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第53話 香る、因果①

 昼下がり。

 商業区の通りを学園の生徒らしき少女たち三人とその護衛と思しき兵士一人が歩いていた。

 その中の一人、鮮やかな琥珀色の髪のやけに大人っぽい少女――メリッサが見た目とは似つかわしくない、幼さを感じさせる口調でぼやいた。


「はぁ、男子っていいよね。女子ほど、外出にあれこれ面倒な手続きはないんでしょ?

外出先に、外出目的、滞在予定時間、同伴者、帰寮予定時刻……本当、いやんなっちゃう」


 その隣を歩く、黒髪黒目の少女――イングリットは困ったように微笑んで答える。


「そうだね。事務に外出申請を出してから受理されるまで、一時間もかかったんだもの」


 その後ろを影のように追従する烏兜の漆黒の鎧を身に纏う護衛兵――コルヴァンがくぐもった声で説教じみた言葉を連ねる。


「当然です。学園の令嬢たちは婚礼前の方々がほとんどでございます。

簡単に外出許可など出して、万が一のことがあってはいけません」


 万が一、とコルヴァンはぼかして話したが、要するに大事な婚前の令嬢たちの純潔が疑われるような事態になってはいけないということだ。

 歓楽街やそれに近い区域への外出申請、護衛などの同伴者なしでの申請は絶対に通らない。

 当然、夕方――門限以降の外出も原則禁止となる。


「あたしたちは平民なのに。女子だからって、貴族のイングリット様と全く同じ手続きする必要あるのかなぁ」


 と、暗い茶髪の少女、ミラがげんなりした顔で話す。

 イングリットやメリッサと早くも打ち解けたのか、随分と砕けた様子である。

 ミラの言葉に、同じ平民であるメリッサが同調した。


「本当にね。生徒同士は平等、というつもりなんだろうけど、だとしたら男子にも同じ手続きを踏ませてほしいわけ。

わたしたちより後に申請したラッセルさんとかは、あっという間に通ってたじゃない」


 女子とは違い、男子生徒に対してはそれほど厳しい基準は設けられていない。

 女子ほど厳しい門限もないし、お目付け役となる同伴者さえいれば、問題なく外出許可が下りるのだ。


「というか、ラッセルさんって今日もお買い物?」


 メリッサの質問に、イングリットは少し寂しそうに目を伏せて答えた。


「買い物というよりは、最近知り合った人と会う約束があるみたい。

その人が困っていたところをミツハル様が助けて、そのお礼をしてもらうんだってサーリアが言っていたの」


「へぇー。人助けって、『黒騎士卿』ってば、普通の騎士様みたいだね」


「ふふ、ミツハル様は誤解されやすいけれど、いい人よ」


「『いい人』ねぇ」


 にんまりと笑うメリッサに、イングリットは頬を赤らめた。


「そ、それよりも、ミラちゃんのお店に急ぎましょう」


 すると、隣でミラが大きな溜息を吐く。


「はぁ~ うちに行くの、やめない? 買い物だったら、雑貨屋なんて他にもいっぱいあるんだし」


 珍しく、メリッサは真面目な顔でミラを窘めた。


「駄目だよ、ミラちゃん。お母様はもうたった一人の家族なんでしょう?

早いうちに仲直りしておかないと、ずっと気まずいままなんだから」


「正直気が進まないなぁ。お母さんとは入寮の日、喧嘩してそれっきりだし」


 母娘喧嘩の原因は、ミラが言い出した自主退学の件。

 普段滅多に怒ることのない彼女の母は、この件に関しては激怒し、ミラを追い出すようにして学園に入寮させたのだ。


「気まずいのは分かるけどさ。ちゃんとお母様に会って、自主退学しないでちゃんと学園に通うって言わなきゃ」


 今回のイングリットたちの外出の目的はそこにあった。

 母娘喧嘩以来、ギクシャクしているミラと彼女の母を仲直りさせるためである。


「でも、うちのことでみんなに迷惑をかけるのもちょっと」


「いいのいいの、友達でしょ? それに、学園支給品だけじゃ物足りないし、ちょうど色々買い揃えたかったんだよね」


「……ありがとう」


 メリッサはミラに、にっと笑いかけ、今度はイングリットに感謝の言葉を述べた。


「平民女子だけだと同伴者を探すのも大変だから、イングリットちゃんとコルヴァンさんが一緒に来てくれて助かったよ」


 頼られたのが相当嬉しかったのか、イングリットは弾んだ声で返す。


「ううん。わたしで良ければいつでも協力するから」


「お嬢様」


 少し窘めるような口調のコルヴァン。

 学園都市の治安はそれほど良好ではないという話を、勤勉な同僚マサレオの偵察報告で聞かされたばかりだ。

 コルヴァンとしては、できることならイングリットを学園の外には出したくないのだろう。

 そんな彼に、イングリットは上目遣いで頼み込んだ。


「駄目、でしょうか? コルヴァンさん」


「――!!」


 烏兜の奥で苦悶の声が響き、コルヴァンは胸元を押さえる。

 だが、それもほんの一瞬のこと。すぐに彼は努めて事務的に返した。


「――お嬢様のご友人のためならば、護衛に差し支えない範囲でご協力いたします」


「甘々だねぇ」


 目を細め、コルヴァンに生暖かい目を向けるメリッサ。


「いいなぁ。お兄ちゃんみたい」


 大きな青い瞳に羨望の念を込めてじっと見つめるミラ。


 自分に対する少女二人の反応に、コルヴァンは目に見えて焦り、鎧がガチャガチャとけたたましい音を立てる。


「い、いや、そんなことはありません。

私はグランスタイン家の兵として、お嬢様のご希望に応えるのみでございます」


「にひひ、そういうことにしてあげますねぇ」


 にんまりと笑いながら、メリッサはコルヴァンの鎧をポンポンと叩いた。

 この距離感の取り方がおかしい少女に翻弄され、真面目な兵士コルヴァンは狼狽える。


「おやめください。淑女たるもの、みだりに男性の身体に触れてはいけません」


「いいもーん。わたしは別にお嬢様じゃないし。ねっ、ミラちゃん」


 にやり、とミラが悪戯っぽく笑い、メリッサに倣ってコルヴァンの鎧をぺたぺたと触った。


「そだね、あたしたち、平民だもん。それに、鎧越しだし、別に身体に触れているわけじゃないもーん」


 困り果てたコルヴァンは、助けを求めるように主イングリットを見た。


「お、お嬢様」


 当のイングリットも口元に手を当てて、クスクスと笑った。

 彼女もコルヴァンの鎧に触りたいのか、もう片方の手が宙を彷徨っている。

 どうしたものかと困り果てるコルヴァンだったが、年頃の少女たちの興味はすぐに他所へ向いた。


「あっ、焼き菓子だって! 干し果物入り!」


 ミラが焼き菓子の屋台を見つけたのだ。

 三人娘の視線は瞬時にそちらへ向く。


「食べてこ! みんな、はやくはやく!」


 メリッサはミラとイングリットの手を引くと、そのまま屋台へ向かっていった。

 ようやく解放されたコルヴァンは、安堵のため息を吐いて一人つぶやいた。


「――お嬢様はまず私の毒見が済んでから、ですよ」





 しばらくして、少女たちは焼き立ての干し果物入りの菓子を頬張りながら並んで歩いていた。

 もちろん、コルヴァンによる毒見を済ませた後である。


 この焼き菓子には、貴族向けの菓子とは違い、砂糖はあまり使われていない。

 その代わり、干し果物本来の仄かな甘さを活かした素朴な味わいだった。

 メリッサは唇をぺろりと舐め、ふと一人の友人のことを思い出していた。


「メルちゃんとか好きそうな感じだねぇ。一緒にくればよかったのに」


 最初、メルセデスも同行するつもりだったが、彼女は外出申請の煩雑さに辟易し、外出を取りやめていたのだ。


「なんだ、この無意味な手続きは! ちょっと外に出るだけなのに、こんなものやってられるか!

――って、メルちゃんらしいね」


 イングリットがメルセデスのものまねをしてみせると、全員が目を丸くした。

 しばらくの静寂、そして――


「あっはっははは! イングリットちゃん、似てるっ! メルちゃんそっくり!」


「すごい、すごい!」


 意外なイングリットの特技に、メリッサとミラはコルヴァンの鎧をばんばん叩きながら笑った。


「そ、そう……?」


 みんなの反応に、イングリットの顔にほんのり朱が差す。

 依然として二人の少女に叩かれているコルヴァンは、ふふっと兜の奥で笑うのだった。


「――よかった」


 思わず口をついて出たコルヴァンのくぐもったその声に、イングリットは何故かひどく懐かしい気持ちになった。

 何気なく、彼女は不気味な漆黒の烏兜を見つめる。

 護衛兵としていつも自然に傍にいてくれるが、イングリットはこの烏兜のことをよく知らない。

 大怪我の痕の残る素顔は一度だけ見たが、あまり馴染みのない兵だった。

 名前はおそらく偽名。その素性は全くわからないまま。

 それでも、彼がイングリットのために尽くしてくれていることだけはわかる。

 あの不気味な烏兜も、漆黒の鎧も、世間の目からイングリットを守るためのものだということもわかる。

 どうして、そこまでしてくれるのか。


 イングリットの視線に気が付いたのか、コルヴァンは烏兜をガチャッと鳴らし、何事もなかったように装うと、前方を指さしてミラに話しかけた。


「――ミラ様、あちらのお店で合っているでしょうか」


「あっ」


 ミラの顔から一瞬にして笑顔が掻き消える。

 コルヴァンが指さす先。

 商業区の片隅にひっそりと建つ、雑貨屋ミラベル。

 看板にはどこか歪な、幼い子供が描いたような鈴の絵が描かれている。

 その看板を見上げ、ミラがため息をつく。


「はぁ、あれ恥ずかしいから、別のにしてって言っても聞かないんだから」


 ミラが幼い頃に描いた絵を、そのまま店の看板にしたのだろうか。

 それを見上げたメリッサは、どこか羨望の混じった眼差しを送っている。


「あれって、ミラちゃんが描いたの? わたしは可愛くていいと思うよ」


 イングリットもその看板を見上げる。

 確かに線はヨレヨレで、潰れた楕円形になった鈴はお世辞にも良い出来とは言えない。

 しかし、どこか愛嬌があって、温かみがあった。

 イングリットは、今も自分の寮の部屋を守る『ウサギ騎士ラッセル卿』を思い出し、目を細めた。


「――うん。わたしもあの絵好きよ」


 友人たちに昔の不出来な絵を褒められたミラは、まんざらでもない様子で頭をかく。


「そ、そう……? ま、まぁいいや。中に入って」


 ミラが先導して扉を開けて中へ入る。

 すると、ふわりと爽やかな柑橘系のお茶の香りが彼女を出迎えた。

 そして、奥から柔らかい女性の声が響く。


「いらっしゃいませ――ミラ?」


 店の奥から顔を出した店主らしき女は、ミラを見て、目を見開いて固まった。

 暗い茶の髪、澄んだ色の大きく青い瞳。

 どこかあどけなさの残る、たおやかな顔立ち。

 それに反する肉感的で豊満な、艶やかな身体。


 彼女こそは、ミラの言う母親で間違いないだろう。

 純朴なミラとは違い、大変な美人だが、それでもどことなくミラによく似ているのだ。


 ――そして、その隣にはまるで影のように、黒髪黒衣の男が控えていた。


「おや、イングリット殿。奇遇でござるな」


 人に会う約束があると言って、先に出かけていったはずの光玄だ。

 更に、その後ろからイングリットと瓜二つの顔をした金髪の少女がひょっこりと顔を出した。

 光玄のお目付け役のサーリアだ。

 清潔な白ブラウスに、可愛らしいポピーの花の装飾が施された、真新しいピンクのスカートを身にまとった彼女は、いつもとは随分と雰囲気が違う。


「お嬢様?」


「み、ミツハル様? サーリアも? もしかして、会う約束をした人って……」


「うむ。この店の主、ベルギッタ殿でござる」


 まだ事情が呑み込めないミラは、光玄とベルギッタの顔を交互に見るだけだ。


「えっ、確か、ラッセル卿って、『助けた人』に会うって……。

お、お母さん、何があったの!?」


「……まず、中へ。お茶を出すわ。皆さんもどうぞ」





「お母さんが、乱暴されかけた……? ど、どうして教えてくれなかったの? 手紙でもよかったじゃん!」


 大まかな事情を聞かされたミラは取り乱し、思わず椅子から立ち上がった。


「できれば、あなたには知られたくなかったの。

だって、また学園をやめるって言い出しそうだったから」


「お母さん……」


 ミラは唇を噛んだ。こんなことになるのを恐れて、彼女は学園をやめたいと言ったのだ。

 隣のメリッサがミラの袖を掴み、優しく引っ張って座るように促す。

 イングリットも心配そうな目を向けてくる。

 深く息を吐いたミラは促されるがまま、再び椅子に座って母親に向き合った。


「学園をやめるなんて、許さないからね、ミラ。

中途半端に夢を捨てるなんて、きっとお父さんも許さないわ」


 そう話すミラの母、ベルギッタの顔には断固とした意志が浮かんでいる。

 いつもは娘に甘い母だが、こういう時に限って信じられないほど頑固になるのを、ミラはこの前の母娘喧嘩で身をもって知った。


「――でも、あたし心配で」


「お母さんなら、大丈夫。最近は変なお客さんもめっきり減ったんだから」


 ベルギッタのその言葉を受け、イングリットのメイド、サーリアが得意げな顔をして早口で語る。


「うちの黒騎士卿の悪名が役立ってますから。

あの恐ろしい黒騎士卿が出入りする店って噂が立っているみたいですよ」


「そ、そうなんですね」


 ミラは黒騎士卿――光玄(ラッセル)を見つめる。

 イングリットから色々と話は聞いていたが、直に会うのは初めてだ。

 まず目を惹かれるのは、黒髪黒目。

 つい先日友人になったばかりのイングリットと同じだ。

 そのおかげか、それほど拒否感はない。

 それどころか、ミラは彼の佇まいから懐かしさすら覚えていた。


(お父さん……)


 先月亡くなった父と、彼はどこか身にまとう雰囲気がよく似ていたのだ。

 そして、ミラはその隣に座る母を見る。

 先月、父が急に亡くなって、見ていられないほど憔悴しきっていた母の姿を覚えている。

 今の母は、かつて父の側で微笑んでいた、あの頃の顔を取り戻しつつあるように思える。


 おそらくは母も光玄(ラッセル)から、ミラと同じものを見出しているのだろう。

 母は、彼の姿から在りし日の父の影を探しているのか。

 ずきりと、ミラは胸が痛むのを感じた。


(でも、この人はお父さんじゃないんだよ、お母さん)


 父とは関係のない、赤の他人だ。

 勝手に光玄(ラッセル)を父に重ねるのも彼に対して失礼だ。

 ミラが言わなくとも、母も分かっているはずだ。

 ただ、今の母には荒んで傷ついた心を預ける場所が必要なだけ。


(大丈夫、だよね? お母さん)


 母が、光玄(ラッセル)に微笑む。

 その笑みを見て、ミラは言葉では言い表せない胸騒ぎを覚えていた。

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