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断章3 破滅の世界の断片:色褪せた鋼の乙女

 煌びやかな結婚式場。


 一組の男女が白教の司祭の前に立っている。

 今回の結婚式の主役の二人。


 今日は、神前にて新しい夫婦が誕生するめでたい日だ。

 だが、客席のイングリットはどこか冷めた目で男女を見つめていた。


 司祭が重々しく口を開く。


「白き神の御前にて、本日新しい夫婦が愛によって結ばれることとなりました」


 司祭が男の方を見つめる。


「夫となる者、前へ」


「はい」


 新郎にしては多少歳を食った、でっぷりした男が勝ち誇った顔で一歩前に出る。


「ルノー・リーロンド伯爵。汝は本日妻となる者を生涯守護し、愛することを誓いますか?」


「誓います!」


 新郎――ルノー伯爵は力強く即答する。


「よろしい。では、妻となる者、前へ」


 純白のウェディングドレスを纏った女性が一歩前に出る。

 その顔はヴェールに隠され、表情は見えない。


「アンゲリーカ・ゲールハイト。汝は本日夫となる者を生涯支え、愛することを誓いますか?」


「――」


 新婦――アンゲリーカは即答せず、しばらく己の手元を見つめる。

 だが、やがて意を決した彼女は顔を上げ、答えた。


「はい、生涯夫を支え、愛することを誓いますわ」


「よろしい。これにて、白き神の御前で新たな夫婦が永遠の愛を誓いました。

ご両人は対面し、誓いの口づけを」


 新郎新婦は向き合い、ルノー伯爵は薄ら笑みを浮かべ、アンゲリーカの顔を覆うヴェールを上げた。


 イングリットは、ヴェールの下から現れたアンゲリーカの顔を見て思わず息を呑んだ。

 あまりにも綺麗だった。理想的な良家の令嬢そのものだった。

 四十歳を超えても、アンゲリーカのその美しさには些かも陰りはない。


 アンゲリーカははにかむように柔らかく微笑み、夫ルノー伯爵に誓いの口づけをした。ルノー伯爵は照れくさそうに笑う。

 二人はとても幸せそうに見えた。


 だが、イングリットはどうしようもない程、強い吐き気を覚えていた。

 ――空々しい。こうなるように仕向けたのはルノー伯爵だというのに。

 アンゲリーカただ一人を手に入れるためだけに。三十年近い歳月を費やし、大勢の兵や民たちを巻き込んで。


 リーロンド家による度重なる嫌がらせに、結局ゲールハイト家は魔の森から溢れ出した魔物たちに対応しきれないまま蹂躙され、ゲールハイト領内は壊滅的な被害を被った。


 そして、その復興支援に名乗り出たのが他ならぬ、リーロンド伯爵家だ。


 長年、反目し合っていた両家が未曾有の危機を前に劇的に和解し、その証として四十を超えてなお未婚であるリーロンド家の当主ルノーとアンゲリーカが婚姻し、強固な絆を結ぶ。


 この婚姻は美談として国中で話題となった。


 だが、あの荒々しくも、麗しい女傑アンゲリーカは今日死んだのだ。

 ――いや、アンゲリーカが狂信的に忠義を捧げていたアルトゥール公が亡くなったあの日、彼女はとっくに死んでいたのか。


 今、イングリットの目に映る見知らぬ女性は、もうイングリットの知る女傑アンゲリーカではない。

 ただの伯爵夫人、アンゲリーカ・リーロンドだ。


 もう彼女は剣を取ることはない。

 戦場に立つこともない。

 他の貴族夫人たち同様、子を産み育て、血を繋ぐだけの存在になるのだ。

 ――そう、イングリットと同様に。


 何者かがイングリットの肩を抱く。


「ほれ、式はもう終いじゃ。イングリット。

挨拶を済ませて早めに帰るぞ。お前も大事な時期じゃ、無理をしてはいかん」


 そう声をかけるのは、亡き父アルトゥール公よりも更に年かさのある老貴族だった。

 我が物顔でイングリットの肩を抱き寄せるこの老人。

 彼はカール・グランスタイン。

 グランスタイン家当主、女公爵イングリットの伴侶だ。


 父亡きあと、その死に兄ディートハルトが関わっていたことが発覚した。

 王妃ルクレツィアの関与も疑われたが、見事なほどに彼女に繋がる証拠は消され、ディートハルトがその罪を全て被ることになった。


 グランスタイン家当主の失脚。

 イングリットがその後を継いで当主となったが、社交界の嫌われ者であるイングリットの元へ婿入りしたいという者は皆無で、グランスタイン家の存続は絶望的かと思われた。


 しかし、そのグランスタイン家を存続させたのが、今イングリットの側に立つ彼、老貴族カールだ。

 ロートシア伯爵家の独身貴族だった彼は、私財を投げうってまでグランスタイン家に救いの手を差し伸べ、入り婿としてイングリットと婚姻したのである。


 ――家は守られた。そんなものに、守るだけの価値があったかはわからないが。


 ふと、イングリットは自分の手を握る小さな手の感触を覚えた。

 二、三歳くらいだろうか。イングリットとよく似た顔立ちをした、銀髪碧眼の幼い女の子が不安げな顔で彼女を見上げている。

 結婚などの催しを理解するにはまだ幼すぎる。

 どうやら、知らない人が大勢集まっていて不安になっているようだ。

 イングリットは、女の子の手を優しくぎゅっと握りしめ、その名を呼ぶ。


「――マルグリット」


 イングリットは自分の喉から出た、あまりにも優しい声に驚く。

 『母』の優しい声で名を呼ばれた女の子――マルグリットの緊張していた顔に笑みが浮かんだ。


「ゲールハイト家もこれで終わりかのう」


 ぼつりと、老貴族カールがそう呟いた。その視線は、仲睦まじい様子の新郎新婦の方に向けられている。

 復興は進められているものの、守るべき領地を蹂躙され、民を失ったゲールハイト家は貴族家としての体裁を保てなくなっている。

 今回の婚姻を機にリーロンド家に吸収されるのでは、との噂が立っている。

 リーロンド家の、伯爵家への陞爵が何よりの証拠なのだろう。旧ゲールハイト領をも束ねるだけの格を王家より与えられているのだ。


「『我が』グランスタイン家も、他人事ではないのじゃ。

イングリットや、今度こそは元気な嫡男を産むのじゃぞ」


 そうしわがれた声で話す老貴族カール――『夫』に、イングリットは無言で頷き、下を向いた。


 ゆったりめの礼服に包まれたイングリットのお腹は大きく盛り上がっており――



◆◇◆



「うえっ」


 強烈な吐き気と共に、イングリットは目を覚ました。


 喉元まで何かがこみ上げてきて――彼女は寸でのところでそれを飲み込んだ。

 震える手でイングリットは自分のお腹をさすり、安堵した。

 いつものほっそりとした、肉付きの乏しいお腹だ。


 周りを見回す。見覚えのある、馬車の中だ。

 徐々に意識が覚醒し、リーロンド家との抗争が終わり、グランスタイン領へ戻る最中だったことを思い出す。


 いつの間に寝てしまったのだろうか。酷い悪夢を見てしまったようだ。

 例によって、意識が覚醒するにつれ夢の内容は綺麗さっぱり消えてなくなったが、とてつもなく気持ちの悪い夢だったことだけは、未だ残る吐き気が証明している。

 イングリットの隣に座っていたサーリアが、イングリットが悪夢を見てしまったのだと悟り、すぐさま彼女の背中をさすった。


 また心配かけてしまう。

 イングリットは、必死に平静を取り繕う。

 そんな彼女の耳朶を、凛とした声が打った。


「――大丈夫ですか? イングリット様」


 その声につられて顔を上げると、強い光を目に宿した女傑の顔がそこにあった。


「アン、ゲリーカ様」


 名を呼ばれたアンゲリーカは柔らかく微笑みかける。


「今日はもう休まれますか? 義弟に言って野営の準備をさせますわ」


 義弟――イングリットは思わず窓の外を見る。

 アンゲリーカの義弟。そして、イングリットの従者でもある彼。


 光玄は、依然として彼を振り落とそうとする黒馬ノワールを涼しげな顔で乗りこなし、イングリットたちの乗る馬車と並走している。


 いよいよ春が本格的に訪れ始めた草原。

 麗らかな日差し、芽吹きつつある花たち。


 天気は快晴、日はまだ高く、野営に入るには早すぎる。

 アンゲリーカは、旅慣れていないイングリットのことを配慮してくれているのだろう。

 グランスタイン領まではまだ数日かかる。

 自分一人のために、日程を延ばすべきではない。

 そう考えたイングリットは、アンゲリーカに視線を移して答えた。


「――いえ、まだ大丈夫です。少し、夢見が悪かっただけですから。

サーリアもありがとう、もう大丈夫」


「――はい」


 サーリアは依然として心配そうな顔でイングリットの顔を覗き込み、彼女の背中から手を離した。


 向かいのアンゲリーカはイングリットの顔をじっと見つめ、言った。


「でもなんだか、夢見が悪いと仰る割にはいいお顔をされておりますよ、イングリット様」


「えっ」


「何というか、優しいお顔ですわ」


 そう言われ、イングリットは自分が笑みを浮かべていたことに気が付いた。

 そして、手のひらに、何者かの小さい手の感触が残っていることに気づく。

 どうしてかそれだけが、夢から覚めた後も確かな温もりと共に残っている気がしている。


「――」


 その何者かの名前が口内を巡るも、形にはならない。

 珍しいことに、悪夢の残滓が残っている。

 でも、なぜか嫌な感じはしない。


「ふふ、その様子だと大丈夫そうですわね」


 柔らかいアンゲリーカの声。

 それに釣られて、イングリットは向かいのアンゲリーカを見つめた。


 戦が終わり、アンゲリーカが伝書鳩にて顛末をアルトゥール公へ報告したところ、光玄による『ルノー子爵切腹事件』に対する申し開きを求められ、出頭を命じられた。


 光玄の行いに対する責任を取ると言った手前、彼女はその命令に従い、『嬉々として』イングリットの馬車に乗り込んできたのだ。

 どこか浮かれている今のアンゲリーカの様子からすると、グランスタイン屋敷の執務室のドアはまた破壊されるかもしれない。

 

 女傑アンゲリーカ・ゲールハイト。

 彼女は少し――いや、ものすごい変人だが、芯があって、自分の力で力強く生きる女性だ。


 イングリットの憧れの女性の一人。輝かしき鋼鉄の乙女。

 その存在は、イングリットの心の中、一つの道しるべとなっている。

 父アルトゥール公が知ったら頭を抱えるかも知れないが。


 イングリットはずっと気になっていたことを、アンゲリーカに尋ねた。


「どうして、アンゲリーカ様はお父様のことをあれほど慕われているのですか?」


 その質問に、アンゲリーカは一瞬遠い過去を懐かしむように、じっと目を閉じる。


「ふふ、大したことではございませんわ」


 そう前置きしてから、ゆっくり目を開けアンゲリーカは語り始めた。


 ゲールハイト家。

 グラントリア王国二大武門の家。

 七百年前のグラントリア王国建国時から続く、由緒正しい武門の家。

 しかしながら、その輝かしい名声も過去のもの。

 アンゲリーカが物心ついた頃にはもうゲールハイト家は名ばかりの武門の家となっていた。

 数十年前の戦乱の世でも目立った戦果を挙げることもできず。


 アンゲリーカの父は武の才に恵まれはせど、根が優しく戦いに向かず。

 彼女の兄らは心意気があれど、武の才に恵まれず。

 皮肉にも、その両方を持って生まれたのは、女であるアンゲリーカだった。


 女でさえなければ。

 幼いアンゲリーカがずっと聞かされ続けた言葉。

 女は家を守り、血を繋ぐ存在。

 アンゲリーカも本来ならば、『普通の女』としてその生を全うするはずだった。


 しかし、彼女の五歳の誕生日。パーティに訪れていた『ある男』の何気ない言葉で、彼女の運命は大きく変わることとなった。

 アンゲリーカばかりに武の才が宿り、そのお転婆っぷりを嘆いた彼女の父に、その男が言った言葉。


『何を悩むことがあろうか。心意気があり、力もあるのであれば、それでよかろう。

女だの、男だのは、些末なことに過ぎぬ。好きにさせよ』


 そう深い意味で放った言葉ではなかったのだろう。

 ただ、才を無駄にすべきではない。そう言っただけだ。

 されど、その何気ない言葉を、幼き日のアンゲリーカはこう受け取った。


 ――好きに生きていいんだ、と。


 その瞬間、女傑アンゲリーカがこの世に生まれた。

 アンゲリーカの人生を肯定する言葉を贈ってくれた恩人。道しるべ。

 その男こそが、アルトゥール公だったのである。


「――ふふ、アルトゥール様はきっと覚えてはおられないと思いますけれど、今のわたくしがあるのはあの言葉のおかげですわ」


 そう締めくくるアンゲリーカを見つめ、イングリットは思わず苦笑いを浮かべてしまった。

 いつもアンゲリーカの破天荒ぶりに戦々恐々し、頭を悩ませているアルトゥール公だが、完全に自分の身から出た錆なのである。

 しかし、イングリットは今の話を聞いて感じ入るところがあった。


(好きに、生きていい)


 言うだけなら簡単だ。だが、それにはきっと大きな責任が伴い、貫き通すには相応の力が要る。


(――わたしも、もっと強くならなくちゃ。皆と、ミツハル様と並び立って、支えられるようになりたい。もう、泣いてばかりは、嫌)


 窓の外を見る。


 光玄の後ろから、馬に乗った巨漢が金色の鶏冠頭を揺らしながらやってきて、彼の隣に馬首を並べる。

 ゲールハイト家、騎兵隊頭のマサレオだ。

 なにやら、光玄の戦場での大立ち回りに惚れ込んだらしく、無理やり舎弟入りしてくっついてきているらしい。


 マサレオは、何やら調子よく身振り手振りで光玄に話しかけており、光玄もまた機嫌よくそれに応じている。


(男の人はいいなぁ……)


 ぼんやりとマサレオを見つめるイングリットの胸の中、言葉では上手く言い表せない棘の生えた感情が波打つ。

 異性、しかも未婚の令嬢であるイングリットでは、ああいう風に気兼ねなく相手との距離を詰めるのは難しい。


 マサレオが何か下らない冗談でも言ったのか、光玄が珍しく大笑いをする。


(あんなお顔もするのですね)


 自分の前では見せたことのない、光玄の新たな一面を引き出したマサレオを、イングリットはムッとした表情で見つめ――


 ガブリ


 突然、光玄の馬、ノワールがマサレオの脚に噛みついた。

 調子に乗って近づきすぎたのだろう。


 ただでさえ気色の悪い男(ミツハル)を背に乗せてストレスが溜まっていたユニコーンの末裔ノワールは、更に近づいてきたマサレオにいよいよ我慢ならなくなったのだ。

 噛みつかれたマサレオが慌てふためき、それを見た光玄は腹を抱えて大笑いする。


「――ふふっ」


 いい気味、とばかりにイングリットが笑い、すぐに首を振る。

 そして彼女は困惑し、眉をひそめた。

 どうにも、自分らしくない。と思ったのだろう。


 光玄を見つめる。

 剣を持つとあんなに怖い人なのに、普段はどこか子供っぽい人。

 目が離せない人。気が付けば、彼のことを目で追ってしまう。

 自分の心がよくわからない。イングリットが生まれて初めて抱いた感情。


 イングリットの胸の中で生まれた、まだ形になっていない小さなソレの名を、彼女はまだ知らない。

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