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第48話 めぐる、因果①

 決闘騒ぎの二日後の昼。

 学園都市フレンツァヴァーゲンの商業区。


 その一角の婦人服店の前で、光玄は所在なさげに立ち尽くしていた。

 彼の視線の先では、サーリアがいつも以上に難しい顔をして服を選んでいる。


 彼女は、いつもの藍色のメイド服ではなく、目に優しい黄緑色のワンピースに身を包んでいた。

 頭の上のホワイトブリムもなく、膝裏まで届くほど長い金髪は、頭の後ろでポニーテールにまとめられている。

 顔には薄く化粧も施され、普段の彼女とはずいぶんと印象が違う。

 いつもの格調高い堅いメイドの靴も、歩きやすいサンダルになっており、こうしてみると年相応の少女にしか見えない。


 光玄の視線に気が付いたサーリアは、不機嫌そうに眉間にしわを寄せて睨みつけてきた。

 今日、彼女に連れ出されてから、かれこれ一時間以上付き合っているわけだが、サーリアはずっとこの調子である。

 とにかく不機嫌で、光玄が何を言っても渋面を崩さない。

 ――ずいぶんとおかんむりである。


 サーリアの不機嫌の理由。

 それは、光玄が例の決闘騒ぎでサーリアとの買い出しの約束をすっかり忘れ、すっぽかしてしまったのが最大の原因であった。


 あの日、入学式はとっくに終わっていたはずなのに、光玄の寮の前でいくら待てど帰ってこず、さらには主のイングリットまでも戻ってこないものだから、ひどく心細い思いをしたようであった。


 最終的には、光玄たちが決闘騒ぎに巻き込まれた上、連絡の一つもよこさずに新しくできた友人たちと食事に行ったことを遅まきに知って、サーリアは激怒したのだった。


 泣きっ面に蜂というが、サーリアの受難はそれだけにとどまらなかった。


 サーリアがイングリットのドレスを勝手に手直ししたことが、ロタールにバレたのだ。

 コルヴァンが嬉々として撮っていた、あのイングリットの新しいドレス姿を収めた転写晶がグランスタイン屋敷に届いてしまい、それを見たロタールは大変厳しいお叱りの手紙と共に、三ヵ月間の減給を言い渡してきたのである。

 ――こっちは、完全にサーリアの身から出た錆ではあるが。


 そして今、光玄は約束をすっぽかしたお詫びとして、彼女の個人的な買い物に付き合い、服を一着買わされることになっていたのだ。


 何着かの服を慎重に見比べ、サーリアは一番無難で飾り気のないスカートを選び取る。

 ほぼ無地の、清潔感はあるが華やかさは皆無のそれを見つめ、光玄はおもむろに口を開いた。


「――サァリア殿、それでよろしいか?」


「なんです? 何か文句でも?」


 サーリアの声にはまだ棘がある。


「某としては、そちらの桃色の衣の方が似合うかと存ずるが」


 光玄が端の方の薄いピンクのスカートを指さすと、ピクリとサーリアの形のいい眉がひそめられた。


(どうして、こういう時ばかり無駄に気が利くんでしょうね)


 ――実のところ、それはサーリアが一番いいと思っていた一着であった。

 薄いピンク色のスカートの腰元には、可憐で愛らしいポピーの花の装飾が施されている。

 随分と手が凝っている一品で、お値段も一番お高い。


「――結構高いですけれど。銀貨六十枚もしますよ」


 一般的な平民一人分の一日の食費は大体銀貨三枚。

 その二十倍もある。なかなか手が出しづらい品である。 


「構いませぬ。サァリア殿にはいつも世話になっている故」


 実のところ、光玄もロタールから伝書鳩にて小包を受け取っていた。

 それには、決闘騒ぎを穏便かつ最上の形で治めたことへのお褒めの言葉と、ご褒美の金貨袋が同梱されていた。

 更に、短く添えられていたロタールからの追伸によると――


『執事長としては体裁上、サーリアさんを叱るしかなかったのですが、お嬢様の晴れ姿に奥様が大変お喜びでいらっしゃいました。

できれば、それとなくサーリアさんを労っていただけると幸いでございます』


 光玄へのご褒美の中には、サーリアの減給分のお金も含まれているに違いない。

 故に光玄は、今日一日はサーリアのために色々と買ってやろうと心に決めていたのだ。

 サーリアは、そのポピーのスカートを胸に抱き、ジト目で光玄を睨みつけてきた。


「ふん、今更やっぱりなしって言っても駄目ですからね」


「うむ」


 光玄からお金を受け取って、支払いを済ませてきたサーリアの表情は変わらず不機嫌そうだったが、その足取りはずいぶんと軽やかになっていた。


「わたし、少しお腹が空きました」


「ふむ、そういえばちょうど昼時でござるな」


「ほら、混む前に早く行きますよ」


 サーリアは光玄の袖を掴み、軽やかな足取りで食堂街の方へ向かって歩き出した。





 サーリアのチョイスで二人は魚料理の専門店に入った。

 何でも、彼女のルームメイトのティナという半獣人メイドのおすすめらしい。

 店員は、黒ずくめの光玄を見て少し顔をしかめたが、サーリアが無言で睨みつけると、大人しく二人を席へ案内した。


 サーリアは席に着くと、早速この店の名物メニュー『カワマスのチーズ香草焼き』を注文した。

 魚とチーズ、そして香草。光玄の好物で固められたメニューを選ぶあたり、サーリアの光玄への理解はだいぶ深まってきている。


 当然のように、光玄は料理が届くなり無心で食べ始めた。

 テーブルマナーも、メヒティルト夫人の指導もあってぎこちないものの、しっかりしてきている。

 対するサーリアは、光玄の食べっぷりをぼんやり見つめるだけで、あまり食は進まないようであった。

 既に骨だけ残して綺麗に料理を平らげた光玄が、サーリアの様子に気づき声をかける。


「サァリア殿、もしかして口に合わぬので?」


「いえ、そういうわけでは」


「――イングリット殿のことでござるな?」


 サーリアはまたしてもピクリと、形のいい眉をひそめる。


(本当、こういう時だけ無駄に勘がいいんですから)


 図星を指されたサーリアは軽くため息を吐く。

 彼女の主イングリットは、今日はメルセデスとメリッサの招きでお茶会に出かけている。

 最初、イングリットは光玄たちの買い出しに同行を申し出ていたが、光玄が友人を優先するようにと言って、コルヴァンに護衛を頼んでメルセデスたちのもとへ送り出したのだ。


 実のところ、サーリアの心境は複雑であった。

 社交界から忌み嫌われ、友人と呼べる存在に巡り合えず孤独な幼少期を送ってきた主に友人ができたのはもちろんうれしい。

 サーリアだってイングリットにとって友人と呼べなくもないが、主と使用人という、明確な立場の違いと身分差がある。対等な友人にはなり得ないのだ。


 主を友人と呼び、連れ出してくれるメルセデスたちへの感謝の気持ちもある。

 しかし、幼い頃からずっと世話をしてきたお嬢様が自分から離れていくような、寂しさがサーリアの胸中を支配していたのだ。


「――サァリア殿」


「なんです?」 


「子はいずれ巣立っていくものでござるよ」


 光玄の、少し的外れで頓珍漢なセリフに、サーリアは目を白黒させた。


「――ぷっ、なんですか、それ」


 サーリアは、たまらず吹き出した。

 光玄の言葉は、サーリアの寂しさの核だけはきちんと捉えていたからだ。

 その顔には先ほどまでの不機嫌さも、寂しさもなく、年相応の少女の柔らかい笑みだけが浮かんでいた。





 食事を終えた二人は当初の目的、光玄の日用品を買うため雑貨屋を探すことにした。

 しばらく歩いて見つけたのは、商業区のひとけのない片隅にひっそりと佇む、寂れた雑貨屋だった。


 サーリアが店の看板を見上げる。幼い子供が描いたような、どこか歪ながらも可愛げのある鈴の絵が描かれている。


「『雑貨屋ミラベル』ですか」


 店内は薄暗く、中の様子はよく見えない。

 二人は扉を開け、店の中へ入った。


「ごめんください」


 薄暗い店内に、サーリアの声が響く。

 しかし、カウンターには誰もおらず。

 施錠もせず、店主は店を空けているようだ。


「不用心ですね。店主がいないのでは、仕方ありませんね。

他の店を――ミツハル様?」


 サーリアが踵を返そうとしたところ、光玄が突然カウンターを飛び越えて、店の奥――生活空間へ踏み入った。


「えっ、ちょっと待ってください、何を考えているんですか!?」


 慌ててサーリアが後を追って、厨房を通り居間へ入る。

 調度品や生活用品の数々から、三人家族――若い夫婦とその子供の生活感が色濃く出ている。

 光玄はそれらには見向きもせず寝室へ向かう。


 すると、そこへ近づくにつれ、物音が聞こえてきた。

 どうやら、奥に誰かいるらしい。


 (本当、こういう人の気配というか、そういうものによく気が付きますね。

って、感心している場合ではありません!)


 サーリアは慌てて前を行く光玄の袖を掴もうとするが、それはするりと抜けて彼女の手は空を切った。

 いよいよまずい。不法侵入の上に、下手したら強盗だと思われかねない。

 サーリアは焦り、光玄に追いすがる。


 いよいよ、他人が立ち入ってはならない聖域、夫婦の寝室のドアが見えてくる。

 そして、奥からはかすかに、男の荒々しい息遣い、女の押し殺した声、そしてベッドか何かが軋む音が響いている。


(ちょ、ちょちょちょっと! 信じられませんっ! 真っ昼間から店を開けたまま!?)


 どうやら、サーリアたちはとんでもなく間の悪いタイミングで来店してしまったようだ。


(って、ミツハル様を止めないと!)


 しかし、間に合わなかった。


 バァン!

 光玄がドアを蹴り開け、寝室の中の様子が目に飛び込んできた。

 寝室はひどい荒れようだった。

 本棚は倒れ、衣服が散らばり、ガラス細工か何かが床に落ちて粉々になっている。

 そして寝室中央のベッドの上。肥満体の中年男が、店主らしき若い女の上に覆いかぶさっていた。

 中年男は、女の両手を押さえつけ、彼女の胸元に手をかけた体勢のまま固まってこちらを見ている。


 女の方は青ざめた顔で、目には涙が溜まっている。強く抵抗していたのか、細い腕にはあざや擦り傷が目立つ。

 よく見ると、中年男の頬にも引っかき傷がある。

 ――どう見ても、夫婦の愛ある営みではない。


 サーリアまでもがあまりの事態に直面し、目を見開き固まっている。

 マサレオの話では学園都市の治安はよくはないということだったが、さすがに真昼間から婦女子を襲う輩がいるとは思っていなかったのだ。


 光玄は地の底から響くような、低い声で言った。


「おなごを無理やり手籠めにしようなどと、男の風上にも置けぬ輩め」


「なっ、何だ、こいつは!? おい、旦那が死んだばかりなのに、もう他の男を作ったのか!?」


 中年男は組み敷いた女店主に、自分のことは棚上げして問い詰める。

 だが、次の瞬間、中年男は息を吞んだ。


「ひッ――」


 二の句は継げない。

 光玄が一瞬にして中年男に近づき、喉元に冷たい輝きを放つ刃を押し当てたのだ。

 そしてそのまま、固まって動けない中年男をベッドから引きずり降ろして、女店主を解放した。


「下郎め。何を勘違いしているのかは知らぬが、某はただの客だ。サァリア殿、衛兵を」


「えっ、は、はい!」


 光玄に促されようやく我に返ったサーリアは、そのまま踵を返して店の外へ向かった。

 光玄は、まだ震えている女に低い声で話しかけた。


「店主殿とお見受けする。大変だとは存ずるが、何か縛る物をいただけぬか」


「……」


 女店主は反応を返さない。

 ただ、光玄の顔をじっと見つめているだけだ。


「店主殿?」


「あっ、はい。縛るもの、ですね」


 我に返って、覚束ない足取りで店側に引っ込んだ女店主は、すぐにロープを手に戻ってきた。


「……あの、こちらを」


 震える女の手がロープを差し出してくる。


「忝し」


 それを受け取り、光玄は更に男の腕を容赦なく捻りあげて、これでもかというくらいきつく縛った。

 途中、ぽきりと嫌な音が響き、男は口に泡を吹いて喚き散らしたが、光玄は一切容赦なく男を縛り終えた。


 一仕事を終えた光玄が男を床に転がして、女の方を見た。


「店主殿、大事ないか?」


「……」


 女店主は答えない。

 乱れた衣服の胸元を腕で隠し、魅入ったように光玄の顔を見つめるだけだ。


(これは失敗したやも知れぬな)


 自分の黒い装い、そして黒騎士卿の悪名。

 一応は自覚しているつもりだが、光玄は自分がこの世界の人間にとってどれほど恐ろしい存在に見えているかまだ想像がついていないのだ。


(サァリア殿をここに残し、某がこやつを衛兵のもとへ連れていくべきだったか?)


 それはそれで残虐な黒騎士卿と、襲われた被害者にしか見えず、衛兵に変な誤解をされて余計こじれていたかもしれないが。


 気まずい空気が流れる中、どうやら晴れ間がのぞいたのか、寝室の窓から日差しが差し込んできた。

 薄暗い部屋が照らし出され、女店主の姿がはっきり見えた。


 暗い茶の髪、大きな青い目、化粧気のない顔。

 小ぶりな鼻と口、細い顎はあどけない少女のよう。

 ピンク色の地味なワンピースに、埃で汚れたエプロン。

 その地味な衣服を押し上げる大きな胸、肉感的な体つき。

 清純さと魔性が同居しているような、美しい女だった。


 ずきりと、光玄の胸の片隅が痛んだ。

 その少女のような愛らしい顔立ち、そのたおやかで艶やかな姿。

 もはや帰れぬ世界へ取り残してきた、過去の痛み。

 その名が、光玄の口をついて出た。


「お静……」


「オシズ……?」


 意味が解らず、女店主は青い瞳を瞬かせる。

 彼女のその反応に、光玄はハッとなり頭を振って返した。


「いや、申し訳ござらぬ。他人の空似でござる」


「そう、ですか。他人の、空似……」


 女店主の揺れる青い瞳がまた、光玄の顔をじっと見つめる。


「うむ。それで、怪我は?」


 問われ、女店主は痣と擦り傷が付いた手首をさすって確かめる。


「少し、擦りむいた程度で。大丈夫です」


 二人の会話を遮るように、床に転がる中年男が喚き立てた。


「ぐぅうっ、早く私を解放しろ! 私が誰なのか知らんのか!?」


 ミノムシのようにロープでぐる巻きにされ、みっともなく身をよじる中年男など、当然光玄には知りようもない。


「知らぬが?」


「こ、この区画の商会長だぞ! 私にこんなことをして、ただで済むと思っているのか!?」


 唾を飛ばし、喚く中年男の口を塞いでおかなかったことを光玄は後悔し始めていた。

 片耳を塞ぎながら、光玄は中年男を見下ろして吐き捨てる。


「お主こそ、おなごを手籠めせんとして、ただで済むと思っておるのか? おとなしくしておれ。あとは衛兵に裁いてもらう故」


 衛兵と聞いた中年男は口元を歪め、嗤った。


「はっ、無駄だ! この区画の衛兵どもには我が商会の息がかかっているぞ! 暴行の罪で捕らえられるのは貴様の方だ!」


 光玄は眉間にしわを寄せた。

 この中年男の言うことが本当なら、少々まずいことになるかもしれない。

 もとより、光玄は悪名高い黒騎士卿。

 買収された衛兵たちは、光玄を捕えようとするかもしれない。


「こっちです! うわっ、酒くさっ」


 衛兵を連れてきたのか、サーリアの声に続いて、複数人の足音が響く。


(これは、如何する)


 光玄は無銘の鯉口に指を這わせる。

 さすがに、学園都市の治安維持組織と事を構えるわけにはいかない。

 光玄が悩んでいる間にも衛兵たちは迷いなくやってくる。


 そして、寝室にぬっと入ってきたのは――

 金の髪を天に突かんばかりに立たせた、鶏冠頭の巨漢――マサレオと、赤ら顔の衛兵風の男たち三人だった。


「!?」


「おうおうおう、真っ昼間から女を襲ったふてぇ野郎はどいつだ!?」


 三白眼をぎらつかせ気勢を上げるマサレオと、衛兵風の男たちが寝室に踏み込んだ途端、むわっと強い酒精の匂いが広がる。

 そんな彼らの姿を見た中年男は目を剝いた。


「な、なんだ、貴様らは? この区画の衛兵ではないな!? どこの者だ!?」


 どうやらマサレオと共に現れた者たちとなじみがないのか、中年男はひどく狼狽する。

 赤ら顔の一人の衛兵が歯を剥き出しにして、唸るように答えた。


「あぁ? 区画とか関係ねーよ。パトロール中に市民の助けを求める声があったらどこでも駆けつけるのが、我々衛兵ってもんだろ。なぁ?」


 話を振られた別の衛兵がしゃっくりをしながら頷く。


「ちげぇねぇ。ヒック」


「うへへ、なんて仕事熱心なんだぁ、俺たち」


 ――どう見てもパトロール中の衛兵には見えない。

 仕事をさぼって飲み歩いていたところ、助けを求めるサーリアと遭遇して連れてこられた風である。


「何故マサが?」


 光玄が首を傾げマサレオに問いかけると、彼は自分の胸をドンと叩いて返す。


「おう、アニキ! 実は、こちらの衛兵たちと飲み歩き――いや、『話し合い』をしてやして、たまたまその辺でサリちゃんに会ったんでさぁ」


「サリちゃん言わないでください」


 ジト目で睨みつけるサーリアの抗議をものともせず、マサレオはゲラゲラ笑うだけだ。


 一方の光玄は感心を通り越して、感動すら覚えた。

 なんと勤勉な男か。学園都市の危険な場所の調査に留まらず、現地の治安維持組織とも渡りをつけている。


「マサ、お主というやつは……まこと仕事熱心でござるな」


「いやぁ、それほどでも」


 光玄から中年男の身柄を引き受けた衛兵が、目を細めて光玄をじっと見つめ、俄かに騒ぎ始めた。


「おお、アンタがマサさんのアニキ分のラッセル卿!? あの黒騎士!?

ッパネェ! 本物だぁ!」


「戦場で千人を斬ったってのはマジっすか?」


 一体何を吹き込んだのかと、光玄はマサレオを見つめる。

 当のマサレオは目をそらし、口笛になっていない口笛を吹きながら誤魔化している。


「――そんなことはしておらぬが。せいぜいが十数人でござる」


 光玄のその答えを謙遜と受け取ったのか、衛兵の一人がだらしない顔で笑いながら、光玄の肩を叩いた。


「うへへ、またまたぁ~」


 素面なら光玄に対して嫌悪や畏怖の感情を覚えるだろうが、だいぶ酒が入った衛兵たちは、彼がマサレオのアニキ分ということもあってか、随分とフレンドリーであった。

 状況がまずい方へ流されていることを感じ取ったのか、中年男は焦ってなお喚く。


「ま、待て! この区画の担当を呼べ!」


「うっせぇ! だぁってろ! んの、女の敵がよぉ」


 昼間から相当飲んでいたのか、呂律の回らない衛兵はふらつきながらも力強い手つきで中年男を引き立てると、連行していった。

 女店主に簡単な事情を確認した別の衛兵も、マサレオに機嫌よくひらひらと手を振る。


「マサさん、今夜も石橋亭で待ってるぜぃ~」


「おうよ! んじゃ、それまで適当にぶらぶらしとくわ」


「あいよ」


 サーリアは思わずこめかみを押さえた。

 どう見てもマサレオは好き勝手遊び回っているだけなのに、結果として成果をあげている。

 しかも、監督すべき立場の光玄やコルヴァンが、彼の行動全てを大変好意的に解釈しているのだ。

 これではサーリアとしてもあまり強く言えない。


「んじゃアニキ、俺もそろそろ行きますわ」


「うむ。マサよ、おかげで助かった」


「うっす! アニキのお役に立てて何よりでさァ!

んじゃ、俺ァ『お仕事』に戻りますぜ!」


 豪快に手を振ったマサレオが出ていき――ようやく静寂が訪れた。

 女店主は光玄とサーリアに頭を下げる。


「今回は、本当に助かりました。

もし、お二人が来てくださらなかったと思うと……」


 女店主は自分の身体を抱き、震える。


「礼には及ばぬよ。たまたま買い物に来て、少々様子がおかしかった故、奥を覗いて見ただけにござれば」


「お名前を伺っても……?」


「某は、光玄・ラッセル・ゲェルハイトと申す者。近しい者たちは光玄と呼びまする」


「ラッセル様、ですね。わたしはベルギッタと申します。

あの、なんとお礼をすれば……」


「いや、お気遣い無用。大変な目に遭われたばかりでござる。今日はもう休まれた方がよろしかろう」


 場を辞そうとする光玄を見て、女店主――ベルギッタの瞳が不安に揺れる。


「い、いいえ、このまま何のお礼もしないわけには」


 二人の様子を見たサーリアの目が細められる。


「――ミツハル様の買い物もまだですし、わたしも衛兵さんを呼びに行って、ちょっと疲れてしまいました。お礼に、お茶でも頂いたらどうですか?」


 サーリアは光玄の袖をそっと掴んだ。

 恐ろしい目に遭ったばかりの女性を一人にはしておけなかったのだ。

 ベルギッタがお礼と称して二人を引き留めようとするのは不安の表れだろう。

 こういう、女の機微に疎い唐変木(ミツハル)を、サーリアの青い瞳が静かに射貫く。

 何回か目を瞬かせて、やや遅れて彼女の意図に気づいた光玄が頷いた。


「むっ、然様か。サァリア殿、気が付かず申し訳ござらぬ。

ならば、ベルギッタ殿。お茶を頂けるか」


 サーリアはちらりとベルギッタを見て、小さくうなずいて見せる。

 サーリアに助け船を出されたベルギッタの顔に喜色が浮かんだ。


「で、でしたら店の方へどうぞ! お茶もすぐ用意しますね!」

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