五. 紅い月②
突然の痛みにスラウは思わず目頭を押さえた。
視界が歪んでぼやけていく。
次の瞬間、頭の中に鮮明な映像が流れ込んできた。
暗い部屋で無数に張られた糸。
そして、その奥に……
映像はあっという間に消え、視界は再び使用人用の台所に戻ってきていた。
「何、今の……」
スラウは目を擦った。
「恐らくアキレアがやったんだ」
チニが目元をほぐして言った。
「アキレアが?」
「うん。スラウ、『念写』って能力を知ってる?」
「ええと、心の中で思ったものを、紙に絵として映し出せるやつだっけ?」
「うん、大体合ってるよ。アキレアは念写の能力を持っているんだ。それもかなり高次元のね」
「つまり、見たものを映像として他人の脳内に送り込むことができるってわけか?」
ラナンが小さな手で顔をクシャクシャと掻いた。
「うん、そうだよ。最初は僕も慣れなかったけど、そのうち慣れると思う」
「ねぇ、今のだけどさ、あれは……アキレアが見たものってこと?」
「チニの話だとそういうことになるな」
「じゃぁ、アキレアたちは今、糸だらけの部屋に居て……」
3人が考え込んでいると、青年が遠慮がちに口を開いた。
「君たち、さっきから何の話をしているんだ?」
「屋敷を案内してくれませんか? 僕ら、行きたいところがあるんです」
チニはそう言うと、いつになく緊迫した様子で続けた。
「円形の石造りで大きな窓が2つある部屋はどこですか? 恐らくイザベラさんもそこに居ます!」
スラウは思わず目を丸くした。
彼も見た映像は同じはずだ。
それなのに、チニはスラウが得た以上の情報を一瞬で掴んでいた。
「円形の部屋……2つの大きな窓……」
青年は額を指で叩いた。
3人は固唾を呑んで次の言葉を待った。
「分かったぞ! 最上階のギルナード様の作業部屋だ!」
「シッ……!」
突然、ラナンが長い耳を立てた。
ガチャガチャと金属の擦れ合う音が近づいてきている。
「鎧兵が来てる!」
「気付かれたか。これじゃ、外に出られねぇな」
ラナンが呟いた時、青年が煤まみれの暖炉に駆け寄った。
「ここから中庭に出られるよ。お嬢様とここを通ってパンを盗み食いしたことがあるんだ」
足音は部屋のすぐ外まで迫ってきていた。
それから間もなく扉が押され、留め具が軋み始めた。
チニは暖炉の傍に転がっていた火掻き棒を掴むと、戸枠に立て掛けた。
これで簡単には開けられないだろう。
青年は何か思い出したかのようにスラウたちを振り向いた。
「屋敷の中はいつ鎧兵に見つかるか分からないだろう? 外壁を上って部屋まで行こう。どうやら君たちの助けを借りずにはいられなさそうだしな……申し遅れた、僕の名前はエリックだ。案内するよ」
***
「くっ……!」
グロリオは吹き飛ばされないように足を踏ん張って防壁を保ち、矢継ぎ早に放たれる風の渦から身を守った。
「頼む。もってくれ……」
祈るように呟き、崩れ始めた防壁を見つめる。
彼女の突発的に出す力は、恐らく他の隊員の誰よりも強いだろう。
まともに喰らえば無事では済まない。
かといって、防壁を解いて張り直す余裕もない。
「おわっ!」
とうとう防壁が破られ、グロリオは風に煽られて壁に勢いよく叩きつけられた。
「ゴホッ……ゴホ……」
むせながら起き上がったグロリオは目の前にフォセが降り立ったことに気づいた。
腕を振り上げる動作には迷いが無い。
糸が絡まってもつれる脚を何とか動かして立ち上がると、その小さな肩を掴んだ。
「フォセ! しっかりしろ! 俺たちが分からねぇのか?! フォセ!」
グロリオの呼びかけにも関わらず、フォセの大きな瞳は虚空を見つめたままだ。
「クスクス……ムダ」
少女がフォセの後ろにやって来た。
「コレハ、ワタシノオニンギョウ」
「お前、フォセに何をしたんだ?!」
声を荒げるグロリオをよそに少女がフォセに命じた。
「ヤレ」
少女の言葉でフォセの手が動き、グロリオに風の渦を放った。
「グロリオ!」
アキレアは土煙を立てて崩れる壁に向かって叫んだ。
少女はしばらくそれを見ていたが、興味を失ったようで背を向けた。
その瞬間、土煙の中から剣を振りかざしたグロリオが飛び出してきた。
「ナンノマネダ?」
少女が手を振ると、糸が引っ張られ、グロリオは勢いよく床に突っ込んだ。
剣が音を立てて滑らかな石の床を転がっていく。
彼は呻くとそのまま動かなくなった。
「オマエモ」
少女は再び糸を操ると、印を結びかけていたハイドの胸を貫いた。
「……キニイラナイ」
少女の声に共鳴するように部屋中の糸がビリビリと震え始めた。
「あうっ……!」
アイリスが小さく声を上げた。
「アイリス?」
アキレアが尋ねるとアイリスはゆっくりと首を回した。
淡い青色の瞳が揺れている。
「アキ……レア……手が……」
「……っ!」
アイリスの手から血の気が失せ、蝋のように固まっていくのが見て分かった。
「や……めろ……」
グロリオがふらつきながら立ち上がった。
「これ……以上……俺の仲間に……手ぇ出すんじゃねぇ……」
「グロリオ……」
アイリスが弱弱しく唇を動かした。
少女の周りの糸がゆっくりと上下に動き始めた。
「ダマレ」
グロリオはふらつく体を剣で支え、少女を見据えた。
「俺は女性、子どもは斬らねぇが……お前には手加減しねぇぞ」
「ダマレ!」
グロリオの腕に糸が蛇のように巻きついていく。
「な、何するの?! やめて! お願い! ねぇ!」
アキレアが叫んだ瞬間、グロリオの腕の糸が動いた。
意思に反して飛び出した彼の身体は剣を持ったままアイリスに向かっていった。
それを見つめていたアイリスは、大きく息を吸うと、震える瞼を閉じた。
「やめてぇぇっ!」
アキレアの悲鳴が聞こえる。
ザシュ――
耳元で音がした刹那、血の臭いが鼻をついた。
アイリスはゆるゆると瞼を動かした。
すぐ目の前に血の滴る剣が見えた。
そして、ガチャガチャと音を立てて震える剣先を素手で止めているグロリオも……
「……わりぃな、アイリス……俺は……仲間を斬るくらいなら自分を斬る方を選ぶぜ……」
グロリオは白い歯を見せて笑って見せた。
「モウ、オコッタ!」
アキレアは少女の怒気を孕んだ声に思わず振り返った。
再び部屋中の糸が震えている。
これ以上、この少女を止めることはできないだろう。
「早く来て……!」
アキレアは祈るように目を瞑った。
ここの映像は彼らに送ってある。
後は場所さえ、突き止めてくれれば……
その瞬間、部屋が大きく揺れたかと思うと、天井が崩れた。
瓦礫と共に複数の人影が落ちてくる。
「うわぁぁぁぁぁぁ!」
「いっけぇ!」
チニの声がしたかと思うと床に青い防壁が広がり、落ちてきた3人を受け止めた。
小さな黄金色の物体がそこから放り出されてボールのように弧を描きながら床の上を転がった。
「……ててて。スラウ、屋根を壊すのはもうナシだ。こっちがもたねぇよ」
短い手で頭を押さえたラナンは糸に吊るされたままのアキレアに気づくと、長い尾を振った。
「大丈夫か? てか、何だそれ?」
「あ、これは……」
アキレアが答えようと首を回した瞬間、グロリオが叫んだ。
「ラナン、避けろぉぉぉ!」
無数の糸がラナンに向かっていく。
「うぉっ!」
ラナンは咄嗟に小さな手で頭を覆って丸くなった。
『光盾!』
スラウの声と共にラナンの前に金色に輝く壁が現れて糸を弾き返した。
「大丈夫?」
「おぅ。わりぃな」
ラナンはそう言うと跳躍して人間の姿に戻った。
「スラウ! ラナン! 助けてぇっ!」
チニが叫びながら走ってきた。
後ろには彼が呼び出した巨人の式がエリックを抱えて走っている。
糸は彼らのすぐ後ろまで迫ってきていた。
スラウは剣を引き抜くと、糸に真っ向から斬りかかった。
「任せろ!」
ラナンは叫ぶと指を鳴らした。
「来い!」
人差し指を引くとチニと巨人の身体が浮き上がり、こちらに飛んできた。
「みんな、お待たせ! 今、糸を斬るから!」
着地したチニがグロリオたちに駆け寄ろうとした瞬間、ラナンが叫んだ。
「チニ! 止まれ!」
避ける間もなく、フォセの風の渦が襲いかかった。
だが、彼は無傷で床に伏せていた。
「スラウ……」
安堵するチニをしっかりと抱えたスラウは、目の前の人物に思わず眉をひそめた。
「フォセ、なの?」
フォセが再び手を上げた。
手のひらに風の渦が巻き起こっている。
剣の柄に手を伸ばすスラウをチニが止めた。
「待って、スラウ! 今のフォセには敵わないよ!」
「え……?」
スラウが思わず振り返った瞬間、風の渦が襲いかかってきた。
「……っ!」
スラウは咄嗟にチニを抱えて跳躍したが、脚に走る激痛に顔をしかめた。
引っ掻き傷のような細かい傷ができている。
完全に見切ったはずなのに避けきれなかった……
俯いたままチニが口を開いた。
「今のフォセには制御が効いていないんだ」
「え?」
「フォセは隊員の中でもかなり強いけど、それでも随分抑えている。余りに強すぎる力に身体がついていかないから……でも、今はそれを抑える理性が働いていない。このままだと身体が壊れちゃうよ」
「そんな……っ! しまった!」
気を取られた一瞬のうちに脚に糸が絡みついた。
糸に引っ張られ、2人は勢いよく床に叩きつけられた。
「スラウ!」
助けようとしたラナンの身体にも糸が巻きついた。
「クスクス……イイナガメ」
少女が目の前に吊るされた隊員たちを見下ろして口を開いた。
「ごめん、みんな……」
「いいえ、むしろ好都合よ」
申し訳なさそうなチニに返したアキレアは黒髪の少女を睨んだ。
「今までに何があったのか、教えてちょうだい」
「僕らは地下室に落ちちゃったんだ。そこで、エリックさんと出会った。蜘蛛の巣にかかっているのを助けたんだ」
「そう言えばエリックさんは?」
スラウが辺りを見回した。
「僕の呼び出した巨人が匿ってる。衰弱しているのは確かだし、あの人だけでも逃げてもらえれば……」
「そうね。じゃあ、あの糸を操る女の子について何か知っている?」
アキレアの問いにチニは小さく首を振った。
「分からない……」
「あれはお嬢様のマリオネットです」
「エリックさん!?」
思わず声を上げたチニに少女が反応した。
「エリック! ドコダ?!」
「俺はここだよ、マリーラ」
部屋の隅にうずくまっていた巨人の陰から青年が飛び出した。
「エリックさん、ダメです!」
エリックはチニが制するのも構わず、マリーラと呼んだ人形に近づいた。
「マリーラ。やめろ、こんなこと……この人たちに罪は無いだろう? 皆を元に戻すんだ!」
少女は黙ったまま糸を操り、彼の身体を吊り上げた。
「シネ」
無数の糸が針のように向かっていく。
「エリックさんっ!」
チニが叫んだ瞬間、エリックの前に巨大な氷壁が現れた。
「お前……!」
グロリオは思わずハイドに目を向けた。
「さっきの攻撃は受けていなかったのか?!」
恐らくハイドは自分の身体の表面を凍らせて糸を滑らせ、攻撃を受け流していたのだろう。
溶け始めた氷の鎧が彼の服を濡らしていた。
「流石だわ、ハイド!」
アキレアが声を上げた時、部屋中に張られた糸が震えた。
「うっ……」
首に僅かな痛みを感じてスラウは顔をしかめた。
ラナンはぎこちない格好で歩き始めた彼女を訝し気に見た。
「どうしたんだよ、スラウ?」
「分かんない。身体が勝手に……」
不安げに返したスラウの身体はズルズルと引きずられるようにマリーラの前にやって来た。
彼女が指を動かすと、スラウの手もそれに合わせて動き、剣を鞘から引き抜いた。
「キレ」
マリーラはハイドを指差した。
「もし嫌だと言えば?」
「ワタシニサカラウナ」
マリーラが答えた瞬間、隊員たちが身体を仰け反らせた。
「分かった! 言う通りにする!」
「スラウ?!」
咎めるようなアキレアの声にスラウは剣を握らせられた手に力を込めた。
「……自分が何を言っているのか分かってるよ」
仲間を斬るか、皆人形にされるか……
どちらを取っても良い結果にはならない。
それなら……!
「ねぇ、マリーラ。1つあなたを楽しませてあげられる方法があるんだけど。無防備の人をただ斬るだけじゃつまらないでしょ? ハイドにも剣を持たせてよ」
スラウの言葉にハイドは片眉を吊り上げた。
一方のマリーラは、その提案に納得したようで、口元をぎこちなく歪めて笑うとハイドにも剣を抜かせた。
彼と向き合ったスラウは、その凍てつく視線に気圧されそうになった。
よくよく考えれば、これまでろくに言葉を交わしたこともなかったっけ。
ましてや剣なんて……
スラウはぶんぶんと頭を振った。
これしか方法が無いのだ。
「ダ、ダメだよ! そんなこと! やめてよ!」
チニが叫んだ。
スラウは隊員たちから目を背けた。
利き手で剣を構え、反対側の手で柄を支える。
緊張のせいか、少し手が震える……
失敗はできない。
スラウは息を吸い込み、ハイドを見据えた。
「首を断ちます!」
スラウはひとつひとつの音がハッキリと伝わるように言った。
斬り込む直前、ハイドが剣を構え直したのが見えた気がした。
「やめろぉぉっ!」
叫んだグロリオは目を見開いた。
剣を突き出したスラウの上半身が力なく揺れ、手から滑り落ちた剣が床にぶつかって音を立てた。
それから2人の身体がゆっくり傾いで床に崩れた。
部屋は束の間の静寂に包まれた。
「スラウ! ハイド! おい! しっかりしろ! おい!」
グロリオの叫び声が空しく響いた。
「そ、そんな……!」
アイリスが息を呑んだ。
マリーラはしばらく床に倒れた2人を見下ろしていたが、興味が失せたようにくるりと背を向けた。
「マリーラ、もういいだろ?! これ以上……やめてくれ!」
エリックはスラウたちから目を逸らした。
「クスクス……」
彼女の口から笑い声が漏れた。
イザベラの身体が引きずられるように移動し、両手を広げた状態でエリックの前に吊るされた。
「い、嫌だ……」
彼の震える手には、いつのまにか短剣が握らされている。
「やめてくれ……!」
糸に引きずられるように脚がイザベラに向かっていく。
「嫌だ……! やめろ……!」
短剣を手放そうにも、糸が絡んだ指は思うように動かなかった。
「くそっ…!」
ラナンは小さく舌打ちした。
イザベラ嬢と自分の場所を入れ替えられるのならば、2人を助けられるかもしれない。
だが、手がこの状態では思うように印が結べない。
動けば動くほど、糸は深く食い込んでいくばかり。
糸は指をキリキリと締めつけ、血管を浮き上がらせていた。
「嫌だ……」
エリックは顔を歪めた。
今や彼はイザベラの胸元に短剣を突きつけていた。
マリーラの動きに合わせて彼の腕が勢いよく振り上げられた。




