策士は嫌いだ
次の招集は一週間後だった。
その一週間は、地味に変わった一週間だった。
数学の勉強を少しやってみた。理解できないところが多すぎて途中で止まったが、少なくとも問題を読む気にはなった。彩が放課後につき合ってくれた。「なんで急に」と言いながらも嬉しそうだったから別にいいか。
屋上にも二回行った。男バスの練習を見た。一人でこっそり見た。背番号7の右肘は相変わらず下がっていた。
それと、声が三回聞こえた。
あの遠い声が。
内容は毎回同じだ。来なさい、とだけ言って終わる。誰が呼んでいるのか、どこに来いというのか、一切わからない。ユーライザに聞いてみたが「知らない」と言われた。珍しいことに、ユーライザは本当に知らないようだった。
そして七日目の夜。
「次の試合の相手を教えろ」
ユーライザが現れたとき、直樹は先に言った。
「ヴェルカ人だ」
記憶が反応した。七回のうちに一度当たった相手。四回目のトーナメントだったか、五回目だったか。あのときの試合が鮮明に思い出される。
「覚えてる。そのときは苦戦した」
「唯一、お前が一度敗北しかけた相手だな」
「敗北しかけたじゃなくて、苦戦しただけだ」
「大差ない」
「大差あるわ」
ユーライザがため息をついた。
「ヴェルカ人の特性は覚えているか」
「策士。直接戦闘より環境操作と心理戦を好む。幻覚系の精神攻撃が得意。あと個人的に一番嫌いなタイプ」
「なぜ嫌いなのか」
「なんか性に合わない。正面から来いって思う」
「その考え方が苦戦の原因だ」
「わかってる。だから今回は作戦を立てた」
直樹はユーライザを見た。
「前回の記憶から、ヴェルカ人の幻覚は連続使用に五秒のラグがある。そこが唯一の隙だ。最初の幻覚を受け入れて崩れたふりをして、五秒で始末する。それが今回の作戦だ」
ユーライザは少し黙った。
「崩れたふりができるか。お前はそういう芝居が下手だ」
「七回目の俺が下手でも、八回目の俺は練習する時間があった」
「……一週間でか」
「できないよりマシだ」
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舞台は廃墟だった。
地球の廃墟に似ている。鉄筋コンクリートの骨格だけが残った構造物が無数に立ち並んでいる。高さが違う。形が違う。一番高いものは十五階建てくらいある。
視界が完全に遮られる。三次元的な戦場だ。
狙撃に向いている。罠を張るのに向いている。何より、幻覚を使う側が圧倒的に有利だ。ヴェルカ人が自分に有利な地形を設定したのは明白だった。
「相手のホームグラウンドにしてやがる」
文句を言っても始まらない。
直樹は廃墟の入り口に立った。広場になっている。ここが開幕地点だ。ヴェルカ人の姿は見えない。当然だ。こいつは最初から隠れる。接近戦が嫌いだからだ。
動かない。
待つ。
一分、二分。
廃墟の中から何かが飛んでくる気配がする。物理じゃない。もっとソフトな何か。精神系の攻撃だ。こいつの得意技。頭に直接干渉して幻覚を見せてくる。記憶の中にある。あのときは完全に虚を突かれた。
今回は構えてある。
「見せてみろ」
幻覚が始まった。
校庭。バスケコート。
チームメイトたちがいる。試合中だ。体育館の独特のにおいがする。床の固い感触がある。ユニフォームの薄さが肌にある。
本当に丁寧に作ってある。
直樹は自分がコートの中にいることに気づいた。身体が動く。バスケットシューズの感触。ボールの重さ。ドリブルの音。
試合の流れが読める。あのとき、自分がいた頃の試合。チームメイトの顔が見える。あいつらとやったのは何年前だ。去年か。もっと前か。
懐かしい。
嫌いじゃない感覚だった。だからこそ、これが罠だとわかる。懐かしさに浸って動きを止めさせる。そこを狙う作戦だ。
「懐かしさで動きを止めるつもりか」
直樹は幻覚の中で笑った。
でも同時に気づいた。
懐かしいと思っている。
去年まで何もかもがつまらかった俺が、バスケを懐かしいと思っている。ただの過去の話として処理していない。感情が反応している。
あの頃は楽しかった。
そう思っている。
「……へえ」
「何が可笑しい」
声が聞こえた。廃墟の影から。
ヴェルカ人だ。姿を現した。人型だが、皮膚が完全に透明だ。内側の器官が全部見える。心臓みたいなものが三つある。それぞれが独立して動いている。肺に相当するものが六つある。複雑な生命体だ。
「お前の幻覚のおかげで気づいたことがある。ありがとな」
「……何を」
「まあいいや。でも感謝してる」
ヴェルカ人は警戒を強めた。透明な皮膚の下で、器官が動くのが見える。血流が速くなった。
「崩れていないのか」
「崩れてない。でもそのフリをしようとしてた」
「正直に言う必要があるか」
「こいつに正直に言った方がなんか面白そうだと思って」
ヴェルカ人は首を傾けた。理解できない、という顔だ。
「お前は不思議な地球人だ。七回のトーナメントで名前が知られている。最強の特異個体候補と言われている。それなのに、今もトーナメントを楽しんでいるように見える」
「楽しんでるとは少し違う」
「違うのか」
「充実してると言う方が近いかもしれない。何かに本気になれるのは、嫌いじゃない」
ヴェルカ人は長い沈黙ののち、言った。
「私は楽しんでいない。恐怖しながら戦っている」
「そっか」
「それでもお前を倒さなければ私の星が消える」
「こっちも同じだ」
「では、再開しよう」
「待ってた」
ヴェルカ人が再び幻覚を展開しようとする。
「同じ手は二度使えない」
直樹は動いた。
建物の壁を蹴って一気に高度を上げる。ヴェルカ人が驚いて幻覚の構築を中断する。そのラグが五秒だ。この五秒は幻覚を使えない。
「五秒間だけ、お前は何もできない」
廃墟の上から落下しながら直樹は拳を固める。
ヴェルカ人が逃げようとする。速い。足は速い。でも直樹の落下速度の方が速かった。
「終わり」
手刀を首の後ろに。
精密に。意識を刈り取る点を狙って。
ヴェルカ人の意識が落ちた。光になって消える。
直樹は着地した。
廃墟の広場に一人で立っている。
幻覚の中に見たバスケコートのことを、まだ頭の中で反芻していた。懐かしかった。あれは本当に懐かしかった。
去年の自分があの感覚を持てていたら、全然違っていたんだろうか。
ユーライザが現れた。
「予定通りだったか」
「崩れたフリはやめた。不要だったから」
「なぜ」
「相手が話しかけてきたから、話した。そしたら隙ができた」
「…対話で勝利したのか」
「そういう言い方もできるかもな」
ユーライザはしばらく俺を見ていた。
「お前は七回の間に変わったな」
「そうか?」
「最初の頃は、会話などしなかった。ただ戦って、ただ勝つだけだった」
「そうだったかもな」
「今は違う」
「……かもな」
ユーライザは何かを言いかけて、止めた。
「地球へ戻す」
「おう」




