第3話「跪く衝動」
森の空気が、重く沈む。
誰も動かない。
だが——均衡はすでに崩れかけていた。
「……お前か」
グラムが低く呟く。
その視線は、完全にリオを捉えている。
敵を見る目ではない。
もっと別の——
「……はは」
乾いた笑いが漏れる。
「マジかよ」
一歩、近づく。
その瞬間。
空気が、変わった。
セリアが息を呑む。
(なに、この圧……)
魔力ではない。
威圧でもない。
もっと根源的な——“格”。
グラムの足が、止まる。
いや、止められた。
「……ッ」
歯を食いしばる。
足が、震える。
「グラム?」
ゼルヴァがわずかに眉を動かす。
異常だった。
あの男が、動きを止めるなど。
「クソが……!」
グラムが低く吐き捨てる。
「勝手に……身体が……!」
一歩。
また一歩。
近づくたびに——
膝が、落ちそうになる。
「やめろ」
ゼルヴァの声。
冷たい。
鋭い。
「……は?」
「それ以上、近づくな」
グラムは振り向く。
苛立ちと、困惑が混じった顔。
「何言ってやがる」
「分かっているだろう」
ゼルヴァの目が細くなる。
「それは“本能”だ」
「……っ」
言い当てられる。
「お前は今、“従おうとしている”」
その言葉が落ちた瞬間。
空気が凍る。
セリアの心臓が跳ねる。
(従う……?)
誰が、誰に?
「違ぇ」
グラムが唸る。
「こんなの……俺の意思じゃねぇ」
「だからこそ問題だ」
ゼルヴァは一歩前に出る。
リオとグラムの間に、割り込むように。
「それが“作られた証拠”だ」
静かに言い放つ。
「我らの意思ではなく、刻まれたもの」
「……黙れ」
グラムの声が低くなる。
「お前は感じてねぇのかよ」
「感じている」
即答だった。
「だから否定する」
その目に、揺らぎはない。
「こんなものに従う理由はない」
リオは黙って見ていた。
(……やっぱり、こうなるか)
懐かしい構図。
何度も見た光景。
従う者と、抗う者。
「なぁ」
グラムが言う。
視線はリオに向けたまま。
「お前……何者だ」
直球だった。
リオは少しだけ考えて——
「ただの通りすがり」
「ふざけんな」
即座に返される。
「それで済むわけねぇだろ」
「じゃあ、なんだと思う?」
グラムは答えない。
だが、その身体はすでに答えていた。
震え。
衝動。
抗えない何か。
「……王、か」
絞り出すような声。
その瞬間——
膝が、落ちた。
ドン、と鈍い音。
片膝。
完全ではない。
だが、それでも。
「……ッ!!」
グラムが顔を歪める。
「クソが……!」
自分の身体に、逆らえない。
「立て」
ゼルヴァの声。
「そんなもの、従う必要はない」
「分かってる!」
グラムが叫ぶ。
「でも——!」
言葉が続かない。
本能と意思が、ぶつかっている。
セリアは、その光景をただ見ていた。
(なに、これ……)
理解が追いつかない。
でも一つだけ、分かる。
(リオが……中心にいる)
すべてが、彼を基準に動いている。
「……やめろ」
リオが口を開いた。
静かな声。
だが、それだけで——
グラムの身体が止まる。
「無理に従う必要はない」
その一言。
それだけで。
「……っ」
グラムの膝が、ゆっくりと持ち上がる。
呼吸が荒い。
だが——立った。
「……はぁ……はぁ……」
息を整えながら、リオを見る。
その目には、さっきまでと違う色があった。
畏れ。
そして——
確信。
「……やっぱりだ」
低く言う。
「お前が、“それ”か」
一方。
ゼルヴァは、静かにリオを見ていた。
さっきよりも、ずっと深く。
「……確定ではない」
ぽつりと呟く。
「だが、可能性は高い」
その目は冷たい。
だが、その奥で何かが動いている。
計算。
判断。
そして——
「排除対象」
はっきりと告げる。
セリアの背筋が凍る。
(敵……!)
空気が一変する。
「おい」
グラムが低く言う。
「今それやるのか」
「今しかない」
ゼルヴァは一歩前に出る。
「完全に確定する前に、潰す」
合理的な判断。
だからこそ、迷いがない。
「待て」
グラムが止める。
「こいつは——」
「分かっている」
遮る。
「だからこそだ」
その瞬間。
ゼルヴァの魔力が、静かに膨れ上がる。
戦闘の気配。
セリアが構える。
リオは——動かない。
ただ、見ている。
(さて)
この選択で、また分岐する。
何度も繰り返してきた、この瞬間。
「——どうする」
誰にともなく、そう呟いた。




