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婚約破棄された没落令嬢、路地裏で仕立て屋を始めました 〜私の縫う一着には、祝福が宿るようです〜  作者: みき
第2部 王女の婚礼衣装と、仕立て師たち

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39/49

第39話 空の返納庫

 翌朝、アルヴィスは開店前の店へ来た。


 いつものように用事がある顔ではなく、明らかに機嫌が悪い。


「おはようございます」


「ああ」


「公爵、追い出された?」


 掃除をしていたニナが訊いた。


「追い出されてない」


「王宮行かないんでしょ」


「行かない」


「じゃあ追い出された」


「ユリウスと話し合った結果だ」


「負けた?」


「話し合った結果だ」


 言い直したところを見ると、かなり不満らしい。


 エステルは笑わないようにしながら、人台へ掛けていた婚礼衣装の本体へ戻った。


「公爵様」


「何だ」


「今日は店番をお願いする予定はございません」


「帰れということか」


「そうではありません」


「ならいる」


「どうぞ」


 返納庫へ続くと見られる旧保守空間の調査は、ユリウス、王宮施設管理の担当者、騎士、それから古い縫い止めを確認するためヴィオラが同行することになっている。


 アルヴィスは行かない。


 彼の右脇の傷は、旧保守空間を南へ進むほど強く痛んだ。手掛かりになるからと本人は同行を望んだものの、その手掛かりを得るために傷を刺激し続ける必要はないと、ユリウスが止めたのだ。


 エステルも賛成した。


 だから今日は、王宮で最も調査に行きたい人の一人と、路地裏で最も調査に行きたい人の一人が、二人とも店にいる。


「落ち着きませんね」


 エステルが言う。


「お前も?」


「かなり」


「俺もだ」


「では、仕事をしましょう」


「俺の仕事はここにない」


「書類は?」


 アルヴィスの手には、案の定、薄い書類束がある。


「ある」


「でしたら」


「お前は?」


「婚礼衣装を」


「分かった」


 素直に窓辺の椅子へ座る。


 ニナが少し驚いた顔をした。


「何だ」


「公爵、ほんとに言うこと聞くようになった」


「お前まで言うな」


「前なら行ってた?」


「行った」


「即答」


「俺の傷だ」


「でも今日は?」


「行かない」


「何で」


 アルヴィスは書類を開きながら答えた。


「行かなくても調べられると、昨日説明された」


「それだけ?」


「エステルにも止められた」


 ニナがこちらを見る。


「やっぱり」


「何がです?」


「エステルの言うこと、ちょっと聞く」


「ちょっとだ」


「公爵様」


「何だ」


「そこで否定を弱くしないでください」


「事実だから」


 エステルは返事に困り、婚礼衣装の肩線へ視線を戻した。


 昨日つないだ本体は、今日から裏地と支持帯の位置を決める。


 本番の灰青色。


 表からは見えない。


 けれど、王女が裾を持ち上げたときや、袖の内側へ手袋をしまうときには、ごく少しだけ見える場所へ入る。


「そこ、青?」


 アルヴィスが書類から顔を上げた。


「はい」


「リュシエンヌが好きな色」


「覚えていらしたのですね」


「本人が何度も言う」


「でも表には使いません」


「怒った?」


「最初は少し」


「だろうな」


「今は気に入ってくださっています」


「珍しい」


「何がです?」


「あいつが、好きなものを見えない場所に置くこと」


「普段は?」


「見えるところに置く」


「鈴蘭も?」


「昔、部屋の花瓶を全部それにしたことがある」


「では、大量発注した方も」


「気持ちは分からなくもない」


「でも、殿下ご本人が選んでいない」


「ああ」


 同じ。


 好きなものと、選ぶものは違う。


 エステルは灰青の裏地を白絹の下へ重ね、透け方を確認する。


 大丈夫。


 表は白い。


 裏には、夕方の湖の青。


「ニナ」


「何」


「こちらの端を少しだけ」


「押さえる?」


「はい」


 ニナが近づき、手を洗ったばかりの指で端を押さえる。


「ここ?」


「もう少し右」


「これくらい?」


「はい」


 裏地を動かし、肩から背へ向かう支持帯との重なりを見る。


 そのとき、入口の鈴が鳴った。


 三人とも同時に見る。


「早い」


 ニナが言う。


 入ってきたのは王宮の使者だった。


「エステル・ラヴィニア様へ、グラン法務官より」


「ありがとうございます」


 封を受け取る。


 アルヴィスが立ち上がりかけた。


「公爵様」


「何だ」


「座っていてください」


「俺宛てかもしれない」


「私宛てとおっしゃいました」


「……そうか」


 座る。


 ニナが笑う。


「今の、かなり」


「言うな」


 エステルは封を確認して開いた。


『旧保守空間、南端手前まで到達。


 昨日確認した「返納庫 北側点検路」の表示より先に、閉鎖扉を発見。


 扉銘板、

 「王室返納庫 北側保守口」。


 正式入口ではない。


 扉外側に王室衣装室の旧三波印。

 ギルド印なし。


 現在、正式入口および共同管理記録を照合中。

 保守口からは開けない。』


「開けない?」


 アルヴィスがすぐ訊く。


「はい」


「鍵?」


「それだけではないようです」


 書状の続き。


『蝶番側に後施工の留め板あり。

 灰青糸は扉脇まで続き、そこで終端。


 終端は切断ではなく、糸巻きへ巻き戻した状態。

 小型木製糸巻き一個を壁窪みに確認。


 触れずに記録済み。』


 エステルの指が止まる。


「糸巻き?」


 ニナ。


「はい」


「誰かが戻した?」


「そう見えます」


 灰青糸は。


 何かを縛っていたのではない。


 壁の中を南へ進み。


 返納庫の保守口まで続き。


 最後は、きちんと糸巻きへ戻されていた。


「案内糸」


 アルヴィスが言う。


「その可能性があります」


「母親?」


「まだ決めません」


「分かっている」


「でも」


「考えた?」


「はい」


 アルヴィスは何も言わなかった。


 リディアは、服の裏側へ道を残した。


 旧衣装室の封も。


 返礼室の図も。


 しつけ糸も。


 だから、この灰青糸が彼女の残したものに見える。


 けれど。


 似ていることと、同じであることは違う。


「正式入口はどこ?」


 ニナが訊く。


 エステルは古図を横へ広げた。


「返納庫は王室衣装室と仕立てギルドの共同管理でした」


「だから?」


「正式入口には、両方の印が必要だった可能性があります」


「北側は王室だけ」


「はい」


「裏口?」


「保守口です」


「同じじゃない?」


「目的が違います」


「でも、ギルドに言わず入れる?」


 エステルは止まる。


 アルヴィスも書状を見る。


「それが問題か」


「はい」


 正式入口なら。


 王室衣装室とギルド。


 両方。


 でも北側点検路は。


 王室衣装室の印だけ。


「共同管理を避けて入る道」


 エステルが言う。


「使えたかもしれません」


「十年前」


 アルヴィス。


「まだ」


「分かっている」


「でも可能性は」


「ああ」


 高い。


 だからこそ。


 慎重に。


「返事を」


 エステルは紙を取った。


『灰青糸終端の糸巻きについて、糸端の始末と巻き方向を記録してください。

 巻き方に特徴があれば、縫い手の手癖が残る可能性があります。


 保守口は共同管理記録の確認まで開けない判断に賛成します。』


「俺のことは?」


 アルヴィスが訊く。


「何がです?」


「何か書かない?」


「公爵様はここにいらっしゃいます」


「そうだった」


 ニナが笑う。


「ちょっと寂しそう」


「違う」


「顔」


「読むな」


 使者が返書を持って出ていく。


 店にはまた、針音と紙をめくる音が戻った。


 けれど。


 さきほどまでとは少し違う。


 返納庫は、もう名前だけの場所ではない。扉があり、そこまで続く糸がある。


「エステル」


 ニナが呼ぶ。


「はい」


「糸巻きで、誰が巻いたか分かるの?」


「必ずではありません」


「でも分かるかも?」


「利き手や、糸を止める方向に癖が出ることはあります」


「エステルなら?」


「最後は左へ引きます」


「お母さんは?」


 エステルは少し考える。


「右へ返すことが多かったです」


「覚えてる?」


「母の裁縫箱に残っていた糸巻きで」


「じゃあ」


「まだです」


「分かってる」


 ニナが先に言った。


「決めない」


「はい」


「でも比べる?」


「比べます」


「そこはやるんだ」


「当然です」


 アルヴィスが小さく笑う。


「待つのは覚えたが、諦める気はない」


「それは別です」


「知ってる」


 昼前。


 店には何人かの客が来た。


 ニナは昨日の続きで、薬屋の作業上着を仕上げる。


 エステルは本番衣装の脇線をしつけ、支持帯の端をどこへ逃がすか考える。


 アルヴィスは窓辺で書類。


 ときどき。


 全員。


 入口を見る。


 三人とも。


「来ませんね」


 エステル。


「まだ昼前」


 アルヴィス。


「公爵も見てる」


 ニナ。


「見てない」


「今見た」


「音がしたからだ」


「鳴ってない」


「ニナ」


「はい」


 今度こそ鈴が鳴る。


 三人。


 また。


 見る。


 しかし入ってきたのはベッシーだった。


「何だい、揃って」


「何でもございません」


「公爵までいる」


「いる」


「暇?」


「仕事中だ」


「ここで?」


「どこでもできる」


「便利だねえ」


 ベッシーは籠を置く。


「昼」


「また?」


 ニナが覗く。


「今日は肉入り」


「やった」


「エステル」


「はい」


「食べる」


「まだ」


「食べる」


「……はい」


 アルヴィスが書類を閉じた。


「俺も?」


「あるよ」


「なぜ」


「いると思った」


「どうして」


「最近いるから」


 アルヴィスが言葉に詰まる。


 エステルは少し笑いそうになる。


「公爵様、受け取ってください」


「言われなくても」


 包みを受け取る。


「ありがとう」


 ベッシーが一瞬止まる。


「何だ」


「いや」


「何だ」


「ちゃんと言えるようになったね」


「お前まで?」


「何が」


「みんな同じことを言う」


「いいことだからだよ」


 アルヴィスは不満そうなのに、包みを返さない。


 そのまま開く。


 食べる。


 エステルも自分の分を受け取った。


「ありがとうございます」


「食べな」


「はい」


 ニナがすでに半分食べている。


「早いですわ」


「お腹空いてた」


「朝も食べましたよね」


「働いた」


「それなら仕方ありません」


「給金も」


「食事とは別です」


「覚えてる」


 普通の昼。


 王宮の壁の中では。


 返納庫の扉を探している。


 でも。


 ここでは。


 パンを食べる。


 それでいい。


 午後一番に、今度こそユリウス本人が来た。


 ヴィオラも一緒だった。


「早かったですね」


「王宮から直接」


 ヴィオラの手には、細長い箱。


「糸巻き?」


 エステルが立つ。


「現物じゃない」


「では」


「同型の古い糸巻き。比較用」


 ユリウスは書類束と魔写紙を裁断台へ広げた。


「まず返納庫」


「はい」


「正式入口が見つかりました」


 古図。


 現在図。


 二枚。


「西回廊から直接ではなく、一階下。旧王室衣装室の保管区画奥」


「共同管理印は?」


「残っています」


 魔写紙。


 石造りの低い扉。


 左右。


 二つ。


 一方。


 三波。


 王室衣装室。


 もう一方。


 鋏と針を組み合わせた古いギルド印。


「これが正式入口」


 ユリウス。


「封は?」


「古い。少なくとも三十年以上触られていない可能性が高い」


「では北側保守口だけが」


「後から触られている」


 アルヴィス。


「共同管理を通さずに」


「そう見えます」


「十年前?」


「留め板の木と釘は、およそ十年から十五年前の補修で矛盾しない」


 エステル。


 息。


 少し。


 深く。


「開けました?」


「正式入口を」


「はい」


「ベルナールとセラフィーネの立会いで」


 共同。


 管理。


 今度は。


 ちゃんと。


 両方。


「中は?」


 ニナが訊く。


 ユリウスが次の魔写紙を出した。


 長方形の石室。


 低い天井。


 左右の壁に古い木棚。


 奥には大きな作業台。


 床には細い溝。


 でも。


「空?」


 ニナの声。


「ほぼ」


 棚には何もない。


 箱も。


 衣装も。


 祝福糸も。


 中央の台の上にも。


 何も。


「返納庫なのに」


「閉鎖時に移された可能性があります」


 ユリウス。


「三十六年前に?」


「正式には」


「正式には?」


 エステルが訊く。


 ユリウスは次の紙。


「棚の埃に差があります」


「最近動かした?」


「最近というほどではない。ただ、すべてが三十六年間そのままではない」


 ヴィオラが魔写紙を指す。


「ここ」


 右奥。


 一段。


 棚。


 四角い。


 薄い。


 跡。


「何か置いてあった」


「大きさ」


 エステル。


「衣装箱一つ分くらい」


「そう」


「いつまで?」


「分からない」


「十年前?」


「断定できない」


 また。


 同じ。


 断定。


 しない。


「記録は?」


 アルヴィス。


「壁棚に台帳があった」


「残っていた?」


「大部分は」


 ユリウス。


 一冊。


 ではなく。


 魔写紙。


「現物は王宮で封印した」


「最後の記録」


「三十六年前」


 文字。


『王暦四百十二年 返納庫閉鎖。

 以後、返礼処理は新制度へ移行。

 残置物なし。』


「残置物なし」


 エステル。


 右奥の。


 四角い。


 埃跡。


 見る。


「なら」


 ニナ。


「後から何か置いた?」


「その可能性が高い」


「誰が」


「分からない」


 ユリウス。


 さらに。


「台帳そのものにも痕跡があります」


「何が?」


 ヴィオラが答えた。


「一枚、後から足されて、抜かれてる」


 エステル。


 すぐ。


 魔写紙。


 近づける。


 台帳。


 背。


 糸綴じ。


 古い。


 最後。


 閉鎖記録。


 その後。


 裏表紙。


 間。


 小さな。


 針穴。


 四つ。


「本来ない穴」


「そう」


「糸は?」


「抜かれてる」


「色」


「残りが一箇所」


 拡大。


 灰青。


 ほんの。


 一繊維。


 ニナが息を呑む。


「同じ?」


「材質と色は同じ系統」


 ヴィオラ。


「壁の案内糸と」


「完全一致は?」


「まだ」


「でも」


 エステル。


 針穴。


 見る。


 一枚。


 仮に。


 足した。


 正式台帳。


 閉鎖後。


 存在しないはずの。


 返納記録。


 そして。


 あとで。


 抜いた。


「破ったのではない」


 エステル。


「はい」


 ヴィオラ。


「綴じて、ほどいて、持ち出した」


「仮止め」


「同じ」


 アルヴィス。


「何が書いてあった」


「紙はない」


 ユリウス。


「ただ」


 次。


 魔写紙。


 小さな。


 紙片。


「裏表紙の縫い目に挟まっていた」


 エステル。


 読む。


 ほんの。


 二行分。


 切れ端。


『……妃殿下 婚礼衣……』

『……返納処理 未……』


 店が静かになる。


「妃殿下」


 ニナ。


「婚礼衣装」


 エステル。


「返納処理」


 アルヴィス。


「未」


 ヴィオラ。


「未了、かもしれない」


「断定は」


 エステル。


 言う。


 自分にも。


 言う。


「できません」


 でも。


 十年前。


 王太子妃。


 婚礼衣装。


 返納。


 未。


 母。


『殿下の祝福は、消えたのではありません。どこかへ持っていかれました』


 胸。


 冷える。


「リディアが書いた?」


 アルヴィス。


「分かりません」


「でも灰青糸」


「まだです」


「そうだな」


 今度は。


 アルヴィスのほうが。


 先に。


 引く。


「紙片の筆跡は?」


「文字が少なすぎる」


 ユリウス。


「王室記録官へ回す。ただし十年前の関係資料と比較する」


「母の手紙とも?」


「必要なら」


「お願いします」


「もちろん」


 ヴィオラが細長い箱を開く。


「次。糸巻き」


 比較用。


 古い。


 木。


 王室衣装室。


 昔。


 仮縫い。


 使う。


「現物の魔写」


 ユリウス。


 写真。


 灰青糸。


 小さな。


 木軸。


 最後。


 糸端。


 切らず。


 巻き。


 内側。


 差す。


「巻き方向」


 エステル。


 見る。


 右から。


 左へ。


 最後。


 右。


 返す。


 息。


 少し。


 止まる。


「どう?」


 ヴィオラ。


「母の糸巻きに似ています」


 全員。


 静か。


「似てる」


 アルヴィス。


「はい」


「同じ?」


「分かりません」


 でも。


 声。


 少し。


 揺れる。


 リディアの裁縫箱。


 子どものころ。


 見た。


 糸。


 使い終わったあと。


 母は。


 最後の糸端を。


 右へ返して。


 巻きの中へ。


 差した。


「どの程度珍しい?」


 ユリウス。


「珍しくはありません」


「なら個人特定はできない」


「はい」


「それでも」


「母も、この巻き方でした」


「記録する」


 それで。


 いい。


 母かもしれないし、母ではないかもしれない。


 それでも、何かを残した人が十年前ごろに返納庫へ来た可能性は高い。閉鎖された正式入口ではなく北側の保守口を使い、台帳へ一枚を仮に足し、その紙をあとで持ち出した。


「北側保守口は開けた?」


 アルヴィス。


「内側から確認した」


 ユリウス。


「どうだった」


「正式入口から入って、北側へ」


 魔写紙。


 返納庫。


 北壁。


 小さな。


 扉。


 内側。


 留め板。


「外から開けられないよう、後から板を当ててある」


「誰かが中から閉じた?」


「可能性」


「出たあと?」


 ニナ。


「北から入って、正式入口から出た?」


「それなら正式入口の封が動く」


 エステル。


「封は三十年以上」


「じゃあ」


 ニナ。


「逆?」


 入る。


 正式入口。


 無理。


 北側。


 使う。


 でも。


 中から。


 板。


「誰かを閉じ込めた?」


 空気。


 変わる。


「まだ」


 エステル。


 言う。


「分かりません」


「板は」


 ユリウス。


「扉自体を封鎖するためではなく、蝶番の補強にも見える」


「では」


「外から開けにくくなったのは結果かもしれない」


「意味を決めない」


「そう」


 よかった。


 一つ。


 怖い。


 考え。


 浮かぶ。


 でも。


 それを。


 答えに。


 しない。


「床の溝は?」


 エステル。


 魔写紙。


 指。


「これ」


「南へ集まる」


 ユリウス。


「返礼室と同じ?」


「形は違う。ここは物理的な排水にも見える」


「先は」


「石蓋」


 奥。


 南。


 床。


 四角い。


 蓋。


 その上。


 古い。


 文字。


『返送口』


「開けていない?」


 エステル。


「開けていない」


 ユリウス。


「よかったです」


「理由は」


「返礼室の排出経路とつながる可能性があります」


「同感」


「黒糸は」


「見えていない」


「アルヴィスの痛み」


「本人を連れていないから確認不能」


「それでいい」


 エステル。


 即答。


「次は?」


「サビーネを呼ぶ」


 アルヴィス。


「なぜ」


「返礼室の仕組みを読める」


 ユリウス。


「それに、古い染め経路を知っている」


「私も」


 言いかけ。


 止まる。


 三人。


 ではなく。


 今度は。


 自分で。


「店におります」


 ヴィオラが笑う。


「成長」


「それは禁止です」


「ニナが言ってた」


「広めないでください」


「でも」


 ユリウス。


「エステルにも確認してほしいことはある」


「何でしょう」


「台帳の綴じ穴」


「はい」


「現物は持ち出せない。明日、王宮で見る?」


 エステル。


 止まる。


 行く。


 王宮。


 でも。


 返送口の。


 調査。


 とは。


 別。


「台帳だけ?」


「衣装室の記録室で」


「返納庫へは?」


「行かない」


「でしたら」


 少し。


 考える。


「婚礼衣装の王宮仮合わせのあとなら」


「明後日だな」


「はい」


「それでいい」


 分ける。


 服。


 調査。


 行く。


 行かない。


 全部。


 同じ日に。


 混ぜない。


「では、今日は」


 ユリウス。


「ここまで」


「ありがとうございます」


 書類。


 畳む。


 魔写紙。


 一枚。


 一枚。


 封。


 また。


 戻す。


 ヴィオラ。


「私も戻る」


「晩餐衣装?」


「袖で詰まってる」


「何が」


「王女、食事中に腕を上げる」


「上げますね」


「思ったより」


「動きますから」


「知ってる」


「楽しそうです」


「かなり」


「負けません」


「もう別の服」


「でも」


「競争?」


「はい」


 ヴィオラ。


 笑う。


「なら負けない」


 出る。


 ユリウスも。


 出る。


 残る。


 アルヴィス。


 ニナ。


 エステル。


「返納庫」


 ニナ。


「空だった」


「はい」


「でも後から箱」


「らしき跡」


「台帳に紙」


「はい」


「婚礼衣装」


「らしき文字」


「返納未」


「そこまで」


「分かってる。決めない」


「はい」


 ニナ。


 考える。


「空なのに、いっぱいある」


 エステルの手が。


 止まる。


「何が?」


「何も置いてないのに、跡がいっぱい」


 棚。


 埃。


 四角。


 台帳。


 針穴。


 紙片。


 灰青糸。


「そうですね」


 空だから、何もないわけではない。何かがあり、それがなくなった痕跡は残る。


「終わったことと」


 エステル。


 小さく。


 言う。


「なくなったことは、違う」


 ニナ。


 覚えている。


「前も言ってた」


「はい」


「返納庫も?」


「たぶん」


 アルヴィスが。


 窓辺。


「何が置いてあったか分かれば」


「一つ」


 エステル。


「進みます」


「婚礼衣装?」


「十年前の」


「ああ」


 十年前。


 花嫁衣装。


 祝福。


 黒糸。


 返納。


 未。


 何か。


 返すはず。


 だった。


 でも。


 返らなかった。


「エステル」


 アルヴィス。


「何です?」


「今の服」


 王女の。


 本番。


 見る。


「返す仕組みはある?」


「祝福は入れません」


「そうじゃない」


「では?」


「着たあと」


 エステル。


 少し。


 考える。


「婚礼衣装は、王宮で保管される予定です」


「王女本人は?」


「北西領へ」


「服は残る」


「はい」


「それでいい?」


 何の。


 質問。


 すぐ。


 分からない。


「殿下に?」


「ああ」


「確認しておりません」


「なら」


「聞きます」


「王家の服だから残す、で終わらせない?」


「はい」


 エステル。


 裁断台。


 白。


 見る。


 婚礼。


 終わった。


 あと。


 服。


 どうする。


 そこまで。


 まだ。


 聞いていない。


 着る日。


 ばかり。


 見ていた。


「公爵様」


「何だ」


「ありがとうございます」


「何が」


「気づきませんでした」


「俺は、返納庫が空だったから思っただけだ」


「それでも」


「なら受け取る」


 自然。


「はい」


「返すものは」


「今はございません」


「そうか」


「でも」


「何」


「次に公爵様の服を仕立てるときは」


「あるのか」


「ご依頼があれば」


「する」


「即答ですね」


「何を作る?」


「まだ決めておりません」


「なら、決まったら」


「はい」


 ニナが。


 交互。


 見る。


「今、服の予約した?」


「した」


「公爵、また払う?」


「払う」


「床より先?」


「床も直す」


「いつ」


「……」


「公爵」


「近いうち」


「信用ない」


「お前に」


「店番も」


「それは」


 いつもの。


 言い合い。


 エステルは笑いながら、王女の婚礼衣装を人台から外した。


 今日はここまでにする。


 支持帯の位置は決まった。


 裏地も仮止めした。


 本番の布へ。


 また少し。


 服の形が増えた。


「ニナ」


「何」


「薬屋の上着は?」


「できた」


「確認します」


「うん」


 茶色い。


 仕事着。


 裏。


 当て布。


 昨日より。


 縫い目。


 柔らかい。


「よいですね」


「直す?」


「一箇所」


「どこ」


「ここ」


 袖の。


 内側。


 二針。


「また二針」


「戻します?」


 ニナ。


 触る。


 考える。


「戻す」


「はい」


「エステル」


「何でしょう」


「王女様の服も、二針でも戻す?」


「必要なら」


「本番でも?」


「本番だからこそ」


「そっか」


 ニナは糸切りを取る。


 エステルも。


 婚礼衣装の。


 脇。


 一箇所。


 見る。


 少し。


 気になっていた。


 本番布。


 落ち方。


 試作より。


 柔らかい。


 ここ。


 半分。


 詰める。


「私もほどきます」


「どこ?」


「脇」


「失敗?」


「いいえ」


「じゃあ」


「もっとよくするためです」


「同じ?」


「似ています」


 二人。


 糸。


 切る。


 茶色。


 白。


 どちらも。


 二針。


 ほどく。


 王宮の返納庫では、後から足された一枚の紙がほどかれ、持ち去られていた。


 路地裏の店では、必要のない二針をほどいて、もう一度縫い直す。


 ほどくことは、消すことではない。やり直すために残すこともある。


 エステルは白い糸を抜き、新しい位置へ針を入れた。


 空だった返納庫にも、まだ縫い直せるだけの痕跡が残っている。


 そう思いたかった。

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