第46話 運命変曲点⑤
アリーナ中央の決闘場。
そこに立つアレッサンドロは満身創痍であった。
両の鼻からは鼻血が流れ、呼吸も乱れている。右目は腫れてほぼ見えない。
地面に叩きつけられた時、口の中を切ったのか鉄の味がする。
受け身を取り損ねて痛めた左手首には感覚がなく、上手く動かせない。
脚ももう限界だ。まるで生まれたての小鹿のように震えている。
そんなざまのアレッサンドロを見て、相手の光玄は涼しげな顔で言った。
「――よく、ここまで食らいついてきた」
何を言っているのか。
食らいつこうなんてしていない。何度も、倒れて楽になろうとした。
その度に、この無慈悲な黒騎士はアレッサンドロを掴み、無理やり立たせた。
噂などあてにならない。
その何倍も残虐だ。
審判を務めるベンもベンだ。
もはや決闘の体を成していない、この茶番をとっくに止めるべきだったのに、珍しく真面目な顔をして見守っているだけだ。
一年生の頃から彼のことを男爵家出身ということで教員として敬わず、尊大な態度を取り続けてきた意趣返しなのか。
――悔しい。おそらく、アレッサンドロが生まれて初めて抱いた想い。
今日に至るまで、負けなど知らなかった。
アレッサンドロは、ありとあらゆる面で恵まれた少年だ。
家柄、財力、才能。さらには、ロヴェルチアーノ侯爵家の次期当主候補だ。
だが、この場ではそのいずれも役に立たなかった。
「名残惜しいところではござるが、そろそろ昼時。飯にせねば」
そう宣いながら、黒騎士は剣を鞘に納める。彼の声色は本当に名残惜しそうで、その表情には妙な達成感すら見える。
勝手に決闘を長引かせて弄んだ挙句、勝手に終わらせようという。
しかも、その理由が昼食ときた。
「ふ、ふざけるな。まだ、終わりじゃない!
私はまだ死んでいないぞ!」
ここまで恥をかかされて生きてなどいけるものか。
アレッサンドロだけの恥ではない。ロヴェルチアーノ侯爵家の面子は丸つぶれだ。
あれだけ見得を切って決闘を申し込んでおいて、この有様なのだから。
(私はもう、おわりだ)
次期当主の座も、おそらくは弟のものとなるだろう。
「いいや、『今日』はこれにて仕舞いにござる」
「な、に」
まるでアレッサンドロに、『次』があるような口ぶりだ。
「さぁ、互いに全身全霊の一太刀を披露して終わりとしよう」
黒騎士は依然剣を鞘に納めたまま、脱力し、わずかに腰を落とした。
途端に、アレッサンドロはぞわりと総毛立った。
終始、自然体で立っていた黒騎士が見せた、今までとは違う『構え』だ。
「見せるが良い、お主の『今』の剣を」
そのやけに低い声に、アレッサンドロの右腕が勝手に動き、構えを取る。
――構えというべきものでもない。ただ魔剣の切っ先を相手に向けただけだ。
彼の剣の師に教わった『それらしい』構えは、散々転がされるうちにどこかへ飛んで行ってしまった。
そんな無様なアレッサンドロの『構え』を、黒騎士は宝物でも見るように目を輝かせて見つめる。
「――見事」
アレッサンドロは答えない。黒騎士の動きに集中するのみだ。
黒騎士が更に深く腰を落とした。
「いざ」
そんな低い声と共に、黒騎士は地面を蹴って迫ってきた。
一瞬にしてアレッサンドロの懐に飛び込んできた漆黒の影。
それはいやらしくも、右目が腫れて視界が塞がったアレッサンドロの右側へ潜り込もうとしている。
(見えた……!)
アレッサンドロはその影の一端を捉えた。
突き出していた魔剣の切っ先が、影を切り裂く。
ふっと、影が掻き消え、魔剣の切っ先は空を切る。
(――フェイント!!)
そう悟った瞬間、黒騎士の腰元の鞘から閃光が迸る。
一陣の風が左脇を通り抜き、横腹にわずかな衝撃。
振り返ると、遥か遠く後方、湾曲した剣を振り抜いたままの黒騎士の姿が見える。
遅れて、脇腹に鋭い痛みが走った。
「ぐあっ……」
アレッサンドロはたまらず、膝をついた。
脇腹の痛みは焼くようなものへと変わり、鮮血がにじみ出ていた。
深くはない。おそらく命には届かぬように手加減されている。
しかし、その切り口は恐ろしく鋭い。
普通の剣では『聖域』の守りは抜けないのではなかったのか。
そんなことができる者を、アレッサンドロは知っている。
(剣聖……)
アレッサンドロは思わず笑ってしまった。
(本家の節穴どもめ、何が楽勝だ。私如きでは勝てるはずがないではないか)
黒騎士など、所詮はならず者の類とこき下ろし、アレッサンドロならば勝利間違いなしと宣った父を始めとした弟、家臣たち――本家の者どもを、アレッサンドロは呪いたくなった。
やがて完全に脱力して、支えを失ったアレッサンドロの身体が力なく崩れ落ちた。
「そこまで!
勝者、騎士ミツハル・ラッセル・ゲールハイト卿!
救護班、治療を!」
ようやく、ベンは黒騎士の勝利を告げ、決闘を止めた。
それと同時に、学園所属の神官たちが駆け寄って奇跡の御業を使い、アレッサンドロの傷を癒し始める。
「どうだ?」
ベンが神官にアレッサンドロの容態を尋ねると、神官は祈りを止めて真面目な表情で答えた。
「見た目は酷いですが、打撲、擦り傷、捻挫だけです。左脇腹の切り傷も深くありませんので、治癒で事足りるかと」
神官の話通り、アレッサンドロの傷はたちどころに癒えた。汚れこそ残るものの、体はすぐに元通りになる。
アレッサンドロの隣に立ち、その様を見ていた黒騎士――光玄は目を丸くする。
「ほほう、これが奇跡の御業でござるか! 奇怪なり!」
黒髪黒衣の彼に、神官たちは嫌悪と恐怖を隠そうともしない。
それでも職務には忠実なのか、一人の神官が光玄へ近寄って尋ねた。
「……傷の手当は必要でございますか?」
光玄は自分の体を確かめ、左腕を出して見せた。
「この程度ならば、要らぬであろう」
ゆったりした黒衣の袖がわずかに切れており、光玄が出した腕には小指の爪ほどの長さの切り傷ができている。
疲れからまだ立ち上がれずにいたアレッサンドロの目にソレが入った。
(――届いた!)
切り傷というより、ほんのかすり傷だ。
それでも確かに、アレッサンドロの魔剣の切っ先は黒騎士に届いたのだ。
これもまた彼の手心かもしれないが、アレッサンドロの胸中を歓喜が埋め尽くす。
彼の剣の師に、百年に一度の天才などと持て囃された時よりも嬉しかった。
アレッサンドロの視線に気づいた光玄はニッと笑い、アレッサンドロに手を伸ばした。
「また、剣を交わし合おうぞ。今度は余計なものは背負わず」
アレッサンドロは、その手を掴んで苦笑いを浮かべて答えた。
「――二度とごめんだ」
「然様か」
にべもなく断られても、光玄は笑みを浮かべたままアレッサンドロを助け起こした。
パチパチパチ
いつの間にか客席から降りてきた学園長マリアが、数人の教員たちと共に、光玄へ拍手を送っていた。
「素晴らしい決闘でした、ラッセル卿」
そう話すマリアの薄紫の瞳には、強い好奇心と敬意の色が見える。
それは、彼女の後ろに控える教員たちも同様で、『黒騎士卿』への嫌悪や恐怖の感情はあまり見えなかった。
マリアは光玄を真っすぐ見つめ、問いかける。
「卒業後の進路はお決まりですか?」
「卒業後、でござるか?」
「ええ。当学園で、剣術の教員として教鞭をとっていただけないかと」
どうやら、マリアを始めとするこの教員たちは光玄の、アレッサンドロへの見事な『指導』にいたく感銘を受けたようであった。
「せっかくでござるが、断ろう。某はグランスタイン家の家臣なれば」
マリアの薄紫の目が細められる。
提案を断られても、どこか楽しげな様子であった。
「左様ですか。ふふ、『お姉さま』の仰る通り、面白い方ですね」
「姉君?」
「いいえ、こちらの話です。
――でも、もし卒業後お気持ちに変わりがありましたら、いつでもどうぞ」
彼女はそれ以上の勧誘はせず、一礼をすると教員たちと共に去っていった。
そして、彼女の後ろ姿――形の良いお尻をしばらく目で追っていたベンは、咳ばらいを一つすると、まじめな表情を取り繕って光玄とアレッサンドロに言った。
「こほん、では恒例として、決闘の勝者は敗者に一つ命令してよいこととする。
もちろん、法的強制力はないので拒否しても構わん。
――では、ラッセル卿。どうぞ」
ベンに促された光玄は、アレッサンドロに向き合う。
「然らば、イングリット殿と、その亡き母君への謝罪を求める」
見ると、向こうからイングリットたちが降りてきている。
それを目にしたアレッサンドロは気まずそうに目を背け、唇を噛んだ。
だが、意を決したアレッサンドロは、イングリットの前に進み出て片膝をつき、首を垂れた。
「――イングリット嬢。君と母君への侮辱、謝罪したい。海水にこぼした水は元通りにはならないが、この通りだ」
うなじが見えるほど深く頭を下げたアレッサンドロのその謝罪に、さすがのコルヴァンも多少は溜飲が下がったのか、烏兜の奥で小さく息を吐いた。
そして、アレッサンドロは謝罪だけに留まらず、腰元の魔剣を外すと、イングリットに差し出した。
「これを君に。賠償金として受け取ってほしい」
「そんなっ、こんな高価なものなんてとても……」
「――受け取られよ。イングリット殿」
単なる賠償金ではない。今のアレッサンドロが示せる精一杯の誠意なのだ。
それを察したイングリットはおずおず手を差し出し、魔剣を受け取る。
ガーベラとは違い、ズシリと重く、イングリットの華奢な身体はよろめく。
「おっと」
イングリットの隣に立っていた白金の少女が、彼女の細い腰を咄嗟に支える。
白金の少女の鼻先とイングリットの鼻先は触れあいそうになっており、イングリットの顔はたちまち真っ赤に染まった。
「剣は重い物だ。気を付けて扱わないといけないぞ」
「ひゃっ、あっ、ありがとうございます」
裏返った声でどうにか礼を言ったイングリットに、白金の少女は凛とした顔で微笑みかけ、離れた。
「むっ、もしや其処許は……入学式の時の、確かメルセデス殿か」
「ああ。ラッセル卿、決闘は見させてもらった。素晴らしい立ち回りだったな。
特に最後の一撃。あれは魔術をも超えた原典の魔法に迫るものがあったぞ。
『聖域』を普通の剣で切り裂く。尋常ではない」
「然様か? 多少『硬い』とは感じたが、それほどのものではなかったと存するが」
「ご謙遜を。『聖域』を切り裂くだけでも神業と言って差し支えないが――その上、手加減までしていたのだろう? でなければ、アレッサンドロの胴は真っ二つだったはずだ」
手加減という言葉に、アレッサンドロの顔が歪む。
そして、彼は痛みに耐えるよう、震える声で話した。
「ともあれ、もうお前たちに会うこともないだろう。私は家に連れ戻されるだろうからな。私はもう、終わりだ」
光玄は進み出て彼の肩に手を置いた。
「終わりではない。お主はまだ若く、才がある」
「はっ、まるで老人のような物言いだな。
――覚えておく。じゃあな」
そしてそのまま踵を返してアレッサンドロは去っていった。
その後ろ姿は埃まみれだ。しかし、背筋を伸ばし、胸を張った彼は敗北者には見えなかった。
微笑ましげな目を彼に向けていた光玄だったが、彼は次の瞬間何か思い出したかのように顔を青くし、続いて肩を落とし落ち込んだ。
「ラッセル卿、どうかしたのか?」
突然様子がおかしくなった光玄を、メルセデスが訝しげに見つめ、問うた。
「いや――義姉上になんと申し開きすれば良いかと思ってな。
『殺しなさい』と命じられ、結局某にはあの童を殺せなんだ」
「ふふっ、いやはや、噂に違わぬ破天荒ぶり。さすがはゲールハイト家か」
「ちょっと会ってみたいかも、アンゲリーカさん」
そう屈託なく話すメリッサを見て、光玄は首を傾げた。
「其処許は?」
「ラッセル卿は変わった話し方をされるのですね、わたしはメリッサと申します。
つい先ほど、イングリットちゃんとメルちゃんのお友達になりました」
あまり光玄との距離感が測れないのか、メリッサはすぐに猫をかぶって品の良い令嬢を演じ、光玄に優雅に一礼をして見せた。
「おお! イングリット殿と友になられたと! まことに重畳なり!
当家のイングリット殿を何卒、よろしく頼み申す!」
途端に、光玄は喜色を浮かべる。これでは家臣と呼ぶよりは――
「あはは、まるでお父さんみたいだね! よし、ラッセル卿もわたしと友達になりましょう!」
浮ついた様子の光玄がだいぶ気に入ったのか、メリッサはすぐに猫を投げ捨てて満面の笑みを光玄に向け、屈託ない様子で話す。
「是非とも!」
そんな風に盛り上がっている二人に、メルセデスが一歩歩み寄った。
「おや、わたしもイングリットの友人になったつもりだが。仲間外れは寂しいぞ」
メルセデスがそう冗談めいて話すと、光玄は力強く頷いて見せた。
「うむ! メルセデス殿も何卒、よろしく頼む!」
当のイングリットはどこか困惑げであった。
メリッサは距離感の詰め方がおかしく、メルセデスは良くも悪くも大雑把だ。
彼女の人生で、身内以外で――否、身内含めても、こうもぐいぐいと近づいてきてくれた者たちは皆無だった。
「い、いいのですか、だって、わたしは――」
卑屈さが顔を出しそうになるも、イングリットはメリッサとメルセデスの、自分を見つめる宝石のような瞳の輝きに魅入られ、言葉を飲み込んだ。
そしてふっと笑った。
気が付けば、イングリットはこの距離感の詰め方がおかしい少女たちのことがもうすっかり好きになっていた。
「――うん、ありがとう。メリッサちゃん、メルちゃん」
――だから、メリッサに倣って砕けた口調で返した。
メルセデスが目を細めて頷き、メリッサの表情が花開くように笑顔になる。
「どういたしまして!
――なんだろ、わたし、イングリットちゃんはどうしてか他人って気がしないんだよね」
「そ、そう?」
メリッサはまるで猫のように素早く、イングリットとメルセデスの間に飛び込み、二人の肩に腕を回して抱き寄せた。
「にひひ、実はお友達できるか心配だったんだよね。わたしってば箱入りだし」
「ふふ、君ならば誰とでも友人となれるさ。
――なぁ? イングリット」
メルセデスに話を振られたイングリットはほんのりと頬を染め、メルセデスに答える。
「う、うん」
まだ、人の好意に慣れておらず、ぎこちなさが抜けない。
そんな彼女に、メルセデスは優しく微笑みかけた。
――その時のことだった。
「うがぁ――!! うっそだろ、おい!! 見逃したァ!!」
突如アリーナ中に響き渡る、元気のよい少年の声。
その声を辿ってみると、アリーナの入口に一人の少年が立っていた。
短く切りそろえ、逆立つ茶の髪、メラメラ燃えるような赤の瞳。
日焼けした肌に、長い手足と相当鍛えられた頑強な身体。
よほど決闘が見たかったのか、彼は地団太を踏み、悔しがっている。
皆の視線が少年に集まり――
その視線に気づいた少年はずんずんと大股で歩み寄って、コルヴァンの警戒をよそに、メルセデスの前に立ち止まった。
「なんだ、メルじゃねぇか。お前、こういう決闘とかは嫌ってるんじゃなかったのか?」
どうやら、この少年はメルセデスとは知己であるらしく、親し気に話しかけてきた。
そんな彼に、メルセデスはにっこり笑って答えた。
「久しぶりだな、エリーアス。お前こそ、この手の決闘は大好物だろう? 見逃すなんて、よほどのことがあったのか?」
「はぁ、最悪だぜ。あのバカ王子、入学式にも参加しねぇでどっか行きやがって。
今までずっと探し回ってたんだよ」
「アウレール? そういえば、入学式で姿を見なかったな」
「ったく、おかげでせっかくのビッグイベントを見損ねちまったぜ。
で? 決闘はどうだった?」
少年――エリーアスが決闘の感想を求めると、メルセデスは悪戯っぽい笑みを浮かべて返した。
「ふふ、そればかりは、直接見た者だけの特権だ」
「うわ――気になる! くっそ――あっ」
今まで目にも入ってなかったのか、エリーアスは自分をやや引き気味で見つめる黒髪と琥珀色の髪の少女――イングリットとメリッサの視線に気づいて、ばつの悪い顔で頭を掻いた。
「おっと、悪い悪い。うるさかったよな。
俺はエリーアスってんだ。エリーアス・ヴォルタ。よろしくな!」
「あっ、はい。わたしはイングリット・グランスタインと申します」
「メリッサでーす」
「おう。って、チェリーもいるじゃねぇか。あのバカ王子ほっといて、なんでここにいるんだ?」
女子たちの陰に隠れるようにしていたチェリー――もとい、チェーリオはメルセデスと共通の友人、エリーアスに見つかり、バツの悪い表情を浮かべる。
「い、いやぁ、なんでだろうね?」
実のところ、チェーリオにもどうしてこうなったかは、よくわかっていないのだ。
幼馴染にして友人のいまいち要領を得ないそんな返事に、エリーアスは首を傾げては、すぐにあっさりと追及をやめた。
「――? まっ、いいけどよ」
メルセデスと同類で、細かいことは気にかけない質なのだろう。
エリーアスはイングリットたちへ視線を戻す。
否、正確には彼の視線は、イングリットの傍に影のように控える光玄の方に注がれている。
「――アンタが例の黒騎士卿か。アンタには、あの『噂』について聞きたいことがあるんだ!」
「噂? 何でござるか?」
エリーアスは真面目な表情を浮かべ、問い詰めるような声色で問うた。
「ルノー・リーロンド子爵の件だよ。
長年苦しめられたゲールハイト家としてはそら殺したいだろうさ。気持ちはわからなくはねーが、やり過ぎじゃねぇのか?
あんたの主義主張はともかく、普通貴族同士の諍いの責任は金銭で償うものだぜ」
エリーアスのその言葉に、光玄の眉間にしわが刻まれる。
「金銭にて償うか。しかし、その金銭は誰の懐から出たものか。
民が汗水垂らして得たものを、税として収めたものであろう?
なれば、それは民のために使うべきであって、己の責の代わりに他家へ差し出すべきではござらん」
「――!!」
エリーアスの赤の目が見開かれる。
(当たり前のことで、そこまで考えがいかなかった。
――そうだよな、元は民の財産なんだ)
二の句が継げずにいるエリーアスに、光玄は続ける。
「上に立つ者なら、戦場で傷つき、死にゆく民らの苦痛の何万分の一でも味わい、彼らの命を無駄にした責を受け、家臣らの助命のため命を捧げるべきでござる。
故に、ルノォ殿にはその命をもって責を果たしてもらったまでのこと」
これは、武士としての答えだ。理解を示せる人間がこの世界に果たして何人いようか。
白金の少女、メルセデスが無言で、光玄の前に立った。
真面目で、険しい表情。
彼女はおもむろに己の胸の前に拳を作って見せ、両踵を揃えた。
帝国軍人の敬礼である。しかも、最上級の敬意を込めたものだ。
「――敬意を。ラッセル卿。
民あってこその貴族。貴公の言う通り、その命と財産を粗末にしたのならその責を受け、罰せられて然るべきだ」
「いや、これはあくまでも某がそうありたいと思っている『武士道』に従っているまでのこと」
「ブシドー……素晴らしい言葉だ」
メルセデスは光玄が示した『ブシドー』に強く感銘を受け、共鳴していた。
そこで、今まで固まっていたエリーアスは、ずいっと光玄に手を差し伸べてきた。
「――?」
光玄はいぶかしげな目で、エリーアスの顔とその手を交互に見た。
(ああ、これはもしやあれか? 『握手』なるものか。
確か、友好の念と敵意がないと示すための)
日ノ本にいた頃、異人らがやっていたのを何度か見かけていた、妙な作法だ。
少なくとも、光玄がグランスタイン家の図書室で得た知識からしても、こちらの世界でも同様の意味合いを持つようだ。
(応じぬは、相手に恥をかかせるのだったか)
あまり意味の解らぬままに、光玄はエリーアスの手を握り返した。
(――ほう)
喧しく、ともすれば軽薄に見えたエリーアスの手はまるで岩肌のようであった。
尋常ではない研鑽を重ねて完成した、『剣に生きる者の手』だ。
それだけで、光玄はこの少年のことが大いに気に入った。
光玄の手を握ったエリーアスも同様の想いだったのか、にんまりと笑ってみせた。
(なるほど、妙な作法と思っていたが、存外悪くない)
かつて孤独な浪人だった光玄の人生において、初めて同じ志を抱く『友』と呼べる存在ができた瞬間であった。
遅くなって申し訳ありません。当初予定していたプロットに大きく手を入れた結果、随分と時間がかかってしまいました。




