第33話 大公と公子①
王弟クリスティアン大公領。その別邸の執務室。
その部屋の主、クリスティアン大公がドアを開けて入ってきた。
濃い金色の癖毛、丸顔につぶらな瞳、どこか愛嬌のある巻き髭。
そして、全体的に丸っこい体型。
彼を見れば、誰もが人畜無害そうだと評するだろう。
「チッ、アンダルシンの獣どもめが。二ヵ月も時間を無駄にしたではないか」
しかし、その愛嬌のある外見からは想像もできぬ、口汚い悪態が彼の口を突いて出る。
外交先、アンダルシン亜人部族連合から帰ってきたばかりの彼は、苛立ちを紛らせるように、自分の形のいい髭をかきむしる。
「蛮族どもめ! 昔から何一つ変わらん!」
アンダルシン亜人部族連合は、かつて霹靂帝が大陸の戦乱を治めた際結ばれた、五大国平和条約による不可侵の約定をいまだ守らず、度々諸国との国境で略奪を繰り返している。
故にグラントリア王国の外交を担うクリスティアン大公が直々に、アンダルシン亜人部族連合の首脳部を訪れ、抗議と再発防止を求めたのだが――
「何のための連合だ!」
バァン!
クリスティアン大公は怒り任せに執務室の机を拳で叩いた。
『被害を被った人族には申し訳ないが、我々は諸部族の自由を尊重する』。それがアンダルシン亜人部族連合首脳陣の返答だった。
机を叩いた衝撃で崩れた机の上の書類の山を、クリスティアン大公は痛む拳をさすりながら睨みつける。
二ヵ月の不在の間、随分と報告書が溜まっている。
そのいくつかは機密性の高いもので、魔術式により一般書類に偽装されている。
いつ届いたのかはわからないが、すでに鮮度の低い、役に立たない情報になっているだろう。
「くっ、伝書鳩も使えん未開地になど、二度と行くものか」
万能な連絡手段である伝書鳩だが、実は目印となる魔術印が設置されていない地域には行き来できない。
アンダルシン亜人部族連合は内情を探られたくないのか、その魔術印の設置を頑なに拒絶しており、現地にいる間、クリスティアン大公は伝書鳩が使えなかったのだ。
クリスティアン大公ほどの重要な立場の人間にとっては、死活問題である。
クリスティアン大公は、情報の遅れを取り戻すべく、魔術偽装の施された機密書類を手に取る。
「うぅむ、確か『長靴をはいたアヒルは汚泥を被って踊る』だったか」
間抜けな絵面が想像できる、支離滅裂な合言葉を唱えると、他愛のない一般書類の文面が歪み、その形を変えていく。
そして、クリスティアン大公は一枚目の機密書類の見出しを見て、目を見開いた。
「『アルトゥール・グランスタイン公爵暗殺未遂事件』だと!?」
急ぎ、詳細に目を通す。
一字たりとも見逃すまいと、クリスティアン大公の赤茶色の瞳が目まぐるしく動き――
彼は安堵の息を吐いて胸を撫でおろした。
「よ、よし。アルトゥールめは無事か。
ルクレツィア、あの魔女め。私の不在をいいことに手を出しおったか」
クリスティアン大公はそう毒づきながら、読み終えた書類を宙に放り投げる。
すると、書類は光の粒になり消え去った。
その残滓を目で追いながら、クリスティアン大公は犬歯を剥き出しにして唸るようにつぶやく。
「それでこそだ。アルトゥール、貴様に今死なれては、私の生きがいがなくなる。
貴様にはまだまだ、生き地獄を味わわせなければならないのだからな」
クリスティアン大公の顔は依然として人のよさそうな、人畜無害そうな面持ちだ。
しかし、それとは裏腹に、彼の声色は寒気がするほどの深い恨みを孕んでいた。
「ふん」
胸の中の淀んだ気持ちを押し出すように小さく鼻を鳴らし、クリスティアン大公は別の書類に手を伸ばした。
地方の小競り合いの結果報告書だ。機密扱いにするほどでもないが、報告書に添付されている資料には例によって偽装魔術が施されている。
まず記録官による、小競り合いの結果報告書に目を通し、クリスティアン大公は首をかしげた。
「ゲールハイト子爵家とリーロンド子爵家の抗争完全終結、だと?」
あり得ないことだ。
グランスタイン家の子飼いの猛獣、ゲールハイト家を押さえつけるため、今まで裏から手を尽くしてリーロンド家を焚き付け、長年にわたって抗争状態を維持してきたというのに、何故それが急に終結したというのか。
「何が起こった? ルノーめ、急病で死にでもしたのか?」
クリスティアン大公は赤茶色の瞳を凝らし、報告書を詳しく読み込んだ。
「会戦中、ゲールハイト勢の総大将・騎士ラッセルにルノー子爵が降伏、と。
ならば、身代金交渉に入ったはず。多額の賠償金でも吹っ掛けられて首が回らなくなったのか……?
――何!? 自害だと?」
クリスティアン大公は思わず、報告書を机に叩きつけた。
「何故そうなる!?」
慌てて書類を拾いなおして、担当した記録官の名前を確かめる。
上級文官アイシャ。ルクレツィア妃の右腕だ。
本来なら、クリスティアン大公の配下が担当に就くはずなのだが、彼の不在を突いてルクレツィア妃が自分の配下を記録官として押し込んだのだろう。
「くっ、やはりアンダルシン部族連合に赴いたのは失敗だったな。あの女狐め、随分と好き勝手しおって」
そうぶつくさ言いながら、クリスティアン大公は添付されている別の偽装書類の封印を解いて目を通す。
グランスタイン家へ潜り込ませている間者からの、精度の高い情報だ。
その間者からの報告書によれば――
先日、ミツハルという名の、さすらいの剣士がアルトゥール公爵を危機から救い、そのまま家臣となったという。
そしてその剣士はこの度ゲールハイト家へ養子入りし、騎士ミツハル・ラッセル・ゲールハイトと名乗り、今回の会戦の総大将を務めたとのことだ。
会戦の結果、形勢不利となって降伏したルノー・リーロンド子爵に対して、件の騎士ラッセルは――
「な、何ぃ? 腹を切らせた挙句、首を斬り落としただと!?」
理解不能。この世のどこにそんな拷問があるのか。
だが、自ら腹を切ったなら、確かに自害と呼べなくもない。
「ふん、物は言いようだな。
しかし面倒なことになった。あのゲールハイトの猛獣どもを繋ぎとめる楔がなくなったのは痛い。対策を考えねば」
眉をひそめ、深くため息をついたクリスティアン大公は、首を振ると気持ちを切り替えて執務椅子に座った。
先ほど机を叩いた際に散らかった机の上を綺麗に片づけ、書類の山を整理し、それらを一つ一つ読み込んでいく。
その中にいくつか役立つ情報があったのか、クリスティアン大公はしきりに頷き、その口元には笑みがにじんだ。
コンコン
ドアをノックする音が響き、声変わりしたばかりの少年の声がドアの向こうから聞こえた。
「父上、ルカです」
クリスティアン大公は、居ずまいを正した。
そして意識して低い、威厳ある声で返事をする。
「入れ」
許可を得た声の主はゆっくりとドアを開け、一礼をして入室する。
まだ年若い少年だ。
クリスティアン大公と同じ、濃いめの癖のある金髪。
目の色も大公譲りの赤茶色で、一目でクリスティアン大公の血縁者であることがわかる。
彼こそは、クリスティアン大公の一人息子にして嫡男、公子ルカだ。
歳の頃は十四歳程度だろうか。丸顔の父クリスティアン大公とは違い、母似なのか線の細い利発そうな美少年である。
「長旅、お疲れさまでした。父上、ご不在の間の報告に参りました。
西トーラス公国の外交官との交渉の件ですが、今のところ順調にございます。
近々、西トーラス公国内の岩塩鉱山の共同開発に署名をいただけると思います」
驚くことに、公子ルカはこの若さで小国相手とはいえ、既に自分の判断で交渉をし、立派な一人前の外交官として辣腕を振るっている。
「よくやった。さすがは私の自慢の息子だ。だが、最後まで油断はするな」
「問題ありません。公国側には鉱山開発能力がなく、開発は我が国主導で、費用はすべてこちら持ち。
『岩塩』採掘権の持ち分はこちらが五割と提案しました」
ここまで聞けば、ルカはとんでもない交渉下手だ。
王国は他国のために自腹を切って大損確定の事業を押し進めようとしているのだ。
「はっはっは、相手としては得しかないではないか。それで?」
だが、クリスティアン大公は上機嫌で笑うと、満足げな笑みを浮かべ息子に報告の続きを促した。
「労せず鉱山を開発してもらって、岩塩が得られるのです。慢性的な塩不足に喘ぐ公国としては得しかない話でしょう。飛びついてくれましたよ」
「――抜かりはないな?」
「もちろんです。公国側の持ち分は『岩塩』のみ。その他全ての『副産物』は王国側が採掘権を持つと提案したところ、肯定的な返答を得られました。
僕のことを若輩者と見て、侮ってくれて助かりました」
「上出来だ。後は『偶然』、『銀鉱床』でも見つかることを祈ろうではないか」
「はい、父上」
『偶然』などない。あるのは『必然』だけだ。
何も知らぬ公国は目先の利益に釣られ、王国が甘い汁を吸うのをただ指を咥えて眺めるしかなくなるだろう。
「さて、別件だが、こちらも見てみろ。
――どう思う?」
クリスティアン大公は、机の上の書類束を一つ、ルカに手渡した。
「兵器の開発提案書ですか」
数々の兵器の開発案を読んでいたルカの目が、その中の一つに留まった。
「――これは面白い。『発想の転換』ですね」
「やはりお前もそれに目を付けたか。今回はお前主導でそれを形にしてみろ」
途端にルカは喜色満面となる。兵器開発という大仕事をわずか十四歳の少年に任せるなどと、破格の人事である。
ルカはよく知っている。息子だから任せるわけではない。クリスティアン大公は徹底した能力至上主義者である。
無能であれば、そもそもこの兵器開発案すら見せていない。
「あ、ありがとうございます! 必ず最上の結果を御覧に入れましょう!」
「ふふ、仕事が増えたというのに何を喜ぶか。公国との件の褒美がまだだったな。『アレ』をお前付きにしてやろう」
『アレ』という言葉に、ルカは目に見えて焦りだす。
「ち、父上、僕はそんなつもりでは……」
「ふっ、『アレ』が何なのかまだ言っていないだろうに。
――お前が私の『妾』に懸想しているのはお見通しだ。私の目を盗んで、何かと世話を焼いているそうではないか」
「ち、違います、僕はただ、どうしてかあの女性――『レナ様』のことを放っておけなくて……」
父の妾に懸想しているなどと、普通なら大問題だ。
ルカにはそんな意図は全くなかったが、咎められている気がして必死に言い訳をする。
だが、クリスティアン大公は些事だとでも言わんばかりに、顎鬚をいじりながら話す。
「――アレはいつまでも歳も取らず、美しいままの魔女の類。お前が心を惹かれるのも無理はないか」
「いえ、ですから僕は……」
「――『あの件』から未だに女が苦手で侍女を傍においていないようだが、兵器開発までしては、さすがにお前でも身の回りのことまでは手が回らんぞ」
「は、はい。それは父上のおっしゃる通りですが……」
「お前は私の後を継ぎ、次代の大公となる身。いずれは妻を迎えねばならん。
まともに相手できる女が、私の妾とその娘たちだけというのは困るぞ」
「――っ」
ルカは何一つ反論できない。
彼は王弟クリスティアン大公のただ一人の嫡子。
彼もれっきとした王族の一員だ。あってはならないことだが、もしも王太子アウレールの身に何かがあればルカにも王位継承権が生じる。
彼には王国貴族の頂点に立つ家の血を繋ぐ義務があるのだ。
しかしながら、過去のある出来事が原因で彼は女性恐怖症に陥っている。
それでは義務を果たすことはできない。
クリスティアン大公はルカの非凡な才を認めていたが、この点に限っては息子を半人前以下と評価していた。
(頭の出来は悪くはないが、いまいち覇気に欠ける。死んだ母親に似たのか?)
クリスティアン大公は、ため息交じりで息子に言い渡した。
「今日からレナをお前付きの侍女とする。アレは口はきけないが、色々と気配りができる女だ。きっとお前の助けになるだろう。
――今のうちに女を身近に置いて慣れておけ。恐怖症など早々に克服せよ」
ルカの父、クリスティアン大公という男はいつもこうだ。
一度決定した事柄に関してはとにかく強引に押し通す。
だが、彼が言っていることは間違ってはいない。
「は、はい。ありがたくお受けいたします」
「――いいか、お前が正室を迎え入れるまで、レナにはくれぐれも手を出さぬように。大公の公子が婚前に子など、あり得ざる話だ。分かったな?」
「は、はぁ。もとよりそのようなつもりはありませんが」
「これはお前への褒美ではあるが、同時に試されていると心得よ。私の言いつけを破ればいかに息子であるお前と言えど、重い罰を与えねばならなくなるのだ」
念を押すクリスティアン大公。
こういう時の父の狙いを、これまでの経験でルカはよく知っている。
ルカは為政者としての父を大いに尊敬している。
だが、父親として――人間としてはとてもではないが尊敬に値する人物とは思えない。むしろ嫌悪していると言っても過言ではない。
時に悪辣で、時に陰湿。
この念の入れよう。クリスティアン大公はむしろ言いつけを破って欲しいのだ。
(その手には乗りませんよ、父上)
褒美と称して妾を息子のそばに置きつつ、監視させ、もし手を出したなら罰として頭を押さえて支配下に置くつもりなのだろう。
クリスティアン大公は、ルカが成長し才覚を現すと、実の息子に対しても警戒を怠らず、けん制を仕掛けてきているのだ。
正直なところ、ルカにとって今回の件は褒美どころか、面倒ごとを押し付けられたようなものだ。はっきり言えば、有難迷惑だ。
だが、懸想しているとまではいかないものの、クリスティアン大公の妾レナは、ルカの憧れの女性だ。
美しく、常に堂々とした気高い女性だ。
そんな彼女が父のもとでぞんざいに扱われ、あまつさえ口がきけぬことをいいことに、屋敷の使用人たちにまで日頃虐げられている。
これからは自分のもとで彼女を守ることができる。誰にも手出しはさせない。
そんな息子の胸中を見透かしたかのように、クリスティアン大公は目を細めて、どこか意地の悪い笑みを浮かべ、告げた。
「――決まりだな。では、レナの受け入れの用意をしておくように」
――ともあれ、ルカがどう思おうと、これはすでに決定事項だ。
ルカとしては粛々と従うほかなかった。




