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魔王は悪女を満喫中  作者: 雪野耳子


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第2話 深紅のシーツと、人族の物語

 私室は、いつも静かだった。

 高い天井から吊るされた黒水晶のシャンデリアが、柔らかな燐光を放っている。

 壁一面を埋め尽くす書棚には、本がずらりと並んでいた。

 魔法書ではない。

 歴史書でもない。

 小説だ。

 その中央、豪奢な寝台の上に、一人の女が寝転がっていた。

 深い蒼のワンピース。

 光沢のある生地に、星を散りばめたように細かな輝きが宿っている。

 肩は露わで、漆黒の長い髪が深紅のシーツの上に広がっていた。

 光沢のある生地が、女の輪郭に沿って滑らかに落ちている。

 豊かな胸元、細い腰、流れるような腰から腿の線。

 寝台に横たわる姿は、まるで一枚の絵のようだった。

 白磁のように滑らかな肌。

 艶やかな唇。

 そして深紅の瞳が、手にした本の頁を静かに追っていた。

 頁をゆっくりとめくる。

 物語の中で、令嬢が断罪されていた。

 夜会の場で、王子に罪を読み上げられる。

 証人が並び、証拠が示され、周囲の視線が一斉に突き刺さる。

 令嬢は俯いたまま、何も言わなかった。

「詰めが甘い」

 誰に言うでもなく、静かに呟く。

 ここまで追い詰められる前に、手はいくらでもあった。

 証人の一人でも押さえておけば。

 証拠が出る前に動いておけば。

 そもそも、こんな形で嵌められた時点で負けは決まっていたようなものだ。

 ここからでも、まだ手はある。なのに、この令嬢はただ俯いている。

「まったく」

 ため息をついて、本をポーンと放り投げた。

 ぱたん、と床に落ちる音がした。

 コン、コン、と扉を叩く音が響いたのは、その直後だった。

「……」

 返事をしない。

「ミルヴァーナ様」

「……」

「ミルヴァーナ様、執務がございます」

「……」

「ミルヴァーナ様」

「……聞こえておる」

「では、お返事を」

「わかった」

「本当に、わかっていただけましたか」

「わかったと言った」

 しばらく間があった。

 扉の外で、誰かが静かに息を吐く気配がした。

 扉が開いた。

 入ってきたのは、長身の男だった。

 黒い軍服に身を包み、背筋は真っ直ぐに伸びている。

 整った顔立ちは無表情に近いが、その目の奥に疲労の色が滲んでいた。

 男は部屋に入るなり、床に落ちている本に気づいた。

 無言でしゃがみ、拾い上げる。

 軽く表紙を叩いて埃を払い、題名を一瞥した。

 ぱらぱらと数頁めくって、それから寝台の上の女を見た。

「……また人族の本ですか」

 返事の代わりに、頁をめくる音がした。

「面白い」

「左様で」

 男は本を持ったまま、一歩前に出た。

「人族ではこれを、悪役令嬢というらしい」

「はあ」

 興味があるのかないのか、わからない返事だった。

 それでも構わず続ける。

「嵌められ、追い詰められ、断罪される。そういう話だ」

 天井を眺めながら、言葉が続く。

「魔族の書いたものとは、まるで違う。魔族の小説は力と支配の話ばかりだ。強い者が弱い者を従える。それだけだ。面白みがない。だが人族は違う。弱い者が、弱いまま足掻く。嵌められて、追い詰められて、それでもまだ諦めない」

 男は小さくため息をついた。

 それでも口を挟まない。

 挟める隙がない。

「……はあ」

「この令嬢もそうだ」

 ようやく天井から視線を外して、男の持つ本へと目を向けた。

「断罪される場面など、読んでいて歯痒くて仕方がない。私ならこうはならぬ。しかしまあ」

 一拍。

 深紅の瞳が、細くなった。

「悪役にしては、可愛らしいとは思うがな」

 ククッ、と小さく嗤う。

 男は本を軽く持ち上げ、書棚へ向かって投げた。

 すっと、空いていた棚の隙間に収まった。

 それだけやって、脇に抱えていた書類の束を音もなく寝台の端に置く。

「左様でございますね」

 一拍置いて、男は姿勢を正した。

「ミルヴァーナ様、執務の件でございますが」

 視線が、寝台の端に置かれた書類の束へと流れた。

「……多いな」

「三週間分でございます」

 男の声は平坦だった。

 感情を押し込めた、慣れた平坦さだった。

「ミルヴァーナ様がお読みにならないからでございます」

 天井へ視線を戻す。

「そうか」

「はい」

「ゲラード」

 間があった。

「……明日」

「今日でございます」

 眉一つ動かさず、ゲラードが返す。

「明後日」

 今度は一拍も置かずに。

「今日でございます」

 沈黙が落ちた。

「……わかった、わかった」

 めんどくさそうに、それだけ言った。

「出ろ」

 ゲラードが眉をわずかに上げた。

「何故でございますか」

「着替える」

 間があった。

「……申し訳ありません。承知いたしました。部屋の外でお待ちしております」

 一礼して、扉が静かに閉まった。

 足音が遠ざかる。

 廊下の向こうで、止まった。

 待っている。

 真面目な男だ、とぼんやり思った。

 ゆっくりと目を閉じた。

 寝台の上で、深く息を吐く。

「仕事など……少しくらいしなくとも、国は簡単には滅びぬ」

 誰に言うでもない。ただ、静かに言葉が漏れた。

「人と争っているわけでもない。平和な時間だ。何も問題はない」

 天井の燐光が、ゆらりと揺れた。

「さて……外にはこうるさい奴が待っておるし」

 一拍。

「よし、決めた」

 意識が、静かに広がる。

 肉体から抜け出ていく。

 書類の束が、意識の外へ消えていく。

 城の石造りの壁を、意識だけがすり抜けていく。

 城を抜け出た意識は、そのまま空へと出た。

 眼下に広がる、黒い尖塔が曇天を突き刺すように聳える城。

 廊下では今頃、真っ直ぐ背筋を伸ばして待っている男がいるだろう。

(書類は、帰ってからでいい)

 今はどうにも、仕事をする気になれない。

 ゆっくりとあたりを見渡した。

 城の周りにある街を見下ろす。

 あちらこちらに灯る明かりを見下ろし、ミルヴァーナは微かに笑みを浮かべた。

「…これで、よい」

 ポツリと呟くと、暗い山の影を見据える。

「さて」

 ミルヴァーナの唇から、フフッと笑みが零れる。

「小うるさい奴が来る前に行かねば、な」

 ミルヴァーナはくるりと楽しげに一回転する。

「しかし、どこへ参ろうか」

 誰に言うでもなく、静かに呟く。

 風が、意識を撫でるように通り抜けた。

 夜の空だった。

 星が出ていた。

 遠く地平の向こうに、人族の国々の灯りが点々と瞬いている。

 どこへでも行ける。

 どこへ行っても構わない。

 ただ、気の向くままに。

 意識は夜の空へと駆け出した。

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