五. 紅い月③
「うわあぁぁぁっ!」
エリックが腕を大きく振り被った瞬間、軽い音を立てて短剣が彼の背後に落ちた。
「……ハイド、そっちは任せた」
片膝をついたスラウはそう呟くと、剣を鞘に収めた。
イザベラを吊っていた糸が斬られ、スラウはゆっくり と崩れ落ちた彼女を抱き留めた。
予想外の展開に、ポカンと口を開けていたグロリオはふと目の前にハイドが立っていることに気づいた。
「え、え?! おわっ!」
突然、糸が切れてグロリオはあっけなく床に転がった。
「おい! 斬るなら言えよ!」
グロリオの不満が聞こえたかと思うと、アイリスは自分を括り付けていた糸が離れていくのを感じた。
「あ……!」
よろめいたが、しっかりと腕を掴まれて引き寄せられた。
「ハイド……ありがとう」
微笑むアイリスに相変わらず彼は黙ったままだった。
「ラナン!」
スラウの声に我に返ったラナンは、イザベラを背負ったエリックが走ってくるのに気づいた。
自由になった指で印を結ぶ。
指を鳴らすと、2人を包んだ薄青色の箱は隊員たちの頭上を飛び越えて後ろへ転がって行った。
「チニ! あの2人を頼む!」
すかさずグロリオの声が飛び、チニは防壁を張った。
エリックはイザベラの身体をしっかりと抱き寄せると、チニの後ろへ回り込んだ。
「ナ、ナンデ?!」
マリーラがこの場の誰よりも驚いているようだった。
「あなたが操ってくれたおかげ、かな」
スラウはそう言うと、自分の首をトントンと叩いた。
「あなたは私たちの斬り合いは見たがったけど、本当に死んで欲しいとは思っていなかったんでしょう? せっかく手に入れたおもちゃが減ってしまうから。だから、私たちがやり合う直前に、大事な部分は斬らせまいとした」
マリーラはそれを黙って聞いていた。
「あなたにとって、もっとも大事な糸は、私たちの手足を動かす糸じゃない。首に針みたいに刺さっていた、私たちの身体に指令を伝える糸。逆に言えば、これさえ斬ってしまえばあなたの支配からも逃げられるってわけ」
アキレアは驚いてスラウを見つめた。
「じゃあ、2人とも最初から分かっていて、この話に乗ったってこと?」
「私は分かってなかったよ。賭けだったもん」
スラウは隊員たちの後ろに立っているハイドをちらりと見やり、苦笑いを浮かべた。
「でも、ハイドには分かってたのかも。アレで伝わったし」
「お手柄だったな、スラウ。おかげで助かったよ」
グロリオはにっこり笑うとスラウの肩を叩いた。
「さぁ、あと1人! 仲間を返してもらおうか!」
その瞬間、隊員たちを風が襲った。
咄嗟に防壁を張ったグロリオの耳にチニの声が飛び込んできた。
「早く止めないと! フォセが!」
改めてフォセを見ると、彼女の身体は小刻みに震えていた。
「マリーラ! もうやめろ!」
グロリオは部屋の中心で悠々と漂う少女に向かって走ったが、風に煽られて勢いよく吹き飛ばされた。
「グロリオ!」
アキレアがグロリオの腕を掴んで防壁の中へ引き入れた。
「くそっ……!」
グロリオは拳を床に叩きつけてフォセを見上げた。
部屋の中心を取り囲むように渦巻く風は、さらに勢いをつけ、屋根を突き破るほどだった。
巨大な竜巻を見上げていたラナンはふと肩を叩かれて我に返った。
「ラナン、僕の代わりにここを頼んで良い?」
「何するつもりだ?」
「フォセを止めてくる」
「は……?」
ラナンの思考が追いつく前に、チニはそこから飛び出していた。
「やめろ、チニ! 戻って来い!」
「鳥さん! おいで!」
ラナンが止めるのも構わず、チニは鳥の式を呼び出し、竜巻に突っ込んでいった。
案の定、風に揉まれた鳥はあっという間に引き裂かれて散っていった。
「うぐっ!」
崩れた屋根の瓦礫にぶつかり、チニは竜巻から弾き出された。
風の中心で漂うフォセに腕を伸ばしてどうにかしがみつく。
彼女の身体は温もりを失い、蝋のように固くなっていた。
「フォセ! しっかりしてよ! 僕だよ!」
風が今度はチニを振り払おうと、メチャメチャに吹き荒れた。
その度に服が破け、白い背中を赤い血が伝った。
それでもチニは彼女の背中に回した腕を離さなかった。
「これ以上はやめてよ! 死んじゃうよ!」
そう叫ぶチニの背中に先の尖った枝が刺さった。
「うぅっ……!」
ずっと守られてばかりだったから、今度は僕が守らなきゃ……
遠いていく意識に過去の記憶が混ざってきた。




