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第34話 大公と公子②

 しばらくして、父の執務室を辞したルカは急ぎ足で自室へ向かっていた。

 あの父のことだ、『彼女』を送ると決定したからには今日明日中には送られてくるに違いない。

 新しい調度品や生活用品など、必要なものを早急に手配せねばならない。


「困ったなぁ、女の人に必要なものなんて僕には分からないぞ……」


 頭を掻きながらルカが廊下を進んでいると、向こうから一人の女性が歩いて来るのが見えた。

 二十歳前後くらいに見える、妙齢の女性だ。

 濃い琥珀色の髪をおでこで真ん中に分けた、さらさらな長い髪をなびかせ、空をそのまま閉じ込めたような澄み切った碧の瞳はまっすぐ前を向いている。

 大人びた顔立ち、一人前の令嬢らしい品の良い歩み。

 仕立ての良い空色のドレスが清純さと色気を同時に醸し出している。

 手足もすらりと長く、身長もルカより頭一つ分高い。

 その女性はすぐにルカの存在に気づき、ぱあっと花が咲くような笑顔を浮かべると、小走りで近寄ってきた。


「お兄様っ」


 弾んだ声で、ルカのことを兄と呼ぶ女性。

 ――信じられないことだが、彼女はルカの一つ年下の異母妹だ。

 立派な大人のレディにしか見えないが、彼女はまだ十三歳。

 とんでもない早熟っぷりである。

 比較的小柄で身長の低いルカと並べば、姉と弟にしか見えない程である。


 彼女は、今回ルカの元に送られることになった件の妾、レナと大公の間で生まれた三人の娘のうちの次女である。

 その早熟ぶりは何も身体だけに留まらず、一人前のレディとしての教養を身に着けており、非常に聡明で度々クリスティアン大公やルカに助言をするほどである。


「メリッサ――わぷっ」


 だが、愛情表現に関しては年相応のものである。

 ルカの異母妹――メリッサは力加減などせずルカに抱き着いては、彼の頭を胸元に包み込んだ。


「もーお会いしたかったのです!

お兄様ったら、お仕事ばかりでちっとも会いに来てくれないもの。

メリッサは寂しいと死んじゃいますのよ?」


「う、うさぎかっ、うぷっ、く、苦しいっ――

わ、わかった、僕が悪かった! だから、放してくれ」


 じたばた藻掻く兄を最後に力いっぱいぎゅっと抱きしめたメリッサは、まだまだ満足できないようで、名残惜しそうにルカを解放した。


「い、いたたっ、く、首がっ。

――まったく、いつまでも子供気分では困るぞ、メリッサ」


 ルカはくしゃくしゃになった髪を整え、脇に抱えていた書類の無事を確かめる。


「あら、その書類って?」


「ああ、今回の西トーラス公国内の岩塩鉱山共同開発の件だよ。

ちょうどいい、お前の意見も聞いておきたいんだ。ちょっと読んでみてくれないか?」


 ルカは妹に書類を手渡した。

 取扱いに気を遣うべき機密性の高い文書だが、二人ともまるで日常の一幕といった様子。

 今に始まったことではない。あの気難しい父クリスティアン大公も黙認していることなのだろう。


「ふーん、どれどれ」


 メリッサの鮮やかな碧眼が目まぐるしく動き、信じられない速さで所狭しと並ぶ書類の字を読み取る。

 分厚い書類を僅か三分もしないうちに読み切ったメリッサは書類をルカに返した。


「おおむね、問題ありませんよ。ただ――」


「ただ?」


「向こうに条件が有利過ぎて、裏に何かあると『誤解』されちゃいそうです。

ここは一つだけ、相手にとって厄介な条件を付け加えておきましょう」


 そう言われ、ルカはなるほどと頷いた。

 下手に勘繰られ、あの岩塩鉱山を詳しく調べられたりしては困るのだ。


「それで、厄介な条件とは?」


「現場監督官は必ず我が方の者を据えること」


 ルカは思わず感心し、手を叩いた。

 公国側に有利な条件を設ける代わりに、グラントリア側の監視の目を常駐させる。

 これだけグラントリア側が譲歩しているのだから、それくらいの条件を提示した方が自然だ。

 それなら、相手も無用な疑いは持たないだろう。

 それに、今後『副産物』が『偶然』発見された場合、その監視体制を早期に構築できる。


「さすがはメリッサだ。まったく、お前には叶わないな」


「いえいえ、わたしはただ思いついたことを言っているだけですよ。

すごいのはたった一人でここまで交渉を進めてきたお兄様です」


 この妹は、決して自分の能力を誇ったりひけらかさない。

 そして常に相手を立てる。


 レナの他の娘たちは父クリスティアン大公に冷遇されているが、このメリッサだけはその聡明さと無欲なところを評価され、能力至上主義者のクリスティアン大公にもそれなりに可愛がられている。


「だが、お前にいつも助けられているのは確かだ。

何か欲しいものはないか? 何でもいいぞ、兄さんが用意してあげよう」


「ん――」


 メリッサは自分の唇に人差し指を当て、考え込む。

 そしておずおずと、申し訳なさそうに口を開いた。


「その、出来れば、ユーラお姉さまに、新しいお櫛を買ってあげたいんです」


 ユーラ。しばらく前に、クリスティアン大公の命令で王宮の侍女として出仕していった、メリッサの双子の姉だ。

 メリッサが望んだのは、双子の姉へのプレゼントだった。

 ユーラは要領が悪く、愛想がないため、父クリスティアン大公に特に疎まれている娘だ。

 怒られることはあっても、ご褒美をもらえることはまずない。


「ユーラか。僕はあの子に嫌われているようだが、もちろん大事な妹だと思っているよ。櫛などお安い御用だ。

他にもあの子に必要なものがあるか、それとなくお前の方から聞いておいてくれ。用意しておくから」


 ルカもユーラのことを兄として気にかけてはいるが、どこかクリスティアン大公に似たルカが苦手なのか、彼女からは避けられているのだ。


「うーん、嫌われているわけじゃないと思うのですけど。

――どっちもどっちなんだから、もうっ。

とりあえずわかりました、今度お姉様に何か欲しいものがあるか聞いておきますね」


「――? それよりも、今はお前の欲しいものを聞いてるんだぞ、メリッサ」


「そう言われましても。

あっ、そういえば、お母様の化粧台が古くなってます。そろそろ新しいものを――いえ、後宮に出仕しているリュイスちゃんに、何か送ることってできるのでしょうか?」


 三女リュイスは父クリスティアン大公の命令で、あの恐ろしい魔女ルクレツィア妃の下へ身寄りのない平民の子として出仕させられている。


(はぁ、父上はあの子を無自覚な間者としてお使いになるつもりなんだろうけど、あの子に務まるとは思えない)


 ルカは異母妹、リュイスのことを思い出す。

 彼女はまだ七歳の、気弱な泣き虫の子供だ。今頃きっと一人で心細い思いをしているのだろう。


(どうにかしてあげたいところだけどな……

あの子のことだ、きっとあの魔女に意地悪されて泣いているんだろうし)


 だが、さすがにクリスティアン大公の政敵であるルクレツィア妃の侍女になったリュイスに下手に接触するのはまずい。


「……そればかりは難しいと思う。

まず父上に許可を得なければいけないからな」


 恐らくクリスティアン大公は首を縦には振らない。

 それが分かっているルカは歯がゆそうに眉間にしわを寄せ、それを見たメリッサは悲し気に目を伏せた。


「そう、ですよね。ごめんなさい、わがままを言っちゃいました。

でしたら、やっぱりお母様の化粧台にしてほしいんです」


 実に無欲で家族思いな妹だ。父や兄に愛想を振りまいて得た利益を全て母と姉妹のために使っている。


 そして、メリッサが口にした『お母様』という言葉を聞いて、ルカは妹に実に言いにくいことを伝えねばならなくなってしまった。


「あーそのーメリッサ? 言いにくい事なんだが……

お前たちの母君――レナ様のことでな」


「お母様がどうかしましたか?」


「――うぅ」


 澄んだ碧の瞳がまっすぐルカを見つめてくる。

 親愛に満ちたこの眼差しがこれから軽蔑に染まると思うと、ルカは逃げ出したい気分だった。


「その、父上がな、レナ様を、その――」


「お兄様にお譲りになるとでも言われましたか?」


「なっ、何てことを言うんだ、お前は。

ち、違うぞ、僕つきの侍女、としてだ」


 やましいところなどないはずなのに、ルカは頬を赤らめ、必死に取り繕う。

 しかしながら、その反応こそレナへの好意の証左。

 それを妹に見透かされた気がして、ルカはその場に崩れ落ちそうになった。

 恐る恐る、妹の顔を窺う。


「――そりゃあ、妹としては微妙だよ。お母様の娘としてもね」


 突然、メリッサの口調が変わった。

 ルカはこの妹が心を許せる相手に本音を話すときは、こういう風に砕けた調子で話すのをよく知っている。


「でも、お兄様と一緒なら、もうお母様が酷い目に遭わなくて済むでしょ?」


「当然だ。僕のもとに来るからには、決して誰にも手出しはさせない」


 普通ならば嫌悪感を露にすべき事案だが、メリッサがこれほどの反応を見せるほどにお母様――レナが日頃受けている仕打ちとは、娘として耐え難いものだったのだろう。

 父クリスティアン大公の無関心の中、使用人たちに仕事を押し付けられ、更には嫌がらせを受けている。


 正室亡き今もなお、レナが妾として冷遇されているのには理由がある。

 レナはその素性が分かっていない。

 ルカが産まれるより前、彼女が大怪我を負って川に流されてきたところをクリスティアン大公に保護され、そのまま妾としてこの別邸に置かれているのだ。

 彼女には大怪我する前の記憶がない。

 更には、喉にも大きな傷跡が残り、喋ることもできない。

 そんな女性を正室として扱うわけにはいかないというのは、ルカも理解はしているのだが――


(父上はレナ様に情はないのだろうか。いくらなんでも、レナ様が不憫すぎる)


 いかに妾とは言え、彼女との間に三人も子をもうけておきながら、あまりにも冷淡だ。

 レナは口こそきけないが、美しく、気配りが出来て、気品にあふれている。

 クリスティアン大公は彼女のことを、元は娼婦か何かだったのだろうと言って侮蔑しているが、ルカから見た彼女はそんな賤しい女性とは思えない。


(――何か、父上は隠し事をしている)


 あの慎重なクリスティアン大公が、どこの誰かも知れない女を長年妾として側に置いておくはずがない。

 だが、今のルカに出来ることは少ない。

 これから専属侍女となる彼女を庇護するくらいしかできない。

 そんなことを考え込むルカに、メリッサは複雑そうな笑みを浮かべて声をかけた。


「――あ、でも……」


「ん? どうした、メリッサ」


「ユーラお姉様が知ったら、たぶん泣かれると思うから。そこは覚悟してね」


「あぁ――ユーラにはもっと嫌われることになるのか。わかった、覚悟はしておく」


 ルカ少年は異母妹ユーラの冷たい眼差しを想像し、がっくりと肩を落とす。

 だが、どういうわけか、メリッサはあきれ顔をしてルカを見つめている。


「はぁ……ユーラお姉様も可哀想に」


「そうだな、僕がユーラでも絶対許せないことだとは思うよ」


 どこか二人の会話は妙にかみ合っていない。

 メリッサは小さくぼやいた。


「本当、どっちもお子様なんだから」


「ん? なんだって?」


「なんでもありませーん」


 しばし首をかしげるルカだったが、やがてため息をつくと話題を変えた。


「それにしても、父上にも困ったものだ。何事もこう強引に決められては叶わない」


「ふーん、嬉しいくせに」


「ぐっ」


 痛いところを突かれ、ルカは呻き声をあげる。

 嬉しいのは、本当だ。

 メリッサたちの母レナは、ルカ少年にとっては憧れの存在だ。

 父にいくらぞんざいな扱いをされても、使用人たちに虐げられても、その気高さはいささかも失われず、いつも堂々としていて、気品にあふれている。


 そして、かつてのルカを女性恐怖症に陥らせたきっかけとなったある事件の際、彼を助けてくれた者こそが彼女なのだ。

 今までは遠巻きで見つめ、父の目を盗んで世話を焼いていただけの、憧れの女性が側で仕えてくれることになるのだ。

 嬉しくないわけがない。


「そ、そんなことより、僕には女性に必要なものがよく分からないんだ。

レナ様に必要な物のリストを作ってくれないか? 予算は気にするな。

身の回りの品々や、調度品、化粧品、なんでもいい」


「へぇ――お母様のことだったら、わたし、遠慮しないけど?」


「ふん、望むところだ。もし予算が余るようだったら、お前と、ユーラ、そしてリュイスの分も何か買うといい。

どうにかチャンスを見つけて渡しておくから」


「うふふ、お兄様、大好き!!」


 メリッサは再び兄に抱き着き、その顔を己の胸に埋める。


「わぷっ、やめ、やめろっ。うわっ、力強っ。

お前、少しばかり僕より背が大きいからって、こらっ」


 じたばた藻掻く兄をより強く抱きしめ、メリッサは彼には聞こえぬよう、口の中で小さくつぶやいた。


「……ずるいなぁ、お母様は」


「な、何か言ったか?」


 メリッサは笑いながら、ルカを解放した。


「安心したって、言ったの! これで、わたしが学園に入学しても、お母様は大丈夫そうね」


「十三歳にして学園入学か、確か史上最年少で次席だったな?

さすがはメリッサ、僕の自慢の妹だよ」


 そう、メリッサはこの春、『学園』への入学が決まっているのだ。

 通常は十五歳から十七歳で入学するところを、メリッサは十三歳にして学園入学試験に次席で合格しており、入学の権利をもぎ取っている。

 本来なら表に出せぬ妾の子故、身分を偽っての平民枠としての入学だが、彼女の美貌と才能があれば高位貴族の結婚相手を見つけるのも夢ではないだろう。

 そう判断した父クリスティアン大公が、例によってメリッサの入学を強引に押し進めたのだ。

 当のメリッサは特に不満は抱いていないようで、兄の賞賛の言葉を受け、肩をすくめて見せた。


「まぁね、さすがにメルセデス皇女殿下には勝てなかったけど」


「やはり彼女が首席か。あの人はなんというか、別格だからな」


「軍事学のあの問題さえなかったらなぁ」


「あの問題? どんなものなんだ?」


「一千の兵で六万の大軍を相対した場合、最良の結果へ導くための戦術を述べよ、ってやつ。参考資料は地形情報だけ」


「なんだ、典型的なひっかけ問題じゃないか。勝ち方を聞いているんじゃなくて、『上手な負け方』を聞いているわけだろう?」


 ルカのその見解に、メリッサはニヤリと笑うと頷いて見せた。


「わたしは地形を利用してひたすら1対1の状況を作って、敵に出血を強いてから負ける、という戦術を取ったんだけど、それじゃ満点回答じゃなかったんだよねー」


「へぇ、さすがは五大国共栄学園か。一筋縄とはいかないな」


「ところで、その問題、メルセデス皇女殿下はたった一言だけ書いて満点取ってるんだよ? なんて書いたと思う?」


「一言で満点? なんだろう、さすがに想像つかないや」


 メリッサは自分の琥珀色の髪をいじり、もったいぶるように一呼吸おいて答えた。


「――即時撤退」


「は? えっ、ああっ!」


 答えを聞いたルカの表情が困惑から驚き、そして納得へ目まぐるしく変わっていく。

 提示された条件は地図と自軍と敵軍の兵力だけ。

 『死守すべき拠点』や『味方の援軍が来るまでの時間』など、それを取り巻く他の状況は何一つ示されていない。

 ――戦う理由がないのだ。

 ならば、兵を無駄死にさせず、敵勢が六万の大軍である情報を持ち帰ること。

 この場合の最良の結果は、撤退以外考えられない。

 完全に虚を突かれたルカは思わず眉間にしわを寄せた。


「い、意地が悪いぞ。学園の出題教員」


「だよねー。軍事学満点取ったの、メルセデス皇女殿下以外には一人しかないんだって」


「他にもいるのか。誰だ?」


「入学試験三位のイングリット・グランスタイン嬢」


「例の『濡れ烏の君』か。意外だな、そんなに優秀だったんだな」


 ピクリ

 濡れ烏の君と耳にした途端、メリッサの形のいい眉毛が跳ね上がる。

 そして彼女の声に怒気が混じる。


「お兄様、その呼び名、やめて」


「ん? 濡れ烏の君か? 社交界では皆そう呼んでいるらしいが」


「だって、失礼だし。そんな呼び名で呼ばれるほど、あの人が何か悪い事したわけじゃないもん」


 しばし妹の言葉をかみ砕くように瞑目したルカは、ばつの悪い表情を浮かべて頭を掻いた。


「――そうか。確かにお前の言う通りだな。すまない、僕としたことが無神経だったな」


「うん、よろしい。

――でも惜しかったなぁ。アレさえなかったら、全教科満点でメルセデス皇女殿下と並んで首席だったのに」


 心底残念そうなメリッサ。

 ルカは彼女に優しく微笑みかけると、つま先立ちをして自分より背の高い妹の頭を撫でて労った。


「まぁまぁ、それでも次席はすごいことだからな。僕はお前を誇りに思うぞ」


 兄の偽らざる言葉に、メリッサは嬉しそうな、照れくさそうな笑みを浮かべ鼻頭を掻く。

 そして、寂しそうに目を伏せて言った。


「もう少しで離れ離れかぁ。ますます、お兄様に会えなくなっちゃうね」


「馬鹿、ずっとこの屋敷に閉じ込められっぱなしよりマシだろう。

お前の人生に訪れた二度とないチャンスさ。頑張るんだぞ」


 優しい兄の言葉に、メリッサは可愛らしくその頬を膨らませた。


「そういうことじゃないのにっ」


「――?」


「もういいよーだ、じゃあ、わたしはお買い物のリストを作りに行くから」


 兄から離れたメリッサは、振り向いてべーっと小さく舌を出しては元気よく手を振って走り去っていった。

 その後ろ姿を見つめ、ルカは肩をすくめた。


「――まったく、女の子ってよくわからないや」

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