準決勝前夜の話
それから三日間は静かだった。
次の招集が来るまでの三日間。直樹にとって、この三日間は今までで一番充実していた。
なぜかはわからなかった。
何かが変わったわけじゃない。学校に行って、授業を受けて、帰ってきてゲームをして寝る。基本的なルーティンは同じだ。でも空気が違った。全部が少しだけ、鮮明に見えた。
数学の授業でわからないところを先生に質問した。
生まれて初めて、数学の先生に質問した。先生がびっくりした顔をしていた。彩がもっとびっくりした顔をしていた。
「なんで数学聞いてんの」
「わからなかったから」
「なんで急に」
「わからないのが気になってきた」
「急すぎる」
「そうか?」
「どういう心境の変化?」
「少しずつ説明する。全部一回で説明できるほどわかりやすい話じゃない」
「でもいつか教えてくれる?」
「教える」
彩は少し嬉しそうにして、すぐにそれを隠した。
「……数学は一緒に勉強しようか」
「頼む」
「条件がある」
「なに」
「試合に全部連れてって」
「……考える」
「考えるは了承の意思表示だと学んだ」
「学んでないよ」
でも、嫌ではなかった。
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屋上で彩と話した。
「ザウロってやつ、格好よかったな」
「格好よかったか」
「なんか、怒ってるのに誇り高い感じがした。でかくて六本腕なのに、どこか人間みたいだった」
「あいつも子どもがいるって言ってた」
「そっか」
彩はしばらく黙った。
「直樹が戦ってる相手みんな、誰かを守りたくて戦ってるんだね」
「みんながそうかはわからない。でも俺が話した相手はそうだった」
「なんか……」
「なんか?」
「複雑だな、って思う」
「そうだな」
「直樹が勝つのは応援したい。でも、相手の星が消えるのは……」
「俺も同じことを思ってる」
彩は驚いた顔をした。
「思ってるの?」
「思ってるよ。でもどうにもならない。今の俺には、勝って地球を守ること以外にできることがない」
「でも、何かできることはないのかな」
「ユーライザに聞いた。敗者の星は最上位宇宙の管轄になる。すぐに消えるわけじゃない。でも未来は保証されない」
「だったら直樹が何か立場を使って交渉できないの」
「立場、か」
「管理者候補って言ったじゃん。なれるんでしょ、宇宙の管理者に」
「……まだ保証されたわけじゃない」
「でも可能性はある」
直樹は黙った。
「管理者になれたら、交渉するよ。ザウロの星のことも、他の脱落した星のことも」
「約束する?」
「……約束する」
彩は少し笑った。
「それ聞けてよかった」
「なんで」
「あんたが世界のことを考えてるの、初めて見た気がして」
「世界っていうか宇宙だけど」
「スケールが上がりすぎてて笑えてくる」
「笑えるか」
「笑える。地球の高校生が宇宙の管理者目指してるって、おかしくない?」
「おかしいな」
「でも、あんたなら信用できる」
直樹はその言葉を聞いて、少し目を逸らした。
空が広かった。
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第四戦。
相手はウォーレン人だった。
記憶にない。今回が初戦だ。
「どんなやつだ」とユーライザに聞いた。
「直接戦闘型だ。身体能力がお前に匹敵するかもしれない。初めて速度で競り合える相手になる可能性がある」
「久しぶりに対等な相手か」
「対等以上かもしれない」
「楽しみだ」
「楽しむな」
「してないって毎回言ってる」
「毎回嘘をついている」
今回、彩も来た。
シールドの中から観戦している。
今回の舞台は例の透明床の空間だ。遮蔽物がない。純粋な打撃戦になる地形だった。
ウォーレン人が現れた。
外見はほぼ地球人と変わらない人型だ。身長は直樹より少し高い。筋肉の密度が違う。同じ人型の動物でも、骨格からして別物だとわかる。目が金色だ。
「地球人。七戦全勝だと」
「そうだ」
「信じがたい。地球人がここまで来るとは」
「俺もたまに信じがたいと思う」
「謙虚なのか」
「どちらかというと客観的に言ってる」
ウォーレン人は少し笑った。
「話に聞いていた通り、変わったやつだ」
「噂されてるのか」
「トーナメント内では有名人だ。七戦全勝の地球人。記憶を複数回持ち越す特異な存在」
「聞こえがいいな」
「強さへの敬意だ」
「そっちはどうだ。何勝してる」
「六勝だ。今回が七戦目になる」
「一つ差か」
「その一つが大きい。お前はそれだけ積み重ねてきた」
「お前も同じだ。六勝している」
「だが俺は楽しんで戦えなかった。怖かった。毎回恐怖しながら勝ってきた」
直樹は黙った。
「俺は逆かもしれない」
「どういうことだ」
「戦うことが好きなのか嫌いなのか、正直わからない。でも今は目的がある。守りたいものがある。だから全力で戦える」
「守りたいもの」
「地球。あとは……」
観戦エリアを一瞬見た。
「あとは、まあ、色々だ」
ウォーレン人が俺の視線の先を追った。
「観客がいるのか」
「俺の幼馴染だ」
「それは……珍しい」
「変なのはわかってる」
「いや」ウォーレン人は首を横に振った。「羨ましいと思った」
「羨ましい?」
「俺の試合を見てくれる者がいない。家族には話せなかった。お前は話せたのか」
「……俺も最初は話さなかった。あいつが気づいて、無理やり聞き出した」
「それは」
「それが幸いだったと思ってる」
ウォーレン人はしばらく沈黙した。その金色の目が少し遠くを見た。
「では、全力で戦おう。お互いのために戦える者のために」
「それが一番いい」
ウォーレン人が動いた。
速い。
ユーライザの言葉通りだ。直樹に匹敵する速度だ。
初撃をかわす。風圧が来た。それだけで威力がわかる。当たったらただではすまない。
「速い」
「お前もだ」
二発目が来た。今度は捌く。手のひらに衝撃が走る。
「うまい」
「お前こそ」
これは楽しい。
正直に言えば、そう思った。今まで戦ってきた相手の中で、こんなに対等に戦えた相手はいなかった。一回一回の攻防が全力だ。一瞬たりとも油断できない。
それが、嫌いじゃない。
何度も交錯した。彩が固唾を飲んでいる気配がする。ユーライザが無言で観察している気配がする。
透明床にひびが入った。
打撃の余波が床を割っていた。
「そろそろ決める」
「同意する」
「どちらが先に動く」
「俺だ」
直樹が踏み込んだ。
ウォーレン人が受けに回った。
でもそれを読んでいた。受けに回ったのは防御のためじゃない。カウンターを狙っている。
「わかってる」
踏み込みを途中で止めた。
フェイントだ。
ウォーレン人のカウンターが空振った。その一瞬。
拳を放った。
ウォーレン人の脇腹に直撃した。
「……読まれた」
「勘だ」
「勘で俺を」
「何十合もやれば、なんとなくわかる」
ウォーレン人が膝をついた。立とうとして、立てなかった。
光が出てきた。
「面白い戦いだった。ありがとう」
「こちらこそだ」
「お前が管理者候補だという話は本当だったな」
「まだ保証はないけど」
「お前が管理者になれば、このトーナメントは変わると思う」
「変える気でいる」
「頼む」
光が消えた。
また一人、いなくなった。
直樹は少し立ち止まった。
ウォーレン人の言葉が耳に残っていた。
「頼む」
それだけ言われたら、諦めるわけにいかない。
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観戦エリアが解除された。
彩が走ってきた。今回は直樹の手を確認した。
「傷は?」
「ない」
「今回は当たったのに」
「ヴェルカ人の試合より遥かにマシだ。あっちは精神的に消耗した」
「そうか」
彩は少し安堵した顔をして、それからウォーレン人がいた場所を見た。
「今のやつも、誰かを守りたかったんだね」
「そう言ってた」
「……直樹は、こういう気持ちにならないの。戦いながら」
「何の気持ち」
「後ろめたさ、みたいな」
直樹は少し考えた。
「なる。毎回なる」
「なんで戦えるの」
「ならないからじゃなくて、なりながらも地球を守りたいから戦える」
「そのために後ろめたさを引き受けてる、ってこと?」
「引き受けてる、って言い方が正しいかわからない。でもそういうことだと思う」
彩は黙った。
「あたし、直樹の代わりに戦えないから、戦ってる間のそういう気持ちの一部でも聞いていたい」
「聞いてもしんどくなるだけだろ」
「しんどくてもいい。あんた一人が全部抱えるよりマシだ」
直樹はその言葉を聞いて、うまく言えない何かが胸の中に広がった。
「……試合の後に話す。毎回」
「約束する?」
「する」
彩は頷いた。
それから二人でユーライザのところに行った。
ユーライザは少し驚いた顔をした。
「何用だ」
「次の試合のこと、二人で聞いていいですか」
彩がそう言った。
ユーライザは少し黙って、それから言った。
「……構わない」
そのとき直樹は、このボルゾイ犬が実は悪いやつじゃないんだろうな、と思った。




