第27話 揺れる世界①
カルスタイン帝国。
カナン大陸の西半分を占める覇権国家。
その帝都を象徴する、空を突き抜けんばかりの五重の塔がそびえたつ皇宮。
その絢爛な城門には似つかわしくない、無骨な馬車が一台止まっている。
使い古された、幾度となく鉄板で補強された跡が目立つ軍用馬車。
その傍には、それに乗り込もうとする少女と、見送りに来た祖父なのだろうか、杖をついた老人の姿が見える。
老人の装いは絢爛たる皇宮に相応しい、豪奢な装飾が施されたその高い身分を表すものだ。間違いなく、皇室に連なるものだろう。
対する少女は帝国陸軍女性士官の正装をきっちり着こんでいる。
しかし、地味な女性士官の正装でもその美貌は隠すことはできず。
臀部にまで届く白金色の長い髪は、まるで自ら光を発しているようで、それと同じ白金の瞳もまた強い光を湛えている。
手足は長く、スカートから覗く白い脚は力強く健康的で、相当鍛えられていることが一目でわかる。
それでいて、女性らしさに富んだ体つきが、無骨さと艶やかさのバランスを絶妙に保っている。
若々しく、生命力に溢れる、美しい少女である。
それとは対照的に、老人の方は立っているのもやっとなのか、両脇から侍女に支えられており、その顔には濃い疲労の色が見える。
しわがれた声で、老人が少女に声をかける。
「メル。お前が出ていったら寂しくなるな」
「――無理して見送りに来ていただかなくても。
まだお加減がよろしくないのでしょう」
心配する少女に、老人は心外とばかりに眉をひそめる。
「ふん、皆して私のことを病人扱いしおって」
少女は困ったように、苦笑いを浮かべた。
「皆、心配しているのですから、あまり邪険にしないであげてください。
それよりも、誰にも出発の日は教えてなかったはずでしたが」
「ふっ、仮にも私はこの帝国の皇太子だぞ。この耳に入らぬことはない。
それに、可愛い末妹が学園入学のため旅立つのだ。兄として、何が何でも見送りに来なければならん」
「もう、兄上ったら」
そう、この二人は祖父と孫などではない。それくらい歳は離れているが、同じ父の血を引く、腹違いの兄妹だ。
この兄妹は、レオポルト皇太子とメルセデス皇女。
カルスタイン帝国の現皇帝・霹靂帝ヘンドリックスの長男と末娘である。
「全く、父上は今頃いずこへおられるのやら。
せめて一言言ってから出て行って欲しかったぞ」
老人――レオポルト皇太子はため息交じりで父霹靂帝への愚痴をこぼす。
彼を慰めるように、優しい声で妹メルセデスは話す。
「父上の『家出』など、今に始まったことではないでしょう。
大丈夫です、兄上は国政を上手くやっておられますから」
「私が上手くやっているわけではない。誰がやっても上手く回るように、父上が国政の基盤を作っておられるのだよ」
レオポルト皇太子のその声には少し自嘲の色が混じっている。
それでも彼は十分よくやっている。ただ、父が偉大過ぎるだけだ。
霹靂帝に衰えがあるようならば皇位禅譲してもよかっただろうが、あの自由人皇帝は八十九歳を超えてなお精力的で、生命力に溢れている。
かつて大陸の全人族の未来を守った大英雄という象徴性もあって、健在であるうちはそのまま皇位についていてもらう。
それが皇族全員、そして元老院の総意であった。
ただ、そうして父・霹靂帝が長らく玉座に座っている間、皇太子はあまりにも歳を重ね過ぎた。
今年、七十三歳。既に彼の顔には、老衰による死の気配が見え隠れしている。
「父上……早くお戻りにならないものか。ヴェルナデッタがうるさくてかなわん」
「もしかしたら、今回はあの子のせいで出て行かれたのかもしれません」
ヴェルナデッタ。
今年十六歳のメルセデスの一つ年下の『友人』にして、父霹靂帝の『寵姫』だ。
「毎日毎日、ダーリンに会えないと、私に愚痴をこぼしているのだ。
全く、あの娘は父上のどこがそんなに好きなんだか」
娘メルセデスより年下の少女を寵姫として囲っているのは、皇室の恥とも言うべき事案だが、むしろお熱なのはヴェルナデッタの方なのだ。
「おしわの一つ一つが愛おしくてたまらないそうですが」
「――やめてくれないか」
ヴェルナデッタが後宮入りした際、年老いた皇帝を誑かす悪女という噂も立っていたが、彼女の『友人』であるメルセデスから見たヴェルナデッタにはそのような悪意は全くない。
純粋に、情熱的に霹靂帝を愛しているだけだ。
ただ、それが行き過ぎたせいで逆に霹靂帝の方から距離を置いており、今回彼は皇宮から抜け出し行方をくらましている訳だが。
残念ながらあの大英雄の好みは慎ましく、お淑やかな女性なのである。
そしてそのしわ寄せは、老齢の皇太子に来ている。
メルセデスもさすがに苦労人の兄にかける言葉がなく、苦笑いを浮かべるしかない。
「ヴェルナデッタのことはいい。私が上手く手綱を握っておく。
――それよりも、聞いたか? 黒騎士卿のことを」
「はい。軍の方でも話題になっています」
戦場で降伏した敵将に自らの手で腹を切るように強要し、その腸を引きずり出す惨い拷問をした上に、首を斬り落としてその血を啜ったという悪魔のような男。
その噂は震源地であるグラントリア王国から遠く離れたここ、帝都まで響き渡っている。
想像しただけで寒気を覚えたのか、レオポルト皇太子は身を震わす。
「聞けば、その黒騎士卿も今回、学園に入学してくるらしいではないか。お前もきっと顔を合わせることになるはずだ。気をつけるのだぞ」
「もちろん、十分気を付けるつもりですが……
どうにも噂に尾ひれがつきすぎている気がします」
「それはそうだが、少なくとも降伏した者を処刑したのは間違いないのだ」
メルセデスは顎に手を当ててしばらく考え込んで話した。
「――兄上がおっしゃった通り、直に顔を合わせる機会もあるでしょう。
わたしは、自分の目であの黒騎士卿を見て判断したいと思います」
「そうか」
メルセデスは他人の噂などに踊らされぬ、揺るがぬ強い芯を持っている。
レオポルト皇太子は、このあまりにも歳が離れた、真っすぐで眩しい妹の事を誇らしく思った。
「――可愛いメル、お前は今のままでいい。お前の信じるがまま進むのだ」
「はい。兄上も何卒お元気で」
出発の時刻が近づいてくる。レオポルト皇太子はみすぼらしい軍用馬車を見つめて苦言を呈する。
「それにしても、仮にも皇女だというのにこれでは……
それに、お付きの者も侍女が二人だけでいいのか?」
「はい。身の回りのことは自分でできますし、護衛なども要りませんから」
「――お前のそういうところが心配なのだが。
グラントリアのあの女傑みたいに婚期を逃さないか、兄は心配なのだ」
ここまでくると兄というよりは、まるで父親だ。
――それとも、祖父というべきか。
何にせよ、彼が腹違いの妹メルセデスに向ける感情は、まごうことなき親心だ。
「相変わらず心配性ですね。別にわたしが結婚などしなくても我が皇族は盤石なのですから」
霹靂帝ヘンドリックスは子沢山。更にその子たちもメルセデスを除いて全員婚姻して子を成している。偉大過ぎる霹靂帝の影響なのか、皇族に野心家はおらず。
むしろ互いに継承権を押し付けあう始末。
別にメルセデス一人くらい、未婚のままでも何ら問題はない。
「そういうことを言っているわけではないがな」
呆れたように、レオポルト皇太子はため息をつき、メルセデスが着た軍服を見つめる。
その胸元に光る階級章。
帝国陸軍少佐。
まだ年若いこの妹が皇室に一切頼ることもなく、実力と努力でもぎ取った証。
兄として誇らしくはある。が、その分、妹から女としての幸せが遠ざかっていくように感じたのだ。
だが、今のメルセデスが誰よりも輝いているのも事実。
無理強いをして彼女の今の幸せを曇らせるのはレオポルト皇太子の望むところではない。
「仕方のない子だ。それにしても、学園入学か。
――次にお前に会うのは、私の葬式になるだろうか」
「縁起でもないことはおやめください、兄上。くれぐれもお体にお気をつけて。
夏季休暇には一度戻ってきますから」
皇太子は耳に手を当て、あたかも耳が遠くなった風に装う。
「なにぃ~? 次は旦那と子供を連れて来るんだって? お兄さんは認めないぞぉ?」
「ふふっ、ご冗談を言えるのでしたら、まだまだ大丈夫そうですね。
では、行ってまいります」
メルセデスは踵を揃え、胸の前で拳を作り帝国軍人としての敬礼をし、そのまま侍女たちの待つ馬車に乗り込んだ。
やがて、使い古された軍用馬車はガタガタと騒がしい音を立てて走り出す。
渾身の冗談を受け流された皇太子は、肩をすくめては去っていく馬車を眺めつぶやく。
「――妹に、どうか良縁がありますように。
あと、悪い虫がつきませんように」
レオポルト皇太子は、そう大して信じてもいない神に祈りを捧げるのだった。




