五. 忘れられた天使
ニコラスを庇うように立つスラウの隣にフォセとライオネルが並んだ。
「さて」
フォセは金色の髪を弄ると武器を構える傭兵たちを見回した。
「あたしたちが居ない間に、随分この子を可愛がってくれたみたいね!」
彼女の殺気を感じたのか、傭兵たちがじりじりと後退りした。
「ニコラス」
ライオネルが耳元で囁いたので顔を上げると、彼は前を見据えたままだった。
「掴まってろよ」
よく分からないまま彼の腕にしがみつく。
「覚悟しなさい!」
フォセが叫んだ瞬間、何が起こったのか分からなかった。
いつのまにか2人は空に吹き飛ばされていた。
「うわあぁぁっ!」
グルグルと回る視界の中で一瞬、ライオネルの腕から太い枝が生えているのが見えた気がした。
何が起きているのか振り返ろうとしたが、大きく翻るローブのせいで見えなかった。
「もう良いだろう」
ライオネルが腕を離したので、慌てて河岸を振り返った。
あれほどいた傭兵が全員地面に倒れている。
「何が……起きてるんだ?」
首を捻った途端、背中に痛みが走った。
呻いて蹲るニコラスをライオネルが慌てて支えた。
ライオネルに傷の手当てをしてもらっている間、ニコラスは3人にこれまでのことを簡単に説明した。
「でも、じじいが何であんなことをしたのか、分からない……」
「そっか」
スラウは静かに呟くと、顎に手を当てて黙り込んでしまった。
「……あの、さ」
ニコラスはライオネルの貸してくれたローブの裾を掴んだ。
「俺、城に行くよ」
ニコラスの言葉に3人は揃って目を丸くした。
「だ、だからさ……つ、付いて来てくれねぇかな、アイツを助けるのに」
「え? えぇっ?!」
思わず声を上げるフォセにニコラスは唇を尖らせた。
「何だよ、この間まで城に行けってしつこく言ってきたくせに」
「そりゃ、そうだけど……」
「お、俺、襲われた時に思ったんだ。お前らとは知り合ったばかりだし、何の関係ないはずなんだ。酷いこと言って傷つけたのも知っている。だけど……助けてほしい、そう思った。そしたら……来てくれた。多分、アイツも同じだ。俺は今までアイツにされてきたことが許せねぇ……だけど、それとアイツが俺と間違えられて捕まっているのは違う話だ。だから……」
恥ずかしくて言葉尻が小さくなったが、3人とも何も言わなかった。
しばらく火照った顔を下に向けていると、くしゃっと髪を撫でられた。
「……え?」
スラウはにっこり微笑むと立ち上がった。
「じゃぁ、行こうか!」
***
雨が降り出し、4人は空に鳴り響く雷鳴に追われるように馬を急がせた。
水溜まりを飛び越える度、泥水が跳ねる。
「フォセ! 峠の村まであとどれくらいの距離がある?」
スラウが雨音に負けないように声を張り上げた。
「まだかかるよ、あと半日くらい!」
「あそこに洞穴が見える!」
スラウはニコラスの言葉を聞くと、馬の向きを変えて茂みに飛び込んだ。
「えっ? それ、どうやるんだよ?!」
慌てるニコラスの隣にライオネルが馬をつけた。
「右脚に力を入れるんだ。しっかり掴まっておけよ」
そう言うと、彼は追い抜きざまに馬の顔に手を伸ばした。
『ついて来い』
頭に直接響くような声にニコラスは思わず周りを見回した。
次の瞬間、馬がライオネルの馬に続いて茂みに飛び込んだ。
ニコラスは慌てて手綱を握った。
濡れた背中は滑りやすかった。
身体が斜めったまま茂みに突っ込む。
何度も木の枝や葉にぶつかり視界を遮られたが、振り落とされまいと必死にしがみついた。
茂みを抜けた先には洞窟が大きく黒い口を開けていた。
スラウは近くの岩に馬を結びつけ、ニコラスを手招いた。
「中で少し休もう」
小さな洞窟の中は湿った土の匂いがした。
スラウが見張りにつくと言って譲らなかったので、ライオネルとフォセとニコラスの3人で火を囲って暖を取った。
しばらく火の爆ぜる音に耳を傾けていたが、ニコラスは徐ろに口を開いた。
「なぁ、傭兵をどうやって倒したんだ? 上手く言えないんだけどさ……お前ら、人間じゃないだろ? 何者なんだ?」
聞こえてきたニコラスの声にスラウは目を閉じた。
***
「『忘れられた天使』。我々をこう呼ぶ者もいる」
歴史の講義で水の長ヘラルドはそう言っていた。
「前にも言ったが……天上人は人間と契約を交わし、彼らを守る為に能力を使うことが定めだった。しかし、かつて天上人は己の定めに逆らった。憤った天使たちは天上人から翼を奪い、人間の記憶からその存在すらも消したんだ。この呪いは今でも続いている。だから、契約主は契約が切れた途端に俺たちのことを忘れてしまう。それが『忘れられた天使』と呼ばれる所以だ。その一方で、我々が地上界で出会った人間を忘れることはないがな」
***
ニコラスは信じられないという目でライオネルを見つめた。
「……そしたら、俺はお前らのことを?」
「覚えてはいないだろう」
「俺は絶対に忘れたりなんかしない! だって……可笑しいじゃないか?! お前らが居たから俺はまだこうして生きている。それなのに忘れるなんて……それに、お前らを忘れたところで襲われた記憶は残るんだろ?」
「あぁ、そうだ。その時は偶々突風に巻き込まれて傭兵が倒れただとか、偶々掴んだ木の枝が逃げ道を作ってくれた、という風に記憶が書き換えられるんだ」
「そんなに偶然が重なったら変だよ!」
「でもそれが記憶として残っていくの。全然変じゃないよ」
フォセが口を開いた。
岩の上で膝を抱える彼女は遠くを見つめたままだった。
「俺はそんなの認めない! 何者であれ、お前らは俺の命の恩人なんだ! それにさ、忘れられたら悲しくないのか?」
「……どうだろうな」
ライオネルは小さく身動ぐと膝の上に肘をつき、火を見つめた。
「そもそも人間に覚えられたことがないから、悲しいという感情すら湧いたことはない。だが、俺はそれでも構わないと思っている。人間の願いを叶える……これが俺たち天上人の使命であり誇りだからな。それ以上のことは望まないさ」
「でも!」
「もうこの話はこれで終わりにしよう」
そう言って微笑むライオネルは寂しそうだった。
その時、スラウが戻って来た。
火はすっかり小さくなり、消えかけていた。
「雨、あがったよ」
「お腹すいたぁ」
フォセが足をぶらつかせて呟くと、ライオネルが立ち上がった。
「もう少し枝を拾ってこなくちゃいけないな。フォセ、手伝ってくれ」
「ニコラスが行ってよ。あたし、動くのやだもん」
ニコラスは溜め息を吐くと立ち上がった。
「へいへい……じゃ、お前の飯が代金な」
「えぇっ?! ……分かった、木苺ならあげる」
「お前が嫌いなだけだろっ!」
「だって酸っぱいんだもん」
フォセはぺろっと舌を出した。
先に行ってしまったライオネルを追って洞窟を出たニコラスはしばらく彼の背中を見つめていた。
「どうした?」
首を傾げて振り返るライオネルにびしっと指を突きつける。
「俺は! ぜってぇにお前たちのこと忘れねぇから!」
挑むような口調のニコラスにライオネルは目を丸くしたが、そうか、と微笑むとニコラスの頭を軽く叩いた。
「な、何だよ?!」
思わず頭に手をやり、目を見張った。
彼の目に光るものが見えた気がしたのだ。
「さ、行こうか」
改めて見た時には、いつも通りの冷静な表情に戻っていた。
勘違いか……
ニコラスは頭を振るとライオネルを追った。




