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第36話 濡れ烏、羽ばたく②

 公爵令嬢イングリット一行は数日間の旅を経て、五大国共栄学園を擁する『学園都市フレンツァヴァーゲン』に到着した。

 一行が到着したのは入学式前日の昼頃だった。

 本来の計画では数日余裕をもっての到着となるはずだったのだが、道中、細々としたトラブルがあって、予定より少々到着が遅れたのだ。


「ここか、学園都市フレンツァヴァーゲン……」


 馬車の窓から、街並みを眺めながらイングリットが呟く。

 一言でいえば、パッチワークの街だ。

 あまりにもちぐはぐ。区画ごとにまるで様相が異なる。

 カラフルな丸屋根の家屋が並ぶ区画を通り過ぎると、次は天を突かんばかりに尖った屋根の家屋だらけの区画が出迎える。

 更に、左を見れば飲食店ばかりが集中した区画が、右を見れば服屋ばかりが立ち並ぶ区画がある。

 学園に続くメインストリートの全区画がこんな様子であった。


「なんというか、すごいね。サーリア」


 イングリットは同乗するサーリアにそう声をかける。


「そうですね」


 やや疲れと苛立ちのこもった声。彼女は不機嫌な顔を、窓の外で並走する男三人衆に向けている。


「まったく、マサときたら! 賊を見つけるたびに嬉々として討伐に行っちゃって! 何のための護衛ですか! 自覚が! 自覚が足りませんよ!」


「まぁまぁ、それで助かった人たちがいるんだからいいじゃない」


「ミツハル様も、コルヴァンさんも、マサを止めるべきじゃないですか!

最後のあたりなんて、お二人してマサを賊たちにけしかけていましたよ!

『よし、ゆけ! 賊を根絶やしにせよ!』じゃありませんっ!」


「あはは……」


 特に、コルヴァンがやけに賊討伐に乗り気だった。

 本人はイングリットたちの馬車から離れはしなかったが、とにかく暴れたがるマサレオを上手く指揮して、行く先々で賊を狩り続けた。

 さすがはグランスタインの兵。賊と聞けば、他領であろうと狩らずにはいられないのか。もはや一種の病気だ。


「それで、賊を討伐するためにあちこち寄り道して、危うく入学式に間に合わないところだったじゃないですか! お嬢様の大事な学園入学の第一歩なんですよ!」


「大丈夫よ、ちゃんとみんな日程は調整してくれたんだし。

それに、入学式参加は強制ではないんでしょう?」


「それでも、です。まったく、どうしてグランスタインの男どもって、賊と聞けばじっとしてられないんでしょうね」


 イングリットはふと、放逐された兄ディートハルトのことを思い出した。

 とにかく精力的に賊と魔物の討伐をやっていた兄。

 『あのような存在を野放しにすれば、いずれイングリットの平穏が脅かされる』。そんなことを言って、彼は衛兵たちを引っ張りまわして、野山を駆け回り賊と魔物を討伐し続けていた。


(お兄様、今頃どうお過ごしなのかしら。南の国はとても暑いと聞くけれど……)


 表向き、未だ極秘任務で不在となっているディートハルト。

 父アルトゥール公からは、彼は大陸最南端の小国へ行ったとだけ聞かされている。

 馬車の窓の外を見る。

 光玄、マサレオ、コルヴァンの男三人衆は、今回の旅での賊討伐ですっかり意気投合したらしく、何やら仲良く話し合っている。


「ふふ、困った人たち」


 それぞれタイプは違うものの、イングリットはまるで兄が三人になったような、そんな気がしていた。

 イングリットと一緒に彼らを見つめながら、サーリアはため息交じりでぼやく。


「まったく、アントンみたいに大人しくできないのでしょうか。ほら、旅の間ほぼ休みもしないで御者を務めて、野営の準備も率先してくれたじゃないですか。

本当、アントンがついてきてくれて助かりました」


「うん、本当にね」


 実際、働き者アントンは今回の旅で多大な貢献をした。

 御者に野営の準備、各種道具類の点検と修繕。

 さらには、道を塞ぐ倒木をその怪力をもって片づけ、馬車の車輪が泥濘にはまった時も彼が馬車を押し出していた。

 もし彼がついてきてくれなかったら、今回の旅路は困難に満ちたものになっていたに違いない。


 しかし、賊狩り三人衆も、ただ好き勝手暴れまわっただけではない。

 マサレオは率先して旅路の潜在的な脅威を潰して回ったと言える。

 コルヴァンは賊狩りには乗り気ではあったが、馬車からは一時も離れず。

 光玄は野営の際ずっと辺りを見回り、警戒してくれた。

 サーリアもイングリットに付きっきりで、何一つ不便な思いをしないように努めてくれた。


「――皆がいてくれて、よかった」


 そうつぶやくイングリットに、サーリアはようやく気難しそうな表情を緩めた。


「そうですね。

――そろそろ、到着でしょうか。ご用意を」


 見れば、馬車は学園正門へ差し掛かるところだった。

 漆黒の烏頭の兵士コルヴァンが門番に警戒されながらも通行許可を得て、やがて一行は学園正門を抜け、学園内の居住区の女子寮前に着いた。

 女子寮前はちょっとした広場となっており、令嬢たちが思い思いに散策をし、世間話に興じている。

 イングリットたちより数日早めに入寮した者たちなのだろう。

 既に派閥らしいものが形成されつつあるらしい。


 そこに現れた、噂の『濡れ烏の君と黒騎士卿』一行。

 当然、嫌悪と奇異の目が一斉に向けられる。

 馬車の扉が開き、イングリットが降りた瞬間、彼女は周りからの敵意のこもった視線に晒された。

 いつもの領内や屋敷の使用人の忌避感とは違う。粘つく、悪意の混じるものだ。

 ある程度覚悟はできていたはずだったのに、イングリットは途端にまるで腐った木の板に立たされている感覚に陥った。

 自分を見つめる他の令嬢たちがあまりにも巨大に思えて、その視線から隠れるように思わず身体を丸めてしまう。

 不安が心を染めていく。

 これから三年もこんな視線に晒され続けるのか。

 この悪意に耐えなければいけないのか。


「――イングリット殿、胸を張られよ」


 低く重たい声が、耳元で響く。

 イングリットは声の主を見つめた。

 彼女の答えを待つことなく、声の主――光玄は続ける。


「虚勢を張られよ。反り返らんばかりに胸を張られよ!」


「ミツ、ハル様」


「ちょっと――」


 二人のただならぬ様子に気づいたサーリアが何か言おうとしたが、光玄は手を挙げてそれを制止した。

 イングリットたちを見つめる令嬢たちは口元を隠し、囁き合う。

 しかし、その声量は抑えず、わざとらしく聞こえるように。


「嫌ですわ、本当に真っ黒な髪」

「隣の黒衣の殿方が例の黒騎士卿かしら?」

「あちらの鎧の殿方ではなくて?」


 自分の黒髪を見つめ、イングリットは唇を噛む。

 光玄のおかげで、ここしばらく忘れていた生まれながらに持つ忌み色。

 それを改めて突き付けられた気がした。

 光玄は、イングリットのその艶やかな黒髪を見つめながら、いつも以上に芝居がかった口調で話した。


「イングリット殿。黒とは、すべての色を内包せし最も美しい色でござる。

何色にも染まらぬ高潔たる色でござれば」


 そういわれ、イングリットは自分の黒髪をひと房、手に取った。

 その隣では、光玄のその言葉に何か感じ入ったのか、サーリアが小さく息を飲んだ。


「気持ちの悪いこと。正しく濡れ烏ですわ」

「ええ、その通りですわね」


 変わらず、周りからはそんな囁き声が聞こえてくる。


「――濡れ烏、大いに結構! 烏ほど賢く美しい生き物はそうはござらん!」


 敢えて彼女らに聞こえるように、光玄は声を張り上げた。

 陰口を叩いていた令嬢らはびくりと肩をすくめ、視線をそらす。

 光玄はそのまま、畳み掛けるように高らかに言い放った。


「王侯貴族何するものぞ! 誰もかれも取るに足らぬ有象無象ばかりではござらぬか!

武家の人間、ナメられたら終いでござる。馬鹿にされたならば、王だろうと帝だろうと殺すつもりで臨まれよ!」


「き、聞きまして? 王でも皇帝でも殺すって……」

「なんて、恐ろしい……! あの恐ろしい噂は本当かも……」


 何か周りで誤解が積み重なっていく。

 イングリットは周りを窺い、狼狽えた。


「み、ミツハル様、お声が大きいです……!

それに、グランスタイン家は、別に武門の家というわけでは……」


 グランスタイン家当主、アルトゥール公はかつて蛮族討滅戦争に自ら兵を率いて参戦し、『不死将軍』などといかにもな異名を持ってはいるが、それはあくまで諸事情あってのこと。

 アルトゥール公本人は武官というよりは、文官肌の人物である。

 だが、光玄は頑なだった。


「否! 断じて否でござる!

聞けば、グランスタイン家の初代ご当主は、立派な武人であらせられたとのこと!

一度武家として立ち上がったのならば、お家断絶までは未来永劫武家にござれば!」


「そんな無茶苦茶な……」


 まだ不安そうなイングリットの瞳を真っすぐ見つめ、光玄は語り続けた。


「ご心配召されるな、某はイングリット殿の剣でござる。容易く折れたり、曲がったりしませぬ。存分に振るわれよ」


「わたしの、剣……」


 光玄は力強く頷き、イングリットの手を優しくも強く握って力説する。


「それに、もうお家に迷惑をかけまいとするのはおやめくだされ。

イングリット殿こそは次期当主!

次代のグランスタイン家そのものにございまする。

自分で自分に迷惑をかけることなどできますまい」


「……」


 イングリットは自分の手を包み込む光玄の力強い手を見つめる。

 暖かく、繊細ながらもゴツゴツした男の手だ。


「イングリット殿は思慮深くお優しい。

決して悪しきようにはなりませぬ故、その心の赴かれるまま振る舞われよ」


 イングリットは改めて光玄を見る。

 この男は、どれほど他人に恐れられようと、悪しき噂を立てられようと――己の行いに、一片の疑念も抱いていない。


 自信? 違う。これは信念だ。

 たとえ、後で後悔することになろうとも、この男は自分の選択が正しいと信じて突き進んでいる。

 彼の、何があっても揺るがぬ信念を宿した真っすぐな瞳が、イングリットに向けられている。

 そして自分に向けられた、絶対の信頼がそこにあった。


(――応え、なくちゃ。応えたい)


 目を閉じ、息を深く吸い、吐き出す。

 そして再び目を開けると、驚いたことにあれだけ恐ろしかった令嬢らがやけに幼く、頼りなさげに見えた。


 不思議だった。

 つい先ほどまでは腐った木の板の上に立っている心地だったのが、今では両脚は力強く地面に根差し、まるで揺らぐ気がしない。

 そんなイングリットの様子を無言のまま見守っていた光玄の瞳が、わずかに細められ――


「上出来でござる」


 光玄の柔らかい声に、思わずイングリットは目を見開き、彼を見た。

 優しい笑みだった。

 出会ってもう一ヶ月。

 それなりにこの男のことを理解できていると思っていた。

 けれどまだ、彼のことを何も分かっていない。

 父アルトゥール公への忠義故に自分に尽くしてくれているのだと、そう考えていた。

 忠義だけではない。義務だけでもない。彼は主従関係抜きで、イングリットを確かな親愛をもって想ってくれている。


(――まだちゃんと、見ていなかったのね。わたし)


 イングリットも、彼女を蔑んでいた者たちが彼女にそうしたように、光玄のことをどこか偏見をもって見ていたのか。

 光玄の言葉を一つ一つ、心の中で反芻する。


(虚勢を張って、胸を張る。嘗められないように。

わたしは、グランスタイン家の次期当主。馬鹿にされたなら、殺すつもりで)


 足に力を入れ、腰を真っすぐ伸ばす。

 思いっきり胸を張って顔を上げる。

 そして、好き勝手言ってくれた令嬢たちを真っすぐ見つめた。

 父アルトゥール公譲りの切れ長の目が研ぎ澄まされた刃の如く、有象無象(令嬢たち)を射貫く。


「ひっ」


 たちどころに、イングリットに向けられていた視線から悪意が消え失せ、恐怖へと変わっていった。

 イングリットの視線から逃れるように、令嬢たちは顔を背け、身を竦める。


(――ミツハル様の仰る通りだわ。

わたしは、一体今まで何をそんなに怖がってたんだろう)


 光玄を見ると、彼はゆっくりと頷いて見せる。

 その隣に、漆黒の鎧を身に纏ったコルヴァンが立ち、更に後ろにはアントンが控える。

 たかが小娘たちには彼らが放つ圧に耐えられるはずもなく。

 一人、また一人と、令嬢たちは逃げ去るように寮へ入っていった。


 そして広場にはイングリット一行だけが残された。

 サーリアが手を叩き、注目を集める。


「さぁ入学式は明日です。

皆さま、早く動いてください! さっさと入寮を済ませちゃいますよ!

ほら、ミツハル様も、未婚のご令嬢のお手をいつまでも握っているものではありません!」


 そう言って、サーリアはいつものように早口で喋りながら、ぺちんと光玄の手を叩いて二人を離した。

 しかし、彼女の厳しい口調とは裏腹に、その手つきは柔らかく。

 叩くというよりは、撫でつけるようなものになっていた。


「ほら、早く。荷下ろしを始めてください。アントンはそこの大きいのを、コルヴァンさんはそこの割れ物。ミツハル様は衣装ケースを」


 そのままサーリアは男衆を指揮し、彼らは荷物を馬車から丁寧に降ろし始める。

 ふと、サーリアはマサレオの姿が見当たらないことに気づいた。


「あれ? マサは?」


 彼女の問いに、光玄が答える。


「マサなら、偵察と言って街に出かけて行き申した。

まったく、仕事熱心なやつよ」


「なるほど。早速、学園都市の地形把握に出かけたというわけですか。

さすがはマサレオ、何という勤勉さ。見習わなくては」


 そう感心しながら頷きあう光玄とコルヴァンを見て、サーリアはひどい頭痛を覚えた。

 到着早々、サボりだ。

 今頃、マサは飲み屋を探していることだろう。


「ああ、もう!」


 マサレオは頑強で剣の腕もそれなりに立ち、場の雰囲気を盛り上げるのが得意だ。

 しかし、あまりにも自由人過ぎる。

 サーリアは、もはやマサレオは頭数に入れないことに決めた。


「さぁ、コルヴァンさん! アントン! 急いでください!

ミツハル様も、ぼーっとしてないで早く寮へ行ってください!

って、ミツハル様、お荷物はそれだけですか?」


 今更、サーリアは光玄の荷物があまりにも少ないことに気が付いた。

 彼の荷物は小包みが一つだけ。

 メヒティルト夫人が仕立ててくれた、光玄の黒い和装と同じ形の着替えと、おやつとして持たせてくれたチーズだけが入っている。

 寮には基本的な生活用品は一応備えてあるはずだが、これではあまりにも準備不足だ。

 肌着や寝間着などもなければ、筆記用具やらの生徒としての必須品も何一つ光玄は用意してきていないのだ。

 使用人寮へ向かう予定のアントンとコルヴァンの荷物の方が多い始末であった。


「――明日の入学式が終わったら、雑貨屋へ買い出しに行きますよ。いいですね!?」


「う、うむ」


 有無を言わさぬサーリアの気迫に気圧され、光玄は頷いた。


(サーリアってば、皆のお母様みたい)


 イングリットのその心の声が聞こえたかのように、サーリアはくるっとイングリットの方を向いた。


「お嬢様、『ガーベラ』は絶対に人目に触れないようにお願いしますね」


 サーリアの厳しい視線が、イングリットが胸に抱く木製ケースに注がれている。

 ぱっと見は楽器ケースに見えるが、中身は実に厄介なものだ。

 聖剣ガーベラ。

 ボルガルのやらかしによって誕生した新しい神器。

 何一つ斬ることができない剣。

 扱いを間違えると、白教との争いの火種になりかねない劇物だ。

 イングリットはケースをより強く抱きしめ、頷いた。


「ええ、わかっているわ」


 当初、アルトゥール公はガーベラを屋敷の保管庫に厳重に封印するつもりだったが、イングリットはそれを拒んだ。どうしても、ガーベラを手放したくなかったのである。

 彼女はこのことで、生まれて初めて父親と口論をした。

 そして、ガーベラがこの場にいるということは、アルトゥール公が愛娘に言い負かされたということ。娘馬鹿の彼はイングリットに敵うはずもなかったのである。

 いくつかの条件付きではあるが、こうして所有を認められたのであった。


 そうしているうちに荷下ろしが終了し、女子寮側からイングリットの荷物を運び入れるために女性管理人たちがやってきた。

 女子寮内は徹底した男子禁制。

 婚前の令嬢たちに万が一もあってはならないためだ。

 荷物の運び入れですら、男性の出入りは一切許されない。


「グランスタイン家のご令嬢、イングリット様とお見受けいたします。

早速、お手続きを」


 極めて事務的だ。だが、目も合わせようとしないところを見るに、やはり例の噂を耳にしているのだろう。

 声色にもどこか恐怖の色がにじみ出ている。

 イングリットが書類にサインをすると、早速管理人たちがイングリットの荷物を持ち上げ――


「お待ちを」


 コルヴァンが待ったをかけた。

 彼は漆黒の鎧をガチャリと鳴らしながら、イングリットの荷物を抱えた一人の管理人にずいっと詰め寄った。


「――持ち方が雑です。割れものも入っております。

決して、くれぐれも、お嬢様のお荷物を粗末に扱うことなきよう」


 烏の頭を象った兜のスリットの奥で、やけに鮮明な碧の瞳が不気味に輝く。


「ひっ、わ、わかりましたっ」


 見た目だけで言えば、光玄よりもよほど『黒騎士卿』らしい姿だ。

 実際、声をかけられた管理人はそう思い込んだのか、その足は可哀想なほどに震えている。

 敵の腸を引きずり出し、首を斬って生き血をすする邪悪な黒騎士。

 悪趣味な烏頭のせいでますます、そうとしか見えない。

 コルヴァンに圧をかけられた管理人は震えながらも、丁寧に、正しく割れものを扱うように慎重にイングリットの荷物を運び始めた。


「それでは、我々も入寮するといたしましょう」


「うむ」「アントン」


 イングリットの荷物が女子寮に運び込まれるのを見届けたコルヴァンが光玄とアントンにそう言って、一行はようやく解散した。

 光玄は男子生徒の寮へ。そしてコルヴァンとアントンは、マサレオが置いていった荷物まで背負って使用人寮へ向かう。


(不安しかありません。お嬢様の学園生活、大丈夫でしょうか)


 きりきりと胃が痛むのを感じながら、サーリアはそれぞれの寮へ向かっていく男衆の背中を見送るのだった。



◆◇◆



 アウレール王子の側近チェーリオは一人、自分に宛がわれた部屋に入り、一息ついていた。

 いや、ルクレツィア妃の命令で学園では距離を置くように命じられているので、元側近と呼ぶべきか。

 思い返せば、物心ついてからずっとアウレール王子の側に仕え、彼のために随分と心を砕いてきたものだ。


「妃陛下、感謝を」


 ルクレツィア妃は、未熟な王子を幼少期からずっと補佐してきたチェーリオを気にかけてきたのだろう。

 今回の王子からの隔離措置はどうやらチェーリオのためでもあるようで、長年の務めで心労が溜まっていたチェーリオとしては救われた思いであった。

 しかし――


「殿下、大丈夫なんだろうか」


 同時に、アウレール王子のことが心配で仕方がない。

 もはやアウレール王子はチェーリオの半身のような存在なのだ。

 チェーリオは彼と離れ離れになって、寂しさと不安を覚えていた。


「誰か、ぼくの代わりに殿下の支えになってくれる人が現れればいいんだけど」


 ため息をついて、部屋を見回す。

 ベッドが二つ。二人部屋だ。

 女子寮は基本的に一人部屋だが、男子寮は二人部屋となっている。


 管理人からは今のところ、他のルームメイトは割り当てられておらず、チェーリオ一人だと聞かされている。


「良かった。これなら、色々気を使わなくても済みそう」


 襟元を緩め、後ろで一纏めにした藍色の髪を解いてリラックスする。


「ふぅ、三年間の学園生活、どうにか無事に終えられるように頑張らなきゃ。

目立たず、穏やかに。特に、危ない人たちには関わらないでおこう」


 そして、寝支度をすべく上着を脱ごうとしたところで、ドアをノックする音が聞こえた。


「ん? なんだろ」


 再び、襟元を締め髪をまとめて、来客に応対するためドアへ向かう。


「夜分、申し訳ありません。チェーリオ様。寮の管理人です」


 明日の入学式に向けて、何か連絡事項でもあるのだろうか。

 チェーリオは急ぎドアを開けた。

 どこか疲れたような、焦ったような顔の管理人がチェーリオの顔を見るなり、矢継ぎ早に話し始めた。


「ああ、良かった。いらっしゃいましたね。突然ですが、チェーリオ様にお願いしたいことがありまして」


「何でしょう?」


「それが……ルームメイトを追い出して、お部屋に立てこもった方がおりまして……」


「それはなんというか、大変ですね?」


 チェーリオは眉をひそめる。

 入学式前夜の立てこもり事件。いきなり問題を起こすとは。

 栄えある五大国共栄学園の生徒にあるまじき行動だ。


「それで……こちらのお部屋に、追い出された方を受け入れてはいただけないかと」


 どうやら、気楽な一人の時間は終わりのようだ。

 赤の他人との同居など、チェーリオとしては色々気を付けるべきことは多いが、生憎困っている者を見過ごせる神経を持ち合わせてはいない。

 入寮したばかりで部屋から追い出された者が、心細い思いをしているのだろうと思ったチェーリオは快諾した。


「はい、そういうことなら構いませんよ」


「いいんですね!? では、よろしくお願いいたしますっ!!」


 チェーリオの許諾を得た管理人はそのまま逃げるように去っていき――


「いやぁ、申し訳ござらぬ。此度は快く受け入れて頂き、感謝の言葉もありませぬ」


 代わりにそんな、どこか芝居のかかった低い男の声が廊下側から響いた。


「いえいえ、さぞお困りだったのでしょう? どうぞ、中へ」


 チェーリオに促され、その男が部屋に入ってきた。

 ――黒髪黒目黒衣。


「某は、ミツハル・ラッセル・ゲェルハイトと申す者。これから三年間、よろしく頼み申す」


 悪魔じみた噂の、あの黒騎士卿の姿がそこにあった。


「ひゅっ」


 喉から空気が抜ける音を漏らし、チェーリオは白目を剥いてその場に崩れ落ちた。

 チェーリオの静かで穏やかな学園生活は、早速終わりを告げられた。

 この苦労人の試練はまだまだ終わりそうにない。

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