変わっていく日々
社交界の噂は、香水のように華やかで、そして移ろいやすい。
今、最も香り立つのは、王太子レオン殿下の婚約者であるエリザベート・ド・セルヴァの名声だった。
彼女の登場により数多の令嬢たちが己の社交的立場を見直し、取り巻く輪を形成していった。
しかしその輪は今や歪な円となり、崩れ始めていた。
舞踏会の一角で、華やかな装いの令嬢たちが集う場所があった。
かつてエリザベートに取り入ろうと競い合っていた者たちの姿が、そこにはあった。
だが今日のその輪は、以前のように熱気を帯びていない。
「そう言えば、以前エリザベート様とご一緒した時……」
令嬢の一人がそう切り出した瞬間、周囲の視線がすっと逸れた。
「そういう話、今は……控えたほうがいいと思うけど」
そう言ったのは、かつて最も積極的にエリザベートを称えていたアマーリエ嬢だった。
空気が一瞬、凍った。
かつて「エリザベート様こそ未来の王妃にふさわしい」と謳っていた令嬢たちが、今はその名を語ることすら避けようとする。
それは、彼女たち自身の振る舞いに原因があった。
有力者の取り巻きということで、彼女達は羽目を外し過ぎたのだ。
彼女たちの傍若無人な振る舞いは、エリザベートの評判まで下げかねないものだった。
特にリディア追放の際に嘘の証言をした者は、エリザベートの弱みを握っているような気持ちで特に思い上がっていた。
実際にはその秘密をばらすと、彼女自身が偽証罪で罪に問われてしまうのだが。
だから、エリザベートはそういった連中を容赦なく切り捨てた。
彼女たちの存在はリディアの追放及びエリザベートの社交界での価値を高めることには役立ったが、その目的を達した今は足を引っ張るものでしかない。
そんな中、カレン・エスパーダ嬢は焦っていた。
「せっかくエリザベート様に気に入っていただけたのに……。もう一度目をかけていただいて、あの頃のように注目されたい」
そう考えた彼女は、ついにエリザベート本人へ直談判することを決意する。舞踏会の控室、他の貴族が近づかぬ時間を見計らってカレンは扉を叩いた。
「エリザベート様、お話がございます。少しだけ、お時間を……」
室内にいたエリザベートは、彼女の顔を見ると一瞬だけ笑みを浮かべたが、それは皮肉にも似た笑みだった。
「何かしら、カレン嬢。忙しいのだけれど」
「私は、ずっとエリザベート様のお側にお仕えしてまいりました。
ですが最近、私を遠ざけておられるように感じます。
何かお気に障ったのであればお詫びを……」
カレンは言葉を重ねるが、エリザベートの瞳に感情はない。
「誤解よ。あなたが自分の立場を見誤っているだけ」
その言葉に、カレンは打ちのめされた。
これまでの忠誠も、笑顔も、何の意味もなかったのだと突きつけられたようで。
彼女は何も言えず、控室を後にした。
扉が閉まる音が、彼女の心に重く響いた。
そのころ、マクレイン伯爵家では静かな夜が訪れていた。
執務室の灯りの下、クラリスは一人、机に向かっていた。
慎重に開かれた羊皮紙の上に、リディア・グレイス・マクレインの名が静かに綴られている。
「元気でいるのかしら……食事はちゃんと摂っているの?怪我などしていない?」
心の中で問いかけながら、クラリスは筆を取り、娘への言葉を書き連ねようとしていた。
だが、その手が震えたのは気温のせいではなかった。
「クラリス」
突然の声に、クラリスは咄嗟に手紙を伏せた。
振り返ると、夫ギルベルトが扉の傍に立っていた。
彼の表情は静かだが、その目には複雑な影があった。
「……手紙か?」
「違います。ただの……日記のようなものよ」
「お前はまだ、あの娘と連絡を取るつもりなのか」
その声に責める響きはなかった。だが、クラリスの心には重くのしかかる。
「だって、挨拶もさせてもらえなかったのよ……。
あの子は、婚約破棄を告げられたその足で馬車へ乗せられたの。
私は……一言だけでも声をかけたかった」
ギルベルトはしばし沈黙した。そして、クラリスに歩み寄る。
「我が家はまだ王家の信頼を取り戻していない。
もし今、この手紙が何者かに渡れば、残る信頼すらも失うことになる。……わかっているだろう」
「そうね。でも、わかっていても、母としての気持ちを失うことはできないわ」
クラリスの声は震えていた。だが、視線はまっすぐにギルベルトを見ていた。
ギルベルトはその視線をしばし受け止めたあと、ゆっくりと視線を外した。
「……私も、娘を案じていないわけではない」
それは、本心だった。だが、貴族としての務めと父としての感情の間で、彼は引き裂かれていた。
「なら、せめて……無事でいるかどうかを知ることはできないのかしら」
「辺境は遠い。……だが、考えておこう」
ギルベルトはそれだけを言い残して部屋を出た。
扉が静かに閉まると、クラリスはそっと伏せられた手紙に手を置いた。
リディアの名が、かすかに透けて見えていた。
その名は、母の胸の内で今もなお、強く、優しく、燃えていた。
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