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第18話:【最終監査】完璧な王国に残った最後の穴、その正体は「カイト・サカザキ本人」だった!?

歴史学大教室。


いつもなら開始の鐘と同時に絶叫から始まる授業が、今日は違った。


先生は教壇に立ったまま、黒板に向かって静かにチョークを走らせている。


書かれたのは、たった五文字。


『崩壊と継承』


「……皆様。本日から、我々は神話の最終章に入ります」


先生の声は、不気味なほど穏やかだった。


その静けさに、教室の空気がぴんと張り詰める。


「これまでの授業で見てきた通り、カイト様はこの王国のすべてを浄化されました。魔王軍という『ブラック企業』を買収し、教会の『マネーロンダリング』を摘発し、貴族の『談合』を解体し、冒険者ギルドの『ピンハネ』を粉砕した……。もはやこの王国に、監査すべき組織は一つも残っていません」


先生は、くるりとこちらを向いた。


「では皆さん、前回の宿題です。すべての穴を塞ぎ終えたカイト様の前に残った、最後の、そして最大の穴。それはいったい、どこにあったのでしょう?」


「もう残ってないんじゃ……」「王家?」「まだ出てきてない悪の組織とか?」


生徒たちが口々に答える中、先生は静かに首を振り、黒板に一枚の巨大な紙を貼り付けた。


それは、王国全体の『組織図』だった。


王家、監査局、公正取引委員会、王国建設派遣株式会社、教会、復興庁――浄化され尽くした、一点の曇りもないホワイトな組織の一覧。


「注目すべきは、組織の中身ではありません。組織と組織を結ぶ、この『線』です」


先生が教鞭で、組織図の上をなぞっていく。


「すべての承認の線、すべての決裁の線、すべての監査の線……これらを目で追ってみてください。どの線も、最終的にたった一つの箱に集まっていることに気づきませんか?」


生徒たちが一斉に組織図を目で追い――教室のあちこちで、小さく息を呑む音がした。


すべての線が集まる、組織図の中心。


そこに書かれていたのは、『特任監査官 カイト・サカザキ』の名前だった。


「そう! 最後の穴は、外部の悪党ではありません! この完璧な王国のシステムそのものが、たった一人の男の決裁がなければ一ミリも動かない構造になっていた……つまり、最後の穴とは、カイト様ご本人だったのです!!」


教室がざわめく中、俺はカバンの中から黒い手記を取り出し、膝の上でそっと開いた。


最終章にあたるページ。


そこに記されていた文字は、これまでのどのページよりも小さく、そして深く沈んでいた。


『〇月〇日。王国の年次リスク評価を実施した。』


『災害、飢饉、疫病、外敵……あらゆるリスク項目を精査したが、僕が構築した制度はすべてに対応できる。完璧だ。』


『だが、評価の最後に、報告書の様式にはこう書いてある。「事業継続計画:キーパーソンが不在となった場合の代替体制を記載せよ」と。』


『……ペンが、止まった。』


「カイト様は、ご自身が作られたリスク評価の様式によって、ご自身の存在に気づいてしまいました」


先生の声が、じわりと熱を帯び始める。


「浄化の塔の建設承認、監査局の最終決裁、公正取引委員会の排除措置命令、魔導端末のマニュアル更新……そのすべてに『カイト・サカザキの承認印』が必要だったのです! なぜか? 誰よりも優秀で、誰よりもミスを嫌う彼は、重要な判断を他人に任せることができなかったからです!」


(あ……)


俺は、手記を持つ手が冷たくなるのを感じた。


それは、悪意じゃない。


「自分がやったほうが早い」「他人に任せてミスが起きたら、結局自分の仕事が増える」――そうやって仕事を抱え込み続けた結果、気づけば自分がいないと会社が回らなくなっている。


現代のどの職場にもいる、「休めない優秀な人」の完成形だ。


『思い出すのは、氷将シヴァ財務部長のことだ。「属人化は、組織で一番やってはいけないミスだ」――彼女にそう気づかせたのは、他ならぬこの僕だった。』


『経理一部門の属人化を解消してみせた男が、その裏で、国家一つを丸ごと自分に属人化させていた。監査官として、これほど間抜けな指摘事項があるだろうか。』


『〇月〇日。試しに、体調不良を装って一日だけ執務室に行かなかった。事業継続テストのつもりだった。』


『結果。夕方までに未決裁の書類が二千三百件積み上がり、浄化の塔の建設は全面停止。監査局は「判断基準が分からない」と機能を停止し、夜には王が直々に僕の宿舎まで見舞いに来た。』


『「あなたに倒れられては、この国が終わってしまう」と、王は涙ながらに僕の手を握った。』


『……違う。逆だ。僕が倒れただけで終わる国を作ってしまったことが、問題なんだ。』


「たった一日の欠勤で、王国の機能は完全に麻痺しました!」


先生が教壇を、バンッと叩いた。


「考えてもみてください! 魔王軍十万にもビクともしなかった王国が、おじさん一人の『ズル休み』で崩壊寸前まで追い込まれたのです! これほど恐ろしい脆弱性が、他にあるでしょうか!?」


「たしかに……」「魔王より怖いじゃん、それ」「カイト様が風邪ひいたら国が滅ぶってこと?」


生徒たちの笑いに、しかしどこか乾いた響きが混じる。


俺は笑えなかった。


手記の次の一節が、目に飛び込んできたからだ。


『思えば、僕は元の世界で、こういう会社が一番嫌いだった。』


『特定の誰かがいないと回らない仕事。引き継ぎ書のない業務。「あの人に聞かないと分からない」で止まる決裁。属人化の巣窟のようなブラック企業から、僕は逃げてきたはずだった。』


『それなのに、僕は。』


『この世界を丸ごと使って、世界で一番大きな「僕がいないと回らない会社」を作ってしまった。』


『社員は僕一人。休日はゼロ。退職は許されない。……なんのことはない。この世界で一番のブラック企業の経営者と、その唯一の社畜は、僕自身だったわけだ。』


(……っ)


俺は、奥歯を強く噛んだ。


定時で帰りたかっただけのおじさんは、いつの間にか、定時どころか永遠に帰れない仕事を自分で作り上げていた。


魔王を詰ませ、教会を暴き、ギルドを砕いた最強の監査官が、最後に見つけた不正の温床は――鏡の中にいた。


「そして皆様! ここからが、カイト様の本当に恐ろしいところです!」


先生の声が、最高潮の熱量で大教室に響き渡った。


「普通の人間なら、ここで見て見ぬふりをします! 『自分は必要とされている』という心地よさに浸って、この構造を放置するでしょう! しかしカイト様は、違った!!」


先生は黒板に貼られた組織図の中心――『カイト・サカザキ』の名前の上に、赤いチョークで、大きく容赦のない一文字を書き殴った。


『穴』


「カイト様は、王国史上初にして最後の、前代未聞の監査に着手します! その名も――『特任監査官カイト・サカザキに対する、特別監査』!! そう、自分で自分を監査したのです!!」


「「「ええええええっ!?」」」


教室が、この日一番の大きさで揺れた。


『〇月〇日。監査計画書を起案した。監査対象:特任監査官カイト・サカザキ。監査項目:業務の属人化、権限の過度な集中、代替体制の欠如。』


『起案者の欄に自分の名前を書き、承認者の欄にも自分の名前を書いた。この構造自体が、すでに指摘事項だ。』


『これまで数え切れないほどの監査報告書を書いてきたが、断言できる。』


『こいつが、この世界で最悪の監査先だ。』


俺は、思わず小さく吹き出しそうになって、慌てて口を押さえた。


だがすぐに、笑いは喉の奥で冷えて固まった。


自分を監査するということは、自分という「穴」に、いずれ処分を下すということだ。


穴を見つけたら、塞ぐ。それがカイトのおじさんの、たった一つのやり方だった。


なら――自分自身という穴は、どうやって塞ぐ?


「本日の授業はここまでです」


授業終了の鐘が鳴る。先生は組織図を丁寧に剥がしながら、いつもの絶叫が嘘のような、静かな声で言った。


「次回、カイト様はご自身への監査報告書に、たった一つの『改善措置』を記載します。王国の歴史上、誰も予想できなかった、あまりにも彼らしい結論を」


先生は紙を丸め終えると、ほんの一瞬だけ、こちらに目を向けた。


「――皆様も、考えてみてください。『自分がいないと回らない』を直す方法は、たった一つしかありません。それはとても簡単で、とても寂しい方法です」


俺の手の中で、手記の次のページが、指先に触れていた。


そのページの冒頭に書かれた一行が、めくる前から透けて見えている気がした。


穴を塞ぐ方法は、一つしかない。


『自分を、この世界からクビにすることだ』――と。



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