二.宿舎掃除
「ラナン、それ取ってくれ!」
「おう。この報告書はどこに置けば良い?」
「他のものと一緒にまとめておいてくれれば良い!」
剣の朝稽古を終えて宿舎に戻ってきたスラウが目にしたのは、慌ただしく駆け回る隊員たちの姿だった。
いつも皆が腰掛けているソファや机は談話室の隅に寄せられ、木箱やら布の袋やらの山があちこちに出来ている。
足元に転がる巻物を避けながら何とか階段まで辿り着いた。
「うわ」
思わず声が漏れる。
階段にも、筆や薬草の詰め込まれた小瓶が散乱していた。
「おはようさん」
声をかけられて振り返ると、大きな木箱を抱えたラナンが立っていた。
「おはよ。これ、どうしたの?」
「ん? あぁ」
ラナンは箱を宙に放って印を結んだ。
指がパチンと音を立てると、薄い膜に包まれた箱が部屋を横断して他の木箱の上に器用に乗っかった。
「片付けだよ」
「片付け? どうしたの急に?」
「年に1回、顧問が宿舎の利用状況を見に来るらしい。で、さっき気づいたんだが、それが今日の夕方なんだよ。評価があまりにも低いと、延々と説教を聞かされる上に、反省文を書かなきゃならねぇらしくてさ」
「え……」
「しかも、2階の個人の部屋までくまなくチェックされるんだ。1人でも及第点行かないと、全員が反省文を書くんだと……って聞いてんのか? まさか、お前?!」
スラウは惚けたように立っていたが、ぎこちなく笑みを浮かべた。
「ん? い、いや、聞いてたよ! あははっ……だ、大丈夫だって!」
「ラナン! 次はこいつを運んでくれ!」
グロリオの声が飛んできた。
「なら良いけどよ」
スラウが安堵の溜め息を吐いた途端、ラナンはニヤリと笑って振り向いた。
「まさか、2人用の部屋を自分しか使っていないからって、散らかすようなマネはしてねぇよな」
「ブフォッ!」
痛いところを突かれたスラウは思わず階段から足を滑らせた。
その拍子にインクの瓶がひっくり返った。
黒いインクがえんじ色のカーペットに染みていく。
2人は慌ててしゃがみ込んだ。
「げ、スラウ……」
「だ、だ、大丈夫! こういう時は……」
スラウは片手で印を結んだ。
『浄化!』
指先から広がった光がカーペットに染み込む。
インクの染みはみるみるうちに取れていき、そこだけ埃も取れて鮮やかなえんじ色が映えた。
「よし!」
「いや、良くねぇだろ……」
「そ、そう言うラナンは自分の部屋の片づけしなくて良いの?」
「俺とチニは終わったぞ。ハイドは分からねぇが、問題はグロリオとライオネルだな」
ラナンの言葉にスラウは首を傾げた。
「グロリオは何となく分かるけど……ライオネルの部屋も? 綺麗好きかと思ってた」
「俺もだよ。だけどよ、薬草の入った瓶やら試しに調合した薬やらで……どれを取っておいてどれを捨てるのか、本人じゃなきゃ分からないんだ。下手に触るとスラウじゃなくても、爆発させかねないからな」
「うっ……」
薬草学のセンスが無いことを自他共に認めているだけに、その言葉は痛かった。
言葉に詰まるスラウにラナンは更に畳みかけてきた。
「早く部屋に戻れよ。俺まで反省文を書かされるのは御免だからな」
「……はいはい」
***
「フォセ! ダメよ!」
アキレアが怒った声を出した。
「えー……」
部屋の出入り口に立つフォセは桃色の頬を膨らませて振り返った。
「だって、いちいち箱を下に運ぶの面倒なんだもん。宿舎は吹き抜けなんだし、この方が便利だよー」
「だからって箱を手すりから投げるのは良くないわ。せっかく詰めてあげたのに中身が出ちゃうじゃない。それに、談話室を片づけてくれているラナンたちにぶつかったら危ないでしょ」
フォセは反省するそぶりも無く、ペロッと舌を出した。
やれやれと溜め息を吐いたアキレアは、ふと衣装棚とベッドの隙間に手を伸ばし、挟まっていた物を引っ張り出した。
「フォセ、何か出てきたわよ」
フォセはアキレアの手にしているものを見て飛びついた。
「わー! どこにあったの?!」
「どこって……そこに挟まってたわよ」
「良かったー。なくしちゃったかと思っていたから」
「大事なら綺麗にしときなさいよ。埃まみれじゃない、そのぬいぐるみ」
「はーい」
「……ったく、フォセの奴……これ、木箱だよな……頑丈なはずだよな?」
ぼやく声が聞こえる。
下を覗くと、ラナンが今しがた落ちてきた箱に近寄ったところだった。
勢いよく床に追突した木箱は、ひしゃげて無残な姿になっている。
フォセと同室のアキレアは片付けを嫌がる彼女に代わって部屋にあるものを衣服、小物、図書などに分けて箱に入れてやるのだが、ものぐさなフォセは風で箱を1階に落としていくのだ。
本人に言わせると、風で箱の落下速度を加減しているから良いのだそうだが……
「ラナン、直しといてー」
フォセがアキレアの横に並んで手すりから身を乗り出した。
悪びれる様子もなく笑顔で頼んでくるフォセを見上げてラナンは溜め息を吐いた。
確かに床が壊れることも無いし、彼女が手加減しているのは分かる。
だが、1階で作業をしている自分たちにとって、これはとんでもなく迷惑であった。
カーペットを剥がした後の床に物が落ちてくれば、埃が舞い上がるのは当然だ。
今日は絶対に動物の姿にはなれない。
ただでさえ、くしゃみが止まらないのに感覚が敏感になったら……
いや、それだけじゃない。
自慢の毛並みが台無しだ。
そんなことを考えながら箱から飛び出している物を摘んだラナンは鋭い痛みに思わず顔をしかめた。
「……っ!」
落ちた衝撃で、箱に入っていた小瓶が割れたのだろう。
破片を素手で掴んでしまったせいで、血が出ている。
傷口には瓶に入っていたと思われる青緑色のねっとりとしたものがついていた。
これが何かは知りたくもない。
「やっべ……! ライオネル! 助けてくれ!」
ラナンは叫ぶやいなや、階段を駆け上がっていった。
「大丈夫かな?」
紙の束を抱えたチニは心配そうにラナンの背中を目で追った。
チニの横には紐を咥えた鳥の式が飛んでいる。
彼はそれを近くの棚の上に置くと、箱に近づいた。
恐らく床に広がっている液体は、フォセが配分を間違えて提出できなかった薬だ。
手伝わされたから覚えているが、彼女の性格上、ちゃんと量を測るようなことはしない。
それが劇薬を作るのか毒薬を作るのか……
それは運次第だ。
「スラウ、悪いんだけど、ここを任せても良いかな?」
チニは鼻歌を歌って床を掃いていたスラウに声をかけた。
「良いよ。何をすれば良い?」
「あの本棚には、これまでの任務報告書や資料が入っているんだ。それを順番に並べ直してくれれば良いよ」
「オーケー」
チニはポケットを探ると手袋を取り出した。
『防御せよ』
そう呟くと、手袋が薄い膜に包まれた。
これで大丈夫……
チニはガラス片を慎重に集め始めた。
「これが……報告書6冊目っと……」
スラウは今しがた棚から取り出した報告書を撫でた。
分厚く積もった埃のせいで指の跡がくっきりと出る。
天上界の時間の流れは地上界と比べて非常に遅い。
1年といっても地上界の時間に換算したら、相当長い時間経っているはずだ。
スラウは報告書を布巾で丁寧に擦ると棚に戻し、その隣に手を伸ばした。
「……ん?」
何かが引っかかって取り出せない。
腕を突っ込んで中を探ると、固いものに触れた。
「これか……」
ガタガタと音を立てながら引き抜く。
クリーム色の木で出来た四角いものが出てきた。
真ん中にコルク地の板が留められていて、裏返すと埃が分厚く積もったガラスがはめ込まれていた。
ガラスを指でなぞると、次第に埃の中から絵が浮かびあがってきた。
「……!」
見慣れたステンドグラスと階段……
好奇心に駆られてガラスを拭いていくと、絵の中央のソファに腰掛ける人の姿が現れた。
「これ……」
日に焼けた小麦色の肌に、明るい茶色とオレンジの混ざった色の瞳。
まだあどけなさを残しているが、間違いない。
グロリオだ。
スラウは夢中になってガラスを拭いた。
全体が見えるようになってきた。
グロリオの横に座っているのはアキレアだろう。
その反対側にはライオネルが座っている。
彼の後ろにはランジアが立っていた。
そして……
目を走らせたスラウは思わず首を捻った。
「誰……?」
ソファの後ろに立つランジアとハイドの間に知らない人がいた。
黄金色の長い髪を後ろで束ねた長身の青年は、サギリでもラナンでもなさそうだ。
2人ともハイドの肩に届くほど背が高くは無いのだから。
じゃあ、この人は一体?
その時、上の階で大きな音がした。
「スラウ! ちょっと手伝って!」
「はーい!」
アキレアに呼ばれたスラウが去った後、写真立てがパタリと倒れた。
――『隊結成記念』
裏面のコルク地の隅に掠れかけた金色の文字が浮かび上がった。
***
「邪魔するぞー」
サギリはそう言うと、茶色い大きな扉を開けた。
宿舎に足を踏み入れた瞬間、一目で隊員たちの努力が伺えた。
以前は物が無造作に突っ込まれていた書類の棚は資料冊子が整頓されて並べられ、物がはみ出していた引き出しは全て閉められていた。
埃で曇っていたガラス戸も綺麗に磨かれていた。
「おうおう、頑張ったじゃねぇか」
カーペットも洗ったのだろう。
足元もふんわりとしていて心地いい。
グロリオは談話室の中央に置かれたソファの背もたれに両腕を広げて脚を前の机に投げ出していた。
「お疲れさん」
「ん」
グロリオがだらしなく片手を挙げた。
「こんだけ頑張ったんだ、不合格とか言ったら……」
ブツブツいう彼にサギリは思わず吹き出した。
「んなこと言ったって仕方ねぇよ。仕事だからな。金をもらっている以上、きっちり見るぜ」
「んんっ……」
突然、足元で大の字になって寝ているフォセが寝返りを打った。
いつもは勢いのある彼女も今日は疲れきっているようで静かだ。
グロリオの占領しているソファの反対側でチニがライオネルにもたれて眠っていた。
2人とも静かな寝息を立てている。
「お前らが普段から片付けておけば何の問題も無い話さ」
サギリはそう言いながら抱えていた帳簿を開き、引き出しを開け始めた。
「項目1は……よし。次は、っと……」
サギリは隣の棚に目を向けた。
横に置いてある木箱にハイドが腰かけていた。
「あぁ、わりぃな、ハイド。ちょっとそこいいか……ん、そういや他の連中はどうした?」
ハイドが顎を外にクイと向けたのでサギリは窓に近づいた。
「外で寝てんのか……おいおい、風邪ひくぞ」
「おう……言っとく」
グロリオの生返事が返ってきた。
「……ったく」
サギリは苦笑しながら帳簿に点数を書き込むと、階段を上がっていった。
しばらくして階下に降りてきたサギリはグロリオの座っているソファに戻ってきた。
「全員及第点には達しているよ。合格だ」
そう言いながら紙を机の上に置く。
「これが城への提出用の書類……あと、任務通達書な。ここに来るついでに持ってきてやったぞ」
「あぁ……ありが……」
グロリオが力なく紙に手を伸ばしたが、途中で動かなくなった。
不思議に思って顔を覗き込んだサギリは小さく唇の端を持ち上げた。
寝息を立て始めたグロリオの肩をぽんぽんと叩く。
「ま、今日はよく休んどけ」
サギリはひらりと手を振ると表に出た。
ひんやりとした空気が流れ込んでくる。
「ん?」
サギリは思わず足を止めた。
今、クマのぬいぐるみが歩いていたような……
目を擦ってもう1度見やると何もなかった。
「疲れてんのか、俺も……」
思いきり伸びをする。
今日監査に行ったのはここを入れて8つの宿舎。
まだまだ今日中に回らなくてはいけないところが残っている。
「長いなぁ……1日は」
サギリは大きく肩を回すと、夕日の沈みかけた森へ入っていった。




