八.最期の王①
あらゆるものを憎んだ男によってもたらされた天上界中を巻き込む戦いは、彼が唯一愛した者によって終焉を告げ、本当に奇跡的なことに、各領域及び城内における戦闘で死者は1人も出なかった。
それ故に、唯一の犠牲者である光の長コウルの死は人々の中に深い哀しみとして残った。
最期まで光の領域を護る剣として、息子の暴走を食い止める父親として、抗い続けたその男の名は後代にも語り継がれるものとなるだろう。
彼の葬儀には長や各領域の王を始めとして、重鎮たちが参列し、彼の死を悼んだ。
その一方で、禁忌を犯し、天上界の転覆を目論んだ男の葬儀も、細やかながらひっそりと執り行われた。
同族を殺すという最も重い罪を犯し、光の天上人の多くを惨殺した彼を弔う理由は、エリオット家の2人の主張によるものだった。
「あの人を庇うつもりはさらさらねぇ……だが、自分じゃもう止められなかったんだ。誰かが止めるまで、あの人はずっと止まれなかった」
そう言うラナンにスラウはそれ以上何も追及しなかった。
だが、やはりと言うべきか、かつての裏切り者に手を合わせる者など居らず、ゾルダークの墓の前は閑散としていた。
小さな花を手向けたラナンは墓に向かって小さく頭を下げると静かに立ち去って行った。
残されたスラウはしばらくそこに立ったまま小さな墓石を見つめていた。
罪もない地上界の人々の生命を奪い、自分の家族の生命も奪った。
だが、この男の死後も、彼を憎むような感情は湧いてこなかった。
スラウは墓石の前の小さな花を見つめたまま呟いた。
「あなたと同じです……私も」
愛した人に忘れられ、失った。
違いは自分に手を差し伸べてくれた人がいたかどうかだ。
失った哀しみを忘れる為に大切な者にまで手を掛けた者と、失った哀しみを忘れない為に大切な者を護ろうとした者。
その違いだけだった。
スラウはそっと胸に手を当てた。
光の領域を覆うほどの瘴気を生み出してしまっていたのは、その地にかつて生き、そして亡くなり、忘れ去られた人々だったのだろう。
そこには己自身も含まれていた。
戦火に巻き込まれ、地上界に逃げ込んだことで、それまでの自分の記憶は消えてしまった。
忘れてしまったのは自分自身だったのだ。
影を取り込んだ後も、決して幼少期の自分の記憶が戻ったわけではなかった。
だが、自分が忘れてしまっていたことを覚えていること、これが自分にできる最大の償いだった。
「あなたの息子は、きっとこの世界を変えるでしょう。それはあなたが望んでいるものとは違う方法かもしれない。ですが、最後までしっかり見ていて下さい。あなたが恨んだ世界は、あなたが憎んだ世界は、決してつまらない小さなものではなかったと……あなたの生きてきた世界は美しいものだったと、思ってもらえるよう努めていきますから」
スラウはそう言うと、微笑んで墓石に頭を下げた。
「だから……どうか安らかにお眠り下さい」
「おや、こんなところにいらしたんでぃ?」
聞き知った声に慌てて振り返ると、灰色のどぶネズミが近くの木の幹を降りてきたところだった。
ネズミは宙でくるんと回ると人の姿に変わった。
ボサボサの灰色の髪に落ち着かなげに動く黒いつぶらな瞳。
大きく飛び出た前歯は黄ばんでいる。
「情報屋さん? 私がここにいるって言いましたっけ?」
思わず尋ねると、情報屋はニヤリと笑った。
「言ったでしょ、あっしの目やら耳は天上界中にあるんでさ」
男はそう言うと胸ポケットを漁り、白い便箋を取り出した。
「恩師からお手紙ですよ、スラウ・フォルレンディアさん。これはあなた宛てでさぁ……惜しい人を亡くしましたよ、本当に」
スラウは封筒に伸ばしかけた手をふと止めた。
「コウル様は眼が見えなくなってましたよね? どうやって手紙を書いたんですか? それに、サギリが見つけた手記も……誰かが代わりに書いていたのかな」
「おっと、こっちが渡してる情報だけじゃ、足りねぇってかい。情報にはそれ相応の代金をもらいませんと」
「あ、いや、ふと思っただけです」
慌てて手を振ると、情報屋は肩をすくめてみせた。
「秘密ばかりは売りませんよ。あの方は生前、あっしのことを御贔屓にして下さったんでね」
「……」
そっと開いた便箋には達筆な文字が並んでいた。
それを目で追うスラウの表情がみるみるうちに険しくなっていく。
情報屋はそんなスラウを一瞥すると、くるりと背を向けた。
「どう動くか、あなた次第でさ」
灰色の髪をボリボリと掻いた男は黄ばんだ歯を見せて笑った。
「動く時は派手にやって下さいよ? 良いネタになりそうだ……」
スラウが我に返った時には、情報屋の姿はなく、青々とした芝生が風にそよいでいた。
***
陽気な音楽が月夜に響く。
フォセが叩くタンバリンの音がリズムをかき乱していたが、演奏する人々は微笑ましそうに、クルクルと踊る彼女を見ていた。
「五つ星シェフには及びませんが、ケーキを焼きましたよ」
今にもずり落ちそうなコック帽を頭に乗せ、ふくよかな身体の男性が銀色のカートを押して部屋に入ってきた。
「そんなことないぞ! デルフォンの料理、俺、天上界一好きだもん」
「ぼっちゃま、有難きお言葉にございます」
ニコニコと笑ったコックはグロリオに頭を下げると、ケーキの皿を机に乗せた。
「わぁ!」
思わず歓声を上げたスラウは顔をくっつけんばかりにそれを見つめた。
三段のケーキの全体に真っ白なクリームが塗られ、側面には火の能力を象徴する模様が続いている。
ケーキに飾られた花は真っ赤な薔薇の飴細工で、所々に金粉が散らされている。
「へぇ、見事なもんだな」
ラナンも穴が空くほどじっと見つめている。
「グロリオ! ここに居たのか?!」
大きな扉を押し開けてライオネルが部屋に飛び込んできた。
彼が着ているスーツはこの日の為に新調したものだ。
「あぁ、もうほら……折角、皺を取ったのに……」
ライオネルは一目散に臙脂色のソファに駆け寄ると、脱ぎ捨てられたままの白いジャケットを手に取った。
「ほら、新郎さん。準備しないと」
「えー、もう1個だけ! もう1個だけ食う!」
「だーめーだ! 全く、ハイドにちゃんと見張ってろって言ったのに……」
ライオネルは尚もオードブルをつまみ食いするグロリオの首根っこを掴むと、ズルズルと引きずっていった。
それと入れ違いにやって来たランジアはしばらく彼らの背中を見送っていたが、何事もなかったかのように部屋に入ってきた。
「執事さん、見なかった?」
「ううん」
首を振るスラウにランジアはそう、と短く返すと踵を返した。
その拍子に大箱を抱えたチニとぶつかってしまった。
「あら、ごめんなさい」
「あ、うん。大丈夫」
チニは危なげに揺れる箱の山をどうにか抱えたまま部屋に入ってきた。
「これ、城の人たちから……あ! フォセ、勝手に開けちゃだめだよ! これはグロリオとアキレアの祝いなんだから」
「分かってるもん」
唇を尖らせるフォセを見つめていたスラウは、つと視線を動かすと、部屋の隅にうず高く積み上げられた色とりどりの花束やプレゼントの山を見上げた。
コウルの葬儀や破損した城の修復を終え、グロリオはアキレアを連れて数年ぶりに実家へ戻った。
継母たちが条件として突きつけた「天上界中に認められる」ことを果たし、ようやく自分の屋敷の敷居をまたぐことができたのだ。
当の本人たちは戦いが終わると、荷物をまとめてそそくさとここを去っていたらしい。
それ以上、使用人達は言わなかったし、グロリオも彼らの行方について追及しようとはしなかった。
いずれにせよ、2人が戻るや否や、屋敷の人達は2人の結婚を祝福し、披露宴を執り行うことを願い出たのだ。
この戦いからグロリオに敬意を抱くようになった者たちも、どこかで結婚の話を耳にしたのか、便りや贈り物が絶えず屋敷に届けられていた。
「し、失礼シャッス!」
上ずった声に顔を向けると、部屋の入り口に燕尾服に赤い蝶ネクタイをつけた青年が深く頭を下げて立っていった。
「じ、自分!火の天上人ドラと申しますッス! ほ、本日は……」
「お、落ち着いて下さい!」
チニも釣られて固くなっている。
「ぼ、ぼ、僕らしか居ませんから!」
「え?!」
勢いよく上げたドラの頭がチニの顎に直撃し、チニは涙目でよろよろと後ずさった。
「あ、あわわわっ! ス、スンマセンッス!」
大声で再び頭を下げるドラにラナンが遠くからそっと声をかけた。
「大丈夫だって。早く入ってこいよ。後ろが入れねぇだろ?」
「あ、ス、スンマセン」
ドラはペコペコと頭を下げると遠慮がちに足を踏み入れ、扉脇の壁にぴったりと背中をつけた。
あまり大きな宴を望まなかったグロリオとアキレアは、自分たちの隊と自分たちを慕っていたドラの隊などごく少数の人々を招待していた。
「わりぃな。ちょっと遅れた」
大きな花束を抱えて入ってきたのはサギリだった。
彼は音楽団や机の上に並んだ数々の料理に眼を見張ると、部屋の隅のソファに座るスラウとラナンのところへやって来た。
「フォセは元気なものだな、ずっとあんな調子か?」
タンバリン片手にまだクルクルと踊っているフォセを見てスラウは頷いた。
その向こうでチニが届いたプレゼントを並べている。
「他の連中はどうした?」
「アイリスとランジアはアキレアの着付けをしてる。ライがグロリオの支度を手伝って、ハイドが……見張り?」
スラウの言葉にサギリは、何だそれ、と小さく笑った。
その時、ランジアとライオネル、ハイドが部屋に入ってきた。
「新郎新婦共に準備オーケーだ」
「あれ、アイリスは?」
にこりと笑うライオネルにフォセが首を傾げ、チニが小さく突いた。
「アキレアと一緒に来るって言ってたじゃないか」
「あ、そっか……」
「さ、並んで」
ライオネルに指示され、隊員たちは扉を挟んで向かい合うように並んだ。
雰囲気を感じ取ったのか、ドラたちも静かに列に加わっている。
中庭に繋がる扉が開いて使用人たちもぞろぞろと入ってきた。
「ぼっちゃま……じいは感激でございます。ぼっちゃま、いえ、グロリオ様のこのような晴れ姿をこの目で見ることができるなんて……」
ふと扉の向こうでくぐもった声が聞こえてきた。
初老の男性の声だ。
時折鼻をすすっている。
「じい、よせよ。まだ式も始まってねぇのに……」
「ジオラス様も、イベリス様も、きっと御喜びになっていらっしゃいますよ。じぃはもう……」
「あーもー、ほら、じぃ! 行くぞ」
そう言うグロリオの声が聞こえたかと思うと、重厚な扉がゆっくりと開いた。
音楽と共に白いタキシードに身を包んだグロリオがゆっくりと歩いてきた。
彼の後ろに控えるように燕尾服を着た男性が歩いてくる。
スラウは拍手でグロリオを迎えながらその歩く姿を見つめていた。
天上界で色々な経験をして思うことがある。
この人たちが仲間で良かったと。
この人が隊長で良かったと……
ふと拍手が止み、スラウは我に返った。
みな、扉の方を見つめている。
そちらに顔を向けたスラウは思わず息を呑んだ。
純白のドレスをゆっくりと引きずり、アキレアが歩いてくる。
白いベールが彼女の髪を覆い、露わになっている小麦色の耳には紅のパワーストーンが揺れていた。
参列者の作った道をしずしずと進んでいたアキレアは、真ん中に突っ立って情けないほどにポカンと口を開けて立っているグロリオを見つめた。
小麦色の手が小刻みに震えながらアキレアのベールを取った。
「綺麗だ、アキレア……」
掠れた声で呟くグロリオにアキレアは満面の笑みを浮かべると、彼の首筋に飛びついた。
そこから先は、時間があっという間に過ぎて行った。
料理や音楽を愉しみ、多くの人から贈られたプレゼントを開けた。
ケスターやアルフレッドたちからの贈り物もあった。
慣習に倣い、隊員たちもグロリオとアキレアそれぞれにプレゼントを贈った。
女性陣が力を合わせて作ったのはスノードームだった。
アイリスがライオネルにもらった不可視植物の繊維を繋いで外側を覆うドームを作り、ランジアが土台となる氷の装飾を作った。
フォセとスラウが中の装飾の担当で、白いドレスとタキシードを着た新郎新婦の周りで光の雪が踊り続けるように工夫した。
一方の男性陣は一振りの剣を贈った。
鞘はライオネルとチニで草を編んで、刃はハイドが、柄はラナンが担当した。
飾り物の剣として作られた為、実際に斬ることはできないが、刃に彫られた新郎新婦の名前に2人はとても嬉しそうだった。
皆で夜が更けても語り合った。
本当に楽しいひと時だった。
このまま時が止まってしまえば良いのに。
いつまでもこうして夢のような時間を過ごしていられたら良いのに。
そうした思いが今、こうしてペンを取らしめているのだろう。
チニはそこまで書くと顔を上げた。
窓から見える金色の満月の浮かぶ夜空は雲もなく、澄みきった星空が広がっている。
チニは再びノートに向き直った。
僕がこれを記すことにしたのは、これが僕らにとって最後の晩餐になったからだ。
僕らが全員で会するのは今日が最後になってしまったからだ。
天上界の崩壊の脅威は去ったから、この食事が「生きている間で最後に食べるもの」だという意味ではないことは分かると思う。
ただ、この宴にはグロリオとアキレアの結婚を祝う以上の意味もあったことを知っておいて欲しい。
僕らはもう任務隊として地上界で契約主の願いを叶えることはないだろう。
もうそれは僕らにはできないことになってしまった。
僕らの大事な仲間、スラウが王として光の領域に戻ることになったからだ。
僕がこれを知ったのはついさっきだ。
皆が寝静まった後、彼女は密かに領域へと去って行った。
これを前もって知っていたのは、ライとラナンだけだろう。
スラウが光の領域へ戻って何をするのか、ライも詳しくは知らなかったようだけれど、スラウは「最期の光の王」として役目を果たす、とだけ教えてくれた。
彼女の言葉の意図を理解したのは、それから数週間経ってからのことだった。




