三.過去 ④
次の日、スラウはラナンを連れて行商人のテントに向かった。
皆、忙しそうに出発の準備をしていた。
スラウはフィリップに駆け寄った。
「フィル。あの、昨日は……ごめん」
「別に良いって。俺も悪かったよ」
彼もぺこりと頭を下げると小声で尋ねてきた。
「荷造りは?」
「大丈夫。あまり多くは持っていけないから。そう思うと何だか寂しくなっちゃって……」
すると、フィリップが突然スラウの腕を掴んで走り出した。
「最後に村見て回ろうぜ!」
楽しそうに笑いながら走る2人をラナンが追いかけた。
歩き疲れるて、2人は村のはずれの酒場の前に積まれていた樽の上に腰をおろした。
酒場はしばらく前に使われなくなり、周りには誰もいなかった。
裏の森から吹く心地良い風が髪を揺らす。
スラウはのどかな空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
今日ここを去らなくてはならない。
確かに良い思い出ばかりではなかったし、自分を待っている人たちにも興味はあったが、それでも名残惜しかった。
『逃げろ!』
突然、頭に聞き慣れない声が響いたかと思うと、ラナンの身体が吹っ飛んでいった。
「ラナン!?」
思わず立ち上がった時、後ろで鈍い音がして頭から血の気が引いた。
地面に倒れ込んだところを羽交い絞めにされて足と手を縛られてしまった。
どうにか身体を捻って振り返ると、棍棒を持ったビルと取り巻きたちがにやついていた。
「この野郎っ!」
同じように縛り上げられていたフィリップが叫んだ。
「スーは関係ねぇだろ?!」
「黙れ! 昨日の仕返しだ!」
ビルがフィリップを殴った。
「離してっ!」
「いってぇっ! 噛みやがったな! ビル、こいつも頼むぜ!」
ビルが再び棍棒を振り下ろそうとした時、何かが彼の顔に飛んできた。
だが、彼は顔にへばりつくラナンを造作なく引き剥がすと放り投げた。
ラナンはぺしゃと地面に落ちて動かなくなった。
「このっ……!」
スラウはどうにか起き上がると、勢いよくビルの腹に頭から突っ込んだ。
地面にひっくり返ったビルの情けない格好に取り巻きたちが思わず吹き出した。
「わ、笑うなっ! おい! 火を付けろ! こいつらを処刑してやる!」
彼らのやろうとしていることを察したフィリップとスラウは必死になってもがいたが、背中を踏みつけられて逃げられなかった。
取り巻きの1人が積み上げられた木材に火を付けた。
それを満足げに見上げたビルはポケットから黒い粉末の入った瓶を取り出した。
「父様の机の中にあったんだ」
「どうなるんだよ?」
取り巻きの1人が聞いた。
「知らねぇ。やってみれば分かんだろ」
そう返すとビルは瓶を空けた。
ゴォォッ――
轟音と共に黒い粉が焔の中で燃え上がった。
焔はあっという間に大きくなり、酒場を呑み込みそうな勢いで燃え始めた。
スラウはもがくのも忘れて焔の中で躍る黒い粉に見入っていた。
「うわぁぁぁっ!」
突然、1人が悲鳴を上げてへたり込んだ。
焔の中心で黒い粉が円を描くように集まっている。
それは徐々に形を変え、巨大な目玉となった。
「ママァァッ!」
悲鳴に反応し、目玉がギョロリと動いた。
「あ……あっ……!」
焔が獲物を見つけた獣のように少年に襲いかかった。
次の瞬間、恐怖の表情を浮かべている彼を焔が包み、悲鳴が辺りを劈くように響いた。
「ひぃっ……!」
皆、じりじりと後退りし始めた。
「う、うわぁぁっ!」
1人が逃げ出したのに続いて、少年たちが走り出した。
だが、焔の目玉は彼らを見据え、地面を火の舌で舐めながら次々と呑み込んでいった。
辺鄙な酒場は一瞬で子どもの悲鳴が響く地獄へと豹変した。
ぷつんと途切れた悲鳴に目を開けると、もう残っているのはスラウとビルだけだった。
目玉がゆっくりとこちらを見つめた。
「い、嫌だ……! た、たすっ……!」
ガクガクと唇を震わせたビルはスラウを盾にしようとしたが、腰を抜かしてへなへなと膝をついた。
焔が迫ってきた。
「……っ!」
辺りが熱風に包まれ、何も聞こえなくなった。
次の瞬間、スラウの視界は真っ白な光に包まれた。
***
村にいた人々が遠くで燃え盛る焔に気づいた。
「おい! 見ろ! 火事だ!」
「水だ! 水を用意しろ!」
慌ただしく走っていく人々を横目に、ハリーは声を張った。
「2人はまだ見つからないのか?!」
「あちこち探したつもりではありますが……」
熊のようにうろうろと歩くハリーに団員が言いにくそうな表情を浮かべた。
「あ、あの……まだ1か所だけ探していません」
「どこだ、それは?!」
「……火事の起きた酒場です」
「くそっ!」
ハリーが毒づいた時、馬が走り込んできた。
「ハリー様! フィリップ様を見つけました!」
団員の腕に抱かれたフィリップの服や髪は焦げついていた。
細く目を開けた彼は父の袖を引っ張った。
「父さん……スー……が……」
今にも消え入りそうな声で囁いたフィリップは力なく目を閉じた。
ハリーは息子を近くにいた団員に預けると、馬に飛び乗った。
「どこに居た?!」
「酒場の裏の茂みに。自力でお逃げになっていたようで……」
「そうか……先にここを出ろ。治療を頼んだぞ!」
ハリーは馬に鞭を入れて見物人の集まる酒場へと急いだ。
街道は火事の様子を見に行く人でごった返していたので、道を外れて森を通って行くことにした。
その時、王国軍を名乗る覆面の者たちとすれ違ったが、そのうちの1人は焦げついた大きな麻袋を抱えていた。
「あんな勢いじゃ、止められねぇ!」
「こっちに来ているぞ! 逃げろ!」
村の中心部は逃げ惑う人々でごった返していた。
我先に、と互いを押しのけ合っている。
家中の棚をひっくり返して逃げる準備をしていた村長のところへ妻が駆け込んできた。
「あなた! ビルちゃんはどこ?! 探したのにいないのよ!」
「いつもの連中といるんじゃないのか? そんなことより逃げるぞ!」
「私の可愛いビルちゃんを置いていけないわ!」
その時、取り乱した様子の女性が家に転がり込んできた。
「どうしましょう?! 子どもたちを見た人が……ああぁぁぁっ!」
そこまで言うと彼女は泣き出してしまった。
「まぁ! なんですの?!」
金切り声を上げる妻に村長は思わず顔をしかめた。
女性はしゃくり上げながら辛うじて言葉を繋いだ。
「火事の起きている酒場の方へ行くのを見たと……」
家を飛び出そうとする妻を村長は慌てて押さえた。
「無理だ! ここにも火が来ているんだぞ?! もう助けられん!」
「でも! ビルちゃんが!」
叫ぶ妻を引きずるようにして、裏口に待たせてあった馬車に押し込んだ。
自分も乗り込もうとした時、ふと思い出して家に戻り、応接間の机の引き出しを開けた。
昨晩、仮面の男から受け取った瓶が入っているはずだった。
彼はしばらく空っぽの引き出しを睨んでいたが、ふと窓を激しく叩く音に我に返った。
村の人たちが何かを叫んでいる。
だが、彼は迫る焔を見ると、彼らに目もくれずに家を飛び出した。
「何をしている?! さっさと馬車を出さんか!」
御者に怒鳴りながら太い身体を馬車に押し込んだ村長は凍りついた。
妻の胸にぎらりと光る短剣が突き刺さっていた。
臙脂色の椅子にどす黒い血が滲み、白い手がだらりと垂れ下がっている。
「自分だけ逃げるとは殊勝なことだな……クククッ……」
すぐ後ろで、くぐもった声がしたかと思うと、太い首に鋭利な剣が突きつけられた。
「お、お前は昨日の……!」
仮面の男は村長を馬車に蹴り入れると、贅肉の垂れた顎に剣を押しつけてきた。
「スラウという名の子どもがいるな?」
「ち、違う! あんなガキ、うちの村の者じゃない……」
「いいから答えろ」
「ガハッ……!」
村長は腹を押さえた。
男に刺され、呼吸する度にシャツに血が滲んでいく。
「む、村はずれの緑色の屋根の家だ! ロナルドって物好きが育ててる! い、命だけは助けてくれ!」
仮面の男は命乞いをする村長を見下ろしていたが、ゆっくりと頷いた。
「……良かろう」
安堵の表情を浮かべる村長の胸に剣が突き刺さった。
血飛沫を上げて倒れ込む彼を踏みつけて剣を引き抜くと男は馬車に背を向けた。
「ククククッ……言っただろ? 人を簡単に信用するなと……」
部下から差し出された布を受け取った男は血に塗れた剣を拭うと馬に跨った。
「探せ。緑色の屋根の家だ」
黒い覆面の集団は森の中へと姿を消した。
後に残された馬車には火が燃え移り、大きく火の粉を舞わせていた。




