第1章エピローグ 観測者たち
世界の狭間。
白銀の草花が波打つ、果てしなく続く草原。
光り輝く一羽の鳥がゆっくりと羽ばたきながら、宙に浮いている。
その周りには、いくつもの波紋が浮かび上がっており、そこにはここではないどこかの景色が映し出されている。
光る鳥は、一つの波紋に目を向ける。
暗闇に包まれた世界。
その闇を切り裂く光が幾度も瞬き、その度に大地が捲られ、大勢の命が潰えていく。
「――この世界ももう終わりかぁ。残念だな。
どうして、どの世界も知性体が繁栄すると結末が終末戦争に収束するんだろう」
光る鳥がそう呟きながら、翼でその波紋を払いのけると、暗闇の世界は眩い閃光を放ち消滅していった。
その残滓を光る鳥が見送っていると、低く、気怠い声が響いた。
「――だから無駄だっての。霊長類だろうと、爬虫類だろうと、知性を持った存在が辿り着く結末は破滅なんだよ」
光る鳥の背後から、ひと際大きい波紋が生じると、声の主である六枚羽を持つ烏が姿を現した。
光る鳥は六枚羽の烏を見て、旧友に会ったような浮ついた声で話しかけた。
「おや、珍しいね。君がここにくるなんて」
「アンタが『変わり種』の世界を観測してると聞いたんでな。
ろくでもないことをしでかさないか、見張りに来てんだよ」
「そっか! よく来てくれたね! ささ、こちらへどうぞ」
光る鳥は、見張りに来たという相手を快く招き寄せ、嬉しそうに宙に浮かぶ波紋の一つを手繰り寄せてみせた。
「――これがそうさ。面白いだろう?」
六枚羽の烏は胡乱げにその波紋――世界を注視し情報を読み取ると、やがて呆れたように肩をすくめた。
「面白くねぇよ。なんだ? このでたらめな世界は。まっとうな生まれ方をしてねぇ」
「滅多に見られない現象だよ? 一人の人間の情念を核に、人々の集合無意識が絡み合って新世界が生まれるなんてさ」
六枚羽の烏は苛立ちを込めてため息をつく。
「はぁ。構造破綻を起こしてループ世界になってるじゃねぇか。
物語が元になってるせいで、世界に起源ってものが存在してねぇし」
「そこはまぁ、所詮は人間が構想した世界だから仕方ないさ。
でも、元の世界の集合無意識から補強されているから、ちゃんと世界として成立はしてるんだよ、すごくない?」
「奇跡といやあ奇跡なんだが――」
六枚羽の烏は一度言葉を切って、再度世界を観察する。
「――で、アレがそうなのか」
その視線の先には、薄紅色の髪を持つ少女の姿が映っている。
「そう。我らが主人公にしてこの世界の核になってる、リリアーレちゃん」
「構造破綻の源と呼んだ方がいいだろうが。
にしても、もう魂の摩耗が酷いな。限界は近いと見える」
「そうだねぇ。僕が観測しただけでも、彼女はもう十三万三百二十回ループを繰り返してる」
六枚羽の烏が、首を傾げる。わずかな驚きの気配が見て取れる。
「よくそれで精神崩壊起こしてねぇな」
「世界の核になっているとはいっても、彼女だってあの世界の登場人物の一人さ。
ループリセット時に記憶は初期化されて、転生してきたばかりの状態に戻るのさ」
「つまりはなんだ? 毎回、初見のつもりで、全く同じ行動をとり続けてるってことか?」
「だね。推しのディートハルト君と結ばれるためにね。うん、まさしく愛だね」
六枚羽の烏は波紋の中に映るリリアーレを、どこか憐れみの混じる目で見つめた。
「――呪いの間違いじゃないのか?
で? この現状を打破するために投入したのが、あの浪人か?」
「その通り」
リリアーレと入れ替わるように、波紋の中に、嬉々として戦場をかける黒髪黒目の男の姿が映し出される。
「人選ミスじゃないのか? ぶっちゃけ、原作者でも放り込んだ方が手っ取り早いだろうに」
「――それが一番だめさ」
「何故だ?」
「あの世界には、神格を得る手段がいくつも存在してる。その全てを知る人間は、それを更に超越した存在にだってなれるんだ。
僕は、新世界の完成を望むのであって、新しい超越者の誕生を求めてる訳じゃない」
今までのフレンドリーな態度から一転して、光る鳥から凄まじいプレッシャーが発せられる。
六枚羽の烏は一瞬圧倒されるも、畏れを飲み込んで皮肉を言った。
「――はっ、真なる神は自分一人で十分ってか」
「僕は神なんかじゃないさ。僕のことは、神モドキとでも呼んで欲しいな」
「なんだそりゃ。まぁ、どうでもいいが。
話、戻るけどな、選ぶにしてももうちょっとマシな人間はいなかったのか?
アイツじゃ力不足だと思うぞ」
「いいや、彼はもう十分役目を果たしてくれているさ。
凪いだ水面に波紋を起こすための小石としての、ね」
「やつは使い捨ての道具か。変わらねぇな。
アンタがそんなだから俺は堕天してんだよ」
六枚羽の烏――堕天使は強い嫌悪と敵愾心を露にする。
だが、神モドキはそんな彼のことを、優しい眼差しで見つめるだけだ。
「――チッ」
堕天使は舌打ちをし、そっぽを向ける。
命ある存在ならば、堕天使の今の強烈な感情に当てられただけで発狂間違いなしだが、神モドキにとっては子供の駄々でしかない。
神モドキはおもむろに翼を広げ、何かを救い上げ、天高く掲げる仕草をして見せる。
「――でも見てみたくはないかい?
小石が浮かび上がって夜空の星になるのをさ」
「夜空の星、ねぇ。アンタのことだ。どうせあの浪人に何か仕込んでるんだろ?」
「な、何のことかなー?」
図星だったのか、神モドキの目が泳ぐ。
ここぞとばかりに、堕天使は畳みかける。
「実際、勝手に自動通訳機能とか情報漏洩防止措置を施してるんだろうが」
「そりゃあ、あの世界ってば、地球の中世ヨーロッパの暗黒期真っ青なヤバイ宗教が幅を利かせてるんだし。安全装置は必要でしょ?」
神モドキから帰ってきた意外に真っ当な答えに、堕天使は鼻白んだ様子で肩をすくめて見せた。
「――まぁな。下手なことを言って、異端者として縛り首とか笑えねぇな」
「ふふん」
勝ち誇った様子の神モドキを前に、堕天使はまたもや皮肉を言いそうになったが、彼はそれをため息と共に吐き出して、話題を変えた。
「はぁ、浪人に関してはとりあえず分かった。
で? ループリセットの条件はどうなってる?」
「ゲームが元になってるくらいだからね。エンディングを迎えることさ。
グッドであれ、バッドであれ」
「なるほど、読めたぞ。つまり、この構造破綻を正すには、エンディングまで定められたシナリオを破壊する必要があるんだな?」
「その通り。未来への途絶えた道を繋ぐために、一度道を全部ぐちゃぐちゃにする必要があるのさ」
「で? それがあの黒髪黒目の小娘――悪役令嬢と何の関係があるんだ?」
二人の視線の先の波紋に、今度は黒髪黒目の公爵令嬢、イングリットの姿が映し出された。
その気弱な顔を眺めながら、神モドキは調子よく説明を続ける。
「イングリットちゃんはね、この物語全体を通して一番シナリオの強制力が強く働く人物さ。
何せ、チュートリアル用のキャラなんだからさ」
「チュートリアル……そうか。必ず発生するシナリオイベントってわけか」
「そう。攻略の本番に入る前に、各攻略対象に対応するライバル令嬢たちへの対抗方法をレクチャーして、破滅していく。それがイングリットちゃんの役割さ」
「俺が見た限りだと、ここから破滅の運命へ繋がるとは思えないんだが」
なんだかんだで、今のイングリットの周りの状況は安定しているように見える。
堕天使は光玄のことを力不足と評したが、実際のところはシナリオ破壊者としてちゃんと機能しているのだ。
「現状、一つくらいは回避できたかも知れないけど、まだまだ少なくとも五つくらいは残されてる」
「はぁ?」
そう、悪役令嬢イングリットの運命づけられた破滅は、一つだけではない。
「実は、プレイヤーがどんな行動をとったかによって、イングリットが辿る破滅の運命も変わるのさ」
「――ゲームとしてどうなんだ、それ。
たかがチュートリアル役に無駄にリソース使いすぎじゃねぇか?」
呆れる堕天使に、神モドキは首を横に振って見せる。
「いいや、それもメインシナリオの一部だよ。イングリットちゃんのそれぞれの破滅の結末から、そのまま対応する攻略対象のルートに分岐するからね」
例えば、ライバルチュートリアル中、プレイヤーが攻略対象の一人、アウレール王子との関係値を高めると、イングリットは呪術に手を染めてプレイヤーの妨害をしてくるようになり、結果として禁呪に手を出して魔物化して人知れず自滅するという結末を迎えることになる。
そして、この事件をきっかけに、プレイヤーはアウレール王子とより深く関わっていき、彼のルートに突入することになるのである。
堕天使が愉快気に喉を鳴らす。
「くくっ、小娘一人を破滅させて、意中の男と恋仲になれとは、このゲームを造った奴らは随分と悪趣味だな。嫌いじゃねぇ」
「もう、そうやって悪ぶって。とにかく、攻略対象の数だけイングリットちゃんには破滅の運命が待ち構えてるってことさ」
「ふーん、なら、後何人なんだ?」
「あと、五人だねぇ。まぁ、必ずしもそのすべての破滅の運命を打破する必要はないだろうけど。そうだ、分かりやすいように、こういうのをつけちゃおう」
神モドキが波紋へ翼をかざすと、その隣に光の粒子が集まり、メーターが現れた。
「――これは?」
「運命変容メーター! どう? ゲームっぽいでしょ?」
「権能の無駄遣いだ。とは言え、意外と進んでやがるな」
無駄に燦然とした輝きを放つ、謎のメーターはおおよそ四分の一ほど進行している。
「これは、世界がどれくらい元のシナリオからかけ離れているかを表す総合的な指標でね、案外些細なことで、進んだり、減ったりするのさ」
「とはいえ、たかが浪人一人の介入だけではここまで変容はしねぇだろ。
――他に『イレギュラー』がいるな?」
その問いに、神モドキは無言で波紋の中を指さす。
するとその先――グランスタイン家へ戻るイングリットたちが乗った馬車の屋根の上に腰掛ける白い影が見える。
「――なんだ、あれ」
「わかんない」
「アンタでも分からないことがあるのか? 仮にも神だろうが」
「神じゃないってば。神モドキって呼んでよ」
その神モドキの抗議を、堕天使は完全に無視して話を進める。
「――で? アレはマジでなんなんだ?」
綺麗にスルーされた神モドキは不満そうにしながらも、堕天使の質問に答えた。
「だから、わかんないってば。ノイズが酷くてアレからは情報が読み取れないんだ。
ただ、あの世界由来の存在ではあるっぽいね。
だいたい、三万回目のループ辺りから発生したみたい」
「バグみたいなもんか」
「だね。でも、確かな『意志』のようなものは感じられるね。
今までのループでは大人しくしてたのが、光玄君を投入した途端に介入してきてるんだし」
堕天使は目を細め、その謎の存在をじっと見つめる。
そして好奇心を隠しきれぬ声色で話した。
「へぇ。白い残響――さしずめ、ホワイトノイズと言ったところか」
「アレがどう影響するか全く読めないんだよね。シナリオ破壊を加速させるのか、それともシナリオの守り手なのか」
「――面白れぇな」
そう言って、堕天使は神モドキの隣に陣取り、六枚羽を畳む。
どうやらこのまま居座るつもりのようだ。
「おや、もしかして、君も一緒に観測してくれるのかい?」
「まぁ、特にやることもないんだしな」
「そうか。『君たち』も、どうかな?」
神モドキが、『こちら』を見て手招きする。
「――せっかく来てくれたんだ。もうしばらく一緒に、この世界の行く末を見守ろうじゃないか」
第1章 濡れ烏の君と黒騎士卿 ~完~




