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第6話 公爵家の人々①

 グランスタイン家屋敷。


 その執務室。書棚と執務机に椅子。来客用のソファ以外、執務に不要な物は何一つない、実用第一のアルトゥール公らしい部屋だった。


 執事長ロタールの手を借りて、汚れた兵士の鎧を脱ぎ、清潔な衣服に着替えたアルトゥール公は執務室のソファに腰を下ろし、ようやく我が家へ戻った実感を噛み締めた。


 人生最大の危機を乗り越え、一息つきたいところだったが、まだまだやるべきことが山積みである。


「ロタール」


 先代よりグランスタイン家に仕える老執事ロタールは名を呼ばれ、静かに側に控え命を待つ。


「至急、呪術師を手配せよ。賊どもの頭は確保してある。テオドールから受け取り、速やかに呪術師に送り届けるのだ。

できれば本日中――明日未明までには結果が欲しい」


「はい、直ちに。他にはございませんか?」


 ロタールは主の意を汲み、呪術師なる日陰者を使うことに対して一切否やを唱えず拝命した。更に、用件がそれだけではないと察して、次なる命を待ち受けた。


「うむ。さっきお主も見たはずだが……

あの黒髪黒目の男、ミツハル。儂の目に狂いがなければ信頼できる」


 そう光玄のことを評するアルトゥール公の表情は言葉と裏腹に険しい。


「――だが、お主の意見も聞いておきたい。まずは儂から見たやつの印象をお主に伝えておこう」


 アルトゥール公は光玄が森から現れてからの彼の行動、言動などを事細かくロタールに伝えた。


 クリッキング・ソーの単独討伐に続いて、凡俗の者どもと思わしき暗殺者三人を一人で難なく屠ったと言う、人間離れしたその剣の技にロタールは冷や汗をかくほど驚いた。


 だが、それ以上にこの老執事の興味をひいたのは、光玄の唇の動きと実際の言葉が一致しないと言うところだった。


「――確かに、それは奇妙ですね。奇跡の御業や魔術にも似たような効果をもつものはありますが、いずれも永続的な効果はありません。

ミツハル様は魔術などを使っていたわけではありませんね?」


「間違いなく使えないだろう。見たところ、魔術どころか一般常識にも疎いようでな。

やつと直に会話をしたテオドールからも、まるで何も知らぬ赤子のようであると報告を受けておる」


 魔術などには門外漢であるはずの人間が、それに準ずる力を無自覚に使い続けている。確かに怪しい。


「念には念を入れるべきである。お主は折を見て奴と面談を行い、可能な限り身辺を洗え。多少礼を失しても構わん」


 感情では信頼できるとしても、アルトゥール公は決して感情だけで物事を判断しない。故に腹心であるロタールを通じて再度光玄を見極めることにしたのだ。


「はい、旦那様。仰せの通りに。

――他にはございませんか?」


「――恐らく今夜辺り、動きがあるだろう。備えておくように」


 そう命じたアルトゥール公は瞑目し、わずかに脱力しソファに身を任せた。


「はい、旦那様。それでは、失礼いたします」


 アルトゥール公のそのわずかな仕草から、それ以上のご用向きがないことを察したロタールは足音一つ響かせず、執務室のドアの開閉音すら立てずに退室していった。


「ふぅ――」


 肺に溜まった空気をゆっくり吐き、目頭を揉みほぐす。ソファの一部になってしまいたい誘惑を振り切り、アルトゥール公は立ち上がった。


 そして、窓辺に立ち眼前に広がるグランスタイン家の庭園を眺めた。


「さて、これからどうなることか」


 アルトゥール公の視線の先、そこには黒髪の男女――光玄とイングリットの姿があった。





「おお……! なんとも趣のある、良い御庭でございますな!」


 見渡す限りの緑。寸分の狂いもなく整えられた庭木。


 雑草など一房たりとも生えておらず、この庭園を管理する者の誠実さ、几帳面さが如実に表れていた。


「はい、当家自慢の庭園です。もうじき本格的に春になって、暖かくなれば色んな花が一斉に咲くんです。

――わたしの、一番好きな場所です」


 そう答えるイングリットの表情は先ほどの兄とのやり取りでやや陰りがあったが、無邪気に庭園を見回る光玄の姿をみて、幾分か和らいだ様子で薄く笑みを浮かべていた。


「ほう、それは楽しみにござる。して、いんぐりっと殿。某に構わず、休まれた方が良いのではございませぬか?」


 表情の陰りは心理的なものだけではないだろう。


 荷馬車でうたた寝をしたものの、十分とは言えず、相変わらずイングリットの顔には疲労感がにじみ出ていた。


「いえ、大丈夫です。本当に辛くなったら、ちゃんと言いますから――

それまでは、ご案内をさせてください」


「うむ……

承知仕った。無理はなさいませぬよう」


 そう言って、前を向いた光玄の目に、ふいに綺麗に整えられた庭園とは不釣り合いな、大男の姿が映った。


 遠目からでもはっきりわかる、のっそりと動く巨体。丸太のような分厚い腕。

その太く節くれだった手が、驚くほど繊細に庭木を整えていく。


「いんぐりっと殿、あの者は?」


「えっと当家にて働く、庭師……です」


「少し、挨拶をしても?」


「えっ、その、彼は……

いえ、わかりました――アントン」


 どこか困った様子で少し逡巡したイングリットだったが、頭を振ると庭師を呼んだ。

 消え入りそうな小さな声だったが、大男は耳聡くそれを聞きつけ速やかに駆け寄ってイングリットに礼を示す。


「おお、なんという……」


 思わず光玄は感嘆の声を漏らす。


(背の丈、およそ七尺――筋骨隆々! 見事! まるで大鬼よ!)


 間近でみた庭師は、光玄が見上げねばならぬほどの巨漢であった。


 顔の左半分は火傷なのだろうか、焼け爛れた左目はほとんどふさがっており、左腕全体にわたって火傷の跡が濃く残っていた。


 おそらく、左半身全体が同じ様子であるだろう。


 客観的に見れば、醜い男だった。

 ――だが、光玄は目を輝かせて彼を見るばかりだ。


「――?」


 イングリットはそんな彼が不思議でならなかった。


 屋敷の使用人たちから陰から黒き神の落胤と呼ばれ、忌み子として恐れられるイングリットほどに――否、それよりもっと嫌われているのがこのアントンだったからだ。


 故に、光玄に庭師アントンを紹介するのは憚られたのだが――

 何故か、彼を見てから光玄は妙に浮ついているように見える。


「――見事なり。其処許(そこもと)の名を聞いてよかろうか?」


 アントンはイングリットに助けを求めるような眼差しを向けるが、当のイングリットもまた困った顔をしていた。


 やがて、アントンは重々しく、口を開く。


「……アントン」


 その声は見た目にそぐわぬ、まだ少年のような柔らかい音色をしていた。


「ほう、あんとん殿か! 何とも親しみのある響きの名でござるな! 某のことは光玄と呼んでくだされ」


「――アントン」


 何故か、己の名前で返事をするアントン。


「んん? いや、某の名は光玄――」


「ミツハル様、その、彼のことですが……

実は……生まれつき言葉を話すのが難しくて、自分の名前の『アントン』としか言えないのです」


 歯切れ悪そうに、イングリットがアントンの奇妙な障害のことを光玄に明かした。

 アントンは、明らかに気落ちした様子で巨体を縮こまらせている。


「なんと、そうであったか」


 いつもなら、ここで相手は嫌悪や失望を露わにし、奇異の目を向けてくる。

 しかし、光玄は違った。


「すまぬな、あんとん殿。そうとは知らず、失礼仕った」


 アントンも、イングリットもこれには揃って目を丸くした。


(このお方は、見た目の美醜なんて本当にどうでもいいのですね。

――ただ良いところを見て、無邪気にはしゃいでらっしゃるだけ……)


 イングリットは小さく、胸が跳ねるのを感じた。


「――アントン」


 おずおずと口を開くアントン。当然、他人には意味のない言葉でしかない。

しかし――


「いや、其処許(そこもと)が気にすることはござらん。そう畏まらずとも良かろう」


 アントンの巨体がびくっと揺れた。

 まさか、『アントン』という意味をなさぬ言葉から正確に己の意を酌む人間が現れようとは夢にも思わなかったからだ。


「み、ミツハル様、アントンの言葉がわかるのですか?」


「否、そんなことはできませぬ。ただ、あんとん殿の表情、声、立ち姿から某が勝手にそう決めつけて喋ったまでのこと。あんとん殿、気に障ったのなら許されよ」


 光玄のその言葉に、アントンは首を振り、返事をした。


「アントン!」


「おお、そうか。それは重畳。某も此度ぐらんすたいん家に仕える身となった故、これから顔を合わせることもあろう。どうかよろしく頼み申す」


「アントン!!」


 無邪気な子どものように、目を輝かせ喜ぶアントン。


 今年十六歳になるイングリットとアントンは同い年で、幼馴染ともいえる。


 イングリットは物心ついてから長いこと彼をみてきたが、彼がこれほど喜んでいる姿を見るのは初めてだった。


 そして、光玄が現れたことで何かが確実に変わり始めている――そんな予感を覚えずにはいられなかった。


 一方の光玄は改めて、アントンを凝視した。

 生まれつき小柄だった光玄からすると、アントンはまるで宝のような存在だ。

 故に――


(もったいない)


 あの見事な巨体。戦場でなら剛力無双と名を馳せることもできただろう。

 だが、明らかにアントンは気弱で繊細そうで荒事に向いているように見えない。


 その萎縮して丸まった身体は、どこか貧相にさえ映っていた。


 光玄の視線の先、イングリットはアントンの手首に巻かれた布切れに気づき、そっと触れた。


「あら……これ、まだ持っていたのね。捨ててくれてもよかったのに。

――大事にしてくれてありがとう」


 イングリットに触れられたアントンはまるで雷に打たれたかのように震え、悶えている。


 普段、女性に触れられることなどないであろうアントンは、イングリットのしなやかな指先にひどく心乱された様子だった。


 まるで小動物のよう。立派な身体が台無しである。


(やはり、もったいない――んん?)


 ふと、光玄は既視感にとらわれ、首を傾げる。


(むむ? つい先日も誰かに似たような感想を抱いたような……?)


 だが、どうにも上手く思い出せない。


 やがて、薄く笑みを浮かべるイングリットに視線が留まり、既視感の正体に気づいた。


(――なるほど、いんぐりっと殿と同じであったか)


 納得し、光玄は並び立つイングリットとアントンを見て、やはりもったいないという想いと共に二人を眺めた。


 その視線に気づかぬイングリットは、アントンの腕に巻かれた、かつて自分が渡した――元はハンカチだった布切れをしっかり巻きなおしてあげると、次の場所の案内のため光玄のもとへ歩み寄った。


「アントン、そろそろわたしたちは行きますね」


「あんとん殿、仕事の邪魔をしてすまぬ。また今度語り合おうぞ」


「アントン!」


 アントンは無邪気に大きく手をぶんぶん振って二人を見送ると、そそくさと仕事に戻った。





 アントンに別れを告げた光玄は、イングリットと共に庭園を横切り、屋敷の片隅にあるレンガ造りの建物についた。


 やけに大きい煙突からは絶え間なくもくもくと煙が吹き出ている。


「こちらは、当家お抱えの鍛冶師、ボルガルさんの鍛冶場です。剣士でいらっしゃるミツハル様なら、何かと御用があるでしょう」


「ほう、それは重畳。ちょうど、鍛冶師を探していたところでございました故」


 アントンと出会った時と同じくらい目を輝かせる光玄に、イングリットはまたしても歯切れの悪そうに口を開く。


「あの、ボルガルさんは、ちょっと変わったお方でして……

えっと、もし失礼なことを言われてもあまり気にしないようにしてください。多分、悪気はありませんから」


「――? 畏まり申した」


 先導して鍛冶場の扉をそっと開くイングリット。

 すると、肌をじりじり焼くような感覚と共に、強烈な熱気が二人に叩きつけられた。


「あの……ボルガルさん、いらっしゃいませんか――」


 カンカンカンカン!!! ドドドドドドドドド!!!


 小さいイングリットの声は、尋常ではない速さで鉄を叩く轟音に飲み込まれ掻き消えた。


「おおっ、これは中々良い鍛冶場でござる!!」


 そして、その轟音の中でも何故か良く通る、光玄の低い声。

 次の瞬間、鉄を叩く喧しい音はぴたりと止まった。


「おや、これはこれは、イングリットの嬢ちゃんじゃないの~

よく来たね!」


 奥から姿を現したのは、禿頭で顔の下半分を覆う、豊かな髭が特徴的な小柄な老人だった。


(否、小柄というより――小さい、人間か?)


 引き締まった、筋肉を凝縮させたような小柄ながらも途轍もなく力強い体躯。

 丸々とした顔に白の混じる、茶色い眉毛は半ば目を覆っており、どこか優し気な、親近感の沸く、好々爺然とした雰囲気を醸し出している。


 とてもじゃないが、失礼なことを口走りそうな人間には見えない。ふと光玄と目が合うと、老人はにっこり笑った。


「なんだい? 金剛族(ドワーフ)を見るのは初めてかい? ボクも、こんな煤の塊みたいな人間は初めて見るよ。いい顔料が取れそうだねぇ~」


 イングリットは思わず、天井を仰ぎ、頭を抱えた。


 いくらなんでも、初対面でこれは失礼極まりない。これで悪気がないなんて誰が信じようか。


 ばつの悪い顔でイングリットが老人を光玄に紹介する。


「えー、こちら、当家の専属鍛冶師、ボルガルさんです……」


 金剛族(ドワーフ)・ボルガル。元アンダルシン亜人部族連合出身の鍛冶師である。


 神の手の宿る鍛冶職人として名高い人物だが、彼がこうして国元を離れ、他国の貴族の屋敷で日用品の修繕や私兵の武具の手入ればかりするようになったのにはわけがあった。


 『天然毒』と呼ばれる、その口の悪さこそが最たる原因である。


 基本的に直情的で、思ったことをすぐ口に出す金剛族(ドワーフ)たちの中でも、彼は異彩を放っていた。


 無意識のうちに、相手の神経を逆なでする言葉ばかりを的確に口にするのだ。


 かつて、現グラントリア国王・レオナルドに招聘され最高の剣を作るように依頼された際も――


『そんなすごい剣持ってても、あんさん、剣なんかろくに振れないんじゃないの?素材と時間の無駄遣いだと思うな。宝の持ち腐れ、っていうじゃない?』


 と言ってしまい、アンダルシン亜人部族連合との外交問題にまで発展。あわや武力衝突というところをアルトゥール公が仲裁した。


 彼がアンダルシン亜人部族連合でも厄介者扱いされていたボルガルの身柄を預かり、依頼された剣をしっかり仕上げさせて国王へ献上したことで、なんとか双方の矛を収めさせたのだ。


 そんな経緯を経てなお、彼の毒舌は全く衰えてなどいない。


 だが、相手する光玄も普通の人間ではない。


 ボルガルの毒舌に反応しないどころか、もしかしたら毒舌とも理解できていないようで、腰に提げていた刀を取り出すと、ボルガルに恭しく差し出した。


「ぼるがる殿、もしお手すきであるならば、ぜひ某の刀を見ていただきたく」


「おやぁ? 変わった形の剣だねぇ。カタナって言うの? どれどれ」


 好々爺の顔は即座に職人の厳めしい顔に変わる。


 光玄同様、恭しく刀を受け取ったボルガルは、慎重に刀を鞘から抜いてはまるで壊れ物を扱うような繊細な手つきで、じっくり確かめるのだった。


 炉の火の光に照らされ、煌めく刀身。


(――綺麗)


 イングリットは素直にそう思った。


 芸術品に準ずる美しさがあった。実際にそれが振るわれ、人の命を絶つ瞬間を見ていなければ、美術品として見ていただろう。


「わぁ……すごいね!」


 さすがのボルガルも思わず感嘆の声を漏らす――


「――すごい出来のいいゴミ!」


 イングリットはガクッと膝から崩れ落ちそうになった。


 そして、火の熱気で満たされた鍛冶場だというのに、サーッと顔から熱が抜けていくのを感じた。


 剣士という人種は剣にかなりの思い入れがあるものだと聞く。それを貶されて黙っていられる者がどれほどいるだろうか。


 イングリットは恐る恐る、横目で光玄の様子を窺う。


 ――無表情。


「ひっ」


 火の光に照らされた光玄の顔からは感情が抜け落ちているように見え、イングリットは思わず息を飲んだ。


 一歩、光玄が踏み出す。


(ど、どど、どうしましょう、と、止めなきゃ)


 だが、恐ろしくてイングリットがあたふたしている間に、光玄はボルガルの手をがっしりと掴んだ。


「――この光玄、ぼるがる殿の慧眼に感服いたした」


「へっ?」


 貴族令嬢にあるまじき、間の抜けた声がイングリットの口を突いて出た。


 ボルガルは煌めく美しい刀身を、ゴミを見る目で眺めながら言う。


「そりゃあ、コレ、超一流の技術をド三流が見様見真似で、見てくれだけ再現したものだし。それに、鉄の質も粗悪そのものじゃん?」


 更に人差し指で刀身を軽く弾きながら続ける。


「どんだけ鉄に困ってたんだか、こんな繊細な代物を不純物だらけの砂鉄をかき集めて作ろうだなんて。正気の沙汰じゃないね」


「なんと、そこまでお見通しとは」


「そんなの、ボクじゃなくても気づくよ~

気づけないのは節穴さんだけだね!」


 ぴくっ、とイングリットの肩が震えた。

 仮にも雇い主の娘であるイングリットの目が節穴であると、ボルガルは間接的とは言え無自覚に罵ったのである。


(悪意はない、悪意はありません……落ち着くのよ、イングリット)


 イングリットは自分に何度も言い聞かせ、何とか心を落ち着かせる。


「――あんさん、このゴミの代わりになるものが必要なんだね? ボクが新しいの、打ってあげてもいいよ」


「しかし、ぼるがる殿にも仕事がござろう。刀鍛冶とは、大変な手間のかかるものにござれば。刃こぼれと歪みを正せれば十分でござる」


 その言葉に、ボルガルは鼻白んだ様子で光玄の刀を眺め、言い放った。


「こんなの、それなりのものなら仕事の片手間に打てるよ。一週間もかからないね」


「……な、なんと……!」


 光玄、転生以来の最大の衝撃だった。

 並みの刀鍛冶なら数人がかりでひと月は優にかかる大仕事だ。


 それをたった一人で、仕事の片手間に数日あればできると豪語しているのだ。


 一瞬、訝しんだ光玄だったが、刀を持ち、観察するボルガルの横顔は『できる』と雄弁に語っており、その言葉に嘘偽りのないことに気づくと、深々と頭を下げた。


「ならば、よろしくお願い申し上げる」


「うん。じゃあ、これはもう返すね」


 ボルガルは刀を鞘に納めると、まるで遊び飽きた玩具のように、無造作に光玄へ向かって放った。


 その無造作な動作に反して、刀は狙いすましたように光玄の手元に吸い込まれた。

 参考にすべきものを何故返すのか。光玄は首を傾げた。


「ぼるがる殿、現物が要るのでは?」


「もう工程とか全部理解したし、要らないよ。そんなゴミでも一点ものだし、持ってないと困るでしょ、キミ」


 光玄は敬意を通り越して、この老人に畏怖すら抱いた。思わず膝が地に着き、小さい老人を仰ぎ見る。


「この光玄、心より敬服し申した」


「うん、ありがとね。でも、そこで座り込まれたらお仕事の邪魔だよ。

――そろそろ出てってくれない?」


 にこやかな顔とは全く一致しない厳しい言葉でそう吐き捨てると、ボルガルは修繕中のへこんだ鍋に向きなおった。

 そして彼は光玄とイングリットなどもはや目にも入らないといった風に、作業を始めた。


 再び鍛冶場には轟音が鳴り響く。


 尋常ではない速さで槌が鍋を打ち付け、まるで時間が逆戻りするかのようにへこんでいた鍋は元の姿へ戻っていく。


 もう彼の視界には光玄とイングリットは入っていない。


 それでも、光玄は立ち上がると、敬意を込めて作業中のボルガルに深々と頭を下げ、イングリットとともに鍛冶場を後にした。

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