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婚約破棄された没落令嬢、路地裏で仕立て屋を始めました 〜私の縫う一着には、祝福が宿るようです〜  作者: みき
第2部 王女の婚礼衣装と、仕立て師たち

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40/48

第40話 抜かれた一枚

 第一王女リュシエンヌの本番衣装を王宮へ持ち込む朝、エステルはいつもより早く起きた。


 本縫い前の最終仮合わせ。


 今日で肩、脇、支持帯、裏地の位置を確定し、問題がなければ外裾と王家の花紋へ進む。


 裁断台の上には、白い本体。その裏には、夕方の湖を思わせる灰青色。


 試作のころより、もうずっと衣装らしい。


「持つ?」


 ニナが訊いた。


「箱を?」


「うん」


「二人で持ちます」


「わたしも王宮?」


「今日は店です」


「やっぱり」


「残念ですか?」


「ちょっと。でも店やる」


「お願いします」


「昨日の薬屋の上着、取りに来るし」


「はい」


「あと、リリが昼に来るって」


「何か情報?」


「クッシュ見に」


「それなら安心しました」


「何で?」


「最近、リリが来るたびに何か起きる気がして」


「ひどい」


「本人には言わないでください」


「言う」


「ニナ」


「冗談」


「上達しましたね」


「エステルより」


「それはまだ」


 そこへベッシーが朝食を持ってきた。


「食べた?」


「これから」


「嘘だね」


「本当です」


「じゃあこれも」


「増えました」


「王宮行くんだろ。食べな」


 小さな塩パンが二つ。


「最近、皆様」


「何だい」


「私が食事をするか確認なさいますね」


「確認しないと飛ばすからだろ」


「そんなには」


 ニナが黙ってこちらを見る。


「……たまに」


「ほら」


 ベッシーは満足そうに頷いた。


「王女様の服、どうだい」


「今日は本番布での仮合わせです」


「緊張する?」


「少し」


「選ばれたんだから大丈夫だろ」


「選ばれたからこそです」


「面倒だねえ」


「仕立て師ですから」


「その言葉、何でも通すね」


 最近、本当にそうなっている。


 エステルは少し反省した。


「今日は使いすぎないようにいたします」


「無理だと思う」


 ニナ。


「わたしも」


 ベッシー。


「そこは揃わなくてよいです」


 笑いながら朝食を食べる。


 それから本番衣装を箱へ納める。しわを作らないよう、支持帯も仮止めのまま固定した。


「エステル」


「はい」


「王女様に聞くんだよね」


「何を?」


「服、婚礼のあとどうするか」


 昨日、アルヴィスに言われたこと。


 婚礼衣装は、婚礼の日だけを見ていた。


 でもリュシエンヌは式のあと、北西領へ移る。服だけが王宮に残るのか。


「はい。聞きます」


「王女様、持ってくって言ったら?」


「王宮側と相談します」


「王家の服なのに?」


「だからこそ、本人に聞きます」


「返す?」


「何を?」


「服」


 エステルは少し考える。


「どこへ返すか、でしょうね」


「王宮?」


「それとも、着た方のもとへ」


「返納庫みたい」


「……そうですね」


 何を、誰へ返すか。


 十年前、それが壊れた。


 今度の婚礼では、壊さない。


「行ってまいります」


「いってらっしゃい」


「勝ってきて」


「もう勝負は終わっています」


「じゃあ縫ってきて」


「はい」


 王宮へ着くと、王室衣装室の仮縫い室へ案内された。


 リュシエンヌはすでに薄い採寸着へ着替えている。


「本物?」


 箱を見るなり、王女が訊いた。


「本番の布です」


「触っていい?」


「殿下のですから」


「まだ私の?」


 エステルの手が止まる。


「それを、今日伺いたいと思っておりました」


「何を?」


「婚礼が終わったあと、この衣装をどうなさりたいか」


 王女が少し意外そうに瞬いた。


「普通は?」


「王室保管です」


「そうよね」


「ただ、殿下は婚礼後、レイフォード領へ移られます」


「うん」


「この衣装も、お持ちになりたいですか」


 王女はすぐに答えなかった。


「考えたことなかった」


「そうですか」


「婚礼衣装って、王宮のものだと思ってた」


「王家の正式衣装ですので、その面はございます」


「でも私が着る」


「はい」


「私の寸法」


「はい」


「私が選んだ」


「はい」


「じゃあ、私のでもある?」


「私は、そう思います」


「王室衣装室は怒らない?」


「相談は必要です」


「セラフィーネに聞く?」


「はい」


 ちょうど扉が開く。


「聞こえているわ」


 セラフィーネだった。


「早い」


 王女。


「廊下まで聞こえました」


「じゃあどう?」


「前例はある。王女が婚姻後、婚礼衣装を居城へ持参した例は」


「なら」


「ただし王家の記録衣装なので、勝手に改造、売却、譲渡は不可」


「売らないわよ」


「殿下なら分からない」


「ひどい」


「以前、王家の髪飾りを侍女へあげようとなさいました」


「あれは似合ってたから」


「だからです」


 エステルは少し笑う。


「では、持参は可能?」


「正式に申請すれば」


「する」


 王女はすぐに答えた。


「迷わないのですね」


「だって」


 白布へ手を触れる。


「私が選んだ服でしょう?」


「はい」


「なら、持っていきたい」


「分かりました」


「でも、婚礼のあと、ずっと箱に入れるのは嫌」


「では」


「着られる?」


 セラフィーネが先に反応する。


「婚礼衣装を?」


「全部じゃなくて。何か、残せる?」


 エステルは白絹と灰青の裏地、それから外裾の構造を思い浮かべた。


「可能です」


「ほんと?」


「ただし、本番衣装をあとから大きく切り直すのではなく、外せる部分を最初から作る方法がよろしいかと」


「外裾?」


「はい」


 長い婚礼用の外裾は、もともと別構造。


 式後、それを外せば、内側の本体は正式礼装として使える。


「でも王家の紋章」


「背中に残ります」


「大きいやつ」


「はい」


「嫌」


「そこは」


「分かってる」


 王女が苦笑する。


「必要」


「はい」


「北西領で着るなら、もう公爵夫人だけど」


「王女であることは変わりません」


「やっぱり?」


「はい」


「逃げられない」


「服からは」


「エステル」


「申し訳ございません」


 王女が笑う。


「でも、いい」


「よろしいのですか」


「うん」


「なぜ」


「この服なら、王女だから着るんじゃなくて、私が王女で、そのまま歩ける服だから」


 エステルは何も言わなかった。


 嬉しい。


 でも今は作業。


「では、今日の仮合わせを」


「はいはい」


 本番衣装を着せる。


 まず内側。


 白。


 灰青。


 肩。


 右。


 少し低い。


 前回合わせた線は問題ない。


「きついところは?」


「腰の左だけ」


「ここですか」


「うん」


 まち針を一度外し、半分だけ出す。


「今は?」


「いい」


「歩いてください」


「ここで?」


「まずは」


 三歩。


 戻る。


「問題なし」


「座る?」


「お願いします」


 椅子へ座る。


 今日はアーサーはいない。


「今日は一人」


 王女が言う。


「残念ですか」


「少し」


「正直ですね」


「婚礼するのに隠す必要ある?」


「ございません」


「エステルも?」


「何がでしょう」


「アルヴィスのこと」


 エステルの手が止まる。


「今、何の話です?」


「服」


「違います」


「顔」


「殿下」


「最近、みんな言うんでしょう?」


「誰から」


「アルヴィス」


「公爵様が?」


「この前、王妃に『顔を読むな』って言ってた」


「なぜ」


「エステルに皆が言うって」


 思った以上に広がっている。


「仮合わせを続けます」


「逃げた」


「服です」


「便利」


 王女が笑う。


 本番布は試作より柔らかく、座るとわずかに左へ流れた。


「ここ」


 エステルがすぐ見る。


「駄目?」


「直します」


「また?」


「はい」


「最後まで?」


「はい」


「本当に服って終わらない」


「着る方が動きますので」


「人台なら楽?」


「とても」


「でも私が着る」


「はい」


「じゃあ仕方ない」


 王女が立ち、腕を上げる。


 袖は問題なし。


 手袋収納も試す。


「入る」


「出せます?」


「うん」


「片手」


「できる」


「よし」


「今の、仕立て師っぽくない」


「何が」


「よし」


「私も言います」


「かわいい」


「殿下」


 笑いが起きる。


 次に操作帯。


 外裾はまだ試作用だが、本体側は本番。


 王女が片手で引く。


 成功。


「これ、本番外裾だと軽い?」


「少し」


「片手空く」


「はい」


「アーサー」


「今日はおりません」


「分かってる」


 少し残念そうだが、笑っている。


「エステル」


「はい」


「これ、婚礼終わったあとも片手で裾上げられる?」


「外裾を外せば、そもそも必要ありません」


「あ」


「ただし、操作帯の一部を残すことはできます」


「何に使うの?」


「内側の小さな収納を動かす紐などに」


「手袋?」


「あるいは鍵」


「鍵?」


「北西領で」


「ポケットに?」


「はい」


「面白い」


 王女の目が少し輝く。


「婚礼終わっても、仕掛け残る」


「全部ではありません」


「でも少し」


「はい」


「それ、好き」


「では残します?」


「残す」


 婚礼衣装は、婚礼が終われば役目を終える。


 でも全部が終わるわけではない。


 役目を変える。


 それも、いい。


「返すんじゃない」


 王女がぽつりと言った。


「何を?」


「婚礼が終わったら、この服、王宮に返すのかと思ってた」


「はい」


「でも持っていく」


「はい」


「役目も変える」


「はい」


「返すって、元に戻すことじゃないのね」


 エステルの手が止まった。


「そうかもしれません」


「何」


「いえ」


 返礼室。


 返納庫。


 祝福。


 返す。


 ずっと、元へ戻すことだと思っていた。


 けれど、役目を終えたものを別の形へ渡すことも、返す仕組みなのかもしれない。


「エステル?」


「申し訳ございません」


「また何か思いついた顔」


「仮合わせのあとで」


「事件?」


「少し」


「ならあと」


「ありがとうございます」


「私、ちゃんと待てる」


「私も最近褒められます」


「一緒」


 王女が笑う。


 仮合わせを続ける。


 肩、脇、座位、手首、操作帯。


 全部記録。


 最後は王家の花紋の位置。


「まだ大きい」


「はい」


「まだ嫌」


「はい」


「でも、前よりちょっと好き」


 エステルが見る。


「なぜ?」


「この服を持っていくって決めたから」


 少し考える。


「王宮に置いていく服じゃないから」


「はい」


「自分の背中なら、まあ」


「まあ、ですか」


「かなり譲った」


「ありがとうございます」


「そこお礼?」


「はい」


 位置を決める。


 仮合わせは終わった。


 セラフィーネが記録を確認する。


「修正は?」


「腰左を半分。座位の流れを前中心で微調整。操作帯は問題なし。手袋収納も問題ありません」


「本縫いへ?」


「本体は」


「外裾」


「次回」


「紋章」


「位置確定」


「よし」


 王女が着替えへ入る前に振り返る。


「エステル」


「はい」


「服、持っていく申請、出す」


「はい」


「あと、婚礼後の礼装への直しもあなたに頼む」


「本番が終わる前に次の依頼ですか」


「予約」


 アルヴィスを思い出す。


 次の服の予約。


「最近、皆様先に予約なさいますね」


「人気だからじゃない?」


「そうでしょうか」


「王女が言うんだからそう」


「では、受け取っておきます」


「返事は?」


「お引き受けします」


「よし」


 今度は王女が言う。


 二人で笑った。


 仮合わせのあと、エステルは約束どおり王室衣装室の記録室へ向かった。


 ユリウスが待っている。


 ヴィオラもいた。


「晩餐衣装は?」


「午後」


「今日は」


「台帳」


「やはり」


「気になる」


「私もです」


 中央の机。


 記録官二人。


 手袋。


 その間に、返納庫から見つかった古い台帳の現物。


 革表紙は褪せ、背の糸も古い。


「触れません」


 ユリウス。


「分かっています」


「見るだけ」


「はい」


 最後の正式記録。


『王暦四百十二年 返納庫閉鎖。

 以後、返礼処理は新制度へ移行。

 残置物なし。』


 そのあと。


 裏表紙との間に、四つの針穴。


「魔写より分かりやすい」


 エステル。


「穴の周り、押されてる」


 ヴィオラ。


「紙一枚では薄い?」


「折った一枚か、二枚」


「仮綴じ」


「そう」


 正式な台帳追加なら、綴じ直しはもっと整える。


 これは後から一時的に足したもの。


「糸」


 エステル。


「残っている繊維は灰青」


「壁の案内糸より細い」


「同じ糸を割いた?」


「可能性はある」


 古い仮縫い糸を割いて、細い紙綴じへ使う。


「母は」


 エステルが言いかける。


「何?」


「細い紙を仮に綴じるとき、刺繍糸を割いて使うことがありました」


「普通?」


「珍しくはありません」


「また特定できない」


「はい」


 でも、少しずつ重なる。


「穴の最後」


 エステルは角度を見る。


「右へ抜いています」


「糸巻きと同じ」


「はい」


「リディア」


「まだ言いません」


「えらい」


「それは禁止です」


「忘れてた」


 ユリウスが、透明板に挟んだ小さな紙片を出す。


『……妃殿下 婚礼衣……』

『……返納処理 未……』


「筆跡比較は?」


「進めています」


「母の手紙とも?」


「王宮保管の写しと」


「結果は」


「まだ」


「分かりました」


 エステルは紙片を見る。


 婚礼衣装。


 返納処理。


 未。


「返納処理とは、衣装を返すことだけでしょうか」


 ヴィオラ。


「違う可能性がある」


 ユリウスは別の古い会計資料を開いた。


「返納品の分類が残っている」


「分類?」


「衣装。祝糸。返礼具。それから未返品」


「未返品?」


 エステル。


「返納されたが、返礼処理を終えていないもの」


 ヴィオラが目を細める。


「一時保管」


「そう見えます」


 返納庫は終点ではない。


 役目を終えたものを受け取り、次の処理へ渡す前に置く場所。


「空だった」


 エステル。


「閉鎖時は残置物なし」


「でも十年前」


 ヴィオラ。


「何か持ち込まれた」


 右奥の棚に残った四角い埃跡。


 台帳へ一時的に足された一枚。


『妃殿下 婚礼衣……』

『返納処理 未……』


「婚礼衣装そのもの?」


 ユリウス。


「箱の大きさは合います」


「でも十年前の王太子妃の衣装は、事件後に王室衣装室へ証拠として保管されたはずです」


「表の衣装は」


 ヴィオラが言う。


「何です?」


「十年前、エステルが見た損傷衣装。あれが全部とは限らない」


「付属品?」


「外裾。裏地。祝福糸。仮縫い部品」


「あるいは」


 エステル。


「差し替えられた部分」


 店。


 ではなく。


 記録室が静かになる。


 母は言った。


『縫い目が違います』


 アルヴィスも、表はリディアらしいが裏の針目が違ったと覚えていた。


 もし誰かが婚礼衣装の一部を差し替えたなら。


 元の部分。


 リディアが本当に縫った部分。


 それはどこへ行った?


「返納庫」


 エステルが言う。


「差し替える前の衣装の一部が、返納庫へ持ち込まれた可能性は」


「ある」


 ユリウス。


「でも証拠はない」


「はい」


「紙片の『婚礼衣』だけでは足りない」


「分かっています」


「棚跡も箱一つ」


「はい」


「だから次」


 ヴィオラ。


「返送口」


 エステルが見る。


 返納庫の床。


 南側。


 石蓋。


『返送口』


「返納処理を終えたものを、どこへ?」


「そこを確認する」


 ユリウス。


「サビーネは?」


「午後、王宮へ呼んでいる」


「旧染め経路」


「彼女なら知っている可能性がある」


「私は」


 エステルが言いかける。


 今度は自分で止まる。


「婚礼衣装を店へ戻します」


 ヴィオラが笑う。


「言えるようになった」


「それは禁止です」


「でも本当に」


「調査結果は」


「持っていく」


 ユリウス。


「魔写紙も」


「お願いします」


「返送口を開けるかどうかは、サビーネの確認後」


「賛成です」


 立ち上がる前。


 エステルはもう一度台帳を見る。


 抜かれた一枚。


 そこに何が書かれていたのか。


 今はない。


 でも。


 穴。


 灰青の繊維。


 紙片。


 棚の跡。


 なくなったものの周りに、残ったものがある。


「ユリウス様」


「何でしょう」


「抜かれた一枚は、破られていません」


「はい」


「ほどいて持ち出されています」


「そう見える」


「なら」


 エステルは少し考える。


「捨てるためではなく、持っていくために外したのかもしれません」


「保存?」


「あるいは、誰かへ渡すため」


「返すため?」


 ヴィオラ。


「かもしれません」


 王女の言葉。


『返すって、元に戻すことじゃないのね』


 一枚の紙も。


 元の台帳へ。


 戻さず。


 別の人へ。


 渡された。


 可能性。


「紙が残っていれば」


 ヴィオラ。


「どこかに」


「そうです」


「探す?」


「はい」


「どこ」


「十年前の関係者が持っていた記録」


 リディア。


 サビーネ。


 ロデリック。


 オルドー家。


 王室衣装室。


 ギルド。


 教会。


「広い」


 ヴィオラ。


「かなり」


「でも一枚」


「一枚です」


 ユリウスが記録へ書き足す。


「抜けた頁の探索も並行します」


「ありがとうございます」


 王宮を出る。


 本番衣装の箱。


 少し重い。


 でも。


 朝より。


 重さの意味が。


 違う。


 婚礼のあと。


 この服は。


 王宮へ。


 返されない。


 王女が。


 持っていく。


 外裾の役目を終えたあとも、本体は別の礼装として生きる。


 服は、終わってもなくならない。


 役目が変わることがある。


 店へ戻ると、ニナがすぐ駆けてきた。


「どうだった」


「仮合わせ?」


「両方」


「衣装は順調です」


「台帳」


「一枚、やはり後から仮に綴じられて、抜かれていました」


「誰?」


「まだ」


「お母さん?」


「まだです」


「返納庫」


「十年前ごろに何かを置いた可能性があります」


「何」


「婚礼衣装に関係するもの」


「服?」


「それも、まだ」


 ニナは少し不満そう。


「まだばっかり」


「調査ですから」


「でも進んでる?」


「はい」


「じゃあいい」


 作業帳。


 指す。


「薬屋さん来た」


「上着は?」


「渡した」


「問題は」


「なかった」


「一人で?」


「会計はベッシーさん」


「なぜ」


「エステルいなかったから」


「なるほど」


「あと」


 ニナ。


 少し。


 胸。


 張る。


「褒められた」


「何と?」


「前より着やすいって」


「よかったですね」


「うん」


「給金」


「忘れないで」


「やはりそこ」


 エステルは笑いながら、婚礼衣装を人台へ掛け直した。


「王女様、これ持ってく?」


「はい」


「王宮に返さない?」


「はい」


「怒られない?」


「申請します」


「じゃあ王女様の」


「王家のものでもあり、殿下のものでもあります」


「両方?」


「そうです」


「変なの」


「でも、よいと思いません?」


 ニナは白い服を見る。


「うん」


「なぜ」


「着る人のとこにあるほうがいい」


「私もそう思います」


「公爵の服も?」


「もちろん」


「エステルの?」


「私のも」


「じゃあ」


 ニナが自分の灰青の仕事着をつまむ。


「これは?」


「ニナのです」


「店のじゃない?」


「審査に使いましたが、ニナのです」


「弟子服じゃない?」


「まだ」


 二人。


 同時。


 少し。


 笑う。


 窓辺ではクッシュが小さく鼻を鳴らす。


 夕方の光が、本番衣装の白い表地へ落ちる。


 裏側の灰青は見えない。


 でも。


 そこにある。


 返納庫の抜かれた一枚も、今は見えない。


 でも、どこかに残っているかもしれない。


 エステルはそう思った。


 なくなったことと、終わったことは違う。


 そして。


 返したことと、元へ戻したことも、同じではないのかもしれない。


 エステルは白い布の脇を半分だけほどいた。


 本番布の落ち方へ合わせるための、小さな修正。


 ほどいた二針を、新しい位置へ縫い直す。


 服は少しずつ、王女の身体へ近づいていく。


 抜かれた一枚もまた、誰かの手へ渡るためにほどかれたのなら。


 その先を見つければいい。


 今はまだ、それで十分だった。

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