七.仲間②
上空に見えた小さな点が徐々に大きくなる。
次第に大きくなるその影は金色の髪の少女だった。
地面を大きく抉るように小さな身体が叩きつけられ、大きな土埃が上がった。
「ゲホッ……カハッ……」
血に塗れた唇を拭ったフォセは震える瞼で空を見上げた。
巨大な影が腕を大きく振りかぶって迫ってくる。
次の瞬間、轟音と共に地面が大きく裂けてフォセは勢いよく吹き飛ばされた。
「ガハッ……」
ボールのように地面を跳ねるフォセに再びゴブリンの拳が彼女を襲う。
中庭の噴水に激突したフォセはそのまま木をなぎ倒して石壁にぶつかった。
「ハァッ……ハァッ……」
フォセは揺れる視界の中でゆっくりと歩いてくる巨大な影を睨んでいた。
あれから、スラウのサポートが無くなってから、疲労が彼女を襲っていた。
100%の力で戦っていても、互角か苦戦を強いられていた相手だ。
その半分の力も出せなくなった今、成す術もなくただ弄ばれるだけだった。
チニはスラウのサポートが消えると共に気を失ってしまったし、兄やダリアも自分に代わって戦うことはできない。
このままじゃもう……
フォセが唇を噛んだ時、明瞭な声が飛び込んできた。
「フォセのバカ! 僕に手を出すなって言っておいて!」
フォセは思わず目を見張った。
土煙の中、ゴブリンの進路を遮るように両腕を広げて立つ小さな影が見えた。
「行くんだろ?! グロリオの披露宴、僕らも!」
ゴブリンはふと足を止めると、土煙の中に立つ少年の影を睨んだ。
「おい。俺は決めたらソイツが死ぬまで殴り続けるんだ。てめぇは黙ってな、クソガキ」
そういった瞬間、ゴブリンは地面を蹴ると、チニの影に突っ込んだ。
「オラァッ!」
拳を入れ、思わず目を疑う。
突き破ったのは人型の紙切れだった。
「あり?」
ゴブリンは思わず首を捻った。
ダリアに支えられるようにして身体を起こしていたコルフィスはそれを見て満足そうに笑うと、結んでいた印を解いた。
「贈り物だ、俺たちからのな……」
「は……?」
思わずゴブリンが横を向いた瞬間、その顔面に小さな拳がめり込んだ。
「ウオラァァァァッ!」
雄叫びを上げたフォセはゴブリンを吹き飛ばすと、石壁にめり込んで動かなくなった巨漢を見下ろした。
「ふぅ……」
「フォセ!」
チニが走り寄ると、フォセは彼の腹にも拳を入れた。
「な、何するんだよ、フォセ……」
「バカって言った、あたしのこと」
「だ、だって……」
思わず言い返しかけたチニは、再び拳を掲げるフォセを見て口を噤んだ。
「ご、ごめん……なさい……」
チニが小声で言うと、フォセは鼻を鳴らして顔を背けてしまった。
「コルフィス?! しっかりして! コルフィス!」
突然ダリアの悲鳴が響き、チニは慌てて振り返った。
ダリアが仰向けに横たわるコルフィスの肩を揺すっている。
「ダリアさん!」
「どうしたんですか?!」
2人でダリアの元へ走って行くと、彼女は潤んだ目でこちらを見つめた。
「コルフィスが……目を瞑ったきり……」
掠れた声で呟いたダリアは震える唇を噛んだ。
「返事がなくなってしまって……」
フォセの大きな茶色い瞳が揺れた。
ーー『なぁに、大丈夫。お兄ちゃんが強いって知ってるだろ?』
そう言って白い歯を見せ、笑っていた兄の顔がよぎる。
今の彼の顔からは血の気が失せ、目は固く閉じていた。
「お兄ちゃん……」
ダリアを押しのけ、フォセは震える手で兄にしがみついた。
いたたまれなくなってチニが目を逸らした時、コルフィスの指がピクリと動いた。
「つっかまーえた!♡」
次の瞬間、目をパッチリと開けたコルフィスは勢いよく飛び起きてフォセを強く抱きしめた。
「ハハハハッ! どうだー? ビックリしただろ?」
朗らかな笑い声を上げるコルフィスにチニは口をあんぐりと開けた。
ダリアも眉間に指を当てて首を振っている。
コルフィスは腕の中で微動だにしないフォセに首を傾げた。
「ん? どした?」
コルフィスがフォセの顔を覗こうとした瞬間、その顔面に拳がめり込んだ。
「ゴッファァッ……」
勢いよく吹き飛ばされたコルフィスに、フォセはふらふらと近づいていった。
「……馬鹿」
小さな声が聞こえた瞬間、コルフィスの上に馬乗りになったフォセは腕を大きく振り上げた。
「お兄ちゃんのバカッ!」
そう叫んで拳を振り下ろしたフォセは寸前で動きを止めた。
手が小刻みに震えている。
ポタポタと落ちる雫にコルフィスが顔を上げると、フォセの大きな瞳から涙が溢れていた。
コルフィスは小さく微笑むと、妹の頭に手を乗せた。
「……ごめんな」
素直に謝るコルフィスにしがみついたままフォセはしばらく彼の胸をポカポカと殴っていた。
「これはコルフィスが悪いね」
ぼんやりと見ていたチニはふと背後で聞こえた声に振り返った。
黒髪の巻き毛の青年が立っている。
「あら、ヒース。裏切り者は炙り出せましたの?」
尋ねるダリアにヒースは小さく頭を掻いた。
「僕だったよ」
「……?」
「それより、アルフレッド。君の腕は大丈夫かい?」
ヒースが後ろを振り返ると、右腕を吊ったアルフレッドが眉間に皺を寄せて立っていた。
「当たり前だ、処理したのは俺だ」
不愉快そうなアルフレッドにヒースはごめん、ごめんと笑った。
***
地面から立ち上る黒い瘴気を払い、ラナンは前を睨んだ。
隣に並ぶサギリも肩で息をしている。
ゾルダークは徐ろに構えていた剣を収めると腕を組んだ。
「何故そこまでして俺に刃向かうのだ、息子よ? お前は光の天上人になって然るべきなのに、下等身分だと蔑まれている。お前がこの男に何を言われたのか知らんが、この世界に対するお前の態度を変えたわけではあるまい?」
「あぁ、そうだな……何も変わっちゃいねぇよ、俺は」
ラナンは掠れた声で呟くと、血のついた唇を拭った。
「俺の考えは親父に教えを請うた時から何も変わってねぇ……俺には光の天上人になる権利があると思ってる。それに、特殊能力の天上人を下等身分だと蔑む胸糞悪い慣習が蔓延るこの世界も、俺は間違っていると思う」
ラナンの言葉にサギリは小さく目を見張った。
「だが、あんたは違うだろ、ゾルダーク・エリオット!」
ラナンの言葉にゾルダークはただ黙って耳を傾けていた。
「あんたは、母さんを失わせてしまったこの世界を受け入れられなかっただけだ! あんたは、母さんに忘れられてしまったという現実を受け入れられなかっただけだ! あんたのその仮面は、あんたが火事で負った時の傷痕を隠す為じゃない! あんたが、あの人を失った時の想いを隠す為だろ?!」
ゾルダークはゆっくりと自分の仮面に触れた。
青白い指が小刻みに震えている。
ラナンは更に畳み掛けた。
「俺はあんたと同じだ! この世界が間違っていると思う! だから俺は新しい世界を作るつもりだ! あんたとは違う方法でっ……!」
「ラナン!」
言いかけたラナンが勢いよく吹き飛ばされ、サギリが思わず声を上げた。
いつの間にか、剣を構えていたゾルダークは血の滴るそれを振り回すと再び構え直した。
その姿にサギリは思わず息を呑んだ。
気味の悪い笑みを浮かべた仮面は真っ二つに叩き割られて地面に転がっている。
傷だらけの顔に浮かぶ琥珀色の眼はギラギラと光っていた。
「次は貴様の番だ」
そう言って地面を蹴ったゾルダークは呆然と立っているサギリに突っ込んでいった。
次の瞬間、激しく飛び散った血痕をサギリは静かに見つめていた。
「……っ!」
ゾルダークは自分の胸に手を当てた。
離した手にはべっとりと赤い血が付いている。
いつの間にか白い柄の剣が突き刺さっていた。
自分の胸が上下する度に傷口から白い光の粒が舞い上がった。
「……だから言っただろ?」
サギリは息を吐くように呟くと、素手で掴んでいたゾルダークの剣を離した。
「あんたを倒すのは俺たちだってな」
サギリの背後から聞こえた声にゾルダークは思わず目を見張った。
ラナンが亡き光の長の剣を持って立っていた。
「そう……か……」
呟いたゾルダークの口元が小さく微笑んだようにも見えた。
彼はそのまま崩れるように膝をつくと、地面に倒れこんだ。
***
自分の胸に剣を突き立てた自分の影がぐらりと揺れて倒れた。
「ハァッハァッ……」
それを見ていたスラウは剣から手を離すと、大きく息を吐いた。
『な、何で……何でまだ立っている……?』
聞こえてくる声にスラウは黙ったまま胸ポケットを探ると、小さな巾着を取り出した。
それは小さな光を帯びていた。
「これ、お兄ちゃんのパワーストーンが入ってて……私のこと守ってくれたんだ……完全に想定外」
『そんなバカな……』
自分の影は散り散りに裂けて消えていった。
「ふぅ……」
パワーストーンは持ち主の亡き後も力を持つという。
兄のパワーストーンが張った防壁は自分にとっても、予想外のものだった。
こちらの意思のみを模倣する影には、己の剣を阻めるものは存在し得なかったのだろう。
とにかく終わった。
安堵の息を吐いた時だった。
『ふざけるな……』
ガンガンと頭の中に響く声にスラウは思わず頭を抱えた。
声は所構わず鳴り響き、幾重にも重なって聞こえた。
『死んだあの人が護ろうとしただなんて認めない! あの人はお前が殺したんだ! 恨み以外の感情がお前に向けられるべきじゃない!』
苛立たしそうな声は一際大きくなり、スラウはひどい耳鳴りに顔をしかめた。
『スラウ・フォルレンディア……お前を許さない!』
その瞬間、本能が危険を知らせた。
***
競技場は人々の歓声で溢れかえっていた。
ゾルダークによって送り込まれた無数の魔物たちによる脅威はようやく過ぎ去ったのだ。
遥か遠くの空を群れなして飛ぶ魔物の残党は城を振り返ることなく、自分たちの住処を求めて飛び去っていった。
互いに苦労を労い、肩を抱き合っていた隊員たちは芝生の向こうに見えてきた小さな2つの影に気づいた。
「おーい!」
あちこちに傷を作り、衣服は裂けているものの、笑顔を見せて走ってくるフォセとチニは元気そうだった。
「おう! フォセ! チニ! よくやったな!」
グロリオは両腕を大きく広げて2人を抱きとめると、そのまま3人でクルクルと回り始めた。
「お帰り、2人とも」
ふと聞こえてきた声にフォセはグロリオを勢いよく突き飛ばすと、ライオネルに飛びついた。
「ライー! ただいま!」
「……ってててて」
チニに助け起こされたグロリオは、フォセに揉みくちゃにされているライオネルと視線を交わし、にっこりと笑った。
終わったのだ、これで。
城を、人を守りきれた……
空を仰いだグロリオはふと首を傾げた。
「あり? 空って、こんなもんだったっけ?」
グロリオの声に釣られて空を見上げたアキレアは思わず息を呑んだ。空の端が真っ黒に染まっている。
「あんな黒い空、初めて見たわ」
その隣のアイリスも形の整った眉をひそめた。
「夜が来たにしては、何かが変よ」
「思ったよりも大変なことになっているみたいね」
ランジアは髪を梳くと空を睨んだ。
「空が無くなっているわ」
「え? どういうこと?」
「……来る」
フォセが首を捻った瞬間、ハイドが呟いた。
「え、来るって何が?」
更に首を傾げるフォセの袖をチニが引っ張った。
何か言おうと唇を動かしているが、声が出ていない。
「何……っ!」
言いかけたフォセは彼の視線の先にあるものに息を呑んだ。
地平線の端を染めていた黒はまるでペンキを零したように広がってきていた。
真っ黒に塗り潰された空を逃げ惑う魔物たちの姿がみるみるうちに消されていく。
「空が消されているんだ……」
チニの言葉に隊員たちは言葉もなく空を見つめていた。
***
「この世界を消すつもり?!」
叫んだスラウは身体に走る痛みに思わず顔をしかめた。
影によって刻まれた傷痕は徐々に範囲を広げる「無」の空間に共鳴するかのように身体を引き裂き始めていた。
『お前に帰る場所など、ありはしない』
傷口から聞こえる声にスラウは思わず身を引いた。
腕から高い音と低い音の混ざったようなくぐもった声が聞こえる。
『お前の帰りを待つ者など、ありはしない』
今度は太ももの傷から声が聞こえてきた。
『言ったはずだ、お前は孤独なのだと!』
自分の身体に走る亀裂から一斉に声が聞こえた。
スラウは歯をくいしばると声を張り上げた。
「消させない! みんなのことも、みんなとの絆も!」
言いながら片手を掲げたスラウの手には光が集まっていた。
「いっけぇぇぇ!」
正面に突き出した両手から眩い光が迸り、真っ暗な空間を照らした。
***
真っ黒な空を見上げていたグロリオはふと我に返ると、呆然と立ち尽くしたままの隊員たちを振り返った。
「あっちにスラウが居るんだよな?」
隊員たちが頷くのを確認したグロリオは再び空を見上げると目を閉じた。
天上界に雪崩れ込んだ魔物を倒すだけでは、この戦いは終われない。
スラウが今もまだ戦っているというのなら……
「今まで随分助けられたからな……」
グロリオは呟くと片手を高く挙げた。
褐色の手に橙色の光が灯っている。
「今度は俺たちが返す番だ、スラウ!」
その瞬間、彼の手から空に向かって光の筋が伸びていった。
グロリオの放った光は大きく弧を描いて真っ黒な空を貫いた。
ふとその光の隣に蒼く輝く光の筋が現れた。
グロリオが思わず隣を見ると、やはり彼と同じように片手を空に突き出しているハイドが立っていた。
それに続くように隊員たちも次々に空に向かって光を放ち始めた。
隊だけでは収まらなかった。
それを見ていた競技場に居た者たちも次々に光を放ち始めた。
競技場は虹色の光に包まれ、それは城内に居る全ての人が思わず手を止めてそれに魅入るほどだった。
瓦礫を運んでいた者、魔物の屍を処理していた者、連絡塔でモニターを見ていた者、皆がその光を見つめていた。
中庭に立ってそれを見ていたアルフレッドは小さく鼻を鳴らすと片手を掲げ、光を放った。
それを合図に中庭に居た者たちも次々に光を放ち始め、それは徐々に城内の至る所の人たちに広がっていった。
「……」
チニは自分の手から迸る濃い紫色の光を見つめ、そして空に混ざり合いながら伸びる光の筋を見上げた。
真っ黒だった空は今や、色とりどりの光に覆われていた。
一人一人の手から放たれる光はどれひとつとして同じものはなく、どんな花火よりも鮮やかに、どんな星空よりも眩い光を放っていた。
「スラウゥゥゥッ!」
グロリオが空に向かって叫んだ。
「受け取れぇぇぇぇっ!」
皆の声が重なった。
光は眩さを保ったまま、伸びていった。
***
「うおぉぉぉぉっ!」
スラウの光に寄り添うように色とりどりの光の筋が伸びてきた。
背中を押してくれるような光を一手に受け、それを「無」にぶつけた。
最初は呑まれて細くなっていた光も徐々に勢いを盛り返してきた。
突然、何かにぶつかったように光の筋が勢いよく弾けた。
暗闇に色とりどりの光が舞い散った。
「やっと……本当のあなたに会えたね」
スラウはそう言うと微笑んだ。
目の前には小さな光の粒が集まり、1つの形を作っていた。
スラウは怯えたようにこちらを見上げる小さな少女にゆっくりと歩み寄った。
「あなたがあらゆるものを消そうとするなら、私たちはあなた以上に生み出そう。あなたがあらゆるものの死を司るなら、私たちはあらゆるものの生を守ろう……ここはもう「無」なんかじゃない。光と闇、生と死が共存する空間「影の領域」だよ」
スラウはその前で立ち止まると静かに膝をついた。
「名前はこの世界に確かに存在していた証になる。でも、あなたの名前を覚えている人は居なくなってしまった」
少女の影は俯いたまま、何も答えなかった。
スラウは続けた。
「でも、もうここに居なくていいんだよ。ここはもうあなたを縛りつける場所じゃない。だから……」
スラウは潤んだ瞳で自分の幼い頃の姿の影を見つめた。
「だから、おかえり……私が忘れてしまったもう1人のスラウ・フォフレンディア」
スラウが抱きしめようと腕を伸ばすと、影もまたスラウを抱きしめようと腕を伸ばしてきた。
固く抱き合った2つの影はやがてゆっくりと溶け合うように1つになった。




