第17話:自由と栄光の冒険者ギルド――英雄たちを食い物にする「中間搾取(ピンハネ)」の適正化
歴史学大教室。
黒板の前に立つ初老の歴史教師は、前回の授業で描いた「ヘルメットを被り、笑顔で働く冒険者たち」の絵の隣に、一枚の紙を大きく貼り付けた。 それは、王国建設派遣株式会社(旧・冒険者ギルド)から発行された『給与明細』の拡大図だった。
「皆様! 前回の授業で、カイト様は無法地帯だった現場に『労働法』を適用し、冒険者たちを正社員化しました! 危険手当も、深夜残業代も、すべてルール通りに支払われる完璧なホワイト企業。……しかし、この給与明細の『一番下の数字』を見てください!」
先生が教鞭で、給与明細の右下――「差引支給額(手取り)」の欄をバンッと叩く。
「なんと、正社員になったはずの冒険者たちの手取り額は、ギグワーカー時代よりも『さらに減っていた』のです!」
教室中から「えっ!?」「どういうことだよ!」「残業代も出るようになったのに、なんで減るんだ?」と驚きの声が上がる。
俺はカバンの中から、黒い革張りの手記を取り出し、膝の上でそっとページを開いた。 前回の「完璧なホワイト化」の直後に続くページには、インクの染みに混じって、カイトのおじさんの「深い苛立ち」を思わせる筆圧の強い文字が刻まれていた。
『〇月〇日。浄化の塔の建設現場で、冒険者たちによるストライキ寸前の騒ぎが起きている。』 『「給料が少なすぎる」「これじゃあ飯も食えない」と。』 『馬鹿な。僕は労働基準法に則り、彼らの基本給を大幅に引き上げ、各種手当も義務付けたはずだ。未払いなどあれば、システム上すぐにエラーを吐くようになっている。』 『僕は直ちに現場へ向かい、一人の冒険者から給与明細を取り上げた。……そして、その明細の【控除(天引き)欄】を見て、眩暈を覚えた』
「皆様、支給額の欄は完璧です! しかし、問題はその隣……『天引きされる項目』でした!」 先生が黒板の給与明細に、次々と赤線を引いていく。
「『指定フルハーネス安全帯リース代:金貨5枚』!」 「『特定魔導作業主任者・資格取得研修費:金貨10枚』!」 「『ギルド社員寮・施設維持管理費:金貨8枚』!」 「『事務手数料および福利厚生費:金貨7枚』!」
「冒険者たちの給与からは、ありとあらゆる名目で莫大な『管理費』が天引きされていました! その結果、彼らの手元に残る現金は、スライムの討伐報酬にも満たないはした金になっていたのです!」
クラスメイトたちが「うわっ、エグい!」「ピンハネじゃん!」「会社が天引きで全部吸い上げてるのかよ!」と、あからさまな搾取構造にドン引きし始める。
(これが、ルールの抜け穴……!) 俺は息を呑んだ。 基本給や残業代は、法律でガチガチに決められているから誤魔化せない。ならば、経営側(ギルド幹部)はどうするか? 「労働者自身に、自社のサービスや機材を不当に高い値段で買わせる(リースさせる)」のだ。 給料を全額払った直後に、経費として回収する。これなら「未払い賃金」には問われない。現代の悪質な派遣会社や、住み込み労働の現場で今なお行われている「合法的なピンハネ(中間搾取)」の手口そのものだった。
『給与の支払いは完璧に行われている。だが、その大半が「会社への支払い」として天引きされている。』 『しかも、彼らが使っているヘルメットや安全帯は、市販の数倍の価格が設定された「ギルド指定のボッタクリ品」だ。』 『僕はすぐさま、株式会社化してスーツを着込むようになったギルドマスター・バグラムの社長室へと乗り込んだ。』
「当然、カイト様は激怒してバグラム社長を問い詰めました!」 先生が、冷酷な経営者に成り代わったかのように、口角を歪めて笑う。
「『これは明白な中間搾取だ!』と! しかし、スーツを着こなした元・獣人の狂戦士バグラムは、葉巻をくゆらせながら、一枚の書類をカイト様に突きつけました!」
『バグラムは余裕の笑みを浮かべ、一枚の羊皮紙をデスクに置いた。』 『「おや、特任監査官殿。我々はあなたが作ったルールを完璧に守っていますよ。ほら、ここに冒険者たち全員の署名が入った【給与控除に関する労使協定書(※給料から天引きすることに同意する契約書)】があるでしょう?」』
「バグラムの放った一言! それは『彼ら自身が同意してサインした契約だ』という、絶対的な盾でした!」 先生が、大教室の生徒たちを見渡す。
「『リース代も、研修費も、彼らが正社員として働くために必要な経費だ。それを給与から天引きすることに、彼ら自身が納得し、サインしている。何一つ、違法なことはしていない』! そう、バグラムは『法律』というシステムを逆手に取り、堂々と合法的にピンハネを行う冷徹な経営者へと進化していたのです!」
「うわぁ……」「同意書にサインさせられてたら、どうしようもないじゃん……」「バグラム、頭良くなりすぎだろ!」と、生徒たちから絶望の声が漏れる。
俺は手記のページを強く握りしめた。 暴力や偽装請負なら、法で取り締まることができる。 だが、「当事者同士が合意した契約」という形をとられてしまえば、国家権力(監査官)であっても容易には介入できない。「嫌ならその会社を辞めればいい」という自己責任論で片付けられてしまうからだ。
(だが、冒険者たちに他の仕事なんてない。彼らは生きていくために、そのボッタクリ契約にサインするしかないんだ……)
「違法なき搾取! これこそが、システム化された社会が生み出す最も恐ろしい魔物です!」 先生の声が、鋭く教室に響く。
「完璧なルールを作ったはずが、結果的に『合法的なピンハネ』を生み出してしまったカイト様! 彼が直面したのは、自らが構築したシステムが牙を剥くという、最悪の自己矛盾でした!」 「さあ、労働法では裁けないこの『合法的な地獄』に対し、我らが残業嫌いの特任監査官は、いかなるメスを入れるのか!」
俺は、インクの染みたページから目を離さず、ゆっくりと深く息を吸い込んだ。 ルールの網の目をくぐり抜ける悪党には、さらなるルールの縛り合い(実務の殴り合い)で対抗するしかない。 カイトのおじさんが、この巧妙な「労使協定の壁」をどうやって物理的・論理的に破壊しにいくのか。俺は張り詰めた緊張感と共に、手記の次のページへと指を滑らせた。
「皆様! 『労働者自身が同意した契約書』! この完璧な合法の盾を前に、国家権力たる監査局といえども、手出しはできないかに見えました!」 先生が両腕をクロスさせ、鉄壁の防御陣形を表現する。
「経営のルールを学び、悪知恵をつけたバグラム社長は勝ち誇りました! 『嫌なら辞めて、別の現場を探せばいい。だが、この王国に我々を通さず働ける大規模現場など存在しないがな』と!」
クラスメイトたちが「うわ、完全に足元見てる」「転職先がないのを分かっててボッタクリ契約を結ばせてるのかよ」と、生々しすぎる派遣の闇に顔をしかめる。
(そうだ。選択肢がない状態での「同意」なんて、ただの脅迫だ……) 俺は奥歯を噛み締めながら、手記の次のページをめくった。 労働法という「タテの糸」が通じないなら、カイトのおじさんはどうやってこの強固な結び目を切り裂くのか。
『労働基準法の上では、確かに労使協定は結ばれている。労働局を動かしても「当事者間の民事不介入」として処理されるだろう。』 『だが、バグラムは致命的な勘違いをしている。企業を縛るルールは、労働法だけではない。』 『僕は社長室を出て、末端の冒険者たちが押し込められている【ギルド社員寮(タコ部屋)】へと足を運んだ。彼らが「なぜこの契約にサインせざるを得なかったのか」……そのプロセス(過程)を調べるために。』
「カイト様が向かったのは、華やかな社長室ではありません! 泥と汗にまみれた、末端の冒険者たちの元でした!」 先生が教壇を降り、最前列の生徒たちに語りかけるように歩き出す。
「カイト様は、かつてBランクの剣士として名を馳せたベテラン冒険者に尋ねました。『なぜ、市販品の5倍もするギルド指定のフルハーネスをリース契約したのか? 自分で安いものを買って持ち込めばいいだろう』と!」 「すると、ベテラン冒険者は力なく首を振って、こう答えたのです!」
『「持ち込めるわけがねえ」と、その剣士は自嘲気味に笑った。』 『「俺だって最初は、金物屋で安い安全帯を買って現場に行ったさ。だが、現場監督は『ギルド指定の純正品(マーク入り)以外は安全基準を満たしていない』と言い掛かりをつけて、俺をシフトから外したんだ」』 『「ギルドのボッタクリ機材をリースしなけりゃ、仕事を与えない。逆らえば即座にクビだ。……俺たちには家族がいる。泣き寝入りして、あの同意書にサインするしかなかったんだよ」』
俺の胸の奥で、冷たい怒りが静かに燃え上がった。 これはもう「自由な契約」などではない。 「うちの商品を買わなければ、お前の生活を奪うぞ」という、絶対的な立場の差を利用した卑劣な脅迫だ。
「さあ、皆様! この証言を引き出した瞬間、カイト様の瞳に冷酷な狩人の光が宿りました!」 先生がクルリと背を向け、黒板に大きく『独占禁止法』と書き殴る。
「カイト様は再びバグラム社長の元へ舞い戻り、今度は労働基準法ではなく、分厚い【商取引の法典】をテーブルに叩きつけたのです!」 「『バグラム社長! あなたのやっていることは、労働問題ではない! 取引先としての圧倒的な力関係を悪用し、不当に高い商品を買わせる【優越的地位の濫用】……さらには、仕事と機材をセットで強制する【抱き合わせ販売】だ!』と!」
(……!! 労働法がダメなら、経済法(独占禁止法)で殴りに行ったのか!!) 俺は、手記を持つ手にじわりと汗が滲むのを感じた。
『「自由な合意? 笑わせるな」』 『僕はバグラムの胸ぐらを掴む代わりに、彼が絶対の盾としていた労使協定書を破り捨てた。』 『「生活の糧を人質に取り、他社の安価な機材を不当に排除して自社のボッタクリ機材を強制リースさせる行為は、王国公正取引委員会の管轄たる【独占禁止法違反(不公正な取引方法)】に該当する」』 『「これは民事ではない。明確な経済犯罪だ」』
「カイト様の放った新たな刃! それは、バグラム社長が全く想定していなかった方向からの、致命的な一撃でした!」 先生の声が、大教室に雷のように響き渡る。
「『そ、そんな馬鹿な! 俺はルール通りにやったんだ! 契約書もある!』と狼狽するバグラムに対し、カイト様は氷のように冷たく言い放ちました!」 「『ルールの上辺だけをなぞって、弱者を食い物にするような輩を、この私は最も嫌悪している。……監査局と公正取引委員会の合同調査だ。覚悟しろ、バグラム』!」
「うおおおおっ!!」「すげえええ!!」「労働法がダメなら独禁法で潰すのか!!」 教室の生徒たちが、鮮やかすぎるルールの裏返し(カウンター)に興奮し、割れんばかりの拍手を送っている。
ルールを悪用する者には、さらに上位のルールで息の根を止める。 カイトのおじさんの「実務の暴力」は、もはや剣や魔法よりも遥かに鋭く、そして逃げ場のない完全な檻だった。
「バグラム社長は、今度こそ完全に言葉を失い、自らのデスクに崩れ落ちました!」 先生が両手を広げ、悪徳経営者の完全敗北を宣言する。
「ピンハネの隠れ蓑にしていた『同意書』は、逆に『不当な取引を強制した動かぬ証拠』としてカイト様に押収されました! これにて、冒険者たちを苦しめていた合法的な搾取構造は、完全に打ち砕かれたのです!」
俺は手記のインクを見つめながら、ゆっくりと息を吐き出した。 確かに、鮮やかだ。完璧なロジックで悪党を追い詰め、末端の労働者たちをピンハネの地獄から救い出した。 だが、あの狂戦士バグラムですら、カイトという「法を自在に操る怪物」の前では、ただ怯えるだけの無力な存在に成り下がってしまったのだ。
(カイトのおじさんがルールを追加するたびに、この世界から『遊び(余白)』が消えていく……)
俺は、この徹底的な管理社会化の果てに、冒険者たちが最後に「どんな顔」で塔の建設作業に戻っていったのかを確認するため、重い指先で手記の次のページをめくった。
「皆様! 合法的なピンハネ構造は完全に粉砕されました!」 現実の大教室で、先生が誇らしげに教鞭を振るう。
「悪徳なリース契約はすべて白紙撤回! ギルド幹部たちには莫大な課徴金が課され、冒険者たちの手元には、正当な『100パーセントの手取り』が戻ってきました!」 「彼らはもう、誰からも搾取されることはありません! カイト様が構築した『絶対的なルール』という強固な鎧が、彼らの生活を未来永劫守り続けるのです!」
クラスメイトたちが「よかった!」「これで本当にホワイト現場になったな!」「カイト様、最強の監査官だ!」と、完全に浄化された大団円の結末に歓声を上げている。
だが、俺は手記のページを見つめたまま、微動だにできなかった。 そこに記されたカイトのおじさんの「業務完了報告」は、拍手喝采とは無縁の、どこまでも乾ききった事務的なインクの羅列だったからだ。
『〇月〇日。不公正な取引の排除措置命令を完了。冒険者たちの給与水準は完全に適正化された。』
『現場の管理体制はさらに強化した。不当な圧力や独自のローカルルールが発生しないよう、現場監督の権限を縮小し、すべての作業指示を【中央管理の魔導端末】から一元送信する仕組みへと移行させた。』 『誰がやっても同じ品質の仕事ができ、誰一人として搾取されず、そして誰一人として”余計なこと”をしない完璧な現場。』 『僕の監査業務は、これで一つ、完全な終わりを迎えた。』
(……誰がやっても同じ仕事ができ、誰一人として”余計なこと”をしない現場。)
俺は、鉛筆を持つ手が止まるのを感じた。
引っかかったのは、搾取が無くなったことじゃない。その搾取を生み出した「穴」が、そもそもカイトのおじさん自身が打ち込んだ安全ルールだった、という一点だ。
フルハーネスの義務化。資格の必須化。どれも労働者を守るための、一点の曇りもない正論だった。だがバグラムは、その正論を一文字も破らないまま、「指定品」「研修費」という名目に化けさせて搾取の蛇口に変えてしまった。
善意でルールを一つ足すたびに、その隙間に新しい商売が湧く。そして湧いた商売を潰すために、また一つルールを足す――。
(おじさんは、悪党を倒してるんじゃない。自分が敷いたルールの穴を、永遠に自分で塞ぎ続けてるだけだ。終わりがないじゃないか……)
手記の筆圧は、勝利の余韻ではなく、ただ深い疲労を滲ませていた。一つの穴を塞いだ報告の最後に、いつもの「定時で帰る」の一言すら書かれていない。それが、何よりも不気味だった。
「かくして! 塔を建てるためのすべてのサプライチェーンが、一点の曇りもない『ホワイトな規格』へと染め上げられました!」 先生が教壇を強く叩き、復興プロジェクトの完了を宣言する。
「もはやこの国に、不正の入り込む隙は1ミリたりとも存在しません! この完璧なシステムこそが、現在の我が王国を支える『平和の礎』なのです!」
教室中が、感動と安堵の空気に包まれる。だが俺は、その「礎」という言葉に、足元が冷たく沈むような感覚を覚えた。
――礎の上に建っているのが、今の俺たちのこの息苦しい国なのだとしたら。
「――さあ、皆様」 授業終了の鐘が鳴り響く中、先生がふと手を止め、大教室を見渡した。
「カイト様は、穴という穴をすべて塞ぎ続けました。……では皆さん、一つだけ考えてみてください。最後に残った、一番大きな穴は、いったいどこにあったのでしょうね?」
クラスメイトたちの笑顔が消え、教室が静まり返る。
「次回からは、いよいよ神話の最終章……『崩壊と継承』へと突入します。すべてを監査し尽くしたカイト様が、最後に『何を』監査しようとしたのか。そして、なぜ彼は歴史から姿を消したのか」
先生がゆっくりと顔を上げ、一直線に、最後列の窓際に座る俺の目を見据えた。
「その答えは……もう、あなたの手の中にあるはずですよ」
俺の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
気のせいではない。先生は確実に、俺のカバンの中の手記を――俺がカイトの血を引いていることを、知っている。
「それでは、本日の講義はここまで。皆様、また来週」
生徒たちが次々と席を立つ中、俺は動けなかった。
穴を塞ぐ者は、いつか自分自身が「最後の穴」になる。
手記の黒塗りのページの下で待っている結末の正体を、俺はもう、薄々わかり始めていた。




