぐるみを突き出してきた。
ポケットから裁縫道具を取り出して針に糸を通す。
取れかけていた手足を手早く縫いつけ、耳をつけてやった。
少女はそれを食い入るように見つめていた。
「ほら、出来たよ。えへへへ……僕、こういうの得意なんだ」
ぬいぐるみを差し出すと、彼女はチニからそれをひったくってぎゅっと抱きしめた。
「……クマさんのこと、大事なんだね」
「べ、別に」
彼女は唇を小さく尖らせた。
「そのクマさん、名前はついているの?」
「……」
尋ねると、彼女は小さく口を動かした。
「……え?」
「だから……まーくん」
苛立たしそうに言った後、彼女は恥ずかしそうに俯いた。
それが可笑しくてちょっと笑ってしまった。
「何」
膨れ面する少女になんでもないと首を振る。
「良い名前だね。僕はチニ。君は?」
「……フォセ」
「よろしくね、フォセ!」
フォセは差し出された手を見つめていたが、ツンと顔を背けて去っていった。
***
この施設では1日のスケジュールがキチンと決められていた。
朝食の後は城から来た先生が力の使い方を教えてくれた。
いきなり城の訓練で力を使うと体力を消耗するので、少しずつ身体に慣れさせる必要があるらしい。
力の引き出し方や制御の仕方などの基礎を学んだ。
午後からは読書や散歩など好きなことをして過ごすことができた。
あの一件から、いじめっ子たちに絡まれることもなくなり、生活に余裕が出てきた。
だからか、フォセが同じクラスにいた事に初めて気づいた。
だが、授業での彼女の態度はとても褒められたものではなかった。
遅刻はするし、話もろくに聞いていないようだった。
ミランダ先生が担当の日は特にひどかった。
「フォセ!」
授業が始まって5回目の怒号が飛んだ。
「一体、何を聞いていたの?! 集中しなさいと言ったでしょ?! 周りを見なさい! みんなはできているのよ?!」
クスクスと笑う声にうっすらと片目を開ける。
1番後ろの席の子たちは、こっそり持ち込んだボードゲームで遊んでいた。
だが、ミランダ先生がそれを叱る気配はない。
彼女はいつもフォセを目の敵にして、みんなの前で叱りつけている。
フォセも態度が悪いのは事実だから、怒られても仕方ない気はする。
それでも……
もしミランダ先生が彼女を他の生徒と同じように褒めてくれたら。
同じように励ましてくれたら。
フォセだって少しは変わるような気がするのだ。
その日の授業は結局、彼女だけが叱られて終わった。
昼食後、中庭でお気に入りの本を読んでいると、肩を叩かれた。
フォセがクマのぬいぐるみを引きずって立っていた。
「直して」
突き出されたぬいぐるみの腹には大きな裂け目が入っていたので、言われるままに縫ってあげた。
「ミランダ先生のこと、嫌いなの?」
思わず言葉が口をついて出た。
彼女は少し驚いた表情をしたが、はっきりと答えた。
「嫌い。あのババア、規則、規則ってうるさいもん」
ミランダ先生は他の先生よりも厳しく、ちゃんと反省をしなければ「お仕置き部屋」と呼ばれる部屋に入れられてしまう。
子どもたちの誰からも怖がられていた。
その上、彼女の許しが出るまでは外に出してもらえないというから、本当に鬼のような人だった。
「お仕置き部屋、行きたくないなぁ……」
ふと心の声が漏れた。
「別にあんなとこ、へっちゃらだけど」
「え、フォセ、行ったことあるの?」
「うん」
フォセはケロリとした顔で頷いた。
「だって、部屋には窓が無いから暗いし、不気味な置物が置いてあるんでしょ? それで、夜にはその置物がガタガタって音を立てたり、人の影がユラユラ見えたり……」
フォセは小首を傾げてこちらを見ていたが、ニヤリと笑うとグイと顔を近づけてきた。
「ねぇ、もしかして……怖いの?」
「そ、そ、そんなことないよ!」
「1つ良いこと教えてあげる」
フォセは一段と声を低めた。
「あそこにはね……顔喰いが出るんだよ」
「え?!」
「顔喰いは泣いてる子どもの顔が好きなんだって。だから、お仕置き部屋で泣いている子どもを見ると、顔を引き剥がしにくるんだよ。こっちへおいでぇ、こっちへおいでぇ、って」
手招きをする化け物が頭に浮かぶ。
泣くまいと唇を強く噛んだ。
フォセは不意に身を起こすと舌をペロッと出した。
「嘘だよーん!」
「ううぅ……フォセのいじわるぅ……」
膝を抱えて情けない声を上げる自分を見て、彼女は楽しそうに笑った。
それからフォセは頻繁にボロボロになったぬいぐるみを持ってくるようになった。
いつものように彼女がふらりと姿を消している間にぬいぐるみを直していると、女の子たちが声をかけてきた。
「チニ君、あの子にいじめられているんでしょ?」
「……え?」
「それ、あの子のでしょ?」
「あ、そ、そうですけど……ぼ、僕は別に……」
他の少女も口を開いた。
「嫌なら断って良いんだよ?」
「べ、別に、ぼ、僕は……」
「言い出しにくいのも無理ないよねー。あの子、ほら……凶暴だし。何されるか分かんないもん」
「前にここで飼っていたユニコーン、あの子が怪我させたから飼うのを止めたらしいよ」
「うわぁ、ひっどーい」
「だからあの子嫌いなんだよね。自分の思い通りにいかないと力で解決しようとするしさぁ……とっとと居なくなれば良いのに」
次第に彼女たちはフォセの悪口で盛り上がり始めた。
「だ、大丈夫だってば!……です」
思いの外、大きな声が出た。
彼女たちはお喋りを止めて互いに顔を見合わせた。
「まぁ、君が大丈夫って言うなら良いけど。何かあったらいつでも言ってねー」
「何してんの?」
ぼんやりと彼女たちの後ろ姿を見送っていると、フォセに声をかけられた。
「ん? 何でもないよ」
「ふーん……」
「ほら、ぬいぐるみ直ったよ」
フォセは差し出したぬいぐるみをいつものようにひったくると背を向けた。
「ま、待って!」
慌てて呼び止めると、フォセは何、と振り返った。
「ねぇ! まーくんに手押し車を作ってあげようよ!」
「手押し車……?」
「うん! まーくんがすぐ破けちゃうのって、フォセがいつも引きずっているからでしょ? だから、まーくんをそれに入れてあげれば、もう破けなくて済むよね?」
「……」
「僕が手伝ってあげるよ! 明日、一緒に作ろ!」
彼女は小さく頷くと立ち去った。
***
フォセはゆっくりと手を上げた。
手の上で小さな竜巻が渦を巻いていた。
今日こそ成功させてやる。
――『こいつを壊さずに運ぶことができるくらい、風を上手く使えるようになったら迎えに行ってやる』
ぬいぐるみをくれた兄との約束が蘇る。
――『とっとと居なくなれば良いのに』
フォセは唇を噛んだ。
ついさっき立ち聞きした言葉も。
「あっ!」
集中が途切れた途端、竜巻が勢いよく飛び出した。
風は切り株に乗せられたぬいぐるみにぶつかると、布を大きく裂きながら木立を吹き抜けて行った。
またダメだった……
フォセは俯いて拳を固めた。
――『力のコントロールも出来ないなんて……御両親はあんなに立派なのにねぇ……千里眼を持つ家系なのに勿体無いわぁ』
――『お兄さんは優秀らしいぞ。領域の中でも最年少で長の選考を受けたのだとか。それに引き換え妹は……物に触れただけで破壊するらしいじゃないか……末恐ろしい子だよ』
――『友だちなんかじゃないよー。だって凶暴だし。こっちまで怪我したくないもん』
――『あの子嫌いなんだよね。自分の思い通りにいかないと力で解決しようとするしさぁ……』
フォセは歯ぎしりした。
どこに行ってもそうだ。
風の領域でも、この施設でも、危険な子どもだと言われ、忌み嫌われる。
だから、唯一自分を認めてくれる兄の元へ早く行かなくちゃ……
その時、後ろの茂みからチニが顔を覗かせた。
「あ、もう居たんだね」
チニはそう言うと手に抱えていた木材を置いた。
「何これ?」
フォセは地面に広げられた紙を指差した。
手押し車のイラストに様々な書き込みがされている。
「設計図だよ。ぼ、僕こういうの好きで……つい徹夜しちゃった」
チニは、はにかんだように笑うと袖をまくった。
「さ、作ろ! 分からなくても大丈夫。僕が教えてあげるから」
「……分かるもん」
少しムッとしたフォセは拗ねたように唇を尖らせた。
チニは驚いたようだったが、すぐに笑顔を浮かべて捲し立てた。
「頼もしいや! じゃあ、ここをお願いしても良いかな? あ、切り込みの位置はここで、釘を打つ時はこれくらい開けて……」




