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第45話 運命変曲点④

 アリーナの中央。

 急遽しつらえられた決闘場では、その最終確認が行われていた。


「んじゃ、おまえら。ルールの確認をするぞ。

えーまず一つ。戦意喪失を宣言した者はその時点で敗北とする」


 そう話すベンの口調は非常にゆっくりで、まるで子供に絵本でも読み聞かせているようなものとなっている。


「次ぃ、戦闘続行不能だと審判である俺がそう判断した際、その者は敗北とする」


「おい、ベン先生! もっと段取り良く進められないのか!」


 苛立ちを隠すこともできず、アレッサンドロはベンを急かせる。


「後で、『聞いてませんでした』とか言われても困るから、わざわざ時間かけて確認してんだよ。ほら、お前が口挟むからまた余計進行が滞っただろ?」


 その正論にアレッサンドロは歯噛みする。


「くっ、早くしろ!」


「どこまで話したっけか。

えっとぉ、次は、審判の決闘開始の合図の前に、指定の位置から無断で動く、剣を抜く、モノを投げるなどの行為は不正とみなし、その者は敗北とする。

最後は――まっ、当たり前だが、死亡した場合、その者は敗北とする」


 そこまで言ったベンは一度言葉を切って、腰元からナイフを抜いて二人に見せる。


「さて、このアリーナに展開されている『聖域』の実演だ」


 彼はそのままナイフの刃を自分の掌に押し当て、思いっきり切りつけた。

 しかし、刃が触れたところには傷は残されておらず、わずかな跡がついているだけだ。


「ご覧の通り、『聖域』の影響範囲内では、一定量のダメージは軽減される。

普通の剣なら精々が打撲止まりで、命に届くような怪我はしない。

とはいえ、無敵になるってわけじゃない。塵も積もれば何とやらで、ダメージが蓄積され続けりゃ、いずれは死ぬこともありうるんだ」


 ベンはチラリと両者の得物を見る。

 光玄の剣はサーベルに似た形の、あまりなじみのないものだ。

 しかし、特別な魔術式などが用いられているようには見えない。

 一応は普通の剣の範疇に入るだろう。


 対するアレッサンドロの剣は、鞘からして何らかの魔術強化が施されており、剣本体の素材もかなり高価なものが使われている。


(魔剣じゃねぇか。ロヴェルチアーノ家はどんだけこのぼんぼんを勝たせたいんだよ)


 ベンの眉間にしわが寄る。

 彼の視線に気づいたアレッサンドロが、得意げに魔剣を引き抜いて見せた。


「どうだ、この魔剣の輝きは!」


 翼を象った美麗なハンドガード。煌びやかなルビーがはめ込まれた柄。

 幅広の諸刃はうっすらと光を発し、何やら無形の力が剣の周りを陽炎のように揺らめいている。


 神が気まぐれに授ける聖剣に迫るものを作るため、人が魔術などを付与して作り上げたものを、一般的には魔剣と呼ぶ。

 その素材には最低でもミスリル、一般にはオリハルコンが使われる、恐ろしく高価な代物である。


 今アレッサンドロが掲げる魔剣は、部分的にアダマンタイトらしきもので補強されたオリハルコン製だ。さらには魔力を蓄え、放出する魔晶もふんだんに盛り込まれている。

 値段がいくらになるか想像もつかない。


(子供のおもちゃに、あんなとんでもねぇしろもんをポンとやれるのかい。

売れば、城が一つ建つだろうな。金持ちの侯爵家は羨ましいこって)


 ベンは魔剣の刃に目を凝らした。

 彼の見立てでは、切断力向上に加えて耐久性上昇、その他に使用者の身体能力を底上げする類の魔術が付与されている。


(あれじゃ、『聖域』の防護効果を簡単に抜けるんだろうな)


 装備面ではあまりにもアレッサンドロが有利だ。不公平だ。

 だが、剣術授業ならいざ知らず、決闘においては使用武器に制限はない。

 優れた武器や装備を用意できる財力も、その者の実力のうちだからだ。


「はいはい、わかったわかった。すごいすごい。

というか、開始前に剣を抜くなっつったろ。次やったら不正扱いにするからな」


 ぞんざいなベンの態度に、アレッサンドロはムッとしたが、素直に剣を鞘に納めた。


「んじゃ、質問はあるか?」


「ありませぬ」

「ない」


 ベンの問いかけに、光玄とアレッサンドロはそろって即答した。

 無理であることを承知の上で、ベンがため息と共に和解を求める。


「はぁ……じゃあ最後に、お互いなんか言いてぇことがあるなら言っときな。

できれば、和解してくれることを望む」


「それだけはないな。このアレッサンドロとて剣に生きる者!

目の前の戦いから逃げるなど、みっともない真似などできん!」


 剣に生きる者。その言葉に、光玄の目の色が変わる。


「ほう、よほど剣に自信があると見える」


 彼のその問いに、アレッサンドロは得意げに返した。


「そうとも、何せこの私は言葉を覚えるよりも先に、剣を手に取った男だ!」


 光玄の目から怒りの色が幾分か和らぎ、代わりに期待の色が表れる。


「ほほう、それは中々すごい」


「そういう貴様はどうなんだ」


「似たようなものよ。某は幼き頃、貧乏だった故、木の枝を振り回していただけであったがな」


「はっ、要するに、三流! ごろつきの剣か!

聞いて驚け! 私はあの剣聖サイ・ジ・アック殿の愛弟子、ペッテ・エンダ殿の薫陶を賜った身だぞ!」


 アレッサンドロのその台詞に、光玄の瞳の中に顔を出しつつあった期待が引っ込んだ。

 その代わりに、彼の胸中には失望の念が広がる。 


 ――かつて志士たちのもとで人斬りとして剣を振るっていた頃。

 光玄は標的を守る多くの剣士たちと相対してきた。

 彼らは、揃いも揃って皆、やれ何某の弟子だの、やれ何とか流だの、百戦無敗、天下無双などと宣う、口だけ達者な有象無象どもばかりだった。


 光玄は、今のアレッサンドロの台詞から、彼らのことを思い出してしまっていたのである。

 アレッサンドロはその中でも最悪の部類だ。

 己の強さを誇示するために、他者の名を出している。

 しかも、剣聖何某本人でもなく、その弟子の名を出している。

 話にもならない。


(ここまでくると、哀れですらあるな)


 光玄は改めてアレッサンドロを見る。

 図体だけ見れば、大人と比べても遜色はない。

 だが、その顔にはまだどこかあどけなさが残る。


(――まだ、童か)


 家に担がれ、己を失い、増長している子供だ。

 ――そう。ただの、子供だ。

 ずきりと、光玄の胸の片隅が痛んだ。


(『あの子』が生きていれば、丁度これくらいだったのだろうか)


 不思議なことに、先ほどまであった殺意は、嘘のように引っ込んでしまった。


(――つくづく、某は甘いな。よし、然らば)


 何かを決意した光玄は、アレッサンドロへ柔らかい笑みを向けて言った。


「然様か。ならば、お主の剣技、某に思う存分ぶつけてくるがよかろう」


 光玄の口から、かつてないほど優しく、柔らかい声が紡がれた。

 その漆黒の瞳にもどこか暖かい色がのぞいている。

 突然様子がおかしくなった光玄を見て、アレッサンドロは一瞬たじろいだ。

 しかし、やがて光玄のその態度を挑発と受け取ったのか、彼は目尻を吊り上げた。


「ふ、ふん、あくまでも余裕ぶるのか! いいだろう!

この私、ロヴェルチアーノ家の嫡男、アレッサンドロが直々に剣の腕を披露してやる!」


「――そういうことだ。教員殿。開始の合図を頼み申す」


 結局決闘を避けられなかったベンは肩を落とし、ため息をつく。

 しかし、すぐに真面目な表情を浮かべると、決闘を取り仕切った。


「はぁ……しょうがねぇ。では、両者は指定の位置へ」


 ベンの指示に従い、光玄とアレッサンドロはそれぞれの指定の位置へつく。

 両者の距離は約十歩ほど。


「えーと、騎士ミツハル・ラッセル・ゲールハイト卿と、ロヴェルチアーノ侯爵家令息、アレッサンドロ殿の決闘を執り行うことをここに宣言いたします」


 教師ベンは決闘宣言文を読み上げ、剣を掲げた。


「両者、用意!

――はじめ!!」


 ベンが掲げた剣を振り下ろす。切っ先が地面を叩き、重たい金属音が響く。

 それを合図に決闘が始まった。


 開始と同時に、アレッサンドロは魔剣の柄を握る。

 瞬間、彼の視界が漆黒に染まった。


「!?」


 十歩以上離れたところに立っていた光玄が、一瞬にしてアレッサンドロのすぐ目の前に距離を詰めてきたのだ。

 そのあまりの速さに、アレッサンドロは肝が冷える思いをしたが、光玄はまだ刀を抜いておらず、ただアレッサンドロの間合いに入ってきているだけだ。


(自分から斬られに来たか!)


 自慢の魔剣を抜き、そのまま斬りつける。


 ガッ

 そんな、耳障りな音が響いた。

 魔剣の刃は光玄の身に届いていない。

 それどころか、魔剣はその身を鞘から出せてもいない。

 見ると、光玄の刀――無銘の柄が、魔剣の柄に軽く押し当てられていた。

 大して力も込められていないのに、万力で押さえ込まれているかのように、ビクともしない。


「――どうした。剣を抜かねば、剣術は披露できまい?」


「なっ」


 そのまま、光玄が逆手で抜刀し――


「くっ」


 アレッサンドロは瞬時に後ろへ飛んで距離を離そうとして、尻もちをついた。

 飛ぶ直前、光玄に足を踏みつけられたのだ。


「判断や良し。しかし、足元が留守であるな」


「~~!」


 客席ではクスクスと笑い声が上がっている。開始早々尻もちをつくアレッサンドロの姿がよほど間抜けだったのか。

 屈辱。アレッサンドロは歯ぎしりをし、転がるようにして光玄から離れ、立ち上がった。


「貴様っ!!」


 怒気と共に、アレッサンドロは魔剣を抜き放ち――

 またしても、地面に転がった。


「!?」


「足元が留守であると言ったであろう」


 またしても、アレッサンドロは魔剣を抜けなかった。

 再度距離を詰めてきた光玄の指先で柄を押さえられ、一瞬固まった隙を突かれて、足払いを喰らってしまったのだ。

 光玄は、そのまま無銘をわざとらしく大振りで振り下ろす。


「うわっ!」


 それを、アレッサンドロは寸でのところで避ける。

 そしてすぐさま立ち上がり、今度は足元に注意を傾け――


「前を見ぬか」


 ぬっと伸びてきた手がアレッサンドロの顎に押し当てられ、彼はまともに受け身も取れず、背中から地面に叩きつけられた。


「かはっ」


 どうにか顔を上げて光玄を見ると、彼は無銘を手に構えもなく悠然と立って、アレッサンドロを見下ろしている。

 アレッサンドロはまるで相手になっていない。

 さすがに両者の間の隔絶した技量の差が観客にもわかってきたのだろうか。

 客席ではざわめきが広がっている。


「なぜ、すぐ終わらせない?」

「甚振って楽しんでいるのですわ……!」

「なんだ、アレッサンドロはあの程度だったのか」

「あれだけ大口叩いておいて、なんだあのざまは」


 光玄はそんな観客たちを見回してから、まだ立ち上がれずにいるアレッサンドロに話しかけた。


「好き勝手に言われておるぞ。このままで良いのか?」


「くっ!」


 アレッサンドロは鞘ごと剣を振り回して、光玄をけん制しつつ立ち上がる。

 妨害され剣を抜けないなら、鈍器として使えば十分脅威となると判断したのか。


「悪くはない」


 光玄はそれを避けず、無銘の背で受け流した。

 アレッサンドロの鞘が無銘の刀身の上を滑る。

 バランスを崩し、前のめりになったアレッサンドロの腹を、光玄は思いっきり蹴り上げた。


「がっ」


「――しかし、剣先ばかりに気を取られ、次の手が意識できておらぬ」


 よろめいて倒れかけたアレッサンドロの足を踏み止め、肩を掴んで、光玄は彼を無理やり立たせる。


「剣ばかりに頼るべからず。時に、己の手足は剣に勝ると知れ」


「ぐっ、ぬぁあっ!」


 痛みを堪え、唸り声をあげてアレッサンドロが光玄に殴りかかる。

 それを光玄が一歩引いて難なく避けると、続けざまに鞘が勢いよく飛んできた。


「――ほう」


 その煌びやかな鞘を弾き、光玄は感心してアレッサンドロを見た。

 アレッサンドロは魔剣を勢いよく突き出しながら、親指で鞘を強く弾き出していたのだ。

 よく見ると、今ので彼の爪が割れて血がにじみ出ている。


 鞘で作り出したほんのわずかな隙を利用し、間髪入れずアレッサンドロが突っ込んでくる。

 だが、光玄は先んじてアレッサンドロの間合いに深く踏み込んで、その膝を蹴りつけて勢いを殺した。

 バランスを崩されたアレッサンドロは、ガクッと片膝をつく。


「踏み込みが甘い」


 そのまま、丁度いい高さになったアレッサンドロの顎を、光玄の膝が打ち抜く。

 崩れ落ちそうになる彼の身体を、光玄が容赦なく掴んで立たせる。


「――故に簡単に止められる」


 まともに剣も交えてもらえない。光玄は体術だけでアレッサンドロを圧倒していた。

 一方的な展開に、もう勝負ありとみた何人かの観客たちが席を立ちはじめる。

 客席の雰囲気もどこか白けたものとなっている。もはや、ヤジを飛ばす者もいない。

 状況を見ると、もうアレッサンドロは敗北したとみて差し支えない。

 審判による光玄の勝利が宣言されても、異議を唱える者はほぼいないだろう。

 しかし、審判を務めるベンは動かない。

 ただ真面目な表情で二人を見守るだけだ。


「おぁっ!!」


 呻き声と共に、アレッサンドロが魔剣を振るって光玄を引き離す。

 光玄は、わざとらしく大きく後退してアレッサンドロを誘った。

 だが、アレッサンドロはそれには乗らず、逆に一歩引いてしっかり魔剣を構えた。


「今のは良い」


「うるさい、黙れ!」


 アレッサンドロの顔は涎と鼻水で汚れ、目元には涙まで浮かんでいる。

 だが、その意志の強そうなオレンジの瞳は光を失っておらず、どこか最初とは違う類の色を帯びている。


 地面を蹴って、アレッサンドロは深く踏み込んで鋭い突きを放つ。

 光玄がそれを鍔で受け止めつつ、わずかに身を引いてアレッサンドロの体勢を崩し、再度足払いを仕掛ける。


 それを、アレッサンドロは軽く飛んで避けた。

 その状態で、光玄の空いた脇腹を狙って蹴りを繰り出す。

 崩れた体勢での蹴りでは十分な勢いはなかったが、光玄の追撃を止めるためのけん制としては十分だった。

 

 光玄は後ろへ飛んでそれを回避し、悠然と立ってアレッサンドロと対峙する。

 その姿を見たアレッサンドロは歯がみした。


(こいつ、一体どういうつもりなんだ……!)


 その気になれば、黒騎士は初手で勝負を決めることができていたはず。

 主とその生母を侮辱したアレッサンドロを苦しめるのが目的なのか。

 衆目の前で無様に這いずり回らせ、恥をかかせるのが目的なのか。


「筋が良いな」


「!?」


 ついさっきほどの攻防で、何か感じるものがあったのか、黒騎士は微笑んでそう言った。

 アレッサンドロとしては、ただ必死に足掻いただけだ。

 むしろ無様だったと思っている。


「この短い間に、格段に良くなっておる。良いぞ、実に良い」


 アレッサンドロは目を見開いた。

 黒騎士からは怒りや侮蔑のような感情が感じられない。


(何なんだ、この男。先ほどの私の侮辱を気にしていないのか?

あんなことを言われては、我慢などできんはずだ)


 父の入れ知恵。事前に取り決めてあった、黒騎士を確実に決闘の場へ引きずり込むための侮辱の言葉。

 もし自分が似たようなことを言われたなら、我を忘れそうな言葉。

 確かに、この黒騎士も最初は尋常ではない様子だったが、どういうわけか決闘開始直前から様子が一変し、この調子である。


「さぁ、続きをやろうぞ。如何様にも打ち込んでくるが良い」


 そう言う黒騎士はどこか楽しげですらある。

 困惑、混乱。アレッサンドロは訳が分からなくなった。


「――童。『今』は余計なことは考えるな。ただ、某を打倒すことだけを考えよ」


 童。子ども扱い。だが、どういうわけか、アレッサンドロは怒りを覚えなかった。

 深呼吸をし、言われた通り、頭を空っぽにする。

 そして、アレッサンドロは迷いなく、強く前へ踏み込んだ。





 アリーナの客席。

 もう観客は疎らであった。


 決闘開始から約三十分。

 光玄とアレッサンドロの決闘は戦いになっておらず、ひたすらアレッサンドロが地面に転がされ続けているだけ。

 教員らもほとんどは仕事へ戻り、未だ残るのは学園長マリアとわずか数人だけ。


 関係者であるイングリットたちの席でも、メリッサはもう飽きてきたのか、隣のチェーリオに絡んで、何やらからかっている様子。

 一行の後ろに控えるコルヴァンは、アレッサンドロが無様に転がされるのを、黙って見守っている。烏兜のせいで表情はわからないが、どこか不満げにも見える。


 イングリットはメルセデスを見た。

 素人のイングリットから見ても、決闘の様相は武人メルセデスが求めたような高水準なものには達していないように思える。

 ただ、圧倒的な技量差でアレッサンドロが弄ばれているだけだ。


「――優しいのだな。やはり、噂などあてにならん」


 ぽつりと、当のメルセデスがそう言った。


「えっ」


 意味が解らず、イングリットは目を白黒させた。

 メルセデスは一瞬たりとも光玄とアレッサンドロの動きから目を離さずに答える。


「黒騎士卿は、ずいぶん優しいのだと思ったのだ。

アレッサンドロが羨ましいくらいだ」


「羨ましい、の? アレが?」


 チェーリオの脇腹を突っついていたメリッサが、何とも言えない表情でそう尋ねた。

 ちょうど決闘場内では、アレッサンドロが顔から地面に叩き伏せられるところだった。


「もちろん、衆目の前で恥をかかされたいわけではないとも。

ただ、実によい指導だと思ったのでな」


 メルセデスにそう言われ、一同が決闘場を見る。

 鼻血を流しながらもアレッサンドロは立ち上がり、光玄に斬りかかる。

 豪奢な衣服は埃まみれ。顔は鼻血と涎と涙でぐちゃぐちゃ。

 もうすっかり疲れ果て、肩で息をしている。

 自慢の剣術の構えを取る余裕もなく、出鱈目に剣を振るっているだけのように見える。

 だが――


「――綺麗」


「確かに?」


 イングリットがぽつりとそうつぶやき、メリッサもよくわからないなりに同意を示す。

 出鱈目に振り回したその剣先の軌跡は、どことなく光玄のそれに似ていたのだ。

 しかし、それもまた容易くいなされ、アレッサンドロはまだ地面を転がる。

 彼はすぐさま起き上がりつつ、突きを放った。

 先ほどより鋭く、無駄がない。


「わたしも是非、教えを乞いたいところだ」


 メルセデスはその白金の瞳を輝かせ、光玄の動きを一つたりとも見落とさぬよう熱心に見つめている。

 その頬はわずかに上気して、口元は愉快げに吊り上がっている。

 そして彼女の白い指先は、光玄の動きに合わせて忙しなく動く。


「こう攻めたら……いいや、無理か。喉を掻っ切られて終わりだ。

なら、こうか? いや、それでは腹を裂かれるか。ふふ、ではこうすれば……」


 メルセデスの艶やかな薄桃色の唇が、恋文でも読み上げるような浮ついた音色で、物騒なことをつぶやく。

 脳内で光玄と斬り合うイメージでも描いているのか。

 その陶酔した顔は、同性であるイングリットから見ても、ドキリとするほど美しく、妖しい色香を放っていた。


 やがて、イングリットの視線に気づいたメルセデスは、小さく咳ばらいをすると、平静を取り繕った。


「こほん、失礼。また悪癖が出てしまったようだ」


 未だ興奮気味な彼女の後ろで、コルヴァンがガチャリと首を横に振って、くぐもったため息と共に吐き捨てた。


「――理解できません。お嬢様と亡き奥様を侮辱した者に手解きなどと。

やはり、私が決闘に出るべきでした」


 メルセデスはコルヴァンの方を振り返り、困ったような笑みを見せた。


「気持ちは分かるが、彼はその上でアレッサンドロの才を惜しいと思ったのだろうな。

なんにせよ、決闘の場でここまで徹底的に弄ばれたのだ。

アレッサンドロのこれからの未来は、茨の道になるだろう」


 その言葉に、コルヴァンは少し留飲を下げる。


「――それは、確かに。聞きに堪えぬ侮辱をして決闘を仕掛けておいて、終始みっともなく這いずり回っていたのでは、いい笑い者でございます。

家に恥をかかせて、あの小僧がただで済むとは思えません」


 コルヴァンを見つめるメルセデスの目が細められる。


(平民の護衛兵を名乗る人間が、随分と貴族目線で話すものだ。

――その鎧の中身は何なのか。興味がそそられるな)


 メルセデスは他人の事情に踏み込むことを是としない。

 いつもなら、コルヴァンのことは多少学のある変わった護衛兵程度に思うはずなのだが、どういうわけかメルセデスは彼のことが気になって仕方がない。

 あの烏兜の中身を暴いてやりたい。


(ふふ、あの白い人影の誘いに乗って正解だったな。得難い縁に巡り会えた、そんな気がする)


 黒騎士卿に、イングリット、メリッサ、そしてコルヴァン。更には旧友チェーリオとの再会。

 今日この場に来なければ、この縁には巡り合えなかった。そんな気さえしている。

 メルセデスはかつてないほど心が踊るのを感じた。

 そして彼女が再び煌めく白金の瞳を向けた先、決闘場ではいよいよ決着の瞬間を迎えようとしていた。

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