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第24話 黒騎士、誕生⑤

 リーロンド勢・一千に対し、ゲールハイト勢・八百による会戦が始まった。


 そのゲールハイト勢の左翼。

 光玄は黒馬ノワールに跨り、アンゲリーカに与えられた五十騎ほどの騎兵隊と共に布陣している。


 しかし、彼はあまりにもたるんだ戦場の空気に憤慨していた。


(こ、これが……某の初陣と申すか……!)


 もはや恒例行事と化したこの小競り合いでは、「怪我をするだけ損だ」という意識が、兵たちの間に蔓延している。

 たまたま飛んできた流れ矢に当たった者だけが傷つき、運が悪ければ死ぬという有様だった。


 ゲールハイト勢が距離を詰めようものなら、相手は即座に距離を離し、ギリギリ矢が届く絶妙な距離を保ち続ける。

 リーロンド勢の兵の練度は明らかに高くはないが、距離の取り方だけは徹底的に訓練しているようで、見事なものである。


 結局、ゲールハイト勢としても、取れる戦術としては矢による応酬のみ。

 そして矢が尽きるか、ある程度ゲールハイト勢に損害が確認できれば、リーロンド勢は撤退していく。

 毎年、この繰り返しであった。

 無視すれば領境で略奪を働き、真面目に会戦に応じて相手しようとするとこれである。


「チッ、うざってぇ!」


 先日、ノワールに蹴り飛ばされていたマサレオが毒づく。

 騎兵隊頭である彼は、今回光玄の指揮下に入り、副官として側に控えている。

 当然、彼としては光玄に従うつもりはなかったが、アンゲリーカに文字通り首根っこを掴まれてここに配置させられている。


「義姉上は動けないので?」


 動きを見せないアンゲリーカの本陣を眺めながら光玄がそう訊ねると、マサレオが剃り上げた眉の下でギラつく三白眼を向けながら答える。


「それをやると、ルノーの野郎が逃げちまうんでな」


 光玄は首を傾げる。

 なら、戦は終わるはず。何がいけないと言うのか。


「――普通に逃げてくれるンならいいけどよ、絶妙に着かず離れずでこちらを削り取るンだな、これが」


 逃げの天才とはそういうことか。と、光玄は納得する。


「奴さんは特に姐さんの気配に敏感でな。わずかでも動こうものなら、すぐに反応しやがる」


 アンゲリーカは確かに最大戦力だが、下手に彼女が動けば無駄な被害が広がることになる。

 今ここに集まっているゲールハイト勢は、今回の会戦が終わった後も魔の森の魔物たちに対応しなければならない。


 できるだけ戦力を温存したまま、この恒例行事を終わらせる。

 それが今までのゲールハイト勢の方針であった。


「おんどりゃぁああ!! やんのか、ワレェ!!」


「来いやぁ!! 玉ァついてんのかオラァ!!」


 騎兵隊は随分とフラストレーションが溜まっている様子で、敵側に罵声を飛ばす。

 しかし、帰ってくるのは矢だけだ。


 いよいよ我慢ならなくなったのか、若い騎兵が一人飛び出す。


「あっ、馬鹿野郎! 戻ってきやがれ!」


 マサレオが慌てて制止するが、間に合わない。

 一兵ごときでは引くまでもないと判断したのか、敵勢は目立つ動きは見せない。

 その代わり、リーロンド勢はすぐに一斉射で対応し、若い騎兵は矢の雨に晒され落馬した。


 あまりよろしくない状況だ。相手の戦術はそれ自体が挑発になっている。

 このならず者集団、ゲールハイト勢にはこれ以上なくよく効いている。


 一方、先ほどの騎兵の単騎駆けを目にした光玄は一つ閃いていた。


(ふむ、単騎駆けか。大いに結構! それしかあるまい!)


 その末路を目の当たりにしておきながら、さながら名案を出したとばかりに、己の手を叩く光玄。


 依然緩い戦場の空気の中、心を決めた光玄は敵陣の脆い部分を見極める。


 そして、敵勢の矢が尽きて後方から矢を補充しようとした瞬間を狙い、黒き暴れ馬、ノワールの横っ腹を蹴りつけた。

 怒りの嘶きを轟かせ、弾かれたように飛び出す黒馬。

 同時に、光玄は高らかに名乗りを上げる。


「我こそは、らっせる・げぇるはいと也ィ!!」


 そのあまりの声量に、周りのゲールハイト騎兵隊はびくりと身を竦め、突然弾かれたように飛び出した光玄の後ろ姿を見て目を剥いた。


「おっ、おいぃ!? お前もかよォ!!」


 マサレオが慌てて制止しようとするも、あっという間に光玄は単身、戦場のど真ん中に躍り出ていた。


 リーロンド子爵勢の右翼指揮官は、その様子を見て鼻を鳴らし、兵に命じた。


「ふん、また一匹釣れたか。弓兵――斉射しろ」


 まったりと矢を補充していた弓兵らは、急な命令に急ぎ矢をつがえると、一斉に黒い点――光玄に狙いを定めて矢を放った。


 先ほどの若い騎兵の二の舞だ。


 確かに、あの黒い騎兵が駆る軍馬は異常に大きく、速さも尋常ではないが、遮蔽物もない開けたこの戦場では矢の雨に晒されるだけだ。


 矢が空を覆わんばかりに一斉に放たれる。

 それでも、黒い騎兵は止まらない。


「――馬鹿め」


 口髭をいじりながら、侮蔑の言葉を吐き出す右翼指揮官。

 やがて、矢の雨は降り注ぎ、大地に突き立つ。


「――は?」


 右翼指揮官は自分の目を疑った。


 黒い騎馬があの矢の雨をすり抜け、なおも真っすぐ迫ってきているのだ。

 弓兵らも目の前で起きたことが理解できず、固まっている。


 からくりは単純だった。


 矢の補充が終わった直後の斉射は狙いを十分に絞る暇がなく、あまりにも揃ったタイミングで放たれていた。

 故に、光玄は最低限の回避機動で、一見回避不可能に見えた矢の雨を容易くすり抜けることができたのだ。


「な、何をしている! 続けて斉射するのだ!!」


 ぐんぐんと、瞬きするごとに大きくなっていく黒点。

 右翼指揮官の命に従い、弓兵らが慌てて迫りくる黒き人馬を狙い撃ちした。


「――話にならぬ」


 再び放たれた矢の雨を前に、光玄はため息をついた。

 先ほどよりはしっかり的を絞れてはいたが、彼我の距離が詰められてもなお斉射とは。

 時間差をおいて出鱈目に矢を放たれた方がよほど脅威だ。


 光玄はいささかも速度を落とさぬまま、ノワールの手綱を引っ張り馬首の方向を無理やり変える。


「――!!」


 暴れ馬にして天邪鬼である、ノワールの憤り、強い反発が手綱を伝ってくる。


 手綱を引けば、反発して逆方向に跳ねる。その癖を、光玄はノワールとの短い間の付き合いで正確に読んでいた。

 狙い通り、ノワールは光玄が引っ張った方向と真逆へ、光玄を振り落とすつもりで勢いよく飛びはねた。


 その直後、ノワールがいた場所を大半の矢が通り過ぎ、振り落とさんとするノワールの勢いを光玄は敢えて利用して、ややタイミングのずれて飛んできた矢を、馬体からわずかに身体を浮かせて回避した。


 なおも自分の背中から落馬しない光玄に苛立ちを募らせ、さらに逆方向へ飛び跳ねたノワールだったが、この暴れ馬の性質を完全に理解した光玄は、その力すらも利用して鞍に難なく安着した。


 そんな曲芸じみた動きで、真っすぐ敵陣を目指し進む光玄の姿に、長年うっ憤のたまっていた騎兵隊が吠える。


「うわっは、マジか! イカレてんな! 気に入ったぜ!」


「ついていきますぜ!! アニキィ!!」


 彼らの歓声を背に受ける、騎兵隊頭マサレオの三白眼がギラリと光る。


「待ってたぜェ!! この瞬間をよォ!!

行くぜェ!! 野郎どもォ!!」


 長年のうっ憤を一気に爆発させ、ゲールハイト騎兵隊は弾かれたように飛び出す。


 目前まで迫った黒き人馬に加え、その後方から土煙が上がったのを目にした焦りからか、弓兵たちは矢を飛ばせど狙いが絞られず、その矢のほとんどがあらぬ方向へ飛んでいった。

 ずずいと、不気味に黒い人馬は矢の雨を潜り抜けてくる。


 黒髪黒衣白面のある邪神を彷彿とさせる男が、何の冗談なのか白教のシンボルを象った十文字槍を手に迫ってきている。

 最前列の兵らが、思わず悲鳴を漏らした。


「ひっ、ひぃ!!」


 動揺したのは右翼指揮官も同様だったが、彼は辛うじて口をついて出そうな悲鳴を飲み込むと、兵らに命令を飛ばした。


「くっ、本隊に合図! 槍兵は構えよ!」


 敵勢が動き出したら即座に後退――このドクトリンに従うべきだったが、今回ばかりは不可能だった。

 既に光玄が最前列に接触寸前なのだ。

 たったの一兵だが、食い付かれた以上、処理せねば無用な被害を招く。


 指揮官の指令に従い、槍兵たちが目の前まで肉薄した黒き人馬に向かって即座に槍衾を形成する。

 それでもなお、光玄の勢いは止まらない。


「――突けぃ!!」


 右翼指揮官の号令と共に、一斉に突き出される槍。

 光玄は、右手に持つ十文字槍の柄を脇にしっかり締めると、手綱を持つ左手を槍を持つ右側に思いっきり引っ張った。


「オオオオオォ――!!」


 ノワールは、およそ馬が出しているとは思えぬ、地鳴りのような怒りの嘶きを轟かせた。

 彼女は突進の勢いそのままに、光玄への憤りを迸らせ、逆方向――左へ馬首を向け、直角に急旋回した。


 光玄の十文字槍に、突き出されていた一人の兵の槍が巻き取られた。


「あっ、うわぁああ!!」


 さほど練度の高くない、ついさっきまで惰性で戦争ごっこをしていた兵の反応は遅れる。

 槍を手放すという一瞬の判断ができず、急旋回したノワールの凄まじい力によって手にした槍ごと振り回され、人間鈍器と化し、他の兵を巻き込んで隊列が崩壊する。


「な、何をしている!! さっさと隊列を組み――」


 リーロンド子爵勢の右翼指揮官が慌てて命令を飛ばすが、彼は土煙を巻き上げて目前に迫りくる、ゲールハイト騎兵隊を目にし絶句した。


「!?」


「ヒャッハー!!」


「死ねオラァ!!」


 物騒な雄たけびと共に光玄が打ち崩した箇所から突入する騎兵隊。

 リーロンド子爵勢は、光玄の鮮烈な一撃によって絡み合った味方が邪魔で、即座に槍衾を再構成できず蹂躙される。


「――うむ!」


 その様を見た光玄は満足げに頷くと、騎兵隊が開けた穴に続いて突入した。



◆◇◆



 しばらく時は遡り――


 戦場からやや離れた小高い丘の上。


 そこには高級感のある天幕が設営され、こじゃれたティーテーブルが置かれており、その隣には豪奢な馬車が止まっている。

 眼下の草原では間もなく開戦すると言うのに、ここだけまるで別世界だ。


 馬に乗った記録官とイングリットが着くと、天幕の前で待っていたサーリアが小走りで寄ってきた。


「お嬢様、お勤めお疲れさまでした」


 サーリアがイングリットに手を貸して、下馬を手伝う。


「ありがとう、サーリア」


 サーリアはイングリットの泣き腫らした目元を見逃さなかった。

 一瞬、記録官に何かされたのではと、彼女を睨みつけるサーリアだったが、記録官はさり気なくその視線を遠く、リーロンド勢の方へ誘導する。


 見事なヘイトコントロール。

 完全に釣られたサーリアはその集団を憎々しげに睨みつける。


「さぁ、イングリット嬢。こちらへ」


 記録官はイングリットに手招きをし、ティーテーブルへ誘う。


「は、はい」


 イングリットが誘われるまま、記録官と共に席に着くと、一人の侍女が寄ってきて手際よくお茶を淹れ、彼女の前に置いた。


「ハーブティーですよ、気分が落ち着くと思います!」


 元気の良い声。イングリットより一つか二つ年上なのだろうか。

 そばかすの目立つ、純朴な顔立ちのその侍女はにっかり、と屈託のない笑みを浮かべた。


「ありがとうございます」


「記録官様もどうぞ!」


 そばかす顔の侍女は、記録官の前にもティーカップを置きお茶を注ぐと、ぺこりと一礼をして一歩後ろへ下がった。


「さぁ、ご遠慮なさらずどうぞ」


 イングリットは頷き、ハーブティーを口につける。

 途端に爽やかな香りが鼻を抜け、頭にかかっていた靄が晴れるような感覚を覚える。

 相当高価なブレンドティーだ。戦場にまでこんなものを持参するとは、この記録官は思ったより大物なのかも知れない。


 記録官もティーカップを手に取って、優雅な仕草でそれに口につけて音を立てずに飲む。

 そして、ほぅと息を吐き、椅子の背もたれに身体を預けて足を組んでは、気だるげな表情を浮かべ、襟元を緩めた。


 先ほどの交渉時とはまるで別人だ。

 あの時は徹底的に個を殺して仕事に臨んでいたのだろう。

 改めて彼女のことを見てみると、大変な美人であることが分かる。


 やや彫りの深い顔立ち。右目元の泣き黒子が目立つ、意志の強そうな切れ長の碧眼。

 色味の強い長い金髪は髪留めでキッチリ止めて一纏めにしている。


 イングリットの視線に気づいたのか、彼女はにっこり笑ってみせる。


「ふふ、そういえば、自己紹介がまだでしたね。

わたしは、アイシャ。ルクレツィア妃陛下の元で女官として仕えております」


「妃陛下の……?」


 やはり、彼女は大変な大物だった。

 あのルクレツィア妃の直属。並みの人間ではない。


「ふふ、運がよかったですね? 大公閣下の記録官だったら、リーロンド家の味方をしていたはずですよ」

 

「そう、ですね」


 父アルトゥール公と険悪な関係にある大公の手の者がイングリットに友好的に接してくるとは考えにくい。

 それを言うなら、アルトゥール公を一方的に恨んでいるルクレツィア妃の配下であるアイシャがイングリットに友好的であるのも腑に落ちないが。

 柔らかい笑みを浮かべるアイシャの表情からは、その意図は上手く読み取れない。


「始まりましたね」


 そう話すアイシャの視線の先で戦場が動き始める。

 ――と言っても、大きな動きはない。

 せいぜい、矢が飛び交っているだけ。

 地味な絵面。


 だが、イングリットは思わず自分の身体を抱きしめた。

 あの中で、誰かが今傷つき命を落としている。


「お苦手でしたら、見なくてもいいのですよ」


 アイシャがそう配慮をするが、イングリットは首を横に振る。


「いいえ、グランスタイン家の名代としてこの場にきている以上、わたしには最後まで見届ける義務があります」


 イングリットのその答えに、アイシャは目を細める。


「――左様で」


 不毛な、戦とも呼べぬ催しが繰り広げられる戦場を見下ろしながら、サーリアが口を開いた。


「そもそもこんな状況になった原因ってなんですか?

どちらも大損してまで毎年毎年、不毛な戦を繰り返すのはどうしてです?」


 サーリアの問いに、イングリットは首を横に振る。


「わたしも詳しくは……お父様は身内の恥だと言って、詳細を教えてはくださらなかったの。ただ、アンゲリーカ様が昔、ルノー様に大変な失礼を働いたとだけ」


「アンゲリーカ様が?」


 サーリアは意外とばかりに、片眉を吊り上げる。

 陰湿なやり口といい、粘着質なルノー子爵の人物像からして、ことの原因はルノー子爵の方にあると思い込んでいたのだ。

 イングリットは頷き、続ける。


「――ええ。その報復からリーロンド家がゲールハイト家に対して嫌がらせをするようになったというのが、この両家の確執と聞かされているの」


 話を聞いていたアイシャがわずかに身を乗り出し、話に混ざってきた。


「概ね、その通りです。

『あの事件』は大変有名な話ですので、いずれお耳に入ると思われますし――

せっかくですので、わたしの方からお話ししましょう」


 彼女は訳知り顔で、過去の出来事を語り始めた。


 二十三年前――

 当時十二歳になったばかりの、アンゲリーカの社交会デビュタントの日。

 王家主催の華々しいパーティ会場。


 可憐で美しく、ひと際目を引くアンゲリーカに一目ぼれした、当時のルノー・リーロンド少年は彼女の気を引こうとして――


『落ち目のグランスタイン家に媚びてもいいことはないぞ。

我がリーロンド家と共に、未来を紡いでいこうではないか!』


 と遠回しな求愛をしたところ――


『アルトゥール様に対する侮辱!! 万死に値しますわ!!』


 と叫び、アンゲリーカは哀れなルノー少年をその場でボコボコにしたのである。


 僅か十二歳のまだ幼く、完成しきっていなかった当時のアンゲリーカに蹂躙されたルノー少年は、まるで大型の魔物に襲われたような有様だったという。


 華々しい社交の場。しかも、一目ぼれした女性にボコボコにされる屈辱。

 それこそが真相。ゲールハイト家とリーロンド家の因縁の始まりだった。


「うわぁ……完全にアンゲリーカ様が悪いじゃありませんか」


 サーリアがドン引きし、イングリットは両手で顔を覆った。

 身内の恥。確かにアルトゥール公の言う通りだった。

 父が言葉を濁すには、それだけの理由があったのだ。


「当時、ゲールハイト家は伯爵家への陞爵を控えていたのですが、その件が原因で取り止めになったそうで。

さすがに、王家主催のパーティ会場であんなことをしては仕方ありませんね」


 と言いながらも、アイシャはどこか痛快と言わんばかりに、楽しげに口元を歪めている。

 やはり、交渉の場とはまるで人が変わったようである。

 恐らくはこちらが彼女の素なのだろう。


「あら、何やら動きが」


 アイシャがゲールハイト勢の左翼を指差す。

 その先では騎兵が一騎飛び出し、矢の雨に飲まれて斃れるところだった。


「ああっ」


 それを見たイングリットが小さく悲鳴をあげた。


「何とも、不毛ですね――あら?」


 小さくため息をついていたアイシャの目が見開かれる。

 ゲールハイト勢左翼から、黒い人馬が勢いよく飛び出している。

 あんな格好をしているのはこの世界広しと言えど、たった一人しかいない。


「み、ミツハル様!?」


 矢の雨が彼に襲い掛かるが、まるで魔法の様に光玄はそれらをすり抜け、猛然と敵陣へ迫る。


「――うふっ、見つけたわ。

『お邪魔虫さん』。やはり貴方がそうだったのね」


 強い愉悦のにじみ出る声。

 イングリットは思わずその主を見つめ、背中に鳥肌が立った。


 声の主、アイシャの目が大きく見開かれ、曲芸じみた動きで一斉射の第二波を切り抜ける光玄の姿を食い入るように見つめている。

 その恍惚とした表情は、恋する乙女の様であって、血の滴る肉を前にした獰猛な猛獣の様でもある。

 そして、彼女の指先が宝物を愛でるように、遠く敵陣に穴をあける光玄をなぞる。


「アイシャ、様?」


「うふふ、ご覧なさい。なんて鮮やかなのでしょう」


 アイシャの艶やかな指先に釣られて戦場へ目を向けたイングリットの視線の先。

 光玄がこじ開けた敵陣の穴へ後続のゲールハイト騎兵隊が突入し――

 たちまち、戦場は赤く染まっていく。

 凄惨な光景だ。けれど、どうしてかイングリットは視線を逸らせなかった。

 まっすぐ戦場を見据えたその目が、わずかに潤む。


 あまりにも鮮烈な一撃。


 まともな交渉もしてもらえない悔しさ、そして長年受けてきた誹りのうっ憤を、彼女の『剣』が今、打ち払っていた。



◆◇◆



 敵陣はまるで蛇が這いずり回った跡のように、本陣に向かって道ができており、混乱の坩堝の真っ只中だった。


 騎兵隊と共に、敵勢の右翼を蹂躙し道を開けていた光玄は、先ほどまでは見かけなかった赤い旗が立っていることに気づいた。


 何らかの合図か。

 光玄に追従していたマサレオが叫ぶ。


「クッソ! 奴さん、もう逃げてやがる!」


 リーロンドの本陣――ルノー子爵勢は、光玄が右翼に接触した瞬間、合図をうけて既に後退を始めていたのである。


「逃さぬ!」


 光玄はノワールの腹を蹴って、ルノー子爵勢へ向け加速する。


「応よ!」


「ぶっ殺す!!」


 ゲールハイト騎兵隊が呼応し、すかさず追従して、妨害してくる敵兵をなぎ倒し露払いをする。

 しかし、一向に距離が縮まらない。


 ルノー子爵勢は、絶妙なタイミングで小分けした兵をぶつけ足止めをし、物資をばら撒くことで徹底的に追撃の妨害をしてきているのだ。

 光玄に追従する騎兵がそれらに巻き込まれ、何人か脱落していく。


「なんと無様な! おのれッ! この所業万死に値する!」


 光玄はかつてないほど激怒していた。

 将たるものが、兵の命を捨て駒にして逃げるとは。


 他の騎兵隊が足を取られる中、光玄は怒りに任せ、更に加速し追いすがる。

 無理な追撃に、一つ、また一つ光玄の身体に傷が増える。

 だが、止まらない。何が何でも首を獲る。その執念が痛みを忘れさせる。


 だが、その執拗な追撃は功を奏し、光玄はもう少しでリーロンド勢の最後尾に追いつけるところまで迫っていた。

 ルノー子爵勢に色濃い焦りの色が見て取れる。

 そして、光玄にその場の人間の意識が集中したその瞬間――


 ルノー子爵勢の進行方向が、爆ぜた。

 十数人のリーロンド勢の兵がバラバラになり、辺り一面に散らばる。


 その中心。


 真っ赤な巨馬に跨り、深紅の鎧を身に纏い、亜麻色の髪をなびかせる女傑が一人。

 アンゲリーカだった。


 彼女は光玄による単騎駆けで全軍の視線がそちらに向いた隙に、本陣から単騎にて離脱、戦場を大回りしてルノー子爵が逃げそうな方角にあたりをつけて待ち構えていたのだ。


 それは望まずとも長年の付き合いを続けてきた、ルノー子爵へのある種の信頼がアンゲリーカにあったからこそできたことだった。


 一方のルノー子爵もまた彼女の動きを読めなかったわけではない。


 彼女なら絶対この好機を逃さないと、アンゲリーカが待ち構えてそうな位置も何となく勘づいてはいた。

 このような場面はこれまで何回もあった。

 ギリギリのところで方向転換し、アンゲリーカを振り切る。その自信がルノー子爵にはあった。


 しかし、今回はあまりにもしつこく後方から光玄が追いすがってきたせいで、ルノー子爵の計算が狂ったのだ。


 再度の衝撃と共に、更に十数名の兵士が消し飛ぶ。


 規格外すぎる。アンゲリーカが振るう深紅の大剣、トーデスエンゲルはもはや攻城兵器だ。

 明らかに、人に向けていい質量ではない。


 その乗騎カマエルもまた規格外だ。

 槍などで突っついた程度ではその身に纏う馬鎧を抜くことは出来ず。

 猛烈なカマエルの突進の勢いに、槍の方が枯れ枝の様に折れていく。

 しかも、彼はただ走っているだけではない。積極的に前足で兵を蹴り飛ばし、馬とは思えぬ鋭い牙で食いちぎって敵兵を着実に減らしていく。


 前方のアンゲリーカにすり潰され進軍は止まり、背後からは光玄が無人の野を駆けるがごとく、まっすぐ兵たちをかき分け突っ込んでくる。

 焦り、脂汗を流すルノー子爵は悲壮な表情を浮かべ、副官に命令をした。


「くっ、やむを得まい! アレを使うぞ!」


「ハッ」


 窮地に立たされたルノー子爵は、最終兵器を使い――ソレは迅速に戦場に姿を現した。

 ソレが現れた瞬間、その場の全兵士が一斉に動きを止めた。

 次の一撃を見舞わんと、トーデスエンゲルを振りかぶっていたアンゲリーカも、苦虫を嚙み潰したような表情で剣を収めている。

 あと一息、ルノー子爵のすぐ近くまで迫っていた光玄は、敵味方の異常な反応に一瞬警戒し動きを止めた。


 ルノー子爵が出した最終兵器。

 それは――


 白旗だった。

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