四. 人形の館②
遠くで誰かが呼んでいる。
ぼんやりと目を開けると、ラナンが心配そうに覗き込んでいた。
スラウはむくりと起き上がった。
湿った土の香りがする。
「……っ!」
後頭部を強く打ったらしい。
ズキズキとした痛みに顔をしかめる。
見上げると天井は遥か上にあった。
数分前――
しんがりをつとめていたスラウ、ラナン、チニの3人は先を行く隊員たちとはぐれてしまった。
角を曲がった途端、前に居たはずの6人の影はどこにも見えず、探しているうちに鎧兵に追いつかれてしまったのだ。
とりあえず近くの扉を蹴破って転がり込んだのだが、それが地下室へと続く階段だったことに気づいた時にはもう遅かった。
しかも、階段は木造の古いものだったようで、3人の重みに耐えられず、階段もろとも崩れてしまった。
「戻るにも階段がこの状態じゃなぁ……」
ラナンが溜め息を吐いた。
「通信機が作動しない……どうしよう……」
銀色の機器を握りしめ、チニが呟いた。
スラウは埃だらけのローブを叩いて通信機を取り出した。
息を吹きかけ、耳に掛けてみる。
ノイズ音しか聞こえない。
「他の道を探さなきゃだね」
スラウが手に光を灯して掲げると、光の中に埃にまみれた細い糸が浮かび上がった。
部屋中に張り巡らされた糸は互いに複雑に絡み合っている。
「ス、スラウ……」
光に照らされたチニの青白い顔が暗闇に浮かんだ。
「見て、あそこ……」
彼の指差した先を照らすと、ぼんやりと人影が浮かび上がった。
絡み合う糸の中心で手足を広げている姿は、さながら蜘蛛の巣に捕えられた蝶のようだった。
「イザベラ嬢か? 任せろ!」
ラナンは人の姿に戻ると印を結んだ。
蒼く光る箱が人影を包む。
ピシ――
糸が引っ張られて音を立てた。
「くそっ……! 動かねぇ!」
「ラ、ラナン!」
チニが上ずった声で叫んだ。
「う、後ろ……!」
振り返ったラナンは背後に迫る巨大な影に気づいた。
「ぅおわっ!」
とっさに跳躍して身を守る。
「伏せて!」
飛び上がったスラウが光をぶつけた。
光の中に8つの瞳を持つ巨大な影が浮かび上がった。
影はカサカサという音とともに闇に消えた。
「蜘蛛じゃねぇか!」
ラナンが身構えた時、チニの声が飛んできた。
「上見て!」
見上げると、人ほどの大きさもある蜘蛛が数匹、上から糸を垂らして降りてきていた。
「どうやら俺たちはこいつらの巣に入り込んじまったみたいだな……」
『蜂さん! おいで!』
チニが唱えると、大きな羽音がスラウの耳元を掠めていった。
蜂の式が部屋を旋回し、蜘蛛の胴体に針を突き立てた。
思わず耳を塞ぎたくなるような甲高い声を上げて蜘蛛が長い足をばたつかせた。
ふと1匹がスラウの眼の前に落ちてきた。
うごめく手足を躱して頭を突いたスラウは慌てて剣を引き抜いた。
中から白いふわふわしたものが飛び出している。
「これ、本物?」
チニは蜂の式を手に呼び戻して首を振った。
「違う。多分、おもちゃだよ。麻酔針が効かないもん。それにほら」
彼は蜘蛛の背中を指差した。
「ネジ巻きが付いてる」
スラウは息を吐くと剣を構え直した。
「それなら、蜘蛛に繋がる糸を斬れば良いよね? これがおもちゃなら、さっきの鎧兵みたいに誰かが操っているはず」
「確かに!」
「うわぁっ!」
2人の背後でラナンが叫んだ。
振り返ると蜘蛛が1匹、彼の上に乗っている。
「ラナン!」
スラウは剣の柄で蜘蛛の身体を薙ぎ払った。
いくらおもちゃだとはいえ、人ほどの大きな身体から綿が飛び出すのを見るのは気持ちの良いものではない。
蜘蛛は壁に勢いよくぶつかり、砂煙を上げた。
「お、俺、蜘蛛とか足が多いやつ、ダメなんだ……」
スラウに助け起こしてもらいながらラナンは息も絶え絶えに口を開いた。
「もう、仕方ないなぁ……ん? その人は?」
ラナンに助け出された人が横たわっていた。
焦げ茶色の髪は砂に塗れ、衣服はところどころ破けている。
「イザベラ嬢ではなさそうだな」
その声に反応したのか、青年の目が細く開き、茶色い瞳が何かを探すように震えた。
「イ……イザベラ……」
「イザベラさんのこと、知っているんですか?」
「た、たす……くれ……」
スラウの呼びかけに答えるように青年は震える唇を動かすとそのまま首を垂れた。
「こりゃまずいな……」
容態を診ていたラナンが呟いた。
「早く何か飲ませてやらねぇと」
出口を探そうとスラウが顔を上げると、少し先に何やら小さなものが見えた。
胴体の布は埃まみれで破れかけ、左右で高さの違う耳や手足は何度も縫い付けられているように見える。
「クマのぬいぐるみ?」
スラウの言葉に振り返ったチニは思わずそれに飛びついた。
「まーくんだ! 何でこんなところに?」
「まーくん?」
スラウとラナンは互いに顔を見合わせた。
しゃがみこんで話しかけるチニにクマのぬいぐるみは腕を上げた。
小首を傾げ、腕を上下に振る様は、まるでこっちにおいでと手招きしているようだ。
「行こう! 案内してくれるって」
「ちょ、ちょっと待てよ! そいつ大丈夫なのか? さっきの蜘蛛みたいに襲いかかってくるかもしれねぇぞ?」
「大丈夫だよ、ラナン。まーくんは良い子だから」
「その、さっきから言ってるまーくんって誰?」
「まーくんはフォセのぬいぐるみだよ。フォセの御両親は天上界でも有名な天文学者でね、ずっと研究所に缶詰めだったんだ。だから、フォセは小さい頃から施設に預けられてて……それでね、寂しい思いをしないようにって、この子をもらったらしいよ……ん? まーくん、こっちに行けば良いんだね……」
いつも我儘で隊員たちを振り回してばかりいるフォセだが、それは幼少期に甘えきれなかった分が出ているのかもしれない。
そんなことを考えながら、スラウはチニの後をついていった。
***
「どうだ、鎧兵は? 上手く巻けたか?」
グロリオが小声でライオネルに尋ねると、彼は扉の隙間から出していた首を引っ込めて頷いた。
「ああ。廊下は気味悪いくらい静かだよ。だが、チニたちも居ないのが気になるな……」
「はぐれるのも無理ないわ。私たちもこの壁が回転式だったなんて夢にも思わなかったもの……」
アイリスが背後の壁を軽く叩いた。
廊下を曲がった時、グロリオの指が小さな出っ張りを押したらしい。
その拍子に回転する壁に巻き込まれ、この小さな部屋に転がり込むことになったのだ。
アイリスはもう1度、石造りの部屋の中を見回した。
ローク卿は生前、世界各地から調度品を集めたと聞いたが、なるほどと胸の内で頷いた。
壁一面に世界中の名刀が整然と飾られており、窓の重々しい紺のカーテンの隙間から差し込む紅の月の光を受けて鈍い光を放っている。
「ダメだわ。3人とも通信が繋がらない……」
アキレアが悔しそうに通信機を握りしめた。
今、彼女が手にしている機械はハイドから奪ったものだ。
代わりに彼の手には粉々になった銀色の破片が握られている。
グロリオはアキレアの傍に跪くと彼女の手を両手で包み込んだ。
「あいつらなら大丈夫さ。気配に敏感なチニがついている。そう簡単には捕まらないよ」
「ええ。でも……」
アキレアは視線を落とした。
すかさずグロリオが彼女の肩に腕を回した。
「今は通信が繋がらなくても同じ屋根の下に居るんだ。必ず会えるさ。君には俺がついている。例え何があっても……君は俺が守るから」
「グロリオ」
アキレアは囁くとグロリオをじっと見つめた。
グロリオも輝く瞳で彼女を見つめ、褐色の手でアキレアの頬を優しく包んだ。
「アキレア」
「グロリオ」
「アキレア!」
「グロリオ!」
「それより、これからどうするんだ?」
いつものように良い雰囲気になっている2人の間にライオネルがにこやかに割って入った。
「あ、ああ。1階は鎧兵が徘徊しているしな……2階に上がって引き続きイザベラ嬢を探そうと思う」
「それなら私が行くわ」
グロリオの言葉にランジアが立ち上がった。
長い黒髪に細い指を絡める。
「緊張感がまるでない人たちには任せていられないもの」
「ちょっとランジア」
「アイリス、あなたは黙っていて。この人たちに任せていたら先が思いやられるわ」
「仕方ないな……じゃあ、俺もついていくよ」
ライオネルが苦笑交じりに立ち上がった。
「それなら良いだろ?」
だが、ランジアはツンと顔を背けると出ていってしまった。
「じゃあ、あとで」
ライオネルは微笑むと、彼女に続いて扉の向こうに姿を消した。
2人が部屋を出てから間もなく、アキレアはふと思い立ったようにメモ帳を取り出した。
「アキレア、何か思い出したのか?」
「ええ……ライと町で集めた情報をまとめたんだけど、1つ不可解なことがあったの。ローク卿の執事を除いたこの屋敷の全ての使用人がギルナード・ローク卿の亡くなるのと同時期、またはその直後に職を解かれているんだけど……最も不可解な点はここよ」
アキレアは自分のメモを軽く叩いた。
全ての名前が横線で消されている。
「彼らのその後の足取りが掴めていないの。これほどの人数が居れば、1人くらいは情報が得られるはずなのに」
アキレアは首を振った。
「まるで屋敷に居た全員が神隠しにあったかのようだわ」
その時、それまで微動だにしなかったハイドが壁に近づいた。
「どうした?」
グロリオが尋ねると彼は壁を顎でしゃくってみせた。
「何かがいる」
「……っ!」
グロリオも慌てて壁に耳を当てた。
ギィギィという何かが軋む音、ペタンペタンと何かが床を叩く音が機械的に繰り返し聞こえる。
「隣の部屋だ! 行くぞ!」
グロリオに続いて隊員たちは部屋を飛び出した。




