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第3話 主を得た錆鉄の刃

 グランスタイン領都のヴァルシュタットからほど近い、森に挟まれた街道。

 近辺の農夫や商人らが時たま利用する、寂れた街道である。


 しかし今、そこは人の亡骸がずらりと並び、巨大なムカデの死骸まで横たわる修羅場と化していた。


 そこをグランスタイン公爵家の護衛兵たちが忙しなく走り回っていた。


 空飛ぶ巨大ムカデ――クリッキング・ソーの犠牲になった者たちの亡骸を一か所に集め、遺品を集めていたのだ。


 やがて目途がついたのか、兵の一人が手をあげ報告する。


「全員分、確認しました!」


 それを受け、護衛隊長がアルトゥール公のもとへ駆け寄る。


「公、戦死者の遺品の収集、完了いたしました」


「うむ、大儀である。では、皆を集めよ」


 アルトゥール公の命に、皆が作業を終え集まってくる。


 アルトゥール公は皆の顔を見回した。

 手持ちの治癒ポーションなどで応急手当はしたものの、濃い疲労の色が見て取れる。満足に歩けない者も数人いる。


 アルトゥール公は表情を変えることなく、隣に控える護衛隊長に短く命じた。


「テオドール、被害報告をせよ」


「ハッ、まず馬車や馬二頭への被害は認められません。

次に、護衛兵総員三十五人。負傷者十六人のうち重傷者四人――死者十九人……でございます」


 護衛隊長――テオドールは淡々と被害状況を報告していたが、その声は怒りか悲しみか最後にはひどく震えていた。


「――ご苦労」


 アルトゥール公は、改めて生き残った護衛兵らを一人一人見て回り、その肩を無言で軽くぽんと叩く。


 そしてもとの位置に戻り、重々しく口を開く。


「皆の者、よく生き残ってくれた。その献身、グランスタイン家当主として礼を言う」


 その言葉に、護衛兵らは一斉にアルトゥール公に跪いた。脚を怪我した者でさえ、痛みに耐えながらも跪き敬意を示した。


「やめよ、それは儂ではなく――彼らへ捧げるのだ」


 そう言って、アルトゥール公が指し示した所には無残に切り裂かれ、原型を留めていない護衛兵たちの亡骸が並んでいた。


 そして、その前には黒髪黒衣の剣士――光玄が立ち、掌を合わせ黙祷を捧げている。


 アルトゥール公に促された護衛兵たちは戸惑いながらも光玄に倣って並び立ち、静かに掌を合わせた。


 公爵家令嬢イングリットは、気が付けばじっと光玄を見つめていた。


 他の兵らが黙祷を捧げ、亡骸の前から離れても彼は一人残り未だ祈りを捧げていた。どういうわけか、自らの手で屠った暗殺者たちに向けても。

 見ず知らずの者たちのために、何故そこまで心を尽くすことができるのか。


 その姿を見て、イングリットは思わず隣に立つアルトゥール公にぽつりと話しかけた。


「不思議ですね」


「ん? 何がかな?」


 イングリットの問いかけにアルトゥール公はつい先ほどまでの威厳ある姿はどこへやら。


 優しい声、柔らかい口調で愛娘に続きを話すよう促す。


「あの黒ずくめの彼……この国の――

いいえ、まるでこの世の者とは思えないのに、わたしたちと同じように掌を合わせて祈るものだと思いまして」


「ふむ、確かに。言われてみればそうだ」


 形の良い口髭をいじりながら光玄の姿を見ていたアルトゥール公は、何を思ったのかにやりと笑うと、イングリットの背中を軽く押し出した。


「気になるなら、彼と話しておいで」


「えっ、あの、お父様?」


「得体の知れぬものに触れられる、これ以上ない貴重な機会だ。さあ」


 やや強引に背中を押され、イングリットは光玄のもとへ向かった。


 一歩、また一歩黒い背中へ近づく。正直、恐ろしくてたまらない。


 馬車の窓から見た、クリッキング・ソーと光玄の戦いは鮮やかで、美しくさえあった。


 だが、続く暗殺者たちとの殺し合いの様子は、荒事に無縁なイングリットにとっては、あまりに異質で恐ろしいものだった。


 まず、静かすぎた。双方、枯葉の積もった地面を走り、跳び回っていたのに全くの無音。戦いの最中、誰一人怒声も、悲鳴も、苦悶の声すら出さなかった。


 そして余りにも淡々とした、光玄の無情な所作の数々。


 敵の喉元を斬りつけても無表情。その身体を盾にした瞬間ですら――まるで感情の波が、一切存在しないかのように無表情。


 極めつけには、最後の敵を倒して布切れを取り出し剣についた血を拭う仕草に、まるで畑仕事のあと農具でも片づけるような『日常感』を感じ取り、全身に怖気が走った。


 そのすべてに、余りにも人間味がなかった。


 足が竦み、身体が震えた。イングリットのその様子は、蛇の前に立つ小動物のようだった。


 知らず知らずのうちに、足音を忍ばせて静かに光玄に近づくイングリット。


 当然のごとく、光玄はその気配を察知し、くるっとイングリットの方を向いた。


「ひっ」


 思わず息を呑み、後ずさるイングリット。その様子を欠片も気に留めることもなく、光玄は深々とイングリットに一礼をした。


「これは、姫。何用でございますかな」


 間近で聞いた光玄の声は、起伏に乏しくともすれば少年の様にも見える顔に似合わず、低く円熟した男のそれだった。


 やけに礼儀正しく、腰の低い光玄を相手に、イングリットは恐る恐る会話を試みる。


「い、いえ……用というほどのものでは。お父様に、お話を聞いてくるようにと……」


「然様で。何なりとお申し付けくだされ、姫」


 対面してみると、光玄は思いのほか大柄な男ではなかった。


 女性にしてはやや身長の高いイングリットと同じくらいの身の丈。あまり筋肉質でもなく、しなやかさを感じさせる肢体。


 長い黒髪を後ろで端正にまとめ、ゆったりした黒衣を着崩すことなくしっかり着こなしており、貴族然とした品の良さを醸し出している。


 姿勢は程よく脱力しているが、背筋はしっかり伸ばしており、だらしなさは一切感じられない。


 しかしその底の見えぬ、漆黒の眼光だけは鋭く、やはり先ほどまで暗殺者たちと殺し合いを繰り広げていた恐ろしい男であると実感させられる。


 そんな恐ろしい男ではあったが、非常に礼儀正しく、イングリットに最大限の敬意を以って接していることだけは確かだった。


 基本的にイングリットには甘いアルトゥール公が唯一、娘に厳しく言い聞かせてきた、『敬意には必ず報いるべし』の言いつけに従い、彼女は恐れを飲み込んで会話を続ける。


「えぇっと、その……姫、というのは?」


「貴い御方のご息女であれば、姫とお呼びするのが妥当かと」


 光玄のその答えに、イングリットは顔を青くして周りを窺う。まるで他の者に聞かれては大変だとでも言いたげだ。


「その……できれば、それはおやめください。

姫――というのは、国王陛下のご息女を指す言葉です……無用な誤解を招いてしまいます……」


 ただでさえ『とある理由』で世間から疎まれているイングリットにとって、姫呼ばわりは迷惑以外の何物でもなかった。


 光玄は首を傾げた。

 彼の常識では『姫』というのは大名やそれに準ずる貴き者たちの息女を指す言葉。


 しかし、どうやら異人にとっては違う様子だ。

 何より、本人が望まぬのであればそう呼ぶべきではないと思った光玄は大仰に頷いて見せた。


「然様ならば、いんぐりっと殿とお呼びいたす」


「ど、殿、ですか?」


 これもまた大げさだ。公爵令嬢とは言え、今のイングリットはただの未婚の小娘だ。

 普通ならイングリット嬢とでも呼ぶべきだろう。


 しかし、その敬称が彼の敬意の表れであることはイングリットにも伝わっている。

 それを無下にするのは気弱なイングリットにはできない。姫呼ばわりよりはマシ――そう思い、彼女はそれで妥協することにした。


「――そ、それでしたら」


 イングリットの返事に光玄は鷹揚に頷いて見せた。


 起伏の少ない光玄の顔からは未だいまいち表情は読めないものの、対面してわずかながら言葉を交わしたことで、イングリットはこの男が思いのほか朗らかで気さくな性格であると気づいた。


(意外と、お話しやすい方でした)


 少なくとも、イングリットに対する嫌悪や敵意らしいものは感じられない。

むしろ、イングリットへのある種の『圧』に近い敬意を隠そうともしていない。


(……やっぱり……怖いかも)


 この光玄という男はどこかイングリットたちとはズレている。それがなんなのか、今のイングリットには的確に捉えることはできなかった。


(でも、嫌ではありません)


 イングリットはふと自分の黒髪を手に取って眺める。この世で唯一彼女だけが持つ『忌み子の証』だ。少なくとも彼女の知る限りでは。


 イングリットは目の前の男を見つめる。彼女と同じ、黒髪黒目。おまけに黒衣。まるで伝承にある邪神の姿そのものだ。

 危機に颯爽と現れた救い主にしては不吉に過ぎる。


 それでも、彼は礼を尽くしてくれている。だから彼女も勇気を出して、父の教えに従ってきちんと応じることにした。


 イングリットはドレスの端をつまみ、膝を折って頭を下げる。


「改めまして、この度はお父様と護衛の皆さまをお救い頂き、誠にありがとうございました」


 その所作は先ほどのものより、ずっと様になっていた。

対する光玄の表情はイングリットには上手く読み取れない。


 彼はただゆっくりと頷いて見せると、彼女に深々と静かに頭を下げ礼を返した。

余計な言葉を飾ることもなく。


 二人がそうやってぎこちなく、どこかかみ合わない短めの会話を交わしている間にも出立の準備は順調に整い、兵らは手当をし、思い思いに休憩を取りながら静かに指示を待っていた。


 西日がすっかり傾き、夕暮れが訪れようとしている。


 夜の森は魔境である。あのクリッキング・ソーほどの魔物にはそうそうお目にかかることはないが、多くの魔物は得てして暗闇を味方につけるものだ。


 今のところは、陽があるうちに森を抜けた先にある『宿場町リテスハイム』まで移動。休息を取ったのち翌朝改めて領都ヴァルシュタットへ向かう予定だ。


 あとは、アルトゥール公の号令を待つのみ。

だが、いつまでたっても出立の命令は下されなかった。


 なにやら、号令を出すべきアルトゥール公が、護衛隊長テオドールと口論をしているようであった。


 珍しく、忠義者テオドールがアルトゥール公に食ってかかり、大声を出している。


 イングリットはただごとではないと思い、二人の所に歩み寄った。


「あの、どうかしたのですか?」


 イングリットを見たテオドールが喜色を浮かべる。


「おお、丁度いいところに! お嬢様からも公をご説得いただきたく!」


「えっと、その、お話が見えませんが……」


 困惑するイングリット。今度はアルトゥール公が彼女におもむろに話しかけてきた。


「ああ、イングリット。安全な場所に着くまでしばらく歩いてもらうよ。いいね?」


 即座にテオドールが食って掛かる。


「公! なりません! あの馬車には公とお嬢様が乗るべきでございます!

重傷者は数名の護衛と共にここに残して、リテスハイムの詰所にて救援を要請すればよろしいかと!」


「ならぬな。リテスハイムがいかにここから近いとはいえ、二、三時間は掛かるだろう。着く頃にはもう夜だぞ。

夜の森の中に置き去りにされる兵がどうなることか。亡骸の臭いに魔物どもが集まってくることは自明の理であろう」


「魔物除けは用意してあります。半日ほどは問題ないかと。

それに、これは我ら護衛隊の総意でございます。御身とお嬢様の身の安全を最優先になさってください!」


「つい先程、魔物除けが効かぬほど強大なる魔物に襲われたことを忘れたか、テオドールよ」


「あれは暗殺者共が用いたもので、例外です。あれほどの希少な魔物が再び現れることはあり得ません!」


 主従の議論は白熱する。イングリットはようやく話が見えてきた。


 要するに、アルトゥール公は重傷者を公爵家の馬車に乗せ、全員で森を抜けるべきと言っていて、テオドールは主とその娘の身の安全こそを最優先にしているのだ。


「お嬢様! お嬢様からなにとぞお口添えを!」


 頑固なアルトゥール公が娘に甘いことは周知の事実。テオドールはそこに賭けたのだが――


「わ、わたしも、お父様と同意見です。このような場所に、怪我人の皆さまを置いていくわけには参りません」


 おずおずと、相手の顔色を伺いながらも、イングリットは自分の意見をしっかり通すのだった。


 彼女の様子を眺めていた光玄は大きく目を見開き、そして眩しいものを見たかのように目を細めた。


(――なかなかどうして善き心を持つおなごよ。大名家の姫たる自覚がおありとみえる)


 そして、光玄の隣で彼と全く同じ表情で愛娘を見つめていたアルトゥール公が、満足げに頷いた。


「決まりだな。テオドールよ」


「な、なりません。

あの馬車は初代グランスタイン公がお乗りになっていた、由緒正しきグランスタイン家の家宝なのでございます! それを兵の血で汚すわけには!」


 熱弁しながら、テオドールは馬車を指さす。

 翼の生えた双頭の獅子――グランスタイン家の紋章が描かれた、頑丈なつくりの荘厳なる大型馬車。


 重傷者四人程度なら、詰めれば全員問題なく乗せることができる。


 だが、この馬車は七百年ほど前、このグラントリア王国の建国王に嫁いできた当時の隣国カルスタイン帝国の皇女と、その異母兄――グランスタイン公爵家初代当主が乗ってきたものだ。


 今日に至るまで大事に使われてきた、大変歴史的価値の高い由緒正しい家宝だ。


 普通の貴族の感性なら、家族以外の他人を乗せるなど――ましてや負傷兵を運ぶために使うなど言語道断である。


 しかしながら、アルトゥール公は普通の貴族ではない。


「家宝だろうと、所詮は物。

使うべき時に、正しく使うのみよ」


「むっ、むむ」


 テオドールはもう一度イングリットへ助けを求めるように視線を向けるが、いつもはおどおどして目を合わせない彼女が、今回に限っては真っすぐ見つめ返してくる。


 その面持ちは父アルトゥール公そっくりだ。


 テオドールは思わず苦笑いをしてしまった。


(全く、こういう時に限って頑固で。似た者親子でいらっしゃる)


 もはや忠義者のテオドールにしても黙らざるを得なかった。

兵こそ家宝より価値があるのだと言われたようなものだ。


(お二方のこの想いを無下にはできまい。

こんな方々だからこそ、我らは命を捧げられるのだ)


 テオドールは跪き、拝命する。


「――御意。直ちに、重傷者を馬車に収容します」


「うむ」


 即座に動いたテオドールの指揮のもと、重傷者が一人ひとり馬車に乗せられ、豪奢なシートはたちまち兵らの血で汚れていく。


「ああっ、そんな、俺たちなんかのために……」


 馬車に乗せられた重傷者たちは嗚咽を漏らすが、アルトゥール公はよく通る声で檄を飛ばした。


「情けない声を出すでない!!

グランスタインの兵ならば、いついかなる場合でも毅然とせよ!!」


「「「は、ははっ!!」」」


 その一連のやり取りを眺めていた光玄はふとあることに気づき――打ち震えた。全身には鳥肌が立つ。


 それもそのはず――アルトゥール公、イングリット、馬車に至るまで、そのいずれにもかすり傷一つなかったのだ。


 一方、兵たちは皆、満身創痍であった。


 そう、先ほどの護衛隊長の被害報告の通り、死者や怪我人はいても無傷の護衛兵は一人たりともいないのだ。


 ――兵たちが命懸けで主を守り抜き、主もまた家宝より兵の命を重んじた。そこには、光玄が長年夢見てきた理想の主従関係があった。


 そしてハッとなり、光玄はアルトゥール公を見る。

 執拗に命を狙われ、おそらく光玄の介入がなければ命を落としていたであろう人物――


(成る程、あの神モドキが言っていた『破滅の運命を背負う者』とは、この御方であったのか!)


 光玄は全てを悟った。


(この御方をお守りし、共に天下を取れというのだなッ!

――それこそが某の使命!)


 神モドキからの、この世界の情報を拒絶したツケが早速回ってきたようである。


 残念ながら、神モドキが言っていた破滅の運命を背負う者とは、幸薄い公爵令嬢イングリットの方だったからだ。


 盛大な勘違いだ。しかも天下を取るとはどういうことか。使命がごっそり変わっている。

 もしも光玄をこの新世界へ送り出した神モドキが見ているのなら、今頃頭を抱えているのかもしれない。


 光玄からしたらそうなるのも無理もない話だが、いささか脱線し過ぎている。神モドキの目論見は早くも頓挫する危機に瀕していた。


 光玄は両ひざで滑るようにアルトゥール公の前に進み出て、そのままの勢いで平伏し地に額を擦り付けた。


 ――いわゆる、土下座だ。


 アルトゥール公にとっては見慣れぬ、だが実に堂に入った見事な礼の姿勢だった。


 これには、常に冷静沈着なアルトゥール公も大いに動揺し、隣のイングリットに至っては何事かと驚き顔面蒼白になってビクッと身をすくめた。


 さすがのアルトゥール公も困惑を隠すことはできず、光玄の奇行に一歩後ずさった。


「なっ、急にどうしたというのだ!?」


 平伏した姿勢のまま、光玄は声を張り上げ(こいねが)う。


「御屋形様! 是非ともお願い申し上げたき儀がございまする!」


「オ、オヤカタ様……? 儂のことか? な、なんだ? 言うてみよ」


「何卒、御身に仕える栄誉に浴することをお許しいただきたく!!」


 アルトゥール公は目を見張った。


 長年、自分への仕官を求めてきた者を多く目にしてきたが、その中でも二番目くらいには、ユニークな仕官願いであった。


 実のところ、これはアルトゥール公にとっては願ってもない申し出であった。


 元々、もう少しこの男を見極めたのち、アルトゥール公の方から誘いをかけるつもりでいたのだ。


 しかし、そんな気持ちはおくびにも出さず、アルトゥール公はこの男を試すことにした。


「ふ、ふむ、ミツハルよ。当家は残念ながら公爵家とは言っても落ち目でな、貴公のその剣技、間違いなく持て余すこととなる。立身出世など、望むべくもなかろう。

――もっとよい任官先を見つけられるよう、望むなら紹介状ぐらいは書くが……?」


 こういった手合いの人間は名誉を、栄達を重んじる傾向があることを、アルトゥール公は長年の経験からよく知っている。


 わずかでも己の栄達を求めるようであれば、縁はない。そういう類の人間は間に合っている。

 返答次第では、光玄とは次の目的地であるリテスハイムにて別れる。アルトゥール公はそう定めていた。


 ますます神モドキの計画は狂い出す。


 せっかく接触した目的の人物、イングリットとの接点が消えるかもしれないのだ。


 だが、光玄の決意は固かった。


「否、この光玄、既に御身に仕えると決めましてございまする」


 光玄の揺らがぬ意志を感じ取ったアルトゥール公は、ゆっくりと頷いて見せた。


「酔狂なものよ。そこまで当家に仕えたいのであればもちろん大いに歓迎しよう。しかし、貴公が仕えるのは儂ではない」


「と、おっしゃいますと?」


「貴公には我が娘、イングリットの従者として仕えてもらいたい」


 予想外のアルトゥール公の采配にイングリットは狼狽える。

 しばらく会話は交わしたものの、正体不明の光玄に彼女はまだ苦手意識が抜けきっていなかったのだ。

 しかもつい先ほどの奇行(どげざ)によってその苦手意識は更に強くなってしまっていた。


「ちょ、ちょっと待ってください、お父様っ」


 いきなりひれ伏し、地面に額を擦り付けるような異常者を従者などと、年頃の女の子としては素直には受け入れがたいものがあった。


 だが、アルトゥール公はそれを片手で制し、続ける。


「令嬢に仕えろなど、不満があるやも知れんが、どうだ?」


 アルトゥール公から見た光玄は騎士然とした人物だ。一般的に、騎士たちは騎士道に従い、貴婦人を敬い守護する。


 ――が、主として仰げというのであればまた話は別だ。しかも相手はただの未婚の令嬢だ。

 人によっては侮辱と受け取るかもしれない。


 この反応を見て、アルトゥール公は光玄を信頼に足る人物か見計らうつもりだ。


(さて、この男ならどう受け取るか)


 しかし、光玄は騎士ではない。彼はただのならず者――浪人だが、その心は武士たらんと努めている。


 武士とは『家』に仕える者だ。


 光玄から見たアルトゥール公とイングリットは――グランスタイン公爵家は間違いなく身命を賭して忠義を捧げるに足る『家』である。


「不満など、滅相もございませぬ。この光玄、粉骨砕身の覚悟にていんぐりっと殿に――ぐらんすたいん家にお仕えいたしまする」


「身を砕き、骨を粉にするか。中々過激な表現だが、気に入った! ならば、その言葉の通り当家に尽くすがよい! ――それと、いい加減立て」


 促され、立ち上がって光玄の姿を見て、我が意を得たりといった様子で満足げに頷いたアルトゥール公は続けざまに護衛隊長テオドールを呼んだ。


「――テオドール!」


 名を呼ばれた護衛隊長テオドールがアルトゥール公の前に進み出て敬礼をする。

先ほどの光玄の見事な土下座を意識したのか、彼の敬礼は実に綺麗な姿勢で様になっている。


 テオドールに、アルトゥール公は矢継ぎ早に命令を下す。


「賊どもの死体もしっかり確保せよ。頭だけで構わん。のちほど呪術師を使い、情報を引き出す」


「じゅ、呪術師など日陰者を……そこまでされるのですか!?」


「もちろんだとも。儂の疑惑を――確信に変えるためよ」


 死者は嘘をつけない。


 呪術師が死者の魂から引き出す残留思念は、法廷でこそ証拠にならないが、貴族社会の裏側では確かな『真実』として扱われるからだ。


 アルトゥール公はその『真実』こそが必要であった。


 テオドールは周りを窺い、おそるおそる尋ねる。


「並みの者にあれほどの暗殺者どもを動かせる力があるとは思えません。首魁は限られるのでは? それこそ、『王家』ぐらいでなければ――」


 元より敵の多いアルトゥール公だ。心当たりなどいくらでもいる。特に、王家とは長年に渡って不仲だ。


 先日、長女イングリットと王子との間に成立した婚約を機に、王家との関係修復を図っていたアルトゥール公としては、今回の件は完全に虚を突かれた形となる。


「その可能性は高いだろうな。だが、儂が確信を得んとするのは、首魁の命を受けて暗殺者どもに情報を与え――

実行に移させた『うつけもの』が儂の想像通りの人物であるのか、なのだ」


 隣で話を聞いていたイングリットが青ざめた顔で会話に混ざってきた。


「お父様、まさか……我が公爵家に、裏切り者がいるのですか?」


「でなければ、たまたま魔術師団を排した我が護衛隊に、魔術を用いなければ対処不能な希少な魔物をこうも的確に嗾けてくるのは不可能だろうな。

イングリット。何があっても気をしっかり持ってくれ」


「は、はい……」


 イングリットは不安に駆られ、思わずドレスの裾をきゅっと握りしめ、領都へ続く街道の先を揺れる瞳で静かに見つめた。


「よし、皆の者! ゆくぞ!」


 アルトゥール公の号令のもと、一行は今夜の宿、リテスハイムへ向かって移動を開始する。


 こうして紆余曲折はあったが、光玄は神モドキの思惑通り、目標の破滅の運命を背負う者イングリットとの邂逅を果たしたのだった。



 


 ――しばらくして。一行が立ち去った後。


 横たわるクリッキング・ソーの死骸の上にぼんやりと白い影が浮かび上がった。


 ひどく捉えどころのないソレには人の手足らしきものがあり、魔物の死骸の上に悠然と足を組んで腰かけている。


 ソレは一行が向かった先をじっと見つめている。その肩は震え――笑っているように見える。


 続いてソレは、やけに人間臭い仕草で軽やかに立ち上がった。


 そして何がそんなに楽しいのか、踊るような足取りで一行の後に続き――

夕闇に溶け込むようにしてその姿を消した。

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