第6話:【衝撃】狂気の炎将アグニの正体、ただの「板挟みの中間管理職」だった!?
広大な歴史学の大教室。
チョークの粉が白雪のように舞い散る教壇の上で、熱血教師の張りのある声が、限界まで張り上げられていた。
「さぁ、皆さん! 神聖なる光の力で魔王城の恐るべき死の罠を完全突破したカイト様たちの前に、ついに魔王軍の最高幹部たちが立ちはだかります!」
先生は、黒板が割れんばかりの勢いで極太の文字で『四天王との激突』と力強く書き殴った。
カツン、カツンというチョークの音が響くたび、教室の空気がこれまでにないほど重く、冷たく張り詰めていく。
最前列の生徒などは、真新しい教科書のページを開く手すら微かに震えていた。
「魔王軍四天王。それは、十万の軍勢を束ねる四人の怪物たちです。彼らは一人一人が一騎当千の絶大な魔力にあふれ、魔王に対する絶対的な忠誠心と、血も凍るような残虐性を持ち合わせていました。当時の人類にとって、彼らの名前は恐怖という概念そのものだったのです!」
先生は教壇を降り、息を呑む生徒たちの間をゆっくりと歩きながら、静かに、しかしドラマチックに語り始める。
「広大な魔王城の第二層。そこで最初にカイト様たちの前に現れたのは、四天王の筆頭にして最狂の戦士、『業火の将』アグニ! 教科書の挿絵を見てください。彼の全身は常に煮えたぎるマグマのような炎に包まれ、その怒りの炎は触れるものすべてを灰に帰したと言われています」
俺も周りの生徒に合わせて、真新しい教科書へ視線を落とした。
そこには、見開き二ページを丸々使って、禍々しい深紅の炎を身に纏い、溶岩で出来た巨大な剣を振り下ろそうとする巨漢の魔族が描かれている。背景の空は黒煙に覆われ、大地はドロドロに溶けていた。
「記録によれば、彼は少しでも機嫌を損ねると、味方の陣地すらも焼き尽くすほどの、純粋な破壊衝動の権化でした。アステリア平原の戦いにおいては、彼の放った一撃が巨大な湖を瞬時に蒸発させ、『沸騰の悲劇』と呼ばれる大災害を引き起こしたと記されています」
教室中が「ひっ」と息を呑んだ。
自らの部下すら平気で焼き殺し、地形すら変える見境のない狂気の怪物。
まさにファンタジー世界における「絶対悪」の幹部にふさわしい、絶望的で恐るべき設定だ。
「絶望的な力の差、そして近づくことすら許されない圧倒的な熱量。少しでも気を抜けば、呼吸器系すら焼き尽くされる超高温の領域! しかし! カイト様は一歩も引きませんでした! 燃え盛るアグニに対し、カイト様は恐るべき『冷却の秘術』と『聖なる言霊』を用い、彼の怒りの炎を完全に鎮火させたのです! いったいカイト様は、どのような高等魔法でこの狂える炎将を打ち破ったのでしょうか!」
うおおおおっ、と教室が熱狂的な響きに包まれる。
生徒たちの目は、狂気の怪物を真正面から打ち倒す大英雄の勇姿を思い描き、キラキラと輝き、熱を帯びていた。
歴史上の大激闘に思いを馳せ、熱心にノートを取る音があちこちから聞こえてくる。
――だが俺は、最後列の席で一人、顔面からスッと血の気を引かせていた。
(いや、絶対におかしい)
俺は机の下で、分厚い歴史の教科書の陰に隠すようにして、例の『真っ黒な手記』のページをめくった。
これまで「大結界=下水道のインフラ整備」「無血開城=企業買収(M&A)」「死のトラップ=労働安全衛生法違反による改修工事」と、ファンタジーの常識をことごとく現代ビジネスの実務的な常識で粉砕してきた、大英雄カイトのおじさんだ。
そんな彼が、魔王軍の最高幹部という、いわば「敵対企業の取締役・本部長クラス」を相手にして、ただの魔法の撃ち合いというファンタジー全開の決着で終わらせるはずがないのだ。
俺は震える指で、カイトのおじさんが四天王アグニと遭遇した日の、手記のページをなぞった。
そこには、俺の嫌な予感を的中させるどころか、さらに斜め上を行く【生々しすぎるサラリーマンの悲哀】が、ドス黒いインクで、まるで親の仇でも打つかのような強い筆圧で書き殴られていた。
『〇月〇日。魔王城の第二層にて、敵の防衛責任者であり最高幹部の一人であるアグニ本部長と遭遇した。
まず言わせてほしい。
第二層の防衛陣地(執務室)は、尋常ではなく暑かった。
だがこれは彼が放つ魔法のオーラなどではない。
魔王城の動力を賄う地下の「魔力炉」からの排熱ダクトが、なぜかアグニ本部長の部屋の真下を通っているという、致命的な設計ミスのせいだ。
空調設備も完全にイカれており、室温は優に四十度を超えていた。こんな劣悪な環境で働かせるなど、経営陣の正気を疑う』
(設備へのツッコミから入るの、もうお約束になってきてるな……!)
俺の心の中のツッコミをよそに、手記の記述は核心へと迫っていく。
『そんなサウナのような執務室の奥で、アグニ本部長は一人、巨大なデスクに向かっていた。
彼は「業火の将」という異名の通り、顔を真っ赤に上気させ、尋常ではない量の汗を滝のように流しながら、何事かをブツブツと虚空に向けて呟いていた。
そして時折、胃薬のような怪しい緑色のポーションを瓶ごとがぶ飲みしている。
いよいよ戦闘かと思い、僕が警戒しながら剣の柄に手をかけた時、彼が呟いている言葉がはっきりと耳に入ってきた。
それは、破壊の呪文でも、人類への恨み言でもない。あまりにも恐ろしく、そして悲痛な内容だった』
(……なんだ? 人間を皆殺しにする呪いの言葉か? それとも、決死の自爆魔法の詠唱か?)
俺が固唾を呑んで続きを読むと、手記の文字は急に、涙を誘うような深い哀愁を帯び始めた。
『アグニ本部長は、山積みにされた羊皮紙の書類に頭をガンガンと打ち付けながら、こう呟いていた。
「ふざけるな……ふざけるなよ……。
昨日になって社長(魔王)が突然、遠話の魔法で『やっぱり来週までに王都を落とせ』とか無茶振りしてきやがった……。
当初のロードマップでは半年後だっただろうが。今から仕様変更にも程があるだろ……。
おまけに現場の末端兵士たちは『残業代(魔石)が支給されないなら戦いません』『トラップの定期点検は我々の雇用契約に含まれておりません』ってストライキを起こすし……。
相談しようにも人事部は『コンプライアンス遵守の範囲内で、各部署の裁量でお願いします』しか言わねえし……丸投げかよ……。
どいつもこいつも、勝手なことばかり言いやがって……!
俺の胃はもう限界なんだよ!!
なんで俺が社長と現場の板挟みになって、毎日毎日こんなに頭を下げて謝り倒さなきゃならねえんだ!!」』
(……ただの中間管理職じゃねぇか!!!!)
俺は机の下で、激しく頭を抱えた。
狂気の権化? 純粋な破壊衝動?
違う。
アグニはただの「無茶振りをするトップ」と「権利を主張して働かない部下」の間に挟まれて、極度のストレスで胃に穴が開く寸前の【悲しき中間管理職】だったのだ。
全身から放たれる怒りの炎も、恐るべき魔法のオーラなどでは決してない。
魔力炉からの排熱による四十度を超える劣悪な室内環境と、ただの「極度のストレスによる自律神経の乱れ(多汗と異常発熱)」が合わさった結果に過ぎない。
教科書に載っていた、巨大な湖を瞬時に蒸発させたという『沸騰の悲劇』も、おそらくストレスで完全に発狂した彼が、オフィスの備品(特大のウォーターサーバーか何か)に八つ当たりして蹴り飛ばした際、魔力回路がショートして大爆発とボヤ騒ぎを起こしたのを、後世の歴史家が勝手にスケールアップして伝えただけだろう。
『敵の最高幹部とはいえ、前世でIT系下請け企業のプロジェクトマネージャーをやらされていた同じ中間管理職として、彼の姿はあまりにも痛々しかった。
目の下に真っ黒なクマを作り、荒い息を吐きながら胃を押さえてうずくまる彼を見て、僕はどうしても聖剣を抜く気になれなかった。僕には痛いほどよくわかる。
今の彼に必要なのは、物理的な攻撃や浄化の魔法などではない。圧倒的に不足している「心理的安全性」と、適切な「メンタルケア」だ』
(カイトのおじさん、完全に同情しちゃってるよ!!
剣じゃなくて、1on1ミーティング(個別面談)の準備始めちゃってるよ!)
俺の心の中の激しいツッコミを置き去りにして、手記はファンタジーの常識を根底から覆す、あり得ない展開へと進んでいく。
『僕は静かに武器をインベントリに収め、代わりに「特製ハーブティー(カモミール配合)」と、王都の薬局で買い占めておいた「よく効く胃薬」を取り出した。
そして、うずくまるアグニ本部長の隣にそっと腰を下ろし、温かいお茶を入れたマグカップを差し出した。
「……わかるよ。トップの気まぐれな仕様変更と、現場の部下の突き上げ。その間を取り持つのは、本当に骨が折れるよな。毎日お疲れ様」
僕がそう静かに語りかけると、アグニ本部長はビクッと肩を震わせ、血走った目で僕を見た。
「君……人間の勇者だよな……? なんで、俺の苦しみがわかるんだ……?」』
(なんで敵対企業の最高幹部と、給湯室みたいなテンションで愚痴り合い始めてんだよ!)
一方、現実の教室では、先生が興奮冷めやらぬ様子で黒板をビシッと指差している。
「皆さん、想像してみてください! カイト様は、触れるもの全てを灰にする業火に対し、一歩も怯むことなく近づいていきました! そして、自らの命すら危ぶまれる熱波の中で、彼に『癒しの秘薬』を差し出したのです! なんという度胸! なんという慈悲の心でしょう! これぞ真の勇者たる所以です!」
(ただの胃薬とカモミールティーだよ! 過労で倒れそうなサラリーマンへの、気休めの差し入れだよ!!)
先生の熱弁に感動し、最前列の女生徒などはハンカチで目頭を押さえている。
歴史の美談と、手記が語る生々しい現実とのギャップに、俺の胃までキリキリと痛み始めていた。
『僕は前世で培った「傾聴のスキル(※理不尽な顧客からのクレーム対応で徹底的に鍛え上げられた技術)」をフル活用し、彼の言葉を一切否定せず、ひたすらに愚痴を聞き続けた。
「社長は、現場の進捗を全く見ずに『気合いと根性でなんとかしろ』しか言わないんです……僕だって寝てないのに……」
「最近は魔界もコンプラが厳しくて、部下を少しでも強めに指導すると、すぐにパワハラ窓口(魔界労働基準局)に駆け込まれるし……僕の居場所はどこにもないんです……」
大粒の涙を流しながら、堰を切ったように本音をこぼすアグニ本部長。
僕はその背中を優しくさすりながら、「うんうん、それはつらいな」「君は何も悪くない。マネジメント層の機能不全と、組織の構造的な問題だ」と、ひたすら全肯定し続けた』
(『冷却の秘術』の正体、ただの「傾聴」じゃねぇか!!!!)
俺は声なき悲鳴を上げながら、冷たい机の天板に突っ伏した。
大英雄カイトは、魔王軍の最強の炎将を、ただの一度も剣を交えることなく、真摯な「悩み相談」だけで骨抜きにしてしまったのだ。
強大な魔法をぶつけるよりも、物理的な暴力で屈服させるよりも、「精神的なケアと共感」の方が、激務に追われる中間管理職にはクリティカルヒットしてしまうという、現代社会の底知れぬ闇がそこにはあった。
『一時間ほど愚痴を吐き出し、僕にすべてを受け入れてもらった後、アグニ本部長の全身を包んでいた怒りの炎(極度のストレスによる発熱)は、すっかり鎮火していた。異常だった発汗も収まり、顔色も見違えるように良くなって、平熱に戻っていた』
「奇跡です!!」
教室の前方で、先生が両手を天高く掲げた。
「カイト様の放った聖なる言霊は、アグニの心に巣食っていた破壊の呪縛を解き放ち、彼を元の穏やかな魔族へと戻したのです! 武力ではなく、対話と大いなる愛によって敵を浄化する。これこそが、アステリア平原の戦いから続く、カイト様最大の武器なのです!」
(だから、ただのガス抜きだよ! 居酒屋で上司の愚痴を聞いてあげたサラリーマンと同レベルの『愛』だからな、それ!)
歴史の授業は最高潮の盛り上がりを見せているが、俺の手元にある真っ黒な手記は、いよいよアグニ本部長に対する「最終的な処遇」の場面へと差し掛かろうとしていた。
『アグニ本部長はすっかり憑き物が落ちたような、清々しく穏やかな顔つきになっていた。
「ありがとう、カイト君……。
俺、君に話を聞いてもらったおかげで、ようやく目が覚めたよ。
こんな理不尽な会社に、自分の命や精神をすり減らしてまで捧げる必要なんてなかったんだ。
まずは、自分の体と心を一番に大切にするよ」
彼はそう言って、僕の手を両手で固く握りしめた。
その手はもう熱くなく、人間と同じような温もりを持っていた。
そして彼は、自らの首にかかっていた禍々しい髑髏の首飾り――第二層を通過するためのマスターキー(生体認証付きセキュリティパス)を外し、僕の掌にそっと乗せた。
「これ、先へ進むためのパスだ。自由に使ってくれ。俺はもう、こんな防衛責任者なんてポストは降りる」
「いいのか? 社長(魔王)に怒られるぞ」
「構うもんか。
人事部には『メンタルヘルス不調による休職願い』を内容証明郵便で叩きつけてやるさ。
溜まりに溜まった有給休暇を全消化して、実家の田舎に帰るよ。
少し、畑で土いじりでもして心を休めるつもりだ」』
(引き抜きですらない! ただの『退職代行』みたいな労働相談で、魔王軍の戦力が一つ自然消滅した!!)
俺はゆっくりと、震える手で手記のページをめくった。
歴史上、最も熾烈を極めたと言われる「第二層・業火の戦い」は、一杯のカモミールティーと、一時間に及ぶ丁寧なカウンセリングによって、文字通り「お茶を濁して」終わっていたのだ。
敵を倒すのではなく、「有給休暇を取得させて現場から自己都合で離脱させる」という、あまりにも平和的かつ、法律的に一切突っ込みどころのない完璧な排除方法である。
「カイト様の慈悲深き光の力と聖なる言霊は、憎しみと破壊の衝動に囚われていた炎将の魂をも、見事に救済したのです!」
教壇の上で、先生が感極まった声で叫んだ。
その言葉に合わせるように、クラスメイトたちは一斉に立ち上がり、惜しみない拍手を送っている。
感動のあまり、ハンカチで顔を覆ってむせび泣く者すらいる。
「浄化されたアグニは、自ら武器を置き、カイト様のために重い第三層への扉を開け放ったと言われています! 争いの虚しさを悟り、自らの故郷へと帰っていくアグニの後ろ姿を、カイト様はどこまでも優しく見守っていたそうです。なんという美しい光景でしょうか!」
教室はスタンディングオベーションに包まれている。
だが、最後列でただ一人、俺だけは死んだような目をしていた。
アグニが憎しみに囚われていたのは人類に対してではない。「無茶振りをしてくる上司」と「権利ばかり主張して働かない部下」に対してだ。
そして彼が故郷に帰ったのは、争いの虚しさを悟ったからではなく、「シンプルに会社に行くのが嫌になったから」である。
先生がパンパンと手を叩き、教室の興奮を落ち着かせた。
そして、黒板消しを手に取り、先ほどまで熱く語っていたアグニの解説をサッと消し去る。
「さぁ、アグニを無血で降したカイト様たちですが、息つく暇もありません! 魔王城の奥深くへ進むにつれ、敵の攻撃はさらに苛烈さを増していきます!」
先生が新しいチョークを手に取り、再び黒板に向かった。
「第三層で待ち受けていたのは、四天王の紅一点、『氷将』シヴァ! 彼女の放つ絶対零度の吹雪は、空間だけでなく、対峙する者の『心』すらも凍らせ、一切の感情や生きる希望を奪い去ると言われていました! カイト様は果たして、この冷酷なる氷の女王をどう打ち破るのか! 次回の授業は、この第三層の激闘から再開します!」
キーンコーンカーンコーン、と。
絶妙なタイミングで、授業の終わりを告げる鐘の音が広大な大教室に鳴り響いた。
生徒たちは「ここで終わりかよ!」「早く続きが知りたい!」と口々に言い合いながら、興奮冷めやらぬ様子で帰り支度を始めている。
俺は深い、ひたすらに深い溜息を吐き出しながら、分厚い歴史の教科書に挟んでいた真っ黒な手記をパタンと閉じた。
炎の将が「板挟みの中間管理職」だった以上、この氷将シヴァとやらも、絶対にまともなファンタジーの敵であるはずがない。
間違いなく、現代のブラック企業に潜む「何か別のド黒い闇」を抱えた社畜に決まっている。
魔王城という名の巨大なブラック企業にメスを入れる、労働基準監督官カイトの無慈悲な「業務改善コンサルティング」は、まだ始まったばかりだ。
次回、俺の胃薬が必要にならないことを祈るしかない。




