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第42話 運命変曲点①

 リリアーレは、入学式終了直後に起こるはずのある強制イベントに備えて、ハンスを伴い学園の廊下を歩いていた。


 その強制イベントとは、上級生であるロヴェルチアーノ侯爵家の嫡男、アレッサンドロがリリアーレの賤しい出自にいちゃもんをつけてくるという内容だ。

 ここで主人公が学園では身分は問われないなど学則を盾に正論を言うと、激昂して決闘を申し込まれることになる。

 ちなみに、決闘を避けるような消極的な選択肢を選んでも、腰抜けなどと罵ってくるアレッサンドロの挑発に従者ハンスが乗ってしまい、結局決闘する流れとなる。


 この強制イベントは、対人間タイプの戦闘チュートリアルになっているため、どうあがいても回避はできない。

 結果、最弱ユニットであるハンスが令嬢リリアーレの代わりに決闘し、当然惨敗することになる。いわゆる負けイベントだ。

 その後の展開は、勝ち誇って自主退学を要求するアレッサンドロの顔面に、何者かの手袋が投げつけられ――

 攻略対象の一人である近衛騎士団長の息子、エリーアス・ヴォルタが決闘に乱入してくる、初登場イベントへ繋がるのだ。


 だが、正直エリーアスはディートハルト攻略には全く関わってこない。

 彼の存在はスルーで問題ないのだ。

 むしろ、エリーアスにメルセデスを押し付けてディートハルトから遠ざけるのがベスト。メルセデスとの盟友ルートに乗せた方がいい。

 それなりに難しいが、方法ならある。


 この決闘――負けイベントで、勝利することだ。

 そうすると、エリーアスの乱入が発生せず、決闘の会場の外でメルセデスとエリーアスが遭遇し、二人の関係値が上昇することになるのだ。

 今後、積極的にメルセデスをエリーアスに押し付けて、シナリオには手を加えず穏便にディートハルトルートから退場してもらう。


 そのための第一歩として、この負けイベントを勝利に飾る必要があるのだ。

 当然、ハンスでは全く歯が立たない。

 ハンスは騎士系列の初期職業、ソルジャー。アレッサンドロはその一つ上位職のスクワイアだ。

 現時点で一レベルのハンスと、十三レベルのアレッサンドロでは、純粋なレベル差だけでも十二もある。


 もちろん、ここはゲームではなく、一応現実であることはリリアーレも承知の上だ。

 数値化されたレベルやステータスは存在しない。

 だが、それに近い概念はある。鍛えれば鍛えるほど、敵を倒せば倒すほど、前世の人類では考えられないほど身体能力が増していく。

 それに、スキルだってちゃんと存在している。


 実際、現状のリリアーレは前世でいうところの、プロアスリート並みの身体能力を発揮できる。

 運命を六年前倒しにし、恵まれた環境で自己研鑽を重ねてきたリリアーレは、既にアレッサンドロといい勝負ができる程度の力を身に着けているのだ。

 つまり、ハンスなどに頼ることなく、自分で戦えばいい。

 リリアーレはこの日のために対人戦に特化した装備もしっかり揃えている。

 ステータスはおそらくほぼ同じ。だが、装備の差で問題なく勝てる。

 問題は初めての対人戦で委縮してしまわないか。それだけだ。

 そうやって、目まぐるしく思考を働かせているリリアーレの耳に、耳障りな声が響いた。


「おい! そこの貴様!」


 リリアーレの嫌いなタイプの人間だ。いきなり人のことを『おい』と呼び、大声で喚く。前世の父を思い出す。


(――きた)


 シナリオ通りの侯爵令息アレッサンドロ・ロヴェルチアーノの登場だ。


「――平民共が我々貴族と同列に並ぶことはまぁ、我慢できる!」


 あの傲慢な顔と対面しなければならないのは、リリアーレにとっては苦痛でしかない。

 それ以上に出自をいじられるのが、今のリリアーレにとっては耐え難い苦痛だ。


(待ってなさいよ、ボッコボコにしてあげるから)


 意を決してリリアーレは、アレッサンドロに振り向き――


「だが、黒騎士! 貴様のような、悪逆の徒の存在は許してはおけない!」


「――は?」


 間の抜けた声が、リリアーレの口をついて出た。

 正しくは「娼婦の子がいるのだけは、我慢ならん!」だったはず。

 慌てて、リリアーレは声の主、アレッサンドロを探し、唖然とした。

 アレッサンドロがいちゃもんをつけていた相手はリリアーレではなく――

 全身黒ずくめの、例の武士キャラだったのだ。



◆◇◆



 時はしばらく遡り――


 光玄は、主イングリットと共に学園の図書館へ向かう途中だった。

 さらにその隣では、チェーリオが二人に学園の案内をしている。

 入学式前日に入寮した光玄たちとは違い、チェーリオは一週間ほど前に入寮し、ある程度学園のことを把握していた。

 学園のことをまだ何も知らぬ光玄たちを見かねた、この世話焼きの少年は案内役を買って出たのである。


 その後からは、護衛兵コルヴァンが相変わらずフルフェイスの烏兜を被り、完全武装で鎧をガチャガチャと鳴らしながら、三人に黙々と付き従っている。

 その視線は、入学式前まではいなかったチェーリオに注がれている。

 護衛兵としては当然チェーリオを警戒してしかるべきである。

 しかし、イングリットと光玄が自然体で接しているところから早速友人ができたのかと判断した彼は、特に何かを言うことはなくただ見守るだけに留めている。


 一方の三人は入学式の話題で花を咲かせていた。


「すごい方々でしたね、マリア様も、メルセデス様も」


 イングリットが熱の残る顔でそうつぶやくと、チェーリオが頷き懇切丁寧に話し始めた。


「そうですね。マリア様は、ルクレツィア妃陛下の従姉妹にあたる方で、王国内のいくつもの商人ギルドを束ねるほどの手腕を持つお方です。

メルセデス皇女殿下も、去年帝国陸軍の少佐になられたばかりとか。国境の小国同士の戦を治めた功績を認められたそうですね」


「ほう、チエリオ殿は物知りでござるな。某はそういったことには疎い故、助かる」


「いやぁ、たまたま知っているだけですよ」


 そう三人が入学式のことを振り返っていたところ、ふとイングリットの目に、周りの生徒らが移動せず何やら話し合いに興じている様子が入った。

 皆一様にどこか浮ついており、落ち着きがない。どこか必死な様子にも見える。


「あの、どこか皆様落ち着かないご様子ですが、チェーリオ様は何かご存じでしょうか?」


 イングリットは隣のチェーリオに何となくそう尋ねた。

 こういった事情に明るそうだと思ったからだ。

 彼女のその考えは正しかったようで、チェーリオは訳知り顔で語り始めた。


「ああ、来週の始業までの間は、生徒同士が派閥を形成する大事な時期のようですよ。早速、勧誘や売り込みをしているんじゃないかと」


 しかしながら当然のごとく、イングリットたちにはお声はかからない。

 ただ遠巻きにひそひそと噂をするばかりだ。


 戦場で残虐行為をした『黒騎士卿』。

 栄えある学園の入学式に型破りな漆黒のドレスで現れた『濡れ烏の君』。


 下手に関わりを持って、『濡れ烏一派』と見なされれば、今後の学園生活はいばらの道だ。誰も寄り付かないのは当然といえば当然だ。

 なのだが――


「ねぇ、あれってチェーリオ様では?」

「何故、濡れ烏の君と一緒に? マルデーラ家はグランスタイン家に鞍替えしたのか?」

「一応イングリット嬢は殿下の婚約者ですし、それでご一緒なのでは?」

「噂だと、王子殿下の側近から外されたらしいぞ」

「なるほど、それで従者枠ではなく、一般入試だったのですね」

「だったら、本当に濡れ烏の君の側近になったのか?」

「恐れ知らずというか、何というか。女子みたいな顔をして、いい度胸をしている」


 周りの生徒らはそう囁きあう。幸か不幸か、それはチェーリオの耳には入らず。

 哀れ、チェーリオは無自覚のまま、どんどん外堀が埋められていく。

 周りから完全に『濡れ烏一派』の派閥メンバー、それも筆頭格として見られていることには気づかず、チェーリオは得意げに講釈を垂れ続けていた。


「――それで、クラス割りもある程度派閥を考慮して行われるそうですよ」


「そうなんですね、ありがとうございます」


「いえいえ、どういたしまして」


 慣れとは恐ろしいもので、しばらく側にいて会話を交わしているうちに、チェーリオは『いつも通り』アウレール王子に仕えているつもりでイングリットに接し始めていた。

 天性の世話焼き。誰かの側に仕えずにはいられない。チェーリオ・マルデーラとはそんな悲しい生き物なのである。


「派閥……ですか。わたしたちとは関係のないことですね」


「然様。御屋形様の方針としては、どこの派閥にも属さず自由気ままに過ごすように、とのことでございました故」


 そう。イングリットたちとしては、派閥などどうでもいい。

 アウレール王子の婚約者としての地位を守るなら、後ろ盾となる派閥は必要だろうが、目的はその真逆、婚約破棄なのだ。


 むしろアウレール王子にはその辺の適当な令嬢とくっついてもらって、彼の不貞を糾弾する形で婚約破棄へ持ち込むのがベストだ。

 故に、現在のイングリットたちの方針は、アウレール王子の完全放置である。


 『濡れ烏一派』は並んで廊下を進む。

 奇異、そして嫌悪の視線が一行に注がれるが、一行は会話に興じており、そんなものはまったく気にしていなかった。

 案内役のチェーリオが光玄に話しかけた。


「学園で最初に行きたい場所が図書館だなんて、ラッセル卿は勉強熱心ですね」


「うむ、某は他の者と比べ、常識に疎いのでござる。少しでも追いつかねば」


「へぇ、そうなんですね」


 この黒騎士、ラッセル卿は黒ずくめで恐ろしい男だが、話してみると意外と真っ当な受けごたえをするものだと、チェーリオは思った。

 すると、後ろの護衛兵コルヴァンがガチャリと鎧を鳴らしながら話しかけてきた。


「そういう心構え、誠に立派だと存じます。

しかし、もうしばらくすれば昼時だと思うのですが、食事を先にされては?」


「ふむ、確かに食も大事でございまする。

が、今は知を養うべき――」


 そこで、チェーリオが話に混ざってきた。


「食事で思い出したんですが、学園食堂の『チーズケーキ』が絶品でしたよ。

何代か前の先輩の方々が進級試験で開発したということで、今では学園都市の方にも広まっていて、大人気のようです」


「――!!

チ、チィズケェキ、でござるか」


 魔性の響きのある言葉だった。

 それを耳にした光玄は立ち止まり、その黒い瞳が激しく揺れる。

 図書館かチーズケーキか。天秤にかけているのだろう。


(ふふ、本当にチーズが大好物なのですね、ミツハル様は)


 イングリットは苦悩する光玄を見つめ、きゅっと自分のスカートの裾を握った。

 そして意を決して、口を開いた。


「み、ミツハル様。図書館に行った後、その、よろしかったら、ご一緒にチーズケーキを――」


 勉強会の後、デザートにお誘いをする。

 奥手なイングリットにしては、だいぶ大胆な行動だった。

 だが、それは突然二人の行く手を遮った一人の男子生徒によって阻まれた。


「おい! そこの貴様!」


 後ろを歩いていたコルヴァンが反射的に前に立ち、彼女とチェーリオを背に隠した。

 突然現れ、こちらを指さす男子生徒。

 真ん中分けの緑の長髪を後ろで品よくまとめ、衣服は豪奢そのもの。

 いいところのおぼっちゃまといったところか。


 その胸元には、二年生であることを示すバッジがつけられている。

 神経質そうな顔立ちのその上級生は、意志の強いオレンジの瞳で鋭くこちらを睨みつけている。


(――どなた?)


 イングリットは眉をひそめた。

 肝心なところで邪魔されたイングリットの胸中に不快感が広がる。

 以前のイングリットならば息を呑んで、謝罪の言葉と共に委縮していただろうが、今は恐怖より不快感が上回っていた。


 光玄は大きな反応は見せない。ただ指先を刀の鍔に這わせるのみ。

 まだ見ぬチーズケーキとやらに想いを馳せているのか、立ちはだかる上級生を一瞥しただけで、さしたる興味は示さなかった。


「――平民共が我々貴族と同列に並ぶことはまぁ、我慢できる!」


 イングリットたちの困惑をよそに、上級生は高らかに声を張り上げた。


「だが、黒騎士! 貴様のような、悪逆の徒の存在は許してはおけない!」


 そして、ビシッと指さした。

 ――光玄を。


「――? 某のことでござるか?」


 光玄は首をかしげる。どうやら、本人は『黒騎士』という呼び名に自覚がないようである。


「貴様以外にいるものか! いや、そちらの鎧の方か……?」


 アレッサンドロの視線が、イングリットとチェーリオを庇うように立つ、漆黒の全身鎧姿の烏兜に留まり、そして光玄との間を彷徨う。

 見た目だけで言えば、烏兜――コルヴァンも黒騎士そのものである。


「人違いかと。当グランスタイン家には『黒騎士』なる人物はございませんので」


 コルヴァンがしれっとそう答えると、アレッサンドロは馬鹿にされていると思ったのか、顔を真っ赤に染めて喚き散らかす。


「ふざけるな! 降伏した敵将自身に腹を切らせ、更には首を斬り落としたのだろう!」


「うむ、それなら某のことでござるな」


 光玄がそう悪びれることもなく答えると、騒ぎを聞きつけて集まってきた野次馬がざわめき始めた。


「聞きまして!? ご自分で認められましたわ!」

「あ、あれは本当だったのか!? 血を啜ったというのも?」

「あの人が? あまりそんな風には見えないけど」


 アレッサンドロはなおも喚く。


「えぇい、紛らわしい! しかし、自ら悪行を認めるとは、悪を悪とも思っていない邪悪の化身め! 貴様のような輩はこの私、アレッサンドロのような正しき騎士道精神を持つ者が正さねばならん!」


 そう言って、彼は手袋を脱いで光玄に投げつけ――

 手袋は宙を舞い、床にぽてっと落ちた。


「何故避ける!?」


「突然、訳の分からぬものを投げつけられれば、避けるに決まっておろう」


「貴様、仮にも騎士爵を持っているだろうが! 騎士道を何一つ知らんのか?」


 一応、光玄はグランスタイン家の図書室で騎士道の何たるかは本で知識を得ている。

 しかしながら、騎士道と手袋を投げるのと何の関係があるのか、光玄は今一つ理解できていないようで、首をかしげるだけ。


「あの、ラッセル卿。今のはたぶん、決闘の申し込みじゃないですか?」


 そう恐る恐る、チェーリオがアレッサンドロの意図を光玄に解説すると、彼は合点がいったように、大仰に頷いた。


「おお、今のがそうであったか! 決闘(死合い)とな?」


「ふん、愚か者め! その通りだ! ロヴェルチアーノ侯爵家の嫡男アレッサンドロは黒騎士、貴様に決闘を申し込む!」


「ふむ……」


 しかし、どういうわけか、光玄はいまいち乗り気ではない。

 決闘そのものには興味はあるようだが、できない理由があるようだった。


「どうした! 怖気づいたのか!?」


「残念ながら、某の一存では決闘(死合い)には応じられぬ。

御屋形様や、義姉上に裁可をいただかなくては」


 そう、この男でも学習能力はあるのだ。

 今の光玄は好き勝手に暴れていい立場の人間ではない。

 そして彼は、主君アルトゥール公の言いつけである『無闇に敵を作るな』を律儀に守ろうとしているのである。


「オヤカタサマ? なんだ、それは。

しかし、義姉上の許しがなければ剣も振るえないと? あの武門ゲールハイト家も地に落ちたものだな!」


 これまでアレッサンドロをまともに取り合わなかった光玄だったが、ここにきて初めて彼の表情が険を帯びた。

 本人が侮辱されるのは気にならなくても、家を貶されてはさすがの光玄でも怒りを覚えるのだ。

 これではまずいと思ったのか、コルヴァンが場を収めようとした。


「ラッセル卿、ご辛抱を。挑発に乗ってはいけません。

――アレッサンドロ殿、当家のご令嬢の従者への苦情などは、後日書面にてお願いしたいと――」


 しかし、コルヴァンのその努力は無に帰した。

 アレッサンドロが言ってはならぬことを口にしたからだ。


「ふん、神聖なる決闘から逃げるか! 聖女を騙る魔女から産み落とされた忌み子などに尻尾を振る犬畜生にはそれが相応しいだろう! 貴様に騎士を名乗る資格はない!」


 忌み子はイングリット。聖女を騙る魔女とは、その生母アマーリエ夫人のことだ。

 アレッサンドロは光玄の主イングリットを、ひいてはその生母アマーリエ夫人までを侮辱したのだ。

 瞬間、多くの野次馬が集まっていた廊下が、冷や水をかけられたように静まり返った。

 あまりにも酷く品性の欠片もない侮辱に、イングリットは唇を噛み、その隣のチェーリオは眉間にしわを寄せてアレッサンドロを睨みつけた。

 野次馬の中の誰かが「酷い……」とこぼすくらいには最悪な侮辱。


 次の瞬間、光玄とコルヴァンは、一斉にアレッサンドロに向き直った。


「よし、死合(しあ)おう。いますぐやろう」

「私が相手だ、下郎め。もう命乞いをしても遅いぞ」


 二人の黒ずくめの男が同時に殺気を発し、アレッサンドロとの決闘に応じた。

 光玄はもちろんのこと、ついさっきまで場を丸く収めようとしていたはずのコルヴァンまでもが尋常ではない、冷たくねばつくような殺気を放ち、今にも剣を抜きそうだ。

 だが、光玄はコルヴァンを制し、前に踏み出した。


「否、これは某に求められた死合(しあ)いにござる。譲れませぬな」


 そう、決闘を申し込まれたのは黒騎士――光玄の方だ。

 コルヴァンは心底残念そうに肩を落とした。


「くっ……致し方ありません。では、生まれてきたことを後悔するよう、完膚なきまで叩き伏せていただきたい」


 そう言ったコルヴァンの兜の奥からギリギリと、歯ぎしりの音が反響している。

 よほど腹に据えかねたのか。

 主とその生母への侮辱にこれほど怒りを燃やすとは、一介の護衛兵とは思えぬ、見上げた忠義である。

 そう思った光玄は、コルヴァンに力強く頷いて見せた。


「任されよ」


 かつてこれほどの濃密な殺気を浴びたことのないアレッサンドロは、二人の豹変ぶりにたじろぎ、思わず一歩引いてしまった。

 その無意識の自分の動きに屈辱感を覚えたのか、アレッサンドロは畏れを怒りに変えて更に一歩踏み出した。


「や、やっとその気になったか! 徹底的に貴様を叩き潰すのは私の方だ! 覚悟するがいい!」


 廊下の真ん中で光玄とアレッサンドロが向き合い、剣の柄に手を伸ばす。

 これから始まるであろう血なまぐさい決闘に男子生徒は期待の歓声をあげ、何人かの荒事に不慣れな令嬢らは悲鳴をあげる。

 そしていよいよ決闘が始まる――


「待て待て待て! これは何の騒ぎだ! おいっ、道を開けろ!」


 野太い声と共に、向こうから人垣をかき分けて一人の小太りした男がやってきた。

 四十か五十代に見える、中年の男だ。

 短めの金髪に、無精ひげが目立つその男は、あまり似合わない白い正装で身を包んでおり、その胸元には教員であることを示すバッジがつけられている。

 よほど急いでやってきたのか、教員らしき男はやや息切れしながら、光玄とアレッサンドロの間に割って入った。


「勝手に決闘など始めるんじゃねぇ! まったく、どいつもこいつも、毎年毎年、お約束みたいに決闘騒ぎなんか起こしやがって! くそっ、めんどくせぇ!」


 栄えある五大国共栄学園の教員としてはずいぶん口は悪いが、彼の対応はどこか手慣れていて、絶妙に二人の真ん中に位置取り、双方に睨みを利かせている。

 彼の言葉からすると、決闘騒ぎは何もこれが初めてではなく、毎年恒例のようであった。


「ちっ、ベン先生か。止めても無駄だ! 双方の合意あっての決闘だぞ!

いくら学園でも止める権利はない!」


 いいところで邪魔をされたアレッサンドロが教員――ベンを睨みつける。

 その視線を、ベンは慣れっことばかりに涼し気な表情で受け流し、気だるげに説教を始めた。


「止めるとは言ってねぇ。教員として現場を目撃した以上、正しく対応せにゃあならんのよ。

ところかまわず剣を振り回すなってことだよ。規範、大好きだろ? お前も貴族ならちゃんと守りな」


「くっ」


 ベンの言う通りだ。

 学園の廊下、往来のど真ん中でいきなり斬り合いなど、それこそ騎士道からは程遠い行為だ。

 未だ殺気をまき散らしながらも、光玄はベンの言葉に頷いた。


「然様ならば、教員殿に沙汰をお任せいたす」


 自分に向けられた殺気ではないことはベンも分かってはいるが、間近で光玄のそれに中てられたベンの背中に、冷たいものが伝う。


(おぉう、おっかねぇ。噂の黒騎士卿とやらか。大方、アレッサンドロのやつが喧嘩を吹っ掛けたんだろうが……一体、何を言われればここまでブチ切れるのやら)


 ベンは一つ咳払いをして、居住まいをただす。

 そして、今までの砕けた態度を引っ込め、真面目な顔で話し始めた。


「――では、現時点をもってこの決闘は学園が取り仕切る。

見届け人は教員ベン・カスピリアーノが務める。

最初に、決闘の前に両家の了承を得ること。

学園側としては最低限の安全措置は施すが、決闘である以上、負傷や死のリスクを伴うためだ。

決闘の結果がどのようになろうとも、受け入れることを約定してもらう」


「ふん、いいだろう」


「承った」


 当事者のアレッサンドロと光玄が頷くと、ベンは指を鳴らした。

 すると、閃光と共に二体の使い魔――伝書鳩が飛んできて、それぞれがアレッサンドロと光玄の肩に止まった。


「では、そちらの伝書鳩に決闘へ至った経緯を記した手紙を預け、それぞれの当主に宛てるように。

決闘場所は当学園のアリーナ。開始はこれから一時間後とする。

それまで両家の決闘の了承が得られない場合、そして両者がアリーナに揃わない場合、今回の決闘は許可できない。

なお、許可のないまま学園内で私闘を行った場合は、学園の規定に則り退学処分とする」


 学園側としては決闘は積極的に止めはしない。

 後腐れの無いように、体裁を整え、ルールを決め、場を提供する。

 但し、それを守らない者は罰するというのだ。

 ベンは、目線で両者に『いいな?』と確認した。

 光玄は力強く頷き、アレッサンドロも鼻を鳴らし、頷いて見せた。


「では、この場は一度解散! 一時間後、両名はアリーナに集合するように。

オラ、お前らもいつまでも廊下で留まってねぇでさっさと散れ! 往来の邪魔だろうが! 決闘が見てぇやつは後でアリーナに来な!」


 決闘見届け人として言うべきことを言い終えたベンは、一瞬にして真面目な態度をひっこめ、面倒くさそうに手を振って野次馬を解散させた。





 成り行きを見守っていたリリアーレは混乱の極みにあった。


(なに、これ?)


 強制イベントであるアレッサンドロとの決闘自体は、本来のシナリオ通り発生はしている。

 だが、その相手は全く違う。

 本来、リリアーレを標的とするはずのアレッサンドロが何をトチ狂ったのか、イングリットの武士にいちゃもんをつけて、結果武士対アレッサンドロの対戦カードが組まれたのだ。


(これじゃあ、乳牛女とエリーアスがどう動くか読めないじゃない)


「いやぁ、入学早々、決闘騒ぎなんて。怖かったですね、お嬢様」


 呑気な顔でそう言ってきた従者ハンスに、リリアーレは思わず舌打ちしそうになった。


(本来なら、アンタがその決闘相手なのよ!)


「そろそろ、昼食のお時間ですね。食堂へ向かわれますか?」


 リリアーレは、ハンスの能天気加減に苛立ちが募る。だが、こんなことで頑張って作り上げてきたリリアーレの仮面を壊すわけにはいかない。


「わたくしは、決闘を見たいの」


「ええっ!?」


「ハンス、何を驚いているの? わたくしだって、それなりに剣術を嗜んでいるのよ? あのお二人ともお強そうだし、参考にしたいの」


「そ、そうですか。うん、そうでしたね。

わかりました! ではお供します!」


 リリアーレはハンスを伴ってアリーナへ向かう。

 食事なんてしている場合ではない。

 この決闘の結果、この先の未来がどう転ぶかわからない。

 世界は未知へ変貌していくのか、それとも既知に収まるのか。

 リリアーレはそれを見届けなければならない。

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