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魔王は悪女を満喫中  作者: 雪野耳子


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第1話 断罪の夜、悪女は微笑する

 シャンデリアの光が、床に散らばっている。

 白。

 金。

 淡い橙。

 向かって左奥、楽団が弦と管を重ねて三拍子を刻んでいる。

 グラスが触れ合う音が混ざる。

 甘い果実酒の匂い。

 蝋燭の熱。

 真っ白なテーブルクロスの上に、色とりどりの果物や菓子が並んでいた。

 大広間の中央には大きな階段。

 その上から見下ろせば、色とりどりのドレスと礼装が花のように広がっている。

 マルリート学園、卒業の舞踏会。

 初々しさの残る顔に、精一杯の正装。

 今夜だけは大人のふりをして、笑い、踊り、グラスを傾ける。

 一年でもっとも華やかな夜のはずだった。

 扉が、開かれた。

 右手に付き添いはいない。

 左手にも。

 その瞬間、空気が変わった。

 ざわ、と。

 波紋のように、端から端へ。

 扇の陰で、口元が動く。

 グラスの縁越しに、視線が走る。

 言葉にならない囁きが、広間の隅々まで広がっていく。

 それでも、彼女は止まらなかった。

 深緑のドレス。

 裾に向かってゆるやかに広がるラインに、金糸で蔦の刺繍が這っている。

 光の当たる角度によって、縫い留められた小さな宝石がきらりと瞬く。

 胸元には、金細工のペンダント。

 翼を広げた鷹が、エメラルドの台座の上に刻まれている。

 踵が石の床を打つ。

 一段、また一段。

 背筋は伸ばしたまま。

 視線は正面。

 どこにも、誰にも、向けない。

 視線が刺さる。

 あちらから、こちらから。

 背中からも。

 それでも足は止めなかった。

 小花の刺繍が裾にあしらわれた淡いピンクのドレスの少女が、小走りで近づいてきた。

 後ろに男子生徒が二人、少し遅れてついてくる。

 少女の目が揺れていた。

 今にも泣きそうな顔で。

「あの、今夜は……その、大丈夫ですか」

 彼女はその少女を見た。

 一拍。

 それから、微笑んだ。

「大丈夫よ」

 少女が息を呑む。何か言いかけて、口を閉じた。

 その微笑みが、強がりに見えたか。

 気丈に見えたか。

 それとも、なんとも見えなかったか。

 少女には、わからなかっただろう。

「せっかくの舞踏会ですもの」

 それだけ言って、近くのテーブルからグラスを一つ取った。

 口に含む。

 少し甘すぎる。

 今の状況には似合わない、妙に場違いな甘い味だった。

 それでも、表情は変わらなかった。

 少女が隣に並ぶ。

 男子生徒たちも、少し距離を置きながらついてきた。

 輪になるでもなく、離れるでもなく。

 その曖昧な距離が、今夜の空気を物語っていた。

 楽団が曲を変えた。

 三拍子から四拍子へ。少しゆったりとした旋律。

 誘われるように何組かが中央へ出ていく。

 ドレスの裾が弧を描いて、床の大理石に光が跳ねる。

 真っ白なテーブルクロス。

 皿の上に並んだ果物の赤が、燭台の光に艶めいていた。

 焼き菓子の甘い匂いが、果実酒の香りと混ざり合う。

 窓の外は夜。星が出ていた。

 グラスの縁に唇を当てたまま、彼女はゆっくりと広間を見渡した。

 笑い声。

 弦の音。

 踊る影。

 その目に、何の色も浮かんでいなかった。

 怒りでも、悲しみでも、焦りでもなく。

 ただ、静かに、広間を眺めていた。

 それが隣の少女には、かえって怖かった。

「ミルフィーナ様……」

 小さく呼びかけたが、彼女はグラスを傾けたまま、返事をしなかった。

 広間がざわついたのは、それから少しして。

 ざわめきの方向が変わった。

 入口のほうから。

 楽団の音が、少しだけ乱れた。

 階段の上に、人影が現れた。

 濃紺の礼装に金の肩飾り。

 背筋を伸ばして、まっすぐ前を向いている。

 整った顔立ちに、今夜はいつもより硬い表情が乗っていた。

 広間に集まった視線が、一斉にその人物へと吸い寄せられる。

 その隣に、白いドレスの少女。

 亜麻色の髪。

 伏し目がちな瞳。

 細い首筋に、小さな光の石のネックレス。

 二人が並んで階段の上に立った瞬間、広間の空気がぴりと張った。

 白いドレスの少女の目が広間をゆっくりとさまよって、こちらを見つけた。

 視線が泳いだ、一瞬だけ。

 でも、確かに、少女の視線は彼女を見ていた。

 彼女はグラスを持ったまま動かなかった。

 濃紺の礼装の男が階段を下りてくる。

 一段一段、ゆっくりと、道が開く。

 人々が、自然と左右に退いていく。

 少女が俯き加減にその隣を歩く。

 白いドレスの裾が、石の床を静かに滑る。

 止まった。

 三歩手前で。

 男の目が、こちらを向いた。

「ミルフィーナ・ティレット」

 よく通る声だった。

 楽団の音が、いつの間にか止んでいた。

 広間がしんと静まり返る。

 グラスを持つ手が止まる。

 ダンスが止まる。

 全部が、止まった。

「お前に問う」

 その目はまっすぐこちらを向いていた。

 怒りとも悲しみとも違う。

 燃えるような、使命を帯びたような目。

 彼女はグラスを持ったまま、その目を見た。

 表情は変わらなかった。

「アルミナへの嫌がらせ。使用人を使った陰謀。学園内での孤立工作。そして――毒の件」

 一つ一つ、丁寧に並べられる。

 抑揚は少ない。

 感情を押し込めたような静かな声。

 それがかえって、広間の隅々まで届いた。

 隣の少女が震えているのがわかった。

 腕が触れるほど近くで、小さく震えている。

 男子生徒の一人が、半歩引いた。

 彼女はグラスを、そっとテーブルに置いた。

 かちり、と小さな音がした。

 両手が、空になった。

「これらはすべて、複数の証言と証拠によって裏付けられている」

 隣の少女が目を伏せる。

 白い頬に、睫毛の影が落ちた。

 長い睫毛が、蝋燭の光に縁取られている。

 彼女はその横顔を、一瞬だけ眺めた。

 何かを確かめるような目で。

 それから、また前へ視線を戻した。

「申し開きはあるか」

 広間の全員が、こちらを見ていた。

 知っている顔。

 知らない顔。

 心配の顔。

 好奇心の顔。

 哀れみの顔。

 彼女はその全部を、ゆっくりと見渡した。

 一つ一つ、確かめるように。

 急がず。焦らず。

 その落ち着きが、広間の空気をさらに奇妙なものにした。

 断罪される者の顔ではなかった。

 かといって、潔白を主張する者の顔でもない。

 どこか、遠いところから眺めているような。

 男の眉が、わずかに寄った。

「申し開きは——」

 口元が、動いた。

 クスッ、と。

 声にならないくらい、小さく。

 でも確かに——笑った。

 広間が、息を呑んだ。

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