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第40話 運命の交わる刻②

 壇上の女性が『学園長』と自己紹介をした瞬間、会場内は耳を刺すようなざわめきで満たされた。


「ど、どなた?」

「学園長は創立時からフェアティル侯が務めていらっしゃったのでは?」

「もう八十六歳のご高齢だったらしいからな……」

「それより、マリア・モンテ様と仰っていませんでしたか?」

「あのモンテ公爵家か? グラントリア三公の?」

「あのマリア様? なんと言いますか、思っていたより普通のお方なのですね」


 ダァン!

 壇上の女性――新学園長が強く床を踏み鳴らし、その音が拡声魔術具を介して爆音となって響き渡った。


「ご静粛に」


 およそ三百人の生徒らは一瞬にして静まり返った。

 壇上のたった一人の女性に呑まれ、三百人近い生徒ら、そして参列した他の教員らも身じろぎ一つできないでいる。


 新学園長マリア。

 見た目こそ凡庸だが、エルストリア大公家・グランスタイン公爵家・モンテ公爵家からなる、グラントリア三公の一角、モンテ家に連なる者だ。

 そして、そのモンテ家は現グラントリア王国の王妃、ルクレツィアの実家。

 相当な大物だ。


「――皆様は、この五大国共栄学園の敷地に足を踏み入れた時点で、六十年間続く、この大陸最高峰の教育機関の一員となったのです。

雑談に興じるのは結構。友誼を深めるのも結構。

――ですが、時間と場と状況を弁えるように。今は式典の時。

おしゃべりは、入学式が終わった後思う存分にどうぞ」


 厳しい言葉とは裏腹に、その声色は柔らかく、優しい。

 ずっと聞いていたくなる、そんな声だ。

 マリアの聞き心地の良い清涼な声が響き、講堂内は完全なる沈黙に包まれた。


「――よろしい。では、続けます。

当五大国共栄学園は、かつて戦乱の世の終わりと共に、カルスタイン帝国、フランカイス王国、ルシオン連邦、アンダルシン部族連合、そしてこのグラントリア王国の五大国間の平和憲章に基づき、大陸の未来を担う若者の育成のために六十年前の今日、設立されました――」


 学園長マリアは、そのまま学園の成り立ちと理念を淀みなく語り始める。

 そして、彼女を見上げるリリアーレは口元を扇で隠す余裕もなく、口をあんぐりと開けている。


(どういう、こと? ディートハルトは?)


 一度表舞台から姿を隠し、学園長として堂々たる登場を果たすはずの、リリアーレの最推しは影も形もなく。

 その代わりとして現れたのはモブっぽい見た目の学園長。


(マリア・モンテですって?)


 周りの生徒たちの反応からすると、社交界では相当な有名人らしい。

 社交界デビューが叶わなかったリリアーレには馴染みのない名前のはずだったが、どうしてかその名には聞き覚えがあった。


(――無印版の学園長!)


 純粋な乙女ゲーム、無印版の『ひかあふ』におけるディートハルトは隠しキャラだ。正式な攻略対象になるのはリメイク版から。

 今までのメインシナリオの展開は、ほぼすべてがリメイク版と同様のものだった。

 当然、ディートハルトの登場もリメイク版準拠になると思い込んでいたリリアーレだったが、その予想は完全に裏切られた。


「お嬢様?」


 どこか様子のおかしい主に気づいたハンスが声をかけてきたが、リリアーレはそれどころではなかった。


(どうして、そこだけ無印仕様なの!?)


 ギリリと、音が鳴るほど歯を食いしばり――

 深呼吸をして、リリアーレは気持ちを落ち着かせた。


(いえ、むしろ好都合よ)


 リリアーレは、あまり好みに合わなかったリメイク版より、無印版の方を熟知している。

 隠しキャラ、ディートハルトを登場させる方法。

 ライバルチュートリアルで攻略対象たちとの関係値を極力上げず、ライバルである、悪役令嬢イングリットを追いかけて友人関係になることだ。

 そうすることで、妹と親しくなった友人を一目見ようと、学園内に潜伏していたディートハルトが現れる。

 それが無印版のディートハルト登場イベントだ。


 ――かつてのリリアーレ(浩子)の祖父が、女の子が好きそうなゲームだと言って買ってきた、乙女ゲーム『光溢れる彼方へ君と共に』。

 それを初めてプレイした当初の幼いリリアーレ(浩子)は、男女の恋愛やらをあまり理解できてはいなかった。

 どちらかというと、欲しかったのは友達だった。

 そして、ゲーム本編開始後初めて接触する同性のキャラクター、チュートリアル用のライバルキャラ、悪役令嬢イングリットと仲良くしようと考えたのだ。

 これがまさか隠しキャラの登場フラグだとは、当時の彼女には想像もできていなかった。


 基本、乙女ゲームのプレイヤーはパッケージのイケメンたちに釣られ、そのいずれかをターゲットに定めてプレイを始めるものだ。

 それらを放置して、ライバルキャラと仲良くしようとする者はまずいない。

 だが、それこそが隠しキャラ、ディートハルトの登場フラグだ。

 悪役令嬢イングリットとの関係値が一定値以上になれば、その兄ディートハルトが攻略対象として登場するのだ。

 そうやってリリアーレ(浩子)は、運命のように初見で隠しキャラ、ディートハルトと邂逅したのであった。


(――計画は大幅に修正しなきゃいけないかな)


 本来、イングリットは放っておいてもチュートリアルの都合上、勝手に破滅イベントを迎えて退場する。


(今回は、放置は逆にまずいか)


 ディートハルトが隠しキャラなら、その妹イングリットこそが最大のキーパーソンだ。

 そのためには、一度イングリットと友人になって接点を作って、彼女を踏み台にしてディートハルトとの出会いイベントを呼び寄せるしかない。


(――いやだなぁ、それは)


 リリアーレは記憶の中のゲーム『ひかあふ』での、悪役令嬢イングリットを思い出していた。

 卑屈で人の目ばかり窺い、会話を試みてもすぐ何かと理由をつけて逃げる。

 生まれながら忌み子とされ、悪役に仕立て上げられて世界から退場していく少女。

 だが、彼女がどうしようもないほどいい子であることも、リリアーレはよく知っている。

 イングリットはある意味、リリアーレ(浩子)の人生における、初めての友達ともいえるキャラクターだったのだ。


 恋敵(ライバル)システムのチュートリアルで費やされ、やけにバリエーションの豊かな破滅を迎え、消えていく定めであるイングリットの境遇に、前世のリリアーレ(浩子)は心を痛めた。

 大好きなディートハルトが己の命より大切にしている少女だ。

 そんな子を、ディートハルトは結果的に自らの手で破滅へと導くのだ。

 そして、彼はずっとそのことで自らを責め続け、苦しむことになるのだ。

 それは、彼と共にハッピーエンドを迎え、幸せな日々が描かれるはずのエピローグにも影を落とす。

 ディートハルトが苦しむ姿なんて見たくない。友達が酷い目に遭うのを見たくない。


 その想いで、かつての幼いリリアーレ(浩子)は、ネットのデマに踊らされイングリット生存ルートを模索したこともあった。

 ――だが、そんなものは存在していなかった。

 どうあがいても、イングリットは未来を赦されることはなかった。


 後年発売されたリメイク版でも、それは変わらなかった。

 イングリットの悲劇の始まりである、彼女の最大の庇護者アルトゥール公の生存を試みたことがあった。

 ゲーム序盤の、戦闘チュートリアルを兼ねた負けイベントステージである『アルトゥール公暗殺』にて、クリッキング・ソーを上手く馬車を盾にしてハメれば、無傷で倒せる。そんなSNSの情報を受けてのことだった。

 当時のリリアーレ(浩子)は、慣れないシミュレーションRPGの操作に悪戦苦闘しながら、何度も失敗し、何時間も費やした。

 驚くことに、そのSNSの情報は本当だった。

 長き戦いの末に、確かにリリアーレ(浩子)はクリッキング・ソーを倒したのだ。


 ――だが、結果は変わらなかった。

 いわゆる、『ムービー銃』というものだ。

 クリッキング・ソー戦でどれだけ余力を残して勝利しても、続くシーンでどこからか飛んできた投げナイフがアルトゥール公を貫き、彼はあっけなく命を落とすことになるのだ。

 そして、最大の庇護者を失ったイングリットは破滅へ向かって一直線に突き進むことになる。


 いかにも運命を変えられるように見せかけて、落とす。

 これ以外にも、リメイク版にはイングリットを救済できそうな、思わせぶりなセリフや展開は数多く用意されていたが、そのすべてが、結局は彼女の破滅へと繋がっていた。


 そして、それに気づいた前世のリリアーレ(浩子)はイングリットの救済をあきらめ、彼女のことを踏み台として割り切ることにした。

 リメイク版のディレクターとシナリオを監修したという原作者の底意地の悪さを感じ取り、その掌で踊らされることに嫌気が差したのだ。


(正直気は進まないけど、仕方ないよね。

イングリット、アンタが破滅しないことにはシナリオが進まないし)


 今回も、イングリットには踏み台になってもらう。

 今のリリアーレは最推しディートハルトとの出会いを手繰り寄せるためなら、汚泥の中だろうと喜んで飛び込めるし、いくらでも非情になれる。

 それこそ、生まれてくるはずの命を殺すほどに。


 前世で画面越しに何度も見てきた入学式会場を見回す。

 イングリットは例によって死ぬほど似合わない白ドレスを着て、隅っこで俯いて縮こまっている陰キャと化しているはず。


(白ドレスの陰キャ女……陰キャ……)


 目的のため、イングリットと知己を得ようと彼女の姿を探していたリリアーレの目が――やがて悪役令嬢イングリットに止まった。

 主人公リリアーレと、悪役令嬢イングリットの道が交わる、その初めての瞬間だった。


(あ、れ……?)


 しかし、リリアーレの記憶にあるイングリットとひどく雰囲気が違う。

 何をトチ狂ったのか、イングリットは烏の羽を模った、大胆なデザインのドレスを身に纏い、周りの目を気にすることもなく最前列に立ち、自信満々な様子でふんぞり返っていたのだ。

 ――正直に言って、あまりにも様になっていた。


(なにあれ、アタシが色々介入したせい……?)


 どれが影響しているのか見当がつかない。


(義母を不妊にしたから? 関係ないでしょ。

養子入りを早めたから? それだけでここまで変わる?

早期にグランスタイン家との接触を図ったから?

バタフライエフェクト、ってやつ?)


 リリアーレにとって一番の心当たりは、やはり孤児院時代のイベントを丸ごとスキップしたことだった。

 現状、リリアーレが能動的にもっとも大きく介入している部分だからだ。

 例えば、同室の世話焼きの少女(ニーナ)との絆を育む一連のイベントが代表的だ。

 病に倒れ、死にゆく彼女が語った、『お姫様になりたかった』という夢を、主人公が代わりに叶えようと決意するシーンが印象的である。


(関係なくない? それって、主人公の内面的成長要素なんでしょ)


 どう考えてみても、原因は不明のまま。

 リリアーレはこの異常事態に、もう少し、慎重に動くべきと判断せざるを得なかった。


 これは、リリアーレがもっとも恐れていた事態だ。

 全てが本来のゲームのシナリオ通りに進むのなら、多少なりともこの世界の知識を持つリリアーレはある程度好きなように世界を動かすことができる。

 だが、展開が本来のシナリオから大きく逸脱するほどに、転生者であるという、唯一のアドバンテージが無用の長物となりかねない。


(やっぱり、軽率に動き過ぎたかな?

グランスタイン家に下手に手紙とか送らない方がよかったの?

一体何が原因――)


 混乱の最中、状況把握に努めるリリアーレの目がイングリットの隣に控える黒ずくめの男に留まった。


 武士である。


(は?)


 見間違いかと思い、思わず二度見する。


 ――武士である。


(なんか変なのいるんだけど!?)


 何度見ても、武士である。


(悪役令嬢の従者ユニットにあんなのいたっけ?)


 『ひかあふリメイク』では、悪役令嬢イングリットの従者ユニットは、特定のテーブルの中からランダムで選出される。

 悪役令嬢イングリット退場後、彼女の従者ユニットは加入イベントを経てそのまま主人公の仲間として加入するため、強ユニット厳選で俗にいうリセマラを繰り返すプレイヤーも多くいたようであった。


 残念ながら、リリアーレはどちらかといえばライトゲーマーであり、そんな不毛な作業をやる気は起きず、よほど変なユニットが出ない限りはリセットなどせず、そのままプレイを続行していた。

 そのため、悪役令嬢の従者ユニット群の情報についてはリリアーレはすべて把握しているわけではない。

 彼女が把握しているところだと、元将軍・兵士・騎士など、いずれも当たり障りのないラインナップのはず。

 一回だけ蜥蜴人リザードマンというイロモノがいたが、中世ヨーロッパベースのファンタジーという枠組みから逸脱しているわけではない。

 しかし、今悪役令嬢の隣に立つあの姿は、どう見ても日本の武士そのものである。


(どうなってんの!? 本格中世ファンタジーでしょ?

どうして武士なんかが出てくるわけ?

ふざけんな、このクソゲー! 世界観大事にしてよ!!)


 最推しのディートハルトはいない。悪役令嬢イングリットの様子はおかしい。

 その従者までもが異様すぎる。


 ふと、リリアーレは情報屋からもたらされた、ある情報を思い出していた。

 『黒騎士卿』。戦場で残虐行為を働いたという、ゲールハイト家の騎士。

 ゲールハイト家は、小説版でこそ序盤ではそれなりに出番はあるが、第二章にあたる学園編に入ってからは、対立する勢力に押し込まれてフェードアウトしていく家だ。

 ゲーム版に至っては、その存在が丸ごとカットされて登場すらしない。

 放っておいても勝手に消えてなくなる集団だ。わざわざ貴重なリソースを割くべきではない。

 そのため、重要度が低いと見積もって、それ以上の情報は集めていなかったのだが――


(もしかして、あれが『黒騎士卿』だというの?)


 黒髪黒目黒衣。黒を恐れ、忌む『ひかあふ』の世界観で、あれほど強烈な個性を持つキャラなど、リリアーレの記憶にはいない。


(もしかして、原作小説版のキャラ?)


 悪役令嬢の従者ユニット候補には、原作小説版の終盤に登場する人気キャラが何人か入っていて、超低確率で登場するらしい。

 時系列的には、現時点で生まれてすらいない人物も含まれるらしいが、いわゆる原作小説版のファンへのご褒美なのだろう。

 それが、よりにもよって確率の壁を打ち破って今この場に現れたというのか。

 少なくとも、あんな特殊過ぎる(ユニーク)キャラは、前世のリリアーレが読了した原作小説第二章の範囲内には存在しない。


(こんなことなら、我慢して原作小説全部読んでおくんだった!)


 ある理由で、第二章で原作小説版を読むのをやめた過去の自分を、リリアーレは呪いたくなった。

 更に彼女は、その隣の小さな人影を見て目を剥いた。


(しかも――チェーリオ、なんでアンタがそこにいんの!?)


 驚愕に見開かれたリリアーレの視線の先、一見女子にも見える華奢で小柄な、藍色の髪の少年の姿があった。

 しきりに大きな丸眼鏡をいじり、その金色の瞳は不安げに辺りを見渡している。

 本来、アウレール王子の傍に控えているはずの側近チェーリオが、どういうわけか武士の隣に立っている。


(王子はどうしたのよ! 一体何があったの?)


 会場を見回してみるが、アウレール王子の姿は見当たらない。

 どうやら不参加のようだ。

 これもあり得ない。アウレール王子は母ルクレツィア妃に生徒会長に推され、学園の管理を任された身。入学式の不参加は考えられないのだ。


 ゲームでなら、さすがのライトゲーマーリリアーレでもリセット案件である。

 だが、これはまぎれもない現実なのだ。


(ああ――! もうっ! めんどくさいなぁ! ゲームみたいに気軽にリセットとかできないし!)


 リリアーレは、髪をかきむしりたい衝動に駆られた。

 それでも、長年かけて作り上げた良家のご令嬢(リリアーレ)の仮面は崩さない。

 姿勢を崩さず、お腹に力を入れて、深呼吸。

 たちどころに乱れた心が平静を取り戻す。


(大丈夫。シナリオの強制力はちゃんとあるはず。まずは、様子見かな。

イングリットに接触するのは、その後でも遅くはない)


 リリアーレはイングリットたちから目を離し、壇上を鋭い瞳で見つめる。

 本当にシナリオの強制力のようなものが存在するなら、学園長挨拶のあと――つまりこの後すぐ、リリアーレの最大の敵が登場するはず。

 それだけは、無印版でも、リメイク版でも共通している。


(――さぁ、来なさいよ! 『乳牛女』!)

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