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第32話 ガーベラ③

「なんだ、その花は?」


 ソファに気だるげに座る金髪碧眼の美少年――アウレール王子は、部屋に入ってきた訪問客を見てそう尋ねた。

 訪問客――王子の側近チェーリオは、窓辺に置かれた花瓶の中の萎れかけた花を片づけ、持ってきた新しい白い花を花瓶に挿し替えながら答える。


「ガーベラですよ、殿下」


「毎度ご苦労なことだな」


 チェーリオは呆れの混じる目でアウレール王子を見つめる。


「殿下は、ご自分の関心が向かないことには本当に無頓着ですよね」


「そう思うなら、わざわざ花など飾らなくてもいい」


「そういうわけにもいきませんよ。仮にも王子殿下のお部屋なのに、これではあまりにも優美さに欠けます」


「はぁ、好きにしろ」


「そうさせていただきますよ」


 チェーリオは鼻歌交じりでガーベラを花瓶に挿して、日当たりの良い所へ移した。

 作業が終わると、チェーリオはふと思い出したように、アウレール王子を見て話す。


「そういえば、謹慎が解かれたとか。お疲れさまでした」


「ああ」


 そう短く答えたアウレール王子は、むすっと唇を尖らせる。

いかにも不本意と言いたげだった。


「何度も言いましたが、あの『濡れ烏の君』の件は殿下に非があるんですから」


「納得いかないな。烏、カッコいいじゃないか」


 そう言って、アウレール王子は部屋の止まり木で羽を休ませている彼の伝書鳩――烏を指さす。


「あぁ、もう。それは殿下の美意識がおかしいんです! よりによって腐肉を漁る鳥に令嬢を例えますか!? それもパーティ会場で?」


 いよいよ、我慢ならなくなったチェーリオは声を荒げ、アウレール王子に詰め寄った。


「それは、そうかも知れないが。だからと言って、あのグランスタイン家への謝罪文はどうなんだ? いささか腰が低すぎるのではないか?」


「あれでも、妃陛下に何度もやり直しを要求されたんですから! ぼくの代筆ってバレないように書くのが、どんなに大変だったかわかってますか!?」


「わ、悪かった。だが、私では上手く謝罪文がまとまらなかったのだ」


 何がそこまで悪かったのか、アウレールにはまだ分かっていない。そんな者に、心のこもった謝罪文など書けるはずもなかった。

 結果、チェーリオはグランスタイン家への王子名義の謝罪文を代筆する羽目になったのだった。

 往生際の悪いことに、アウレール王子は未だ己の非を認めようとしない。


「好きな子の気を引きたいにしても、もう少し言い方があったんじゃありませんか」


 途端にアウレール王子は頬を染め、慌てふためく。


「なっ、違うぞ!」


 チェーリオは、必死に取り繕おうとするアウレール王子を無視して話を進める。


「黒を讃える異名をつけるにしても、他にいいものがあったでしょうに」


「――例えば?」


 ずいっ、とアウレール王子は身を乗り出す。


「『黒曜の君』とかでもよかったじゃありませんか。普通、令嬢の異名は宝石類になぞらえるものなんですよ」


「そ、そうか。『黒曜の君』か。中々いいではないか」


 一般に黒は忌避されるが、光を反射し、様々な色を映し出す黒曜石は『慎ましい美しさ』を象徴する。

 まだ挽回できる気でいる王子を見て、チェーリオは深いため息を吐く。


「今更、異名を変えるなんてできませんからね。もう社交界ではイングリット嬢は『濡れ烏の君』として定着してしまってますから」


 そう釘を刺すチェーリオに、アウレール王子はまた唇を尖らせる。


「――わかっている」


「それに、イングリット嬢との婚約も、遠からず破棄されると思われます。

少なくとも、あのアルトゥール公が黙っているとは思えません」


「……そうか」


 アウレール王子は唇を噛み、肩を落とす。

 彼としては、婚約者にふさわしい異名をつけ、自分に無関心な母の気を引きたかっただけだった。

 ただ、未熟な彼では、それがここまでおおごとになるとは想像ができていなかったのである。


「――そうですよ。もうこの際、婚約破棄を前提に動いた方がよろしいかと。学園に入学したら、他のお相手を探した方がいいと思いますよ」


「……わかった。イングリット嬢のことは諦めよう」


 落ち込んだ王子の様子に、チェーリオは気がとがめたのか、慰めの言葉を探した。


「大丈夫ですよ、きっといいお相手がいますから。カルスタインのメルセデス皇女殿下やフランカイスのセシル王女殿下も入学予定だったはず」


「メルセデスは勘弁してくれ。私はあいつがどうにも苦手なんだ。

セシル王女も苦手だ。噂によると、金に目がないというらしいぞ」


「選り好みできるお立場ではないと思いますが」


「わかっている! とにかく、お前には学園でも私の従者として手を貸してもらうぞ!」


「えっと、それなんですが。実はぼく、従者枠での入学ではないんです。

妃陛下に、正規生徒として入学試験を受けるように命じられまして」


「何!?」


「殿下がぼくに依存し過ぎていると仰られて。学園では距離を置くようにと。

申し訳ありません。妃陛下に伏せているように言われていましたので」


「は、母上。どこまで私のことを……」


 アウレール王子の顔に失望の色が浮かぶ。

 公務の停止、謹慎、資金の没収。

 パーティでの失言に対する罰としては重いものだったが、それは受け入れられた。

 だが、気心知れた幼馴染にして側近であるチェーリオまでも外されるのは、さすがにショックだったのか。


「きっと、妃陛下は殿下に独り立ちしてほしいと――」


「もういい。出ていけ」


「殿下」


「出ていけ!」


 第三者から見れば、ルクレツィア妃は十分アウレール王子を愛しているように見える。

 いささか厳しすぎるだけだ。

 だが、その愛情はアウレール王子に届いていない。


「――はい、殿下。それでは学園で」


 チェーリオは震える声でそう告げると、悲しげに目を伏せ、アウレール王子に一礼をして退室した。

 しばらく、チェーリオが出ていったドアを呆然と眺めていたアウレール王子は歯を食いしばり、ソファから立ち上がった。


「――っ」


 彼は部屋中を落ち着きなく歩き回り、何度も拳を握っては開き、やがて窓辺に立ち止まった。

 彼の視線は花瓶の白い花――ガーベラに注がれている。

 アウレール王子は、それを手に取り――


「来い」


 彼が合図を送ると、止まり木の伝書鳩――烏が飛んできてアウレール王子の肩に止まった。


「これを、グランスタイン家屋敷の――イングリット嬢の部屋の窓辺に置いてきてくれ」


 烏はアウレール王子が差し出したガーベラの花を首に提げた鞄に入れ、命令に忠実に従い、そのまま南の空へ向かって飛び去って行った。


「イングリット……」


 謝罪のつもりなのか。それとも未練なのか。彼はそのまま動くことができずにいた。



◆◇◆



 グランスタイン家屋敷の離れ。公爵令嬢、イングリットの私室。

 イングリットは便箋と向き合い、唸っていた。


「うーん、少し固いかしら」


 どうやら、メヒティルト夫人からの手紙の返事を書いているようである。

 いい文面が思い浮かばないのか、彼女はしきりに自分の長い黒髪をくるくると指に巻いている。

 メヒティルト夫人の手紙の内容は本当にたわいのないものだった。

 『もう少しお話がしたい』、『家族としてこの先も一緒にいたい』。

 要約すると、それだけだった。

 それでも、メヒティルト夫人の手紙には随分と苦心した痕跡が見て取れた。

 あまりにも丁寧な言葉遣い。詩的ですらある、選びに選んだ表現の数々が並んでいた。


「メヒティルト様……」


 継母の名を呟き、イングリットは目を閉じる。

 伝えたいこと。


「――赤ちゃん」


 そう遠くない未来、生まれてくるイングリットの新しい家族。


「……義弟になるのでしょうか、それとも義妹になるのでしょうか。

実はわたしはずっと、赤ちゃんのことを楽しみにしておりました。

メヒティルト様と一緒に、生まれてくる子を家族として迎えたいです。

わたしのいない間、何卒お体を大切に――」


 イングリットの持つペンが便箋の上で踊る。

 コンコン

 何かが、窓を叩く。


「――? 何かしら」


 音に誘われ、イングリットは窓を開け、そこに置かれた白い一輪の花を目にした。


「ガーベラの花……?」


 イングリットはそれをじっと眺め、空を見た。

 遠く、北の空へ向かって飛び去って行く光が見える。


「どなたが?」


 手紙やメモの類もなく、ただ花が一輪置かれていただけ。

 悪戯か、嫌がらせか。


 悪戯や嫌がらせに伝書鳩を用いる輩がいないわけではないが、残される魔力痕跡をたどればいずれ犯人にたどり着けるため、思いついても実行する者はまずいない。


「……」


 再び、ガーベラの花を見つめ、イングリットはそれを手に取った。


「――綺麗」


 父やロタールに頼めば送り主が分かるかもしれない。

 でもどうしてか、イングリットは知りたいとは思わなかった。

 精一杯の誰かの想い。

 それを暴く気にはなれない。


「ふふ、押し花にして、栞にしようかしら」


 イングリットはそれを大事に胸に抱き、机に向かった。

 メヒティルト夫人への手紙の続きを書くため。

 このガーベラを見て何かいい言葉でも思い浮かんだのか、楽しげに鼻歌を口ずさみながら。

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