第41話 運命の交わる刻③
顔を上げたリリアーレの視線の先では、学園長マリアが挨拶を締めくくるところだった。
彼女が一歩下がり、優雅に一礼をして見せると、会場内は万雷のような拍手に包まれた。
想定外のことが相次いだ混乱のせいで、リリアーレは学園長挨拶の内容をほとんど聞いていなかった。
しかし、どうやら大変感銘深いものだったらしく、生徒たちも教員たちも、尊敬の眼差しをマリアに送っている。
「――では、続きまして。
新入生代表、カルスタイン帝国陸軍少佐メルセデス殿に、ご挨拶を賜りたく存じます」
マリアの招きに、一人の少女が壇上へ上がる。
会場の女子生徒たちが色鮮やかなドレスに身を包む中、灰色の地味な帝国陸軍女性士官の軍服をきっちり着こなし、寸分の隙も無い力強い足取りで一段一段と階段を上る。
臀部まで伸びる長い白金の髪が、彼女が一歩踏み出す度に、翼のようにはためく。凛々しく線の細い顔には切れ長の白金色の目が輝き、固く結ばれながらも薄く笑みのかかった口元からは彼女の余裕が見て取れる。
そして、堅い材質の軍服を押し上げ、悲鳴を上げさせている巨大な双丘が嫌でも目を引く。
しかしながら相当鍛えられていることが一目でわかるキュッと引き締まった腰回りと、スカートから伸びる健康的で眩しい太もも。
地味な軍服で包み隠せない圧倒的な美。
誰もがその姿に目を奪われた。
マリアが演壇をメルセデスに譲り、静かに壇上の脇へ下がる。
メルセデスは姿勢を正し、胸元に拳を作って帝国陸軍式の敬礼をして、聴衆と対面する。
その白金の髪と同じ色の、意思の強そうな瞳が真っすぐ皆を見つめた。
「ただいまご紹介に預かった、カルスタイン帝国陸軍少佐、メルセデスである。
今年、五大国共栄学園にカルスタイン帝国を代表して入学するという栄誉を賜った」
聴衆の多くは首を傾げていた。
彼女は帝国代表の生徒。それも帝国皇室の者である。
そう、彼女こそは、あの大英雄霹靂帝の実の娘。大陸覇権国家カルスタイン帝国の正統なる『皇女』だ。
そんな分かりやすく己を誇示できる肩書があるのに、何故一将校として名乗っているのか。
メルセデスは、聴衆の反応など気に留めずに演説を続けた。
「――今ここには、様々な立場の、出自の者たちが一堂に会している。
王侯貴族、平民、獣人、妖精族、その他の者たち……
――認めよう。現実としてそれぞれの間にはどうしようもない隔たりがある」
彼女のその言葉に、生徒たちは互いに顔を見合わせる。
探るような視線。警戒と打算。
「だが、今! この時から、五大国共栄学園の学徒となる諸君らにその隔たりはない!
わたしも、諸君らも、等しく一学徒に過ぎない!」
それは、この五大国共栄学園の学則でもある。
学園に所属する以上、生徒同士の身分・国籍・種族を問うてはならない。
生徒たちは等しく学友。教員を師として仰ぎ、使用人たちを無下に扱ってはならない。
「己の血筋を、家の名を振りかざすことなかれ!
己の出自に、卑屈になることなかれ!
自分自身の弛まぬ努力にて精進すべし!
家に、血筋にではなく、己自身を誇れる人間になるのだ!
さすれば自ずと名誉はついてくると、わたしは信じている!
――以上だ」
そう、故に彼女は生まれながら与えられたカルスタイン帝国皇女としてではなく、己の努力で勝ち取った肩書である、帝国陸軍少佐の肩書を名乗ったのである。
幼少より軍に身を置き、皇室の手を一切借りることなく己の武功のみで去年、わずか十五歳にして男社会である帝国陸軍の少佐にまで上り詰めた才女。
それがメルセデス・カルスタインという少女だ。
壇上で魔鉱灯の光を浴び、まるで天上で輝く太陽のごとく白金の光を放つメルセデスに、皆が息も忘れ見惚れる。
やがて、演説を終えた彼女が再び敬礼をして見せると、聴衆は万雷のような拍手で彼女に賞賛を送った。
一方のリリアーレは歯噛みしていた。
少しばかり様子のおかしいイングリットよりも、リリアーレにとってはこのメルセデスこそが最大の脅威なのだ。
(出たね、乳牛女)
心の中で失礼極まりない蔑称にてメルセデスを呼ぶリリアーレ。
壇上の彼女を睨みつける彼女の目からはどう取り繕っても、嫌悪感が隠しきれていない。
それもそのはず。
あの『乳牛女』こそが、将来ディートハルトと結ばれる可能性が極めて高い人物だからだ。
――前世のリリアーレは乙女ゲーム『ひかあふ』の大ファンだった。
当然、その元となった原作小説にも興味を持ち、活字アレルギーながらも頑張って読み進めていったのだった。
推しのディートハルトが、群像劇である原作小説の中でも主役級の登場人物であったためだ。
彼の活躍、苦悩に一喜一憂しながら、前世のリリアーレは原作小説にもはまりつつあったのだ。
――しかし、第二章中盤に差し掛かるところから、なにやら雰囲気がきな臭くなっていった。
あの乳牛女、メルセデスが事あるごとにディートハルトに絡み始めていたのだ。
そして第二章エピローグ。
全てを犠牲にしてでも守りたかったイングリットは老貴族との望まぬ婚姻を強いられ、グランスタイン家は取り潰しとなる。
そして、全てを失ったディートハルトにあの乳牛女――メルセデスが寄り添い、元グランスタイン邸廃墟で二人は結ばれる。
一般には屈指の名場面とされる件の展開。
ディートハルト推しのお嬢様方にも「しっかり者のメルセデスになら、うちの病み兄を任せられる」と言わしめたほどに美しいシーンだった。
二人が口づけをし、愛を確かめる場面を描いた挿絵に至っては担当イラストレーターが魂を込めてこれでもかと描きこみ、「宗教画だこれ」とまで言わしめたほどの力の入りっぷりだった。
だが、前世のリリアーレはそれを見て、あまりのショックに三日三晩寝込んだ。
復調してすぐに、原作小説を全巻シュレッダーにかけた。一枚ずつ丁寧に。
(認めない、絶対! あんただけは絶対排除する!)
リリアーレはにわかファンたちとは違う。彼女にとってディートハルトは『全て』なのだ。
それを奪いに来るかもしれない最大の敵が、あの乳牛女だ。
この世界はひかあふリメイク版がベースになった世界。
そのほとんどの設定は、その元となった原作小説準拠である。
現状、学園長やイングリット周りのイレギュラーはあるものの、全体的な流れは変わっていないはず。
リリアーレは恋敵、メルセデスについて知っていることを改めて思い返した。
メルセデスは攻略対象の一人、近衛騎士団長の息子・エリーアスに対応したライバルキャラだ。
通常、ライバルキャラたちは、対応した攻略対象の攻略に失敗、もしくは放置した場合、それぞれの相手と恋仲になるのだが――
このメルセデスとエリーアスだけは例外だ。
恋仲になることはなく、武で結ばれた盟友となるのだ。
そして、プレイヤーがディートハルトとの関係値を一定値以上上げていると、エリーアスからディートハルト対応のライバルキャラにシフトするという、とにかく厄介な人物がこのメルセデスだ。
メルセデスは、ライバルキャラとしてのスペックが高すぎる。
魅力・話術・礼儀・知識の主要ステータスは全てほぼ最大値だ。
リメイク版における戦闘ユニットとしても極めて強力で、味方となるユニットの中では最強クラスである。
ディートハルトの攻略の都合上、リリアーレは彼女を一度も仲間にしたことがなかったが、SNS上の書き込みなどを見たところ『もうあいつ一人でいいんじゃないのか?』という感想が見られたほどである。
そのため、ディートハルトルートは全攻略対象の中で最も難易度が高いとされている。
エリーアスルートではそれなりの武力さえあればいいが、ディートハルトルートでは打って変わって、この完璧才女メルセデスを超えるか、迫るほどのステータスが要求されるからである。
それでも、リリアーレはディートハルトの攻略に失敗したことはなかった。
一度もメルセデスに負けたことはない。ゲームでの話ではあるが。
更に今回は、孤児院スキップでスタートダッシュを決め、ステータスも十分すぎるほど上がっているはずだし、序盤の必須アイテム群も揃えてある。
普通に考えれば、攻略失敗はあり得ない。
だが、ディートハルトの不在とイングリットの豹変ぶりを見るに、未来がどの方向へ転がるか見当もつかない。
リリアーレがもっとも恐れているのがその『未知の未来』である。
――シナリオの強制力らしいものはまだ存在しているように思える。
おそらくは、『エンディング』に向けて結末は収束していくだろう。
(でも、そればかりに頼ってもいられない)
この世界が『未知』へと変容してしまう前に、ゲームの知識を使ってイレギュラーを潰し、ライバルを排除し、ディートハルトとの未来を手繰り寄せなければならない。
(まずはディートハルトを登場させる。そのためにはイングリットと一度友人になる。これだけは間違いない)
その後の展開もちゃんとリリアーレの頭に入っている。
一度ディートハルトを登場させてしまえば、イングリットはもう放置しても構わない。勝手に退場してくれるからだ。
(確か、その後のディートハルトって、父殺しの件がバレて失脚して、イングリットが身代わりにキモいジジイに嫁がされて、病んじゃうんだよね)
原作小説版での展開も大筋では変わらない。
失脚、そして兄を守るために有力者の老貴族へイングリットが嫁いだ後、精神を病み、やけになったディートハルトは、酒に溺れ、『適当な女』と恋人ごっこをし、放蕩な生活を送ることになる。
そんな彼に寄り添い、立ち直らせる人物こそがあのメルセデスなのだ。
そして、ひかあふファンの間ではその『適当な女』こそが、乙女ゲーム『ひかあふ』の主人公だというのがほぼ定説となっていた。
(って、ふざけんな! アタシが適当な女だっていうの!?)
一人憤慨するリリアーレ。隣の従者ハンスが、百面相している主を心配そうに見つめた。
その視線に気づいたリリアーレは、慌てて扇を開き、顔を隠した。
今日は想定外の事態に加えて、最大の敵を直接目にしたことでどうにも心が乱れっぱなしだ。
上手く表情が取り繕えない。
(何にせよ、方針は決まった)
放っておいても、勝手にチュートリアルで退場する悪役令嬢イングリットなど問題ではない。
最優先に排除せねばならない諸悪の根源、乳牛女――メルセデス。
敵の存在を知覚したリリアーレ。
彼女の戦いは始まったばかりだ。




