6.二着のドレス
服飾市の最終日。
衣装資料館の一角に、新しい展示が加わっていた。
そこには、二着のドレスが並んでいた。
一着は、かつてヴァルテン商会が販売した、淡い青色のドレス。もう一着は、現在のヴァルテン姉妹の工房が制作した、青緑色のドレスだった。
古いドレスの説明には、当時の販売情報と、今回新たに確認された制作事情が併記されていた。
当時はエミリア・ヴァルテンの作品として販売されていたが、姉妹の証言と制作構造の説明によれば、魔導刺繍の実際の制作者は姉クララであること。そして、現在の工房では、姉妹がそれぞれの役割を担い、共同で作品を制作していること。
新しいドレスの説明には、デザインと刺繍制作をエミリアが担当し、魔導刺繍の基本的な仕組みをクララが設計したことが書かれていた。
エミリアは、二着のドレスを見つめた。
「何だか、不思議だね」
「うん。こうして並べると、ずいぶん違うね」
「昔のドレス、こんなに華やかだったんだなあ」
「夜会用だったからね。あの頃は、できるだけ派手にしてほしいって言われることが多かったし」
クララは古いドレスを眺めた。
あの頃は、魔導刺繍を作ることに夢中だった。新しい図案を考えるのは好きだったし、思いどおりに動いたときは嬉しかった。
ただ、仕事が終わらなかった。一つ完成させると、また次の注文が来る。休む暇もなく、新しい図案を考え、針を動かし続けた。
前世でも、似たようなことがあった。プログラムを完成させたと思ったら、次の仕事が始まる。終わりのない納期に追われながら、それでも自分が作ったものが正しく動いたときは嬉しかった。
しかし、だからといって、あの働き方に戻りたいとは思わない。
「こうして見ると、昔の私もよく作ったなあ」
クララが呟いた。
「お姉ちゃん、今だったらもっと簡単に作れるんでしょう?」
「うん。たぶん、半分くらいの手間で作れると思う」
「そんなに?」
「いろいろ新しい方法も見つけたからね」
クララは少し笑った。
「でも、これを作ってた頃は、まだ知らなかったんだよね。だから、あのときの私なりに頑張ったんだと思う」
エミリアは頷いた。
「うん。すごく頑張ってたよ」
「そうだね」
クララはもう一度ドレスを見た。
「やっぱり、綺麗にできてるなあ」
今ならもっと簡単に作れる。今ならもっと上手に作れる。
けれど、それは昔の作品の価値がなくなったという意味ではない。あのときの自分が、持っている技術を使って作り上げたものなのだから。
*
展示室には、多くの来場者が訪れていた。
服飾市の見学者だけでなく、地元の職人や商人も足を止めている。昔のドレスを知っている人もいれば、当時の天才少女エミリアの評判を覚えている人もいた。
しかし、二着のドレスを並べて見ると、また違う印象を受けるようだった。
「こちらは、今のエミリア様が制作されたんですか?」
来場者の一人が尋ねた。
「はい。私がデザインして、魔導刺繍も施しました」
「昔のものとは、ずいぶん違いますね」
「そうですね。こちらは、普段から着られる衣装にしたかったんです」
エミリアは楽しそうに説明した。
「魔導刺繍を使えば、もっと華やかな演出もできます。でも、今回は服そのものの形や動きを大切にしたくて」
来場者は、興味深そうに頷いた。
「なるほど。こちらはこちらで、とても素敵ですね」
「ありがとうございます」
エミリアは嬉しそうに微笑んだ。
少し離れたところでは、クララが昔のドレスについて質問されていた。
「これほど複雑な魔導刺繍を、当時お一人で制作されたのですか?」
「はい」
「素晴らしい技術ですね」
「ありがとうございます」
「制作には、どのくらいの時間がかかったのでしょう?」
クララは少し考えた。
「正確には覚えていないんですけど、かなり時間がかかったと思います」
「そうなのですね」
「特に、この裾の花びらの動きを揃えるのが難しくて」
クララは展示されたドレスを見ながら説明した。
「最初は、全部同じように動かそうとしていたんです。でも、それだとどうしても不自然になってしまって」
「なるほど」
「それで、少しずつ動く時間を変えてみたんです。そうしたら、風に舞う花びららしくなって」
クララは、当時のことを思い出して微笑んだ。
「うまくいったときは嬉しかったですね」
質問した男性も、興味深そうに頷いた。
「それだけの工夫があったのですね」
「はい。今見ると、直したいところもありますけど」
クララは、もう一度ドレスを眺めた。
「でも、気に入っている作品です」
*
展示室の奥では、リゼットが二着のドレスを見比べていた。
エミリアが近づくと、彼女は笑顔を向けた。
「エミリアさん」
「リゼットさん。どうですか?」
「すごくいい展示ですね」
リゼットは、昔のドレスを見た。
「私、このドレスにずっと憧れていたんです」
「はい」
「でも、今は少し違う見方ができるようになりました」
リゼットは、青緑色のドレスへ目を移した。
「昔のこのドレスを作ったのはクララさんだったんですね。そして、今はエミリアさんも、ご自分で素敵な衣装を作っている」
「はい」
「何だか、面白いですね」
リゼットは微笑んだ。
「私が憧れていた頃から、ずいぶん時間が経ったんだなって」
エミリアは、昔のドレスを見た。
華やかな夜会。人々の視線。自分の作品として褒められていた魔導刺繍。
あの頃のことを思い出すと、今でも複雑な気持ちになる。
けれど、今はもう違う。自分の好きな服を作れる。姉と一緒に仕事ができる。こうして遠い国まで旅行し、新しい友人と出会うこともできる。
「私、今の自分が作っている服の方が好きなんです」
エミリアが言った。
「昔のドレスも綺麗だと思います。でも、今の服は、自分で考えて作れるから」
リゼットは頷いた。
「そうですね」
少し考えてから、続けた。
「私、昔のドレスも、今のエミリアさんの作品も、どちらも好きです」
エミリアは微笑んだ。
「ありがとうございます」
「でも、私だって負けませんよ」
リゼットは少し悪戯っぽく笑った。
「もっと綺麗な衣装を作れるようになりたいですから」
「私もです」
エミリアも笑った。
二人は顔を見合わせた。
昔のエミリアに憧れていた少女は、今では一人の仕立て師になっていた。そして、昔は魔導刺繍を作れなかったエミリアも、今では自分の作品を作っている。
二人とも、あの頃とは違う。
けれど、服を作ることが好きだという気持ちは、今も変わらなかった。
*
展示がひと段落した頃、クララがエミリアのところへ戻ってきた。
「エミリア、ちょっといい?」
「何、お姉ちゃん?」
「さっき、資料館の人から聞いたんだけど」
クララは少し嬉しそうだった。
「昔のドレス、今でもちゃんと動くらしいよ」
「そうなの?」
「うん。保存状態がいいから、魔導刺繍もほとんど傷んでないんだって」
エミリアは、もう一度古いドレスを見た。
「そっか。よかったね」
「うん」
クララは微笑んだ。
「大事にしてもらってたんだね」
エミリアも頷いた。
「本当だね」
二人は、しばらくドレスを眺めていた。




