#3-2 Refuge
Refugeは、フランス語で隠れ家、みたいな意味です、はい。
1.
卒業試験翌日午前。アンフェス帝都、東町エアフルト地区。
燈子は、アンフェス帝立学園からほど近い、帝都東町のエアフルト地区に来ていた。ここは、ドレスを扱う店、宝飾を扱う店、小物を扱う店、化粧品店に香水店…女性の服飾関連の店が、大小さまざま集まっている地区だ。更に、ところどころ、休憩できる喫茶店もある。女性好みの可愛い店から、シックな店まで。提供する茶菓子に凝っている店もあり、喫茶店の集まる地区としても有名な場所だ。ターゲット層が、富裕層という事もあり、帝都でもとりわけ、治安が良く、昼間ならば、女性一人で歩いていても、問題はない。なので、裕福な平民女性や、低位貴族、燈子のような侍女だったり…一人で歩いている女性も、多かったりする。因みにだが、大貴族や大富豪は、自宅に店を呼ぶ。自分からは、赴かないのが普通だ。
大きなウインドウに飾られた、華やかなドレス、色とりどりのジュエリー、バックに靴…。目に映るものが、どれもこれも、美しく、華やかで、クラシカルで、目新しく、伝統的で…。
ううん、生き返るぅ
帝都は、帝国の最新流行発信地であると同時に、多国の文化が、混ざり合う場所でもある。最近進出した、ペルフェアドゥスの服飾店もある…来生服飾店という、星麗と深くかかわる服飾店だ。そこそこ大きな店舗に、少し驚きながら、前を通り過ぎる。
燈子は、ドレスの裾を揺らして、快活に歩いている。帝国は、暑い。なので、半袖の綿モスリンのドレスだ。手袋も、ごくごく薄い木綿のローン生地で手首までのものだ。揺れるドレスは、シャトルーズ・グリーンとベージュのごく細いストライプ。生成りのシンプルなレースが、裾や襟元を飾っているので、かなり明るいシャトルーズ・グリーンも、燈子に馴染んでいる。パニエも硬めのチュール一枚にしているので、涼しくて歩きやすい。ウインドウに映った自分をみて、帽子の角度を少しなおす。麦わらで作られたキャノチェ、とある別世界の日本なら、カンカン帽という方がピンとくるだろうか、リボンは、ドレスと共布で、リボンの結び目には、瞳と似たスモーキークォーツのブローチをつけている。因みに、燈子の自作だ。シルバーのワイヤーを、スモーキークォーツのルースに巻き付け、立体的に作った抽象的な飾りを、ブローチの留め具に、付けている。
襟元よし、スカートの裾よし、帽子の角度よし。
心の中で、装いに満足し、ウィンドウショッピングを終了。目的の店がある、路地へ入る。路地に入ると、夏の日差しが遮られ、街路樹でさかんに鳴いていた、蝉の声も、少し遠ざかって感じられる。
『ル・デ・モンタージェ』と書かれた、青とオレンジのステンドグラスが嵌る、オークのドアを押す。チリリンと涼やかな金属音がした。五年間の帝都探索で、見つけた名店の一つ。一応、常連だ。奥のカウンターから、真っ白になった髪を、上品なシニョンに結った、老齢の女性が出てくる。
はぁあ、いつお会いしても、目の保養だぁあ
老齢と言っても、姿勢はよく、上品なレンガ色のドレスに身を包んでいる。そのドレスは、モンターゲ風で、ボトルネックに、同色のフリル襟がついている。左肩に、カメオのブローチとリボンをアレンジしたブローチ、二つ付けている。イヤリングは、揺れるシルバーのプレートで、三角形をしており、構築的で珍しいものだ。槌目模様のプレートは、魔灯の明かりを鈍くランダムに、跳ね返している。
「マダム・ブノワト、ご無沙汰しております」
燈子は、スカートの裾をつまんで、小さく礼を取った。
「燈子さん、お元気にされていたかしら?卒業試験が終わられたのね」
「はい。帰省の前に、家族や友人に贈り物を、選ぼうと思いまして。その…卒業までの感謝も込めて。卒業直前は、忙しくなりそうですから。」
マダム・ブノワトは、ゆったりとした笑みを浮かべた。
「まあ、素敵ね。その贈り物を選ぶ店に、私の店を選んでくれて、有難う。ゆっくり見ていってね」
取り置き商品を入れるための、ボックスをカウンターに一つ載せてくれる。今は、客は、燈子一人のようだ。
燈子は、うきうきと、店内を見て回った。ファシネーターやカクテルハットが、置かれたコーナーに足を止める。
志穂姉様と逸美にいいわね。逸美も十三歳だし…学生同士の茶会が、そろそろ増えてくるころよね…
帝国のファシネーターなら、絶対話題になれる。豊かとはいえない青木子爵家、母親の三咲はもちろん、長女の志穂も、次女の燈子もドレスを着回しがちだ。逸美は、まだ成長期なので、志穂と燈子のおさがりドレスばかりだ。因みにファシネーターは、ヘッドドレスの一種で、茶会や、お洒落をして出かける観劇などに、使える。
逸美は、オレンジが好きだったわね。
アプリコットとタンジェリンオレンジ、レモンイエローのリボンやチュールを使ったファシネーターを、じっと眺める。視線を移すと、葉を封入した琥珀をメインの飾りにした、カチューシャタイプを見つけた。
「なんて美しい琥珀…」
手に取ってみると軽い。カチューシャ部分には、落ち着いたブラウンのシルクリボンが、まかれている。飾り部分は、若草色のチュールとシフォンを丸く切って、ギャザーを寄せ、シトリンやペリドットを模したビジューがいくつかバランスよく配置され、真ん中に、葉を封入した琥珀が、留められている。
いや、でも、琥珀だよ…きっとお高い…そこそこのお値段だ…お母さまに奮発するとなると、逸美のご予算は控えめに…似合うだろうけど…似合うけど…
燈子は、断腸の思いで、それを戻した。初めに見ていたファシネーターを手に取る。お取り置き箱に向かいかけ、キャメル色のカクテルハットに、目を止めた。そっと手に取る。
「これ、素晴らしいわ…」
姉の志穂は、金髪だが、その髪を、引き立てそうなキャメル。全体には、とてもシンプルで上品だが、その装飾が、素晴らしい。ヴォルテール色だろう、やや灰色がかった青のシフォンで作った『布の薔薇』が使われている。『布の薔薇』、しかも、志穂は、ブルーグレーの瞳だ。
「あら、目が高いわね」
ブノワトの声に振り向く。
「これは、来生服飾の薔薇ですよね」
「来生服飾と、モンターゲ王国のアデール帽子店の、共同制作のお品よ。燈子さんご自慢の星麗お嬢様が、考案されたのだったわね。」
「はい。流行しているのは、知っていましたけど。皆、薔薇をドレスに使っていましたから。カクテルハットやファシネーターに使われているのは、見たことがなかったです。それに、シフォンを薔薇の形にするのは、難しいでしょうに…外側の花弁はオーガンジーをにかえて、ガクでも支えているのですよね。とても繊細な仕上がりです…沢山試行錯誤したでしょう。」
「星麗お嬢様は、本国で初めに、薔薇のドレスをお召しになった時、オーガンジーで作った薔薇のファシネーターを付けていた、って伺ったから。そこから、更に工夫されたのでしょうね。」
「はい。よくご存じですね…あ、私が、熱く語ったんでした…」
燈子は、きまり悪くて、ごまかすように笑った。ブノワトは、にっこりとほほ笑んだ。
「来生服飾の奈々さんを、ご紹介くださったのも、燈子さんだったわね。奈々さんも、星麗お嬢様のこと、とても尊敬していらっしゃるわ。あと、燈子さんの事も」
「それは、嬉しいです。私も、奈々は、本物のプロだと感じています。」
来生服飾は、元々エリティス公爵領領都の、家族経営の小さい服飾店だった。公爵家出入りでもなかった。
星麗が、「布でお花を作って、ドレスにつけたいの」そういった時、出入り業者は、素敵な案だとは言っても、実際は取り合わなかった。そんな折、燈子と、来生奈々が出会い…星麗のアイディアを『布薔薇』という形にした。本国では、令嬢の間で話題になった程度だったが、帝国のとある夜会で、話題になった。そして、布薔薇ドレスは、現在、帝国貴族の間で、大流行している。来年、再来年と帝国の他の国々、やがては平民へ広がっていくだろう。だが、この辺りの話は、機会があれば、別に話そう。
「このカクテルハット、とても素敵です…姉に似合いそうだと思って」
燈子は、うっとりと、カクテルハットを眺める。形は美しいし、細部まで丁寧につくられ、縫製も言うことなしだ。
問題は、値段だ。この世界、ブランド名も値札もついていない。正直、店主が気分で、値段を決めることもままある。
「一見地味にも見えますが、アデール帽子店は、私も存じています。その、非常に高級店かと…無粋ですが、その、予算があり、おいくらくらいでしょう…」
知る人ぞ知る店、ル・デ・モンタージェ。超高価な宝飾は、扱っていないが、決して、格の低い店ではない…。アデール帽子店も、帝国で一二を争う店だ。というか、来生服飾が、そんな店と共同制作をしていたとは、身近なだけに、逆に驚いてしまう。
マダム・ブノワトは、ボルドー色の紅を引いた唇を、淑女らしからぬ、にやりとした笑みの形にした。
「ねえ、燈子さん。先、本当は、琥珀のファシネーターを見ていたわよね」
目ざとい…
「妹に似合うかなと。でも、まだ十三ですから…その…宝石は早い、かな」
妥協した方のファシネーターを、見下ろす。
「あら、妹さんもずっと十三歳では、ないでしょう?それに、もう、アクセサリーを乱暴に扱う年でもないわ。そうね…そちらのカクテルハットと、琥珀のファシネーターを合わせて、七万八千デフェでどう?」
「へ?」
燈子は間抜けな声を出してしまった。布薔薇のカクテルハット一つ分の値段にも、満たっていないだろう。
ちなみにデフェは、この帝国通貨だ。貨幣価値は、概ねとある別世界の日本程度と思ってほしい。
マダム・ブノワトは、優しく微笑んだ。
「燈子さんのセンスがね、私好きなのよ。今日の、キャノチエのブローチも素敵だわ。何より、来生服飾さんを紹介してくれた方だもの。そちらの、カクテルハットを買うに相応しい方よ、貴女は。」
燈子は、嬉しさのあまり、礼儀も忘れて、ぴょんと飛んだ。
「マダム・ブノワト、ありがとうございます。姉も、きっと喜びます。」
慌てて、礼を取る。
燈子は、この店に、休み毎に訪れた、といっても過言ではない。常連だが、何も買わない事も多く、買っても(買えても)、精々三万デフェ未満だったのだ。
「それに、ご友人とお母さまにも、お土産を、買ってくださるのでしょ?」
「勿論です。因みに、母のバッグが本命です。小切手も持ってきましたので」
うきうきと、次は母のバックを選ぶ。夏に使う茶会用のクラッチバックを、考えている。着回しまくる青木子爵家の女性は、通年使える物ばかり、選びがちなのだ。
でも、また子育てが始まってしまった、お母さまだけど、折角上の子供達が、自立し始めたのだから、お洒落もして欲しいわ。
店のドアベルが、チリンチリンと爽やかに鳴っている。新しい客が、訪れたようだ。
「やあ、マダム・ブノワト。お久しぶりです」
どこかで、聞いたような、若く爽やかな男性の声が、聞こえてくるが、燈子は、バック選びに熱中していた。
「あ、これ、新入荷だ」
籐のバックのコーナーだ。丁度いいクラッチバックが、いくつか、色違いで置いてある。どれも、四角か、楕円の、籐籠を、金具で開閉できるようにしただけと言えばだけ。真ん中に縦にリボンがかけてあり、其々、凝った留め具が付いている。初めて見るものだ。
夏に持ったら涼しそうだし、これなら、和装にも合うわ。
燈子が手に取ったのは、籐を飴色に染め、臙脂色のリボンをかけたものだ。
「留め具は、銅と金の合金…菊を意匠化したような模様…どこの意匠かしら…」
彫金の留め具をじっくりと眺めていると、
「それは、アル・アマ―ジェの『クリサンテモ』という、花の意匠だよ。」
「まあ、では、アル・アマ―ジェからの輸入?」
「籐のバックか。僕も初めて見るよ。涼し気で、夏に持てば素敵だね」
後ろから、爽やかなバリトンが、降ってくる。普段だったら、知らない男性と話したりはしないが、さりげない声と、他にこの、珍しく、新しく、斬新なアイディアに同意してくれる人がいることに、つい、嬉しくなって返事をしてしまう。
「そうですよね、涼し気で、素敵ですよね。凄い斬新なアイディ…」
振り返り、燈子は、思わず「ひょわっ」と変な声を出して、固まった。
2.
燈子は、数舜の間、後ろに立っていた、大変美麗な貴族男性を、固まったまま見上げてしまう。それから、慌てて、スカートの裾をつまんで、左足を引く。
「アナスタ」
長い指が、唇に触れそうな位置に差し出される。燈子は、顔を上げた。桔梗色の瞳が、きらきらしながら、燈子を見ている。ネイビーのジャケットの肩を、鮮やかな赤に一滴の紫を垂らした、輝く髪が、するりと落ちる。すっと、体を起こし、ウインクすると、髪と同じ色の睫毛が、僅かな明かりに煌めく。
「パウロ、ね?それと、カスパル」
立っていたのは、アナスタージウス・エリアス・カイ・パウロ・ファルビア・アンフェス、帝国の第七皇子だ。燈子の『級友』である。カスパルと呼ばれたのは、アナスタージウスの近侍で、やはり級友の、ゴールドベルガー侯爵令息カスパル・クヌートだ。カスパルは、パライバトルマリンの瞳を細めて、相変わらず、ちょっと困った顔をしながら、燈子に笑みをむける。
『お忍び』らしく、二人とも下位貴族くらいが、着ていそうな、こじゃれた麻ジャケットとスラックスに、中折れハットだ。最も、アナスタージウスのハットは、今、カスパルが持っている。そして、友人にハットを持たせたりは、普通しない…。が、燈子は、とりあえず突っ込まなかった。あとで、カスパルに忘れず教えてあげようと、心に刻んでおいた。
「パウロ様におかれましては、ご機嫌麗しく存じます。カスパル様も、ご機嫌よう」
「僕にも、カスパルくらいに、楽でいいのに…それに、アスターって、呼んでほしいのになぁ」
唇を少し突き出す。まだ少年味が残る中性的な彼が、そんな仕草をすると、可愛いっ、母性を刺激してくると、女子生徒には、大人気なのだが、燈子には、拗ねる弟の顔が、重なる。弟は、可愛いと思っているし、護る対象であるから、母性は、刺激されているのかもしれないが…
そして、今パウロと呼べと自分が言ったのに……
「お名前で呼ばせていただけるだけで、身に余る光栄です」
そう、燈子は、何が気に入られたのか、アナスタージウスに、『名前呼び』を許されている。クラスメイトで、『名前呼び』を許されているのは、ほんの数人だ。柔らかそうなルビーの髪が、首をかしげると、またネイビーのジャケットの上を、きらきらと滑っていく。アナスタージウスは、その宝石色の髪を、ごく緩い三つ編みにして纏めている。解けた髪が、ジャケットにかかっているのだ。因みに、この世界の貴族男性は、髪が長い事が多い。良く手入れされた長い髪、もステータスだからだ。最も騎士などは、短くしているので、一概には言えないが。宝石も大好きな燈子は、いつも、美しいその髪を、眼で追ってしまう。別段、恋愛感情はないのだが。アナスタージウスは、燈子に背を向け、陳列棚に手を伸ばしている。背はそこそこ高いので、燈子が手に取れない上の棚だ。
「そのバックも素敵だけど、燈子嬢には、こっちの方が似合うと思うよ」
ごく当たり前のように、燈子の買い物に参加し始める。そして、燈子が気づかなかったバックを、差し出してくれた。
「うん、似合う」
すこしはにかんだ笑顔で、バックと燈子を見比べる。色を染めていない籐。真ん中にかかるリボンは、ティールブルー。留め具は、ビジューと小さいフェザーになっている。
「わ、可愛いっ」
思わず素で声を上げてしまう。派手過ぎず、だが、丁寧な仕事がされていて、燈子の好みだ。
「ね、可愛いよね。燈子嬢は、こういう深い色、似あうだろう。今日のドレスみたいな、明るいアースカラーも、似合うけど。キャノチエのリボン、ドレスと同じなんだ。素敵だね。」
この屈託のなさで、よく『令嬢まみれ』にならないと、不思議だ。アンフェス帝国学園に入学する令嬢は、『きちんとしている』と、いつも感心している。燈子は、自分の地味さも、『星麗のおまけ』も、よく理解しているので、特別な感情を抱いてもらっている、と勘違いしようがないが。
「褒めて頂き、ありがとうございます。パウロ様も、紺の麻ジャケット、お似合いです。」
それから、楽しそうな、アナスタージウスに、少し申し訳なく思いながら、口にする。
「今は、母へのバックを選んでおりました。卒業まで育ててくれたお礼に」
「ああ、なるほど。僕たちの母世代なら、確かに、燈子嬢の手にしているバックの方が、良いね。」
アナスタージウスは、ふんふんと頷く。考える時の癖で、髪を指に巻き付ける。くるくると巻かれた髪が、解けて舞い散ると、宝石細工のようで綺麗だ。
「燈子嬢のお母さまも、茶色の髪と目?」
無邪気な顔で、首をかしげる。
「髪は似た色ですが、母の瞳は、レッドアンバーです。」
「ああ、なるほど。臙脂のリボン、似合いそうだね」
納得したように頷いている。それから、高い棚から、アイボリーのリボンを巻いた籐バッグや、リボンに、落ち着いた赤系のビジューが沢山縫い込まれた籐バックも、取って見せてくれる。
何故、自分は、帝国の皇子に、母のバックを選ぶ手伝いをさせているのか…冷静になってはいけない。考えてはいけない。学園の外だが、『お忍び』なら、やっぱり、彼は『級友』で良いのだ。
「来週からの休みは、帰郷するの?」
結局、赤系ビジューの籐バックを選んで、お取り置き箱に、入れる。
「はい。星麗様が、領都にお戻りになるので。私も、一度、実家を訪ねさせていただく予定です」
「そっか…そうだよね…」
何だか寂しそうに、アナスタージウスが呟く。その声は、弟妹や姪が、実家を離れる時に出す声にそっくりだ。ちょっとだけ、仔犬っぽいと、燈子は思ってしまう。不敬なので、絶対に言えないが。
「また八月末に戻ります。卒業試験も、多分、多分ですが、Aクラスのまま居られるはず…多分…」
「多分、多いなぁ」
アナスタージウスは、くすっと笑った。
「燈子嬢のそういうところ、良いよね。」
「いえ、いつもクラスの最下位だ、という話をしているのですが…」
「僕達、Aクラスなんだけど」
前記の通り、Aクラスは、成績上位者で、構成されるクラスだ。
「ええ…星麗様と侍女仲間に助けて頂いて、やっとですね」
燈子は思わず半目になる。
「うん、燈子嬢のそういうところも、素敵だ」
「ええと、話がかみ合っていませんが。パウロ様は、夏休みはどこ…あ」
燈子は、ちょっと慌てた。第七皇子とはいえ、皇子だ。『休み』など、皇子としての公務と勉強で終わるだろう。
「お察しの通り。まあ、しょうがないけどね。けど、燈子嬢だって、星麗嬢の仕事についていくんだし、同じだろう。殆ど休めないんじゃないかい?」
ちょっと拗ねたように言ってから、気づいたように、心配そうに言う。
「「試験休みは、流石にお休みです(なんだ)。」」
二人同時に言って、思わず燈子も自然に笑った。
「それで、カスパル様と、街へ遊びにいらしたのですね」
「うん。カスパルが、誘ってくれた」
嬉しそうに、にこにこしている。カスパルは、明るい緑の瞳を、優しく細めている。貴族らしく整った顔立ちに、護衛の役目もあるため、鍛えた体をしている。目を引くのはネオングリーンの瞳とネオンブルーの髪だろう。どちらも最高級のパライバトルマリンの色だ。ルビー色の髪とヴァイオレット・サファイアの瞳をしたやや中性的で線の細いアナスタージウス。皇子と近侍なので、当たり前だが、いつも二人で一緒に居る。そう、令嬢方に『二人セットで』大変な人気が…
…ああ、それで令嬢まみれにならないのか……な?
燈子は、五年目にして、勝手に勝手な悟りを得ている。
「カスパルのセンスは、とってもいいだろ?今日の服も、用意してもらったんだ。僕は、詳しくないけど、お洒落だと思う」
アナスタージウスは、思ったことがすべて顔に出ているのか、というくらいに、表情豊かだ。今も、自慢そうにカスパルを褒めている。カスパルも侑華と同じ、心酔系である…振り回され困っているが。表情は大きく変わらないが、照れているのだろう、耳が赤い。
「ええ、よくお似合いです。襟元の銀の刺繍が、パウロ様の御髪や瞳を、よく引き立てていますね。優美な蔦模様に、御髪がかかると、花が咲いたようですよ」
『仔犬の耳』が見える幻想を抱くほど、嬉しそうになる。皇族としては、あまり、思ったことが、顔に出てはいけない気がするが、この、裏表のない感じは、好ましいと、燈子は、思う。
「あの…パウロ様、カスパル様も、どなたかへの贈り物を?」
ル・デ・モンタージェは、しっかりした品ぞろえの、名店だが、第七皇子や侯爵令息が、懇意にする令嬢への贈り物を、選ぶ店なのだろうか、と疑問は感じる。宝飾やドレスを贈る事が、やはり圧倒的に多いだろう。でなければ、花や茶菓子だ。
「私は、婚約者に、茶会用のファシネーターを、贈ろうと。こちら、燈子様もご存じの通り、隠れた名店ですので。素敵なものを、見つけました。」
燈子は、カスパルなら、知っていておかしくないかも、と納得した。
「僕は、お母さまに、贈り物だよ。ブローチにしようかな。燈子嬢の意見も、聞いてみたいな、時間があればだけど。」
当たり前だが、アナスタージウスの母は、王妃だ。第二王妃だったはず…頭の中で、皇族図鑑をめくる。
「ブローチですか」
燈子は、言いながら、自然にアナスタージウス達を、ブローチのコーナーへ案内する。
「王、お母さまのお好みは、ご存じですか?」
「外見はね、僕より少し明るくて、ピンクの強いルビー色の髪だ。額に素敵な鱗があるよ。瞳は、アンフェスの晴れた海の色だね。」
「アンフェスの海…明度の高いエメラルドグリーンでしょうか」
「そう。とても綺麗なんだ、どっちも。好みは、よくわからないけど…ゴテゴテしているのは、好きではないね。よく着ているのは、草の柄の服だな」
「「草…」」
燈子とカスパルは、思わず同時に、呟いてしまった。アナスタージウスは、「変なこといった?」と、きょとんとした顔をしている。
「フェルンの柄が多いですが、アレカヤシやオリーブなどの柄も。」
カスパルが教えてくれた。
「ご出身のアル・アマ―ジェで、よく使われる意匠ですね」
カスパルは頷く。
アナスタージウスは、ぱっと嬉しそうになった。とても、優しい目で、ブローチを真剣に見る燈子を、見つめる。
「それなら、動物のモチーフなんて、面白いかもしれませんね。アル・アマ―ジェの布で、そういったものを拝見したことがあります。葉っぱの間に、動物が居たら、ちょっと楽しいです。」
とはいえ、動物のモチーフは、アンフェスでは、あまり見たことが無い。
「帯どめなら、小鳥とか猫も、よくあるのですけど…」
「あら、また燈子さんが、楽しいことを」
マダム・ブノワトが、「お邪魔してごめんなさいね」と言いながら、傍に来る。
「あるわよ、小鳥モチーフのブローチが。」
近づいてきたブノワトは、膝をついて、陳列棚の下にある戸を開いた。手の中に、小ぶりなビロードの箱を載せている。開くと、銀細工の小鳥が入っていた。翼には、繊細なアラベスク模様が入っている。
「わぁ、可愛いっ」
燈子は思わず、ぴょんとはねた。
「へえ、こんなブローチあるんですね」
カスパルも感心している。
「珍しいのかい?」
「アンフェスでは、動物モチーフのモノって、あまりないです。」
「そういえば?あれ?星麗嬢の、キモノの意匠で、鳥が飛んでいなかった?緋凰家の鳳凰ですよ、って星麗嬢が教えてくれた。」
星麗が、着物で夜会に出席した時の事を、覚えてくれていたらしい。
「覚えていて下さり、ありがとうございます。ペルフェアドゥスでは、動物の意匠は、珍しくないんですよ。特に瑞獣は好んで意匠に入れられますので。」
「成程…聖獣ということですね。アンフェスには、聖獣という信仰対象は、ないですからね。」
カスパルが、頷いて言う。
「同じ大陸なのに、随分違うよね。僕は、小鳥のブローチ、凄く可愛いと思うなあ…マダム・ブノワト、手にとってもいいですか?」
マダム・ブノワトは、アナスタージウスの手に、ブローチを載せた。
「銀で、宝石は、ついていないので、第二、あ、お母さまには、ふさわしくないかしら…」
マダム・ブノワトも、アナスタージウスが、誰かを解っているらしい。新聞の絵姿に、第二皇妃は、出ていることがあるし、アナスタージウスは、母にかなり似ている。
「お母さまは、そういう格?は、公式の場以外では、気にしないですよ。」
燈子は、癖で、唇に指を当てながら、少し考える。
「もし、こちらを作られた方と、マダム・ブノワトがお許し下さるなら、瞳の部分に、ルビーか碧いオパールを、つけてみても、良いかもしれませんね。ごく小さなものですから、正式な場には難しいですが…ピクニックや素朴なコンセプトの茶会なら、他の宝石と組み合わせて、付けると、楽しいかと。」
「魔石なら、僕が、<シュッツ>を込めれば、お守りの出来上がりだしね。どう?マダム・ブノワト」
マダム・ブノワトは、アナスタージウスを見上げ、優しい笑顔を見せる。
「ええ、これを作った者なら、喜んで、実現してくれますよ。お時間がお許しなら、すぐにでも、丁度良いルースを見繕って、持ってこさせましょう。」
近くの工房だったようだ。燈子は、思わず期待の目で、アナスタージウスとカスパルを見てしまう。
「僕は、全然大丈夫だ。燈子嬢も付き合ってくれるなら、待つ間に、一緒にお茶をどうだい?カスパルが、美味しい店に、連れて行ってくれるって」
「あ、いいえ。予約なさっているでしょうから」
「一人くらい平気。卒業したら、こういうの、もう出来ないだろうから。一回だけ、思い出に、ね?振られたら、僕、泣いちゃうと思うんだ」
アナスタージウスは、大げさな仕草で、泣きまねをする。ハンカチまで出して。カスパルは、ちょっと苦笑して、助けを求めるように燈子を見る。
カスパル様が言ってください
と視線に込めるが、カスパルは、大変アナスタージウスに甘い。駄目かな?と返してくる。マダム・ブノワトが、助け舟を出してくれた。
「パウロ様、燈子お嬢様は、ご自分が、パウロ様の醜聞になってしまうのではないかと、気にして下さっているのですわ」
アナスタージウスは、きょとんとして首を傾げた。
「僕も燈子嬢も婚約者は、居ないし級友だろ?何でゴシップ?」
カスパルが、耳元で何かささやいている。
「あ…そっか……そう、なるのか…ごめん。」
アナスタージウスの、眉が八の字になった。燈子は、申し訳なくて、小さく頭を下げる。
「当方がお待たせするのですから、お茶をご用意致しますわ。燈子お嬢様に、淹れて頂くことには、なってしまいますけど。」
マダム・ブノワトが、にっこりとほほ笑む。
「店の裏で、恐縮ですが、小さいコンサバトリーが、ありますの」
「隠れ家」
ぴこんと、アナスタージウスの頭に『耳』が立つ。
まあ…可愛いし、いっか。
きっと、アナスタージウスも、卒業すれば、こんなお忍びすら、滅多に出来ない身分だ。気楽なお茶も、減ってしまうだろう。星麗に、立場が重なり、嬉しそうにこちらを向いたアナスタージウスに、燈子は小さく礼をとった。
「有難く、御相伴させていただきます。」
3.
マダム・ブノワトのコンサバトリーは、こじんまりしていて、五人も入ればいっぱいになりそうな、大きさだった。しかし、建物がひしめく帝都の街中にあるのは、珍しい。壁は水色に塗られ、魔石ガラスなのか、光が僅かに蒼く偏光し、外ははっきりは見えない。それがかえっていい。かすかに、蝉の鳴き声が、聞こえてくる。水音のように、清涼に聞こえるから、不思議だ。室内は、魔道具で、適度な温度に保たれ、涼しいくらいだった。植木鉢には、形のいい木々と草花。天井から下がる鉢には、蔓系の植物。白木のテーブルの上、透明な瓶に、カモミールとダンディライオンの花束が、活けてあった。
「わぁ、御伽噺のようで、素敵ですっ」
燈子は、手を胸の前で組んで、マダム・ブノワトに言った。
「うん、距離が近くて…けほん」
アナスタージウスは、何か言いかけて、赤くなって、ごまかしている。カスパルが、生暖かい眼差しで、主人を見ている。幸い燈子は、マダム・ブノワトと話しているので、気付いていないが。
「おかけになって、お待ちになっていて。今お湯とお茶を、お持ちします」
「燈子嬢も座ってよ」
ん?侍女係ではないの?
学園に居る時と変わらない、気さくな表情に、燈子は、少し躊躇ってから、テーブルに着いた。
「ご同席、失礼いたします。」
緑の香りにまじって、ごくわずかにカモミールの香りもした。
「パウロ様のお陰で、ものすごく、得をしました。」
「ほんと?燈子嬢のアイディアのお陰だよ。僕も、マダムには、お世話になっているけど、ここは初めて入れてもらった。プライベートな場所だね。」
「そうですね。こじんまりコンサバトリー、良いですね。貴族邸にはない、良さがあります。」
他愛のない話をしていると、マダムが、ワゴンを持ってきてくれた。燈子は、引き継いで、お茶の準備をする。慣れた手順で、お茶を入れ、アナスタージウスと、カスパルに用意をする。
「燈子嬢、自分の忘れてるよ」
「あ、はい。そうでした。ありがとうございます」
燈子が、先にお茶に口をつけ、カスパルが、アナスタージウスのお茶を一口のみ、やっとアナスタージウスはお茶を飲む。
皇子も大変だなぁ。淹れたての香りと温度は楽しめない。
とぼんやり思う。お菓子も同様の手順だ。
「燈子嬢、何か、悩み事?」
「え?」
燈子は、驚いて、アナスタージウスを見た。アナスタージウスは、人差し指を、自分の唇の前に立てる。カスパルが、<アープホアーシュッツバリエーレ>を立ち上げる。
「ここは、内緒の場所だから、ここでの話は、君の話も、僕の話も、全部、内緒だよ?燈子嬢の、悩み事は、多分、星麗嬢の事なんだろうけどね。あ、君の恋の悩みとかは、パスで。聞きたくない」
燈子は、くすっと笑った。
「残念ながら、恋には悩んでないです。パウロ様のご推測通り、星麗様の事ですよ」
燈子は、一瞬本当の事を、話したくなってしまう。多分、アナスタージウスは、本当に内緒にしてくれる。が、故国の、しかも王族の醜聞を、帝国の要人には、もらせない。
友達として、大事に接して下さるアスター殿下に、私ってば酷いな…
けれど、燈子は、ペルフェアドゥスで最も高位の貴族、公爵令嬢星麗の専属侍女だ。例えば、級友とくつろいでいても…
「星麗様の、卒業パーティーのドレスコーディネートで、悩んでいます」
にっこりと笑う。アナスタージウスは、からかうように、笑った。
「燈子嬢はね、嘘をつくと解るよ。」
「えっ」
カスパルを見ると、「大丈夫です、私は解りません」と、嘘か本当か解らない顔で、言ってくれた。アナスタージウスは、得意そうに「僕と星麗嬢くらいしかわかんない」と、のたまわっている。
「星麗嬢、困りごとがあるんだね」
優しい桔梗色の瞳が、じっと見ている。故郷の花にそっくりな色だ。
一瞬、心が大きく揺らいだ。燈子だって、不安なのだ。政争は、恐ろしい。実際、政争の結果、居なくなってしまった同級生も、いるのだから。
「凄く困ったら、言って?本当に、内緒にするから。」
普段、クラスで、場を盛り上げている時とは、全然違う優しい声に、燈子は、視線を戻す。二人は、数舜見つめあった。と、アナスタージウスは、急に、にやりとして、ティーカップ越しに、ウインクしてくる。
「僕、結構『暗躍』得意だよ」
「へ?」
紅茶のカップを優雅に置いて、『可愛く』首を傾げたアナスタージウスは、見て見てと言って、楽し気に笑う。左手の掌を、手品をするように握ってから開く。と、掌の上に、美しい『光りの蝶』が、数匹舞い始めた。
「わぁ、綺麗…アスター殿下の属性は、風かと。火?でもないですね」
ひらひらと舞う蝶は、燈子のすぐそばに止まり、本物の蝶のように、羽を閉じたり開いたりする。虹色の粉がふわふわ舞っている。
「小さいのなら、色々出来るよ?小鳥も練習してみようかな。んとね、芋虫とかゴキブリとか蜘蛛にもできる。」
アナスタージウスは、少し意地悪そうに笑う。
「芋虫や蜘蛛は良いですが…ご、ゴキブリはちょっと…」
燈子は、苦笑した。虫は、基本的に、平気だが、食卓向きではない。
「今は、燈子嬢に喜んでほしくて、華やかに作ったけど、そっくりなのも作れるんだ。虫は何処にでもいるから。
それこそ、皇帝の寝室にだって、ね…」
囁くような声に、ぞくりとして、燈子は、蝶から顔を上げた。アナスタージウスは、いつになく真面目な顔で、燈子を見ている。
「燈子嬢は、僕が、皇子だから取り合ってくれないけど、星麗嬢だって、初恋くらいあったでしょ?婚約者ではない人に。」
燈子は、唐突に変わった話に、首をかしげてしまう。
「星麗様の初恋を、知りたいのですか?現在のお好みも、お教えしましょうか?」
がくっとアナスタージウスが、うつむく。
「ええと、頑張ったよね、カスパル…僕、頑張ったよね??」
涙目で、カスパルの腕を勢いよく叩いている。
「ねえ、何で?お洒落に、スマートにいきたいよね?年頃の男子は、そうだよね?!え、僕、自分の事、割と格好よくて、女性にも、もてる方だって思ってたんだけど、勘違いだった?!調子に乗ってた?!恥ずかしいんだけどっ」
鍛えているカスパルも、やはりそれなりに鍛えているアナスタージウスに、叩かれ、多少痛そうだ。
「アスター殿下、申し上げにくいのですが、燈子嬢は、本当に純粋に、男性としての貴方に興味がな」「み、皆まで言うなっ。もう、良い。はっきりと告げて、玉砕するからっ。」
何やら、二人で、盛り上がっているので、燈子は、のんびりと、紅茶を味わう。アナスタージウスは、パスカルの口を無理やり押えると、少々行儀が悪く、テーブルに身を乗り出す。顔が真っ赤だ。
「僕が好きなのは、燈子嬢です。貴女の事が、好きです。じ、女性として…」
だんだん声が小さくなり、もごもごと最終的には、視線もそらしてうつむく。アナスタージウスの出した蝶は、混乱したように、ピュンピュンと、周囲を飛び回り‥‥‥優雅さは消えたが、それはそれで、綺麗だ。
「あら、私、目を開いたまま、夢でも見ているようで…早く起きた方が良いですね」
燈子は、ティーカップをソーサーにもどし、頬に左手を当てた。耳は真っ赤で視線は泳いでいるが。声だけ冷静だ。
燈子の世界は、星麗が中心だ。この五年、アナスタージウスは、かなり燈子に構っている。アスターと呼んでほしい、と言われる。アスターと呼んでいるのは、級友の中で、目の前のカスパルと燈子だけだ。まあ、燈子は、星麗とアナスタージウス、カスパルとだけで居る時にしか、言わないが。もしかして、などと、『図に乗った不埒な妄想』をしてみたことがない、とは言わない。何しろ、美麗な皇子様だ。
まあ、でっかい仔犬だけど…そして、あくまで、仔犬だからな…
燈子の男性の好みは『渋いオトナの男性』だ。少なくとも、実際の恋愛をしたことが無い本人は、そう思っている。
「ええと、もっと、格好いい『オトナの女』の返し、今度練習しておきます」
燈子は真面目に言った。と、アナスタージウスが、明るい声で笑いだした。きょとんとしている前で、ひとしきり笑って、笑いすぎて出た涙をぬぐう。
「うん、卒業までに頼むよ。」
それから、また、真面目な顔になる。
「知ってるんだ。燈子嬢は、家族に、愛されて育ってきた人で‥‥‥‥多分、思い上がりでなければ、僕の事も、大切に思ってくれていて…思いも、通じてるんだよね。でも、燈子嬢の世界は、星麗嬢を中心に回っているんだ…」
眉がへにょんと、下がった。
「でも、さ、時々思い出して…燈子嬢は、燈子嬢だって。時々は、世界の中心に、自分をおいてあげてね」
アナスタージウスの声が、少しかすれる。皇子の顔をして、長い睫毛を伏せて、困ったように笑って、首をかしげる。
「ただ…言いたかっただけ――僕は、嫌でも帝国の皇子だ…君が困るの解ってた。なのに、困らせて、ごめんね」
睫毛はルビー色とガーネット色が混ざってるんだ…すごく綺麗で長い…
などと、まったく関係ない事を考えていた。
「ここから、真面目な話で、最初に戻るよ?燈子嬢が好きだし、大事だから、燈子嬢の一番大事な、星麗嬢が困っているなら、助けたいなって…思ってるんだ。国がどうとか関係なく、『友達』として…」
「アスター殿下…」
「星麗嬢は、僕を『皇子』じゃなくて『級友』として扱ってくれた。燈子嬢が、そうしてくれたから、だからだよ…
…ま、今の一世一代の告白は『皇子だから断られたんだ』と、思いたいけど…」
皇子じゃなく級友…
燈子は、多少蒼くなった。
「あれ?私、で、殿下に不敬が???」
アナスタージウスは、きょとんとしてから、慌てたように否定してくれた。
「ううん、そうじゃなくて。燈子嬢は、言葉や礼儀は、僕を皇子として敬ってくれてるけど、」
穏やかな笑みが浮かぶ。飛び回っていた蝶は、おとなしくなって、今は、アナスタージウスの、髪にとまっている。きらきら、キラキラ…宝石のようだ。
「いつも、僕を…アスターを、見てくれてた。星麗嬢が、いつだったか教えてくれたよ、星麗嬢は、燈子嬢の『モノを見る目』が好きで、とても信頼しているって。」
優しい静かな声だ。胸が暖かくなった。
「星麗様が…」
と、アナスタージウスは、今度は、盛大に拗ねた顔になって、口を尖らせる。
「僕が好きって言った時の、百倍くらい嬉しそう」
「あ、すみません。驚いて、本心が、駄々洩れに。」
燈子は、困りながら笑った。それから、真面目な顔で、アナスタージウスを見る。
「知られるには、危険すぎる力を、教えてくださって、ありがとうございます。」
小さく首を横に振っている。
「覚えていて?君の為なら…君達の為なら、いつでも使うから」
ぱちん、とアナスタージウスが指を鳴らすと、幻想的な蝶たちは、光の粉になって、消えてしまった。
「そんな日は、来ないよう願っていますが…お力を借りざるを得ない日が来てしまったら、お言葉に甘えさせていただきます。その時は、友人として、お礼も、凄く頑張らなくてはですね。」
それから、燈子は、真直ぐにアナスタージウスの瞳を見つめた。
「私は……アスター殿下と、沢山の時間を共に過ごせて、楽しかったです。この五年は、私の人生にとって、かけがえのない日々でした。これは、内緒ですが、アスター様と…友達になれて、幸せです」
桔梗色の瞳が、大きく揺れた。目の縁に、きらきらとしたものが、溜まっていて、それは、先の蝶より、もっと、綺麗だった。その雫が零れ落ちる前に、慌てて、うつむいて、ぬぐっている。ごまかすように、こほんと咳をして、顔を上げると、またちょっと格好をつけながら、ちらりとカスパルを見る。カスパルが、心得たように、小さなビロードの箱を、二つ渡した。骨ばった長い指が、箱の蓋を開く。
「これ、身に危険が迫ると、『前後の映像を記録する魔道具』なんだ」
燈子は、開かれた箱の中を、驚いて見つめた。何気なく見せられているが、とんでもない魔道具だ。しかも、とても小さい。何しろスタッドピアスにしか見えない。片方は、ラピスラズリ魔石、もう片方は、透明感のある焦茶色の魔石だ。
「違う魔石だけど、効果は同じだよ。んーと、原理は…忘れた。『身に危険が迫る』は、『付けてる本人の感情』によるから、まだ試作段階なんだってさ。」
アル・アマ―ジェの技術だろう。とは思うが、国家機密レベルのような…
「それは、第二王妃殿下が、アスター殿下に、贈られたものでは?」
燈子は恐る恐る訪ねた。ここで出すということは、恐らく、贈ってくれるつもりだろう。
「そうだけど、六個もくれて、人にあげていいよって。フィードバックは欲しいみたいだけどね。」
「他国の人間にあげていい、とは、仰らなかったのでは?」
アナスタージウスは、ふふと笑う。少し照れくさそうに、肩を竦める。
「お母さまは、大体僕の事をお見通しだから、誰にあげるか、解ってそうだけど」
隣でカスパルも、頷いている。
「もう一人の専属侍女の分は、なくてごめんだけど」
「み、身に余るお品です…あの、星麗様の分だけで」
つい、欲望が口から飛び出す。
「ううん、えとね、星麗嬢は、燈子嬢のおまけ。だってさ、星麗嬢にあげないと、燈子嬢は受け取ってくれないか、自分のを星麗嬢にあげちゃうだろ?」
燈子は苦笑した。星麗がおまけ、などと言われたのは、人生初だ。そして、今後も、そんなことを言う人が現れるとは、思えない。
私の何が、そんなに気に入ったのだか…庶民的で珍しいのかしらね…
「対価はね、ちゃんともらうから、気にしないで欲しいな。」
燈子は、ごくんと唾をのんだ。
「対価、ですか?私に払えるでしょうか…」
こんなものの対価、何も思いつかないが、星麗のために、大分欲しかった。
「卒業パーティーで、僕と踊ってほしい。君には、無茶なお願いだろうけど、ラストダンスを…僕と、踊って?」
透明感のある赤紫の髪は、光を赤い虹に、分解している。コンサバトリーの様々な緑が、その髪を鮮やかに引き立たせる。
ラストダンスは、アンフェス帝国学園の卒業パーティーの『伝統』だ。
そのダンスだけは…身分も、国も関係なく、『一番大切な人』と踊る。貴族が大半だからこその、少し哀しい伝統。
誰が誰と踊ったかは、卒業生だけの、秘密だ。
揺れている桔梗の花。
きっと、卒業式を終えて、故郷に戻ったころ咲き乱れているだろう。
「……やっぱり、ダメ、かな?」
「私で良いのですか?」
「燈子嬢が、良いんだ…先、好きって言ったら、実質、フラれたし…大分、格好悪くて未練がましいけど…」
あまり見ないくらい、真剣で、すこし心細げで…普通の十七歳の青年だ
「制服かもしれませんよ」
燈子は、ふふっと悪戯っぽく笑う。
燈子は、皆が華やかなドレスを着る、ダンスとお茶の授業で、五年間、かたくなに制服で出席していた。
「じゃあ、僕も制服で、参加しようかな?ヘレナ嬢も、制服なのかな?」
ヘレナは、帝国学園史上初の、孤児院出身の女の子だ。特待生で、友人だ。孤児院出身の彼女は、授業で華やかなドレスなど、着ることは出来なかった。
「いいえ?私、帝国学園の制服、大好きですよ。」
「ヴィルマ嬢も、言っていたね。『今しか着れない、最高のおしゃれ』って」
ヴィルマも級友で、ヘレナ、燈子、ヴィルマは、芸術と武術の選択が同じで、仲が良かった。因みにヴィルマも、ダンスを制服で通した一人だ。
「ええ、その通り。卒業したら、二度と着られませんから。あ、でも、ヘレナには、皆で、卒業祝いに、パーティーのドレスを、仕立てているんです」
「え?仕立てて?凄いな」
「主に、ヘレナが、自分で自分のために、仕立てていますよ。デザインは私が。型紙は、私の故郷の友人が。皆で、お金を出し合って、布とレースを買ったんです。レースは、私が編んだり、侍女仲間が、コレクションを譲ってくれたので、安上がりです。あとは、どこまで刺繍を頑張れるかですね。」
この半年を振り返って、思い出し笑いをする。
「ですから、制服は冗談です。私も、ドレスを着ないと。ヘレナに叩かれますし、星麗様を着飾らさせる権利が、無くなりそうです。でも、私は、所詮子爵の娘ですから、アスター殿下に見合」「制服でも、なんなら乗馬服でも…」
完全に食い気味で、アナスタージウスは、瞳をキラキラさせながら、言う。
「僕は、燈子嬢と、踊りたいんだ。お願い」
燈子は…
『一生懸命な仔犬に、絆されてみる』ことにした。
卒業パーティーの三日後には、ペルフェアドゥスに帰るし、『帝国学園の伝統』は、かなりの確率で、守られている。
第一皇子のラストダンスだって、誰と踊ったか、真相は、不明なのだ。
「私を選んでくださってありがとうございます。喜んで踊らせていただきます」
「有難う」
ああ…こんな笑顔。殿下のお母さまに、見せてあげたいな…ブローチをさしあげているくらいだから、御覧になったことあるか
「私こそ、ありがとうございます。」
燈子は、それから、あ、と言った。
「魔道具につられたダケジャナイデス…七割」
「え、七割も魔道具効果っ」
驚愕で、アナスタージウスがのけぞる。
「あ、いえいえ、魔道具効果は、三割です」
慌てた燈子に、「君のそういうとこが、好きなんだよ」とアナスタージウスは、また、声を立てて笑った。
英語とドイツ語とフランス語が混ざってますが、気にしてはだめです。
好きなものを好きに好きなだけ書く…それが、自分で小説を書く醍醐味。この章必要ですか?という冷静な突っ込みは却下です。これ、無料だから!!しかし、読み続けてくれる人は、出るだろうか…ちょっと心配。
次は明日Up予定です。




