七. 城へ①
固い地面を転がる車輪の音に門番が気怠そうに小屋から顔を突き出した。
夕日を背に2人の男が台車を引いている。
彼は大きく肩を回しながら外に出ると、高くそびえる鉄の格子に近づいていった。
水の村の方向に霧が広がっているのが見える。
霧は徐々に立ち込める範囲を広げているようだ。
あれには毒が含まれていると聞く。
ここまで来なければ良いが……
門番がぞんざいに手を振って紙を見せるように言うと、男の1人が折り畳まれた紙を取り出した。
使い古されて端が破けている。
門番は鉄格子の隙間に差し出された紙を受け取ると手にしたランプにかざして確認した。
ぶつぶつ言いながら印をつけ、重い門を開ける。
「入れ」
門番の言葉に男たちは台車を動かし始めた。
小屋の前に木棚が打ち付けてあり、男たちは2人がかりで壺を抱え上げるとそこに1つ1つ丁寧に入れていった。
棚にぎっしり壺が入れられたが、台車にはあと1つ壺が残っていた。
門番は台帳を見て小さく毒づいた。
「あの酒場め、壺1つ分の水を注文するとは贅沢なもんだな……横に置いておけ。後で取りに来させる」
男たちは壺を抱えると棚の横に置いた。
門番が棚に鎖を巻き付けて鍵をかけると、男の1人が黙って手を差し出してきた。
「あ? ああ、あれか……」
門番はそう言うと小屋へ戻った。
机をしばらく漁って小さな麻の袋を掴む。
「これだな……」
呟いて小屋を出た。
その時、小窓が薄く開いて何かが投げ込まれたが、彼は気がつかなかった。
とうに日の暮れた道を戻って行く男たちの姿が霧の中に消えて見えなくなると、彼は門を閉めて鍵の束を取り出して幾つもの錠に鍵をかけた。
この町に入る門はこの1つだけだから、警戒は十分にしなくてはならない。
以前は砂の村や水の村から逃げ込んでくる者も多かったが、村に残った親族までもが容赦なく処刑されると知るや否やそんな無謀なことをする者もいなくなった。
門番は自分の懐中時計に目をやった。
交代までもう少し時間がある。
首を回しながら小屋に戻った。
小さな木の椅子を軋ませながら座ると、目の前の机に鍵束を投げ出した。
その時、初めて鼻につく香りに気がついた。
鼻をひくつかせた彼は首を傾げた。
部屋が全体的にぼんやりと曇っているようにも見える。
空気を入れ替えようと窓に手を伸ばした時、目の端に見慣れない茶色い巾着が見えた。
何だ、ありゃ……金か?
彼の意識はすぐに黄金がうず高く積まれた夢の中へと飛んでいった。
不意に棚の横に置かれた壺の蓋が動いた。
蓋の中から、くしゃくしゃの黒髪とこげ茶色のくりくりした目が現れた。
ニコラスは油断なく周囲に目をやり、人が居ないことを確認すると安堵の息を漏らした。
以前、商品を盗んだことがバレて商人たちに追われた時、馬小屋の乾草の山に隠れたことがあった。
あの時は昼間で明るかったし、狭くて息の詰まるような思いもしなかった。
ニコラスは痺れた足をどうにか動かしながら、やっとのことで壺から這い出た。
――『いや、1つだけ方法がある』
ラルフの声が蘇る。
――『水を届けるのなら、多少日没に間に合わなくても町に入ることができる。但し、私たちは町に留まることができない。その場で追い返されてしまうからね。だから、かくれんぼをしよう』
ニコラスは音を立てないように小屋に近づいた。
背伸びして小窓を引き開ける。
中を覗くと、ぼんやりと曇った小屋の中で門番が机の上に突っ伏して眠りこけているのが見えた。
鍵束は彼の右手のすぐ先に置いてあった。
そして、そのすぐ隣には茶色い巾着が転がっていた。
――『これに薬草を入れておこう。この草の煙には催眠の効果があってね……普段は眠れない患者さんに少しだけ調合して渡すんだが……多めに入れておく。これを小屋の中へ投げ入れれば、門番は眠らせられるはずだ』
ゆっくり腕を伸ばして手に取る。
もしかしたら後で使えるかもしれない。
――『あぁ、そうだ。逃げる前に1つやって欲しいことがある。まず、鍵を持ち出すんだ』
再び小窓から手を突っ込むと、辛うじて鍵を1つ掴むことができた。
だが、机の上を引きずっている時に、指に鍵がぶつかって門番がぴくりと動いた。
ニコラスは慌てて首を引っ込めたが、恐る恐る覗くと門番はまだいびきをかいて眠っていた。
「ふぅ……」
額の汗を拭ったニコラスはそのまま鍵束を引きずり出した。
――『水が盗まれないように鎖が巻きついているはずだ』
壺の並んだ棚の鎖を引っ張ってみると金属が擦れて大きな音がした。
ニコラスは慌てて窓を見上げたが、門番はまだ気付いていないようだ。
今度は銀色の輪にぶら下がる大小様々な鍵から合いそうなものを選んで鍵穴に突っ込んでみた。
「これじゃない」
ニコラスは小さな声で呟くと別の鍵で試してみた。
鍵を入れ替えるだけでもガチャガチャと大きな音が出る。
今にも人が通りがかりはしないかとか、門番が起きやしないかとか、不安になってきた。
「これでもねぇのかよ、クソッ!」
悪態をついた時、近くでガサガサと音がした。
周りを見回し、隠れるところを探したが、見当たらなかった。
じっとしていると、小屋の脇から小さな黒い影が飛び出してきた。
それは黄色く光る眼でこちらを見つめると甘えた声で鳴いた。
「何だ、猫か……」
猫はもう1度鳴くと、長い尾をゆっくりと振りながら去っていった。
ニコラスは大きく息を吐くと鍵穴に目を向けた。
いつまでもここにいる訳にもいかない。
やっとのことで鎖を外し、ラルフの次の指示を思い出した。
――『棚の中の壺と、君の入っていた壺を入れ替えなさい。誰かが壺の中を覗いても、水が入っていれば、君の侵入の発覚は遅らせることができるだろうから』
ニコラスは水の入った壺を引きずり出した。
重くて持ち辛い。
今度こそ水を溢さないようにゆっくりと運ぶ。
永遠にかかると思われた作業の間、幸いなことに誰もやって来なかった。
壺をすり替えて鍵をかけた。
後は鍵を戻すだけだ。
小屋の中を覗くと、門番は相変わらず幸せそうに眠りこけていた。
ここまでは全てが完璧に進んでいる。
ラルフが機転をきかせてくれたおかげだ。
彼がここまでして自分を助けてくれる理由。
それは……
――『私は王宮専属の医者だったんだ。君は私のかつての主人によく似ている』
思い出した言葉に思わず手元が狂い、鍵束が盛大な音を立てて滑り落ちた。
ニコラスは慌てて腕を引っ込めると、一目散に通りの角を目がけて走った。
騒々しい音に門番は飛び起きた。
薄く開かれた窓から冷たい風が流れ込んでいる。
窓から顔を突き出したが、誰も居ない。
「……っ! 水だ!」
椅子を蹴り倒して外に転がり出る。
だが、棚の中の壺は相変わらず整然と並んでいた。
試しに棚の隣に置かれた壺の蓋を開けてみたが、中には縁までなみなみと水が入っていた。
「何だ、気のせいか……」
門番は禿げ上がった頭を掻くと、欠伸を堪えて小屋の中へ戻っていった。
***
ニコラスは闇夜を突き刺すようにそびえる城を見上げていた。
城下町は弧を描くように城の前に広がっていた。
固く閉ざされた城門の前には守衛が立ち、侵入は難しそうだった。
城壁の窓にオレンジ色の光が現れたり、消えたりしている。
見回りだろう。
数歩下がった時、誰かにぶつかった。
「あ、すみません」
振り返るとスラウが立っていた。
彼女はニコラスの肩を掴むと物陰に引きずっていった。
「あんなところに立っていたら警戒されるでしょ?!」
「あ、あぁ……ごめん」
「何かあった?」
ニコラスはしばらく拳を固めたまま俯いていたが、ぽつりぽつりと話し出した。
「俺さ、今までずっと、人の金、盗んで生きてきた……」
自分も現国王と変わらず誰かの努力を踏みつけていたのだ。
「それなのに……っ!」
自分を信じてくれる人も居て……
「俺が……王族を名乗る資格なんて……ないんだ……」
スラウはずっと黙って聞いていたが、何も言わなかった。
「……どう思う?」
掠れた声で尋ねてみる。
肩からスラウの手がゆっくり離れていった。
「後悔、してるんでしょ?」
「……うん」
「その気持ちがあれば十分だよ」
「……」
「前に言った言葉。覚えてる? 人々が何故王に敬意を示すのか……王という器じゃなく、その人の内面を尊敬してるんだって言ったこと」
「……うん」
「私たちは「先に城下町へ行き、侵入ルートを探れ」という君の指示に従った。それは君を敬意を示したかったから。器ではなく君の内面に……ニコラス、君はもう王族を名乗るのにふさわしいほどに成長したんだよ」
気がつくと、スラウの後ろにフォセやライオネルが立っていた。
2人とも賛同するように笑顔を浮かべている。
フォセが頭の後ろで手を組んで、にぱっと笑った。
「突然、「自分が指揮を取る」とか言い始めたから驚いちゃった。あんなに嫌がってた剣の稽古だって、スラウに夜明けまで付き合ってもらってるし。随分変わったんじゃなぁい?」
「う、うるせーな……」
唇を尖らせた時、盛大に腹が鳴った。
ライオネルは小さく唇の端を持ち上げると、顔を赤らめるニコラスの肩を叩いた。
「最近、木の実しか食べていなかったからな。久しぶりにちゃんとした食事をしようか?」
***
町で唯一の酒場ということもあり、店の外からもその賑やかさが伺えた。
店に踏み込んだ途端、食べ物や酒の匂いが鼻をくすぐった。
高い天井から照明がぶら下がり、煙草の充満した店の中を照らしていた。
人々は片手に盃を持ち、肩を組んだり談笑したりしていた。
貧しさや病気に苦しんでいた砂の村、水の村の人たちとは異なり、ここの人々は豊かな生活をしているようだった。
4人は2階に上がると幾つもの席を通り過ぎ、フロアの隅の窓側のテーブルについた。
ニコラスは窓に張り付くように外を眺めたり、首を伸ばしてフロアを往来する給仕係を目で追ったりしていた。
「馬は買ってもらえた?」
水の入ったコップを手渡してフォセが尋ねた。
ニコラスはそれを一気に飲み干すと首を振った。
「いいや。預けることにしたんだ……友だちに」
その言葉に3人は嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「へい、お待たせしました!」
次々にスープやパン、鶏肉料理の皿が運ばれてきた。
「うわぁ! これ、全部食べて良いのか?!」
「好きなだけ食べろ。夜は長いぞ」
ライオネルの返事を聞くや否や、ニコラスは勢いよく肉にかぶりついた。
次々と皿に手を伸ばす彼をスラウは目を細めて見つめていた。
「……ほふひは、ほふはっへひんふふふんほ?」
食べ物を口の中にいっぱい詰め込んだまま話すニコラスに3人は思わず吹き出した。
「ぶっ……あはははっ! 何言ってんのか分かんなぁい!」
ケラケラと笑うフォセに、ニコラスはごくんと食べ物を飲み込んで口を開いた。
「だぁかぁらっ! どうやって侵入すんの、って聞いたんだよ!」
「はははっ……! はいはい。分かってるって」
フォセは笑い過ぎて出た涙を拭いた。
「簡単な話。正面から入るの」
「はぁ?!」
「驚くのも無理ないな」
ライオネルが口を開いた。
「町と城の間に堀があるんだが、毒性のある水のようで、橋を渡るしか方法が無いんだ」
「じゃあ、この町の人もあの病気に?!」
「いや、恐らく城にいる呪術師が町に被害を及ぼさないようにしているはずだ」
「因みに」
フォセが口を挟んできた。
「堂々と正面から入るわけじゃないからね。そんなことしたら目立つし」
「じゃぁ、どうやって?」
「あたしに任せて」
そう言うとフォセは得意気に片目を瞑ってみせた。




