第44話 運命変曲点③
学園アリーナ。
ほぼ満席の様相を呈している観客席の一角では、光玄の主、イングリットがチェーリオと護衛兵コルヴァンと共に、固唾をのんでアリーナの中央を見つめていた。
「あの、イングリット嬢? あまり心配しなくても大丈夫だと思いますよ。
このアリーナには『聖域』の奇跡の御業が展開されていますから、よほどのことがない限り、大怪我をすることはありませんよ」
気が気でない様子のイングリットを見かねたチェーリオがそう言うと、後ろに控えていたコルヴァンも頷き、同意を示す。
「はい、チェーリオ殿の仰るとおりかと。
そもそも、万が一にもラッセル卿が負けるような事態にはなりません」
それでもなお、イングリットの表情は晴れない。どうしても心配なのだ。
ただし、心配している相手は光玄ではなく、アレッサンドロなのだが。
知り合って日は長くないが、イングリットはもう光玄の人となりをよく知っている。
義に篤く、礼儀正しく、天然。
それでいて意外と血の気が多く、気が短いのだ。
イングリットの素人目からしても、光玄の剣技は極まっている。
コルヴァンの言う通り、光玄が敗北するようなことは万が一にもあり得ない。
それに、あの怒りよう。たぶん、アレッサンドロはただでは済まない。
光玄が自分のために怒り、決闘を引き受けたことはもちろん嬉しかったが、必要以上にアレッサンドロが傷つくのも憚れたのだ。
「――あの、お隣、座ってもよろしいでしょうか?
どこも空いてなくて……」
澄んだ女性の声。
イングリットの傍に、いつの間にか一人の女性が立っていた。
その女性の言葉にハッとなり、イングリットは周りを見回した。
『濡れ烏の君と黒騎士卿』――イングリットと光玄の噂なら今やこの学園で知らない者はいない。
恐れ、或いは嫌悪で誰も進んで近寄ってはこない。
現に、この女性が来るまで、イングリットたちの周りの客席だけが切り抜いたように空席になっており、誰も座っていなかったのだ。
だが、そんな中、自ら近寄ってきたこの女性には、恐れや嫌悪のような感情は見られない。
鮮やかな琥珀色の髪。青空をそのまま閉じ込めたような碧眼。
高く、形の良い鼻梁に、小ぶりで血色の良い唇。
目に優しい空色のドレスに包まれた身体は肉感的で、見たところ二十歳前後の品の良いレディといった風貌である。
教員などの学園関係者なのだろうか。
彼女の姿を見て、イングリットは思わず首を傾げた。
この女性と、どこかで会ったことがあるような気がしたのだ。
しかし、イングリットは箱入りで、屋敷の敷地の外にはほとんど出たことがない。
家族やその関係者、屋敷の使用人や護衛兵以外には知り合いなどほとんどいない。
初対面の相手に、急に「どこかで会いましたか?」などと失礼なことを問う勇気は、まだ今のイングリットにはない。
一方で、その女性の姿を見た瞬間、ガチャガチャとコルヴァンの鎧が喧しい音を立て始めた。
なにやらひどく心を乱され、動揺している様子だ。
「コルヴァンさん……?」
いつにもまして変な様子のコルヴァンに気づいたイングリットが、恐る恐る彼の名を呼ぶ。
「――失礼、何でもございません、お嬢様」
コルヴァンは烏兜を振って平静を取り戻し、何事もなかったように、くぐもった声で女性に話しかけた。
「失礼ながら、レディ。こちらは生徒の客席でございます。
教員の客席は――」
「あ――! また言われたぁ! わたし、そんなに老けて見えますか?
こう見えて、まだ十三歳なんですけど!」
先ほどまでの品の良いレディはどこへやら。
ここへ来るまで、似たようなことを何度も言われたのだろうか。
女性はどこか幼さを感じさせる仕草で地団太を踏み、怒りだした。
「むっ、いや、その――
も、申し訳ございません、レディ。こちらへどうぞ」
さしものコルヴァンも、さすがに彼女の剣幕にたじろぐ。
――どうみても、彼女は二十歳前後にしか見えない。
とはいえ、レディの年齢を読み違えるなど、大変な失礼だ。
コルヴァンはすぐさま謝罪の言葉と共に頭を深く下げ、お詫び代わりに彼女を席へエスコートしようと手を差し伸べた。
しかし、頬をぷくっと膨らませた女性――否、少女はコルヴァンを素通りすると、イングリットとチェーリオの間にどかりと座りこんだ。
その仕草はなるほど、十三歳らしいものであった。
そして、その十三歳という年齢で、イングリットは彼女が何者なのか思い出した。
「あの、もしかして入学試験次席――歴代最年少の入学生のメリッサ様でいらっしゃいますか?」
「え? はい、そうですけれど。
あの、わたし平民ですので、様付けはちょっと……」
「で、では、どうお呼びすれば……」
「メリッサって呼び捨てにしてくださいな」
「え、えぇっと、め、メリッサさん。わたしは――」
「イングリット・グランスタイン様ですね?
存じておりますよ。イングリット様は有名人ですもの。
大変ですね、悪名ばかりが先走って。みんなそうやって好き勝手ばかり言って」
ため息と共に、メリッサはうんざりしたような表情を浮かべる。
そこに、突如凛とした声が響いた。
「――だが、悪名も名声だと誰かが言ったのだ」
その通り。光玄がやらかした切腹事件。そこに尾ひれがつき、あり得ない伝説を生み出し続け、さらにはその主であるイングリットまでも邪悪極まりない存在へと昇華されつつある。
それが、彼女の存在感を嫌でも浮き彫りにさせ、無視できない存在にさせている。
今では新入生どころか、全学園生徒の注目の的なのだ。
それが今、本来交わることのない運命を呼び寄せた。
――白金の髪がなびく。
コツコツと、力強い足取り。
一陣の風のように現れたその人物は、イングリットの隣に立ち止まった。
「失礼。わたしはメルセデス・カルスタインという。
迷惑でなければ、わたしもご一緒させてもらえないだろうか。ここ以外の席は全部埋まっていてね」
軍人然とした言葉遣いの彼女は、先ほどの入学式で新入生代表として演説をしていたメルセデスだった。
イングリットと同年代でありながら、自分だけの力で強く生きている少女。
アンゲリーカに並ぶ、イングリットにとっての憧れの存在だ。
そんな彼女が今、声をかけてくれている。
喜びと驚きがごちゃ混ぜになって、イングリットの声は裏返り、表情は笑顔なのか泣き顔なのか、よくわからないものになってしまっている。
「い、イングリット・グランスタインと申します。ど、どうぞ、お座りください」
イングリットは、しどろもどろにそう答えるのが精いっぱいだった。
「わっ、メルセデス様だっ! お会いできて光栄です!」
隣にいたメリッサがイングリットの肩に腕を回し、寄りかかってきてメルセデスを、年相応の無邪気な瞳で見つめる。
彼女もまたメルセデスのファンのようで、かぶっていた品の良いレディという猫が剥がれ落ちようとしている。
「ん? 君は確かメリッサだったな。史上最年少で学園入学とは恐れ入ったよ。
わたしこそ会えて光栄だ」
メルセデスはメリッサへの返礼とばかりににっこりと笑って見せた。
イングリットとメリッサは二人揃って、その眩しい笑みに魅入られ、見惚れた。
メルセデス・カルスタイン。社交界での異名は『白金の君』。
大陸西部の覇権国家、カルスタイン帝国の第十三皇女。
臀部まで伸びる、眩いばかりに輝く白金の髪。切れ長の意志の強そうな白金の目。
イングリットに負けぬほど白く、それでいて朱のかかった、シミ一つない、健康的な肌。
入学式の時、遠目から見ても圧倒的だった彼女のプロポーションは、間近で見ると息を飲むほどの迫力があった。
姿勢よく凛と立つその姿は、まさに彼女の異名『白金の君』にふさわしいものだった。
そんな彼女の白金の瞳が、メリッサの陰に隠れるようにして客席に座る、小柄な少年、チェーリオを捉えた。
「ん? チェリー!? チェリーではないか!」
「や、やあ、ひ、久しぶり。メルちゃん」
どうやらメルセデスとチェーリオは知り合いだったようで、メルセデスは喜色を浮かべた。愛称で呼び合うほどの、親密な関係なのだろうか。
「久しぶりだな! かれこれ、二年ぶりか?
しかし、君が何故ここに? アウレールはどうしたのだ?」
「えっと、色々あって」
「なるほど、そうか」
そんな曖昧なチェーリオの返事に、メルセデスは納得したようだった。
細かいことはあまり気にしない質らしい。
そんなメルセデスに、イングリットの護衛兵、烏兜のコルヴァンが歩み寄って手を差し伸べた。
「レディ、どうぞこちらにお掛けください」
貴婦人をいつまで立たせてはおけないと思ったのか、メルセデスをエスコートしようとしたようだ。
漆黒、しかも不気味な烏を象ったフルフェイスの兜。
普通の令嬢ならば、後ずさりしそうなものだが、メルセデスは素直にコルヴァンの手を取った。
コルヴァンは、そのままメルセデスをイングリットの右隣の席にエスコートする。
いつの間にか座席にはハンカチが敷かれており、彼はレディに対する礼を尽くし、片膝をつきながらメルセデスを座席へ座らせる。
その洗練された所作は、とても一介の護衛兵とは思えない完璧なものであった。
「ふふ、これは、ご丁寧に。
――まるで、どこかのお騎士様のようだ」
ほほ笑みながらも、鋭い眼差しでコルヴァンを観察するメルセデスは、彼の仕草、身のこなしから只者ではないと察したようだった。
当のコルヴァンはそれに動揺することなく、抑揚のない、くぐもった平坦な声で返す。
「お戯れを。私は只の平民の出。一介の護衛兵にございます。
メルセデス様がそうお思いになられたのでしたら、我がグランスタイン家当主、アルトゥール公の薫陶の賜物かと」
「ふふ、アルトゥール公は幸せ者だな。これほど主を立てられる兵に恵まれるとは」
メルセデスはそう言って柔らかく微笑んで見せると、それ以上追及することはなかった。
「――?」
一方のチェーリオは、先ほどのメルセデスとの問答で、いまさらになってある違和感を覚え、首をかしげていた。
(――あれ、本当だ。なんでぼく、ここにいるんだろ)
チェーリオは恐る恐る周りを見た。
周りの生徒たちからの、探るような視線が突き刺さる。
彼らがチェーリオに向ける視線は、イングリットへ向けるものとそう変わらないように思える。
(あっ、やっぱりぼくって……イングリット嬢の派閥メンバーにしか見えないのでは?)
チェーリオはようやくはっきり自覚する。
おそらく、明日頃には学園中に『チェーリオ・マルデーラはイングリットの側近になった』と噂が立つことだろう。
(本家にどう報告したら……)
代々王子の側近を輩出してきたマルデーラ家の嫡男が、他家の令嬢――それもあの濡れ烏の君の側近になるなど、あってはならないことだ。
下手したら放逐もあり得る。
事態が取り返しのつかない方向へ進む前に、どうにかしなければならない。
そもそも、ルクレツィア妃が学園ではアウレール王子と距離を置くようにと言わなければ、こんなことにはならなかったというのに。
(妃陛下にご相談を……)
この事態を招いた張本人に泣きつくことを考えついたチェーリオだったが、すぐに彼は首を振った。
チェーリオが知るルクレツィア妃なら、「あら、それでよろしいのではなくて?」と面白がるはず。
むしろ、マルデーラ家に圧力をかけて、チェーリオを正式にイングリットの側近にしようとするかもしれない。
そうなったら、チェーリオの卒業後の進路はグランスタイン家の文官一直線だ。
万策尽きたチェーリオは、ぼんやりとイングリットを見つめる。
不幸を招く忌み子と呼ばれる令嬢、イングリット。
実際、現在進行形でチェーリオは破滅へと引きずり込まれている。
(でも……なんというか、居心地いいんだよね)
イングリットはチェーリオが何かを言う度、真摯に耳を傾け、必ず礼を言ってくれる。その従者ラッセル卿も思いのほか、素直な反応を返してくれる。
これは充実感と呼ぶべきものだろうか。アウレール王子の側では得られなかった感覚だ。
思えば、チェーリオはアウレール王子に感謝などされた記憶はなかった。
アウレール王子が悪いわけではない。
チェーリオはアウレール王子にとって、物心つく前から共に過ごした半身、手足のような存在だ。
自分の手のやったことに、一々感謝を述べる人間などいないのだ。
(――しばらくは、このままでいいかも。何かあったら、その時はその時だ)
問題の先送りではあるが、チェーリオは彼なりに覚悟を決めた。
「チェリー、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
そんなチェーリオの様子に気づいたメルセデスが、彼の顔をじっと見つめていた。
「あ、あはは、決闘なんて怖いなぁと思って。
そ、それよりチェリーはやめてよ、メルちゃん」
「なんでだ? 可愛いじゃないか、チェリー」
アウレール王子の「烏、カッコいいじゃないか」と似たようなことを宣うメルセデスを、チェーリオはジト目で見る。
彼女はチェーリオの親友ではあるが、大雑把で少々無神経なところがある。
ある意味、アウレール王子と同類で、一緒にいると気が休まらないタイプの人間だ。
本当のことを言えば、このメルセデスも濡れ烏の君、そして黒騎士卿と並んでチェーリオの穏やかな学園生活を脅かす、危険人物の一人として想定していた。
そのため、チェーリオとしてはなるべく避けたかったのだが――
どんな運命のいたずらか、彼はその危険人物全員と関わりを持ってしまったのである。
こうなってしまったからには仕方がない。これ以上の被害拡大を防ぐため、尽力すべきだ。
「えっ、いや、ぼくももう十六の男子なんだし、そういう子供っぽいあだ名はちょっと」
実のところ、『チェリー』という言葉が、『童貞』を意味する隠語であることを知ったアウレール王子に、チェーリオは長いこといじられていたのであった。
学園生活の間、その恥ずかしいあだ名が広まるのだけは断固として阻止する。
そのつもりだったが――
「え、えっと、わたしもチェリーは好きです。宝石みたいに綺麗で」
「うんうん、それに美味しいんだよね!」
話を聞いていたイングリットとメリッサが、要らぬフォローをしてきた。
このままでは、完全にチェリーとして定着してしまう。
「あ、いや、ですから――」
「で? チェリー君とメルちゃんって、すごく仲良しみたいだけど、どんな関係?」
チェーリオの抗弁を遮って、メリッサが目を輝かせ、メルセデスに軽い調子で尋ねた。
ついに、かぶっていた猫がどこかへ飛んで行ってしまったのか。
先ほどまでの令嬢然とした姿はどこへやら。
もうすっかり十三歳という、年相応の無邪気さが前面に顔を出してしまっている。
しかも、距離感の詰め方がだいぶおかしい。
メリッサは早速チェーリオとメルセデスを愛称で呼び、いくら学則で『生徒は皆平等』だとはいえ、彼女は躊躇いなく高貴な身分である二人にため口を利いている。
だが、この場の誰もそれに不快感を抱くことはなく、むしろ親近感を覚えているようであった。
ある種の天賦的な才能なのか。
実際、彼女に『メルちゃん』と呼ばれたメルセデスはどこか嬉しそうに、機嫌よく答えた。
「ああ、わたしが五、六歳の頃だったか。グラントリアの王城にしばらくお世話になったことがあってね。チェリーとはそれ以来の親友なのだ」
「あの、だから――」
「そうだったのですね。親友……なんだか憧れてしまいます」
またしても、チェーリオの言葉は届かず、今度はイングリットが目を輝かせ会話に加わった。
「うむ、アウレールに、チェリー、エリーアス、リベルト、ロッティ。あの頃が懐かしいな」
しばらく遠い過去を懐かしむように目を細めて宙を眺めていたメルセデスは、ふと何か思い出したかのように、イングリットを見て話した。
「――そういえば今朝、わたしの服飾担当のティナが君のところにいたと聞いたのだが。何やら君のメイドと親しげだったとか。
わたしたちもそれに倣い、友として良き関係を築いていこうではないか」
「し、親しげですか……」
サーリアがこの場にいたら、即座に「え、なにそれ。違いますけれど」などとツッコミを入れていただろうが、あいにく彼女は使用人寮の研修会でこの場にいない。
どこか微妙なイングリットの反応に、メルセデスが眉をひそめる。
「おや、違ったのかな? ティナはわたしのところにも来ずに何をしたのだろうね。後で詳しく聞いてみないとな」
メルセデスの顔がわずかに険を帯びた。軍人らしく、信賞必罰が信条なのかもしれない。
このままではティナは処罰されかねない。
「あ、あの、ティナさんを叱らないであげてください。
彼女はわたしの専属メイドのサーリアと一緒に、このドレスを仕立ててくれたのです」
イングリットのそのフォローに、メルセデスは目を見開いて彼女の漆黒のドレスを食い入るように見つめた。
「ほう、その見事なドレスをか。ああ、確かにティナの得意な意匠が使われているようだな。
ティナのやつ、早速友人を作ったばかりか、更にはその手伝いをしていたと?
ふふ、それはうんと褒めてやらなくてはならんな」
イングリットはホッと胸を撫でおろした。
「え、ええ。当家のサーリアにも、早速友人ができたようでわたしも嬉しいです。
あの、皇女殿下――んむっ」
突然、メルセデスは、イングリットの唇に人差し指を押し当て、彼女の言葉を遮った。
「生徒同士で皇女殿下はなしだ。皆等しく一生徒。学則は守ってもらおう。
敬語も、できればやめてもらえると嬉しい」
その口調には厳しさがにじみ出てはいるものの、気を害した様子はない。
イングリットがドギマギしながら頷くと、メルセデスは指を離し、まっすぐイングリットの顔を見つめ、話を続けた。
「それに、君の実家グランスタイン家は、その祖が我がカルスタイン皇室の傍流だったはずだから――わたしたちは、遠縁の親戚にも当たるのだ。
これからは気軽に、メルセデスと呼んでほしい」
「へぇ、そうだったんだ? 確かに、どことなく目元が似ているかも?」
メリッサがイングリットとメルセデスを見比べてそう言った。
確かに、彼女の言う通り、二人の切れ長の目はどこかよく似ている。
しかし、全体的にあどけなさの残る顔つきのイングリットとは違い、メルセデスは女性らしく線の細い顔立ちながらも、男性武官のように凛々しく精悍な雰囲気を醸し出している。
メリッサの言葉を受け、メルセデスは身を乗り出して顔をイングリットに近づけた。
「ほう、そうなのか? どれどれ」
そう言って、イングリットを見つめる澄み切ったメルセデスの白金の瞳には、嫌悪も畏怖もなく。
ただ、ありのままのイングリットの姿を鏡のように映し出しているだけだ。
「――ふむ、言われてみれば、わたしに似ている気がしなくもない。
いや、わたしのような無骨者と比べるのは失礼か」
そう感想を述べるメルセデスと並んで、メリッサが食い入るように、イングリットの顔をまじまじと見つめている。
「そんなことないと思うけど。メルちゃんも可愛いよ?
――というか、なーんかイングリットちゃんの顔に見覚えあるんだけどなぁ。どこかで会ったことあるのかなぁ」
――などと言う、メルセデスとメリッサに挟まれ、イングリットが気恥ずかしさに身悶えしそうになった頃、アリーナ中央で動きがあった。
「おや、どうやらもうすぐ始まるようだ」
アリーナに目を向けたメルセデスは、期待に目を輝かせている。
決闘はあまり好きではないようだが、それは別として武人らしく、勝負事は大好物らしい。
「黒騎士卿は、大変腕が立つそうだな?
なんでも、戦場で一騎駆けして敵陣をかき回したとか。
相手のアレッサンドロだって中々やるらしいし、良い勝負になればいいな」
荒事が苦手なイングリットの隣で、武人気質のメルセデスはあれこれ、光玄とアレッサンドロの下馬評をはじめ、盛り上がる。
「イングリット、黒騎士卿が剣を振るうのを見たことは?」
メルセデスが、光玄の剣を近くで見たであろうイングリットに問いかけた。
「ええっと、先月、パーティ帰りにクリッキング・ソーに襲われた時、彼に助けていただいた際、少しだけ……」
おおやけにできない暗殺者の件などの肝心なことは隠し、イングリットは言葉を選んでそう答えた。
クリッキング・ソー。その名前が出たとたん、メルセデスの目が驚きで見開かれる。
「んん? クリッキング・ソーだって? あの空飛ぶ鋸ムカデの?」
「うげー想像して気持ち悪くなっちゃった。
ねぇ、それってヤバイの?」
虫や足の多い生き物が苦手なのか、メリッサがあからさまに嫌そうな表情を浮かべ、身を竦める。
メリッサのその質問には、チェーリオが答えた。
「クリッキング・ソー。全長五~八メートル。八対の羽を持ち、自在に空を飛ぶとされていますね。
全身に生えた鋸状の刃で獲物を斬りつけて、仕留めるそうです。
途轍もなく素早く、特に速い個体は伝書鳩の飛行速度に迫るとも言われています。
極めて珍しい魔物で、目撃例が少なく、討伐記録も公式にはなし。
非公式記録であれば、白騎士の伝承にのみあるくらいでしょうか」
「チェリー君ってば、物知り! すごいね!」
「さすがです、チェリー様」
メリッサとイングリットの賞賛に、チェーリオは照れくさそうに頬を掻く。
「いえいえ、たまたま知っているだけ……で?」
お子様なメリッサはともかく、イングリットまでつられて、チェーリオのことをチェリーと呼び始めている。
これは由々しき事態だ。
(こ、このままではいけない)
学園中でチェリーと呼ばれる未来を想像し、チェーリオは身震いする。
なにがなんでも、今のうちに止めなければならない。
「あの、そのチェリーというのは――」
チェーリオのその訴えは届くことなく、メルセデスの補足説明で掻き消えた。
「ただ素早いだけではないぞ。あの魔物は空気の流れを読む能力に長けているらしくてな、まともにやりあっては攻撃を当てるのも困難な相手だそうだ」
「ひぇ~~そんなヤバイのを、あそこのイングリットちゃんの騎士様が倒したっていうの?」
百面相するメリッサに、イングリットは誇らしげに胸を張って答えた。
「はい、あのクリッキング・ソーを、彼が倒したのです」
これには、さすがのメルセデスも胡乱げな視線を向け、再度チェリー拡散阻止を試みようとしたチェーリオも目を丸くした。
「まさか、剣でアレを倒したとは言わないな?」
「たった一人でですか!?」
自分でも気づかぬうちに、イングリットの口元に笑みがにじんでいた。
「剣で、一撃でしたよ」
実際は、鞘でクリッキング・ソーの甲殻を叩いたりしていたので一撃と言えるかは微妙だが。
だが、確かな事実として、光玄はクリッキング・ソーを単独で剣を用いて倒した。誰が何と言おうと、イングリットは自信をもってそう言える。
イングリットの自信満々な表情から、その言葉に嘘がないと判断したメルセデスは一変して深刻な表情を浮かべた。
「その話が本当なら……アレッサンドロはただでは済まないぞ」
そしてあまりの驚きに、チェーリオは目を白黒させている。
もうすっかりチェリーの件は頭から消え去っているようだ。
その一方でメリッサは、汚物でも見るような目でアリーナのアレッサンドロをねめつけた。
「――実は、先ほどの廊下でのやり取り、見てたんだよね。
わたし、思わず酷いって言っちゃったんだもん。自業自得でしょ。
あんなの、殺してくださいって言うようなものだし」
そう吐き捨てた彼女は拳を前に突き出し、親指を立てて、それをアレッサンドロへ向けた。
そして、ゆっくりと、その親指を下ろして見せるのだった。




