第35話 濡れ烏、羽ばたく①
学園出発前日の早朝。
グランスタイン公爵家の庭園の広場に、使用人と護衛兵たちが全員集められていた。
五十人を超す大人数が一堂に会するというのに、庭園の小鳥のさえずり以外は彼らの息遣いの音すら聞こえない。
彼らの前には、アルトゥール公をはじめとする、メヒティルト夫人、イングリットら当主一家と、光玄、ロタール、テオドールといった家臣らが並んでいる。
当主アルトゥール公が一歩前に出ると、使用人と護衛兵らの面々を見回しながら問うた。
「さて、本日がイングリットの学園での使用人および護衛兵を選定する期限というわけだが――希望者には挙手してもらおう」
当然のごとく、真っ先に挙手したのは公爵令嬢の専属メイドサーリアだ。
「サーリア、使用人として志願します」
途端に、他の使用人らは眉をしかめ嫌悪感を滲ませながらもどこかホッとした表情を浮かべる。
やっと面倒な奴がいなくなってくれる。そんな感じだ。
やや遅れて、鶏冠頭の巨漢、マサレオが挙手する。
「マサレオっす。アニキの――いや、お嬢の護衛兵として志願しますぜ」
イングリットの護衛兵という名目ではあるが、マサレオはグランスタイン家の人間ではない。
彼はあくまでもゲールハイト家の家臣。その当主の義弟である、光玄の舎弟として同行するつもりなのだ。
粗野なマサレオの振る舞いに、サーリアは肘で彼の脇腹を突いて小言を言った。
「マサ。いい加減、言葉遣いに気を付けてください。貴い方々に仕えるという自覚が足りていませんよ」
「へーい」
夫アルトゥール公の隣で、サーリアとマサレオのやり取りを微笑みを浮かべて見つめていたメヒティルト夫人が、柔らかい声で話しかけた。
「ふふ、マサレオさん。学園ではミツハル様とイングリットさんをお願いね」
「うっす」
鶏冠頭を揺らし、マサレオはメヒティルト夫人に頭を下げる。
口調は依然として粗野そのものだが、その仕草は真摯なものであった。
「他にはいらっしゃいませんか? これは皆さんにとってもよい機会なのですよ?? これは皆さんにとってもよい機会なのですよ?」
執事長ロタールが、未だ挙手しない使用人と護衛兵たちを見つめ、優しい声色で問いかけた。
実際、彼の言う通り、令嬢の付き人として共に学園入りするのは二度とない好機である。
使用人らは主の世話以外にも学園寮を共同で運営することを義務付けられる。
単純に仕事が増えるだけにも見えるが、実際は使用人にとっても、先進的な教育を受ける機会となる。
学園で様々な技能を身に着け、主が卒業した後は独立して店を構える者も少なくないのだ。
護衛兵も然り。各国の令息令嬢たちの護衛兵らと共同訓練を通して、技を磨くことができる絶好の機会なのだ。
しかしながら、現状挙手したのはサーリアとマサレオのみ。
当主アルトゥール公の胸中に不快感が広がる。
(おのれ、やはり『濡れ烏の君』という異名が響いておるか。いや、それ以上に、光玄めのアレのせいか)
アルトゥール公は横目で愛娘イングリットと何やら話し合っている光玄を睨みつける。
『濡れ烏の君と黒騎士卿』。今やその悪名は東のアンダルシン亜人部族連合を除く、大陸全土に広まっている。
そう、黒騎士卿だけではなく、濡れ烏の君もまた共に悪名を轟かせているのだ。
配下の邪悪な黒騎士卿に命じて、降伏した敵将に対し残虐行為を働かせた極悪令嬢。それが濡れ烏の君だという。
更には、戦前戦後交渉で卑劣な罠を仕掛けて、敗北したリーロンド家を言いなりにして、実質的にグランスタイン家の配下に加えたらしい。
(なんだ、その極悪令嬢は。
むしろ、それくらい思い切って悪役になれるなら心配はないのだが)
改めて、アルトゥール公は使用人と護衛兵たちを見つめる。
彼らの顔には不安が浮かんでいる。
志願者が足りなければ、指名されて強制的に連れていかれると思っているのだろう。
悪名轟く主の付き人として同行したところで、学園で彼らも主同様、偏見と差別の目に晒されるのは目に見えている。
「やむを得まい。コルヴァンよ、前へ」
アルトゥール公の命令を受け、一人の護衛兵が前へ進み出て敬礼をして見せた。
使用人と護衛兵らの間にざわめきが広がる。
全身黒の鎧。烏を象った兜。
あんな目立つ格好で今の今まで自分たちの中にいたのに、名を呼ばれて初めて、彼らはコルヴァンの存在に気が付いたのだ。
「このコルヴァンは、以前儂らがパーティ帰りに魔物に襲われた際、身を挺して我らを守って重傷を負ってな。これまで静養していたのだ」
場の全員の視線がコルヴァンに注がれる。
特に護衛兵たちの表情には『誰?』と書かれている。
そして護衛兵らは、彼らを束ねる護衛隊長テオドールに説明を求めるように見つめるが、彼は無表情を装ったまま沈黙している。
「――本人の強い希望でな、復帰して早々イングリットの護衛兵として志願し、内定しておったのだ」
そのアルトゥール公の言葉に頷き、コルヴァンは話し始めた。
「はっ。私はあの日、恐れ多くもグランスタイン家の家宝たる馬車に乗せていただき、命を救われた身。
お嬢様と閣下のお言葉がなければ、夜の森に取り残されどうなっていたか……」
コルヴァンのその言葉に、護衛兵たちは顔を合わせ囁く。
「ああ、あの時のか」
「重傷者は皆再起不能で退職したと聞いたが」
「一人だけ、復帰したと聞いたぞ」
「しかし、コルヴァンなんて名前は知らないぞ」
色素の薄い、澄んだ青い瞳でコルヴァンをじっと見つめていたメイドサーリアは突然、大股歩きで彼に歩み寄ると、いきなり彼の兜を脱がした。
「「「!?」」」
瞬間、アルトゥール公、メヒティルト夫人、テオドール隊長の三人がにわかに慌てふためく。ロタールだけが平静を保ち、薄く笑みを浮かべてはいるが、肩が強張っており、わずかな緊張が見られる。
彼らのその様子には気づかぬまま、サーリアはビシッとコルヴァンの顔を指差す。
「ご当主一家の皆さまの前で顔を隠すなんて無礼でしょう!
それにそのあからさまな偽名! 何者ですか! 貴方!」
サーリアのその指摘に、なぜかコルヴァン本人よりアルトゥール公とメヒティルト夫人の方が焦りだした。
「よ、よいではないか。サーリアよ、事情があるのだ」
「そ、そうよ。サーリアさん、あまり詮索しては……」
「あり得ません! どんな事情があろうとこんな非礼が許されていいはずがありません!」
コルヴァン――烏を連想させる名前。
この世のどこに、我が子へ最も卑しい獣に由来する名を付ける親がいるというのか。間違いなく偽名だ。
すると、コルヴァンは顔を隠すように垂らしていた、くすんだ茶色の前髪をかきあげてその顔を晒した。
顔立ちは凡庸そのものだ。大勢の中に紛れたら一瞬で見逃しそうな、そんな特徴のない顔をしている。
ただ一つ、顔の真ん中を横切る、鋸にでも斬りつけられたような生々しい傷跡だけが目を引く。
その痕に沿って皮膚は歪み捻れて恐ろしい形相となっている。
説明されていた通り、あの恐ろしいクリッキング・ソーにやられた傷跡なのか。
「ご無礼、ご容赦いただきたく。ご覧の通り、貴き方々には目汚しであります故、隠しておりました」
確かに、高貴な方々の前に晒していい顔ではない。
コルヴァンはサーリアの手から兜を取り戻すべく、手を伸ばす。
――が、サーリアは一歩引いて兜を後ろ手に隠した。
「それは分かりましたけれど、そのあからさまな偽名と黒い鎧は何ですか?
烏なんて、お嬢様への当てつけですか?」
「いいえ、むしろその逆です」
じりじりと、コルヴァンはサーリアとの距離を詰めながら、彼女の後ろに回り込んで兜を取り戻そうとする。
だが、サーリアもまた距離を保ち、後ろを取らせない。
コルヴァンの表情は全く動かないが、どこか焦りのような感情が透けて見える。
「――お嬢様は今、不本意な悪名を被っておられます。
私が敢えてこのような装いをすることで、他者の目からお嬢様を覆い隠す盾となれるのであれば、と思ってのことです」
「う、うむ。儂からもそうするようにと命じてあるのだ」
コルヴァンのやや苦しい言い訳に、アルトゥール公が助け舟を出す。
それでもなお、サーリアは疑いの目をコルヴァンに向ける。
「サーリア。兜を、コルヴァン様に返してあげて」
「お嬢様」
サーリアを制止したのはイングリットだった。
「ね? サーリア。わたしのことを想ってくれるのは嬉しいけれど、事情があると言ってたじゃない。あまり困らせては駄目よ」
「――そう、ですね。申し訳ありませんでした」
サーリアは軽く唇を噛むと、兜をコルヴァンに突き返した。
まだ不服なのだろう。だが、彼女としては、主に命じられては従わざるを得ない。
サーリアから兜を返してもらったコルヴァンは急いでそれを被った。
途端に、アルトゥール公を始めとする首脳陣が安堵のため息を吐く。
「こ、コホン。とにかく、これでイングリットに同行する付き人は決まりだな。
最後にもう一度問おう。他に同行を希望する者はいないか?」
最終確認。アルトゥール公のその問いに挙手する者はいない。
「やむを得まい。望まぬ者を連れて行ったところで、足手まといにしかなるまい」
そうアルトゥール公が締めようとしたとき、ふいに光玄が使用人団の最後列に向けて声をかけた。
「アントン殿! 其処許も一緒に如何か!」
今までその巨体を縮こまらせて隠れていたアントンが、びくりとその身を震わす。
一斉に彼に視線が集中する。
そのほとんどが嫌悪に満ちたものだ。
「ほう、アントンか。確かに、力仕事をする下男はいた方がよかろうが……」
そう言って、アルトゥール公はじっとアントンを見つめる。
見事な巨体。力持ちで勤勉。仕事ぶりは実に繊細かつ丁寧。
性格も温厚で善良。理想的な下男と言えばそうだが――
アントンは左半身が火傷で爛れ、おぞましい様相となっており、更には己の名前しか口にできぬ、奇妙な障害まで抱えている。
まさか自分に声がかかると思わなかったアントンは、光玄を見つめ、恐る恐る訊ねた。
「アントン?」
相変わらず、意味をなさぬ言葉。周りの使用人らの顔が更に侮蔑の色を強める。
だが、この場にはその意味をなさぬ言葉を正確にくみ取れる人間がいる。
「それは、其処許の意思次第でござる」
光玄のその言葉を受け、アントンはしばらく逡巡し――
「アントン」
「うむ、それは重畳。ともに来てくれるか」
「アントン!」
アントンが強く頷いて見せると、光玄はアルトゥール公の同意を求めるべく、彼を見つめた。
その視線を受けたアルトゥール公は、いつにも増して真面目な表情でアントンに問いかけた。
「アントンよ。きっとお主は学園ではより奇異の目で見られ、侮蔑され、辛い目に遭うだろう。それでもなお、我が娘のお供をするか?」
アントンは、イングリットと光玄を見た。
嬉しそうなイングリット。楽しげな光玄。
アントンの答えは決まった。
「アントン!」
その力強い答えには光玄の通訳は要らず、その意をしっかり汲み取ったアルトゥール公は、満足そうな笑みを浮かべ、大仰に頷いて宣言した。
「よし、これにてイングリットの学園入りの面々は決まった!
従者光玄、侍女サーリア、護衛兵コルヴァンとマサレオ、下男アントン!
我がグランスタイン家の令嬢を頼んだぞ!」
「はっ!」「はい」「畏まりました」「うっす」「アントン!」
名を呼ばれた五人は、口々に全くそろわない返事をする。
それを見たロタールがこめかみを押さえ、メヒティルト夫人がくすくすと笑い、テオドールは肩をすくめる。
苦笑いを浮かべたアルトゥール公は愛娘を見る。
イングリットは彼らを頼もしげに見つめ、微笑んでいた。
(ふっ、たったの五人か。だが、これ以上ない最良の人選であるな)
しかし、アルトゥール公は頼もしさと同時に一抹の不安を覚えていた。
(何と言うべきか。ろくでもないことになりそうな気がしなくもない)
変人だらけだ。学園をかき回すには最適とも言えるが、不安しかない面々である。
アルトゥール公は『要注意人物』の肩に手を置いて囁きかけた。
「良いな。何度でもいうが、無闇に敵を作るな。味方を作るのだ」
「はっ!」
『要注意人物』の威勢のいい返事。
「――本当に頼むぞ。入学早々問題を起こさぬようにな」
「御屋形様、そのようなことにはなりませぬ! この光玄、心得てございまする!」
『要注意人物』――光玄の自信満々なその答えに、アルトゥール公の不安はますます強まる一方。
だが、もはや信じて送り出すほかない。
「よし。では、これにて解散! 明日の出発に向けて各々準備をするように!」




