第23話 黒騎士、誕生④
数日後の朝。
リーロンド家が会戦の場所として指定したオステヴラート草原。
いよいよ、ゲールハイト家とリーロンド家の会戦が始まろうとしていた。
両軍が対峙する草原の中央には、仮設の天幕が設営されている。
戦前の最終交渉の場である。
光玄とアンゲリーカは馬首を並べてそこへ向かう。
依然としてノワールは、背中に乗る光玄のことが気に食わなくて我慢ならない様子ではあるが、光玄の後ろに相乗りしているイングリットを慮っているのか、今のところは大人しく従っている。
さすがのユニコーンっぷりである。
光玄は隣で馬を駆るアンゲリーカの方を見た。
巨馬ノワールの上から見てもなお、隣のアンゲリーカの目線はずっと高く。
アンゲリーカの馬が輪をかけて巨体であるためだ。
彼女の愛馬、『カマエル』。
鮮血のような真っ赤な体毛、燃えるような鬣。ノワールより一回り以上大きな体躯。脚はまるで丸太のように太く頑強。
肩までの体高は二メートル超。体重は二トンに肉薄する。
広義では馬と呼ぶべき存在だが、このカマエルは魔獣である。
真紅の分厚いフルプレートアーマーを着込み、更に重量百五十キロを超す大剣『トーデスエンゲル』を背負ったアンゲリーカを乗せてもなお軽快に走るこの魔獣は、魔の森の最上位捕食者の一角であるロートハーゼ種である。
馬の姿をしてはいるが、この魔獣はれっきとした肉食獣だ。
気性は荒いどころではなく、凶暴そのもので、まず普通の人間に手なずけられる生き物ではない。
だが、カマエルは実に従順かつ忠実にアンゲリーカに従っている。
なんでも、若かりし頃のアンゲリーカが素手で叩き伏せて従わせたらしいが、真偽は不確かである。
光玄の視線に気づいたアンゲリーカが、二人に声をかけてきた。
「お二人とも、緊張はしていません? って、ミツハルは大丈夫そうですわね」
光玄は初陣への期待に、待ちきれない様子で落ち着きがない。対して、イングリットは緊張を隠しきれず、やや硬い表情を浮かべている。
そんなイングリットを、アンゲリーカは柔らかい声で励ます。
「気負わずとも大丈夫ですわ。仲裁はあくまでも形式的なもの。
我がゲールハイト家はともかく、相手側に開戦を止めるつもりは全くありませんもの。どうやっても開戦は避けられませんわ」
「は、はい」
リーロンド家はゲールハイト家に少しでも損害を与え嫌がらせをしたい。
魔の森への防備を疎かにしてまで戦場へ出向いたゲールハイト家は、できるだけリーロンド家に損害を与えたい。あわよくば、当主ルノーを仕留めたい。
そういったある種の利害の一致がある故、開戦回避は難しい。
にもかかわらず、戦前の最終交渉の場を設けるのは、両家とも一応貴族家だからだ。
形式的であっても、守るべき戦の作法はあるのだ。
「イングリット様は、グランスタイン家の名代として堂々と胸を張ってくださいな。それだけで十分ですわ」
「然り! いんぐりっと殿こそが、ぐらんすたいん! りぃろんど何するものぞ!」
アンゲリーカと光玄が口々にイングリットを励ますと、彼女は光玄の黒衣の裾を強く握り、頷いて見せた。
やがて三人は天幕へ到着、下馬して中へ入る。
中には、テーブルが置かれており、向こうには二人の男が、ちょうどこちらとの真ん中の席には、小奇麗な役人風の若い女性が一人座っていた。
恐らくは、今回の戦の相手のリーロンド家の者たちと、王家から遣わされた記録官なのだろう。
向こう側の二人のうちの一人は、随分と苛立った様子で椅子にふんぞり返っており、貧乏ゆすりをしている。
間違いなく、彼こそが件のルノー・リーロンド子爵なのだろう。
くすんだ金の髪、青の瞳。でっぷりした、だらしない体型。
身に纏う豪奢なプレートアーマーがあまりにも似合わない。
逃げの天才と呼ばれる、ルノー子爵のその姿を見て、光玄は眉をしかめた。
(とても、戦上手には見えぬのだが……)
ルノー子爵の隣に座る、彼と顔立ちが似た痩身の男の顔には、どこか濃い疲労の色がにじみ出ており、こちらは鎧すら身に着けていない。
戦場には出ないのだろうか、いかにも文官と言った装いである。
光玄たちの姿をみとめた痩身の男は丁寧な一礼をし、自己紹介をする。
「お待ちしておりました。私はリーロンド家の家令、ライル・リーロンド。
そしてこちらが、当主ルノー・リーロンドでございます」
「遅いぞ! アンゲリーカ! いつまで待たせるつもりだ! ――んん?」
ライルの紹介に食い気味でアンゲリーカへ抗議をしたルノー子爵は、彼女の隣に控えるイングリットを見て、目を丸くした。
そしてニタリと、意地の悪い笑みを浮かべる。
「――これはこれは、グランスタインのご令嬢ではございませんか。
このような場へご足労頂けるとは。ディートハルト様は如何なさいましたか?」
ルノー子爵の目に浮かぶあからさまな侮蔑の色に、一瞬気圧されるイングリットだったが、彼女はしっかりと体に力を入れて姿勢よく立ち、真っすぐルノー子爵を見つめ返す。
「此度、兄は長期の任に就いておりまして。
僭越ながら、わたしが此度の戦の仲裁役として参りました」
「ほうほう、して、そちらの男は?」
ルノー子爵の視線が、更にその隣の光玄へ向く。
黒髪黒衣のその姿に、侮蔑を通り越して強い嫌悪感を隠そうともしない。
「某は、らっせる・げぇるはいとと申す者。
此度、げぇるはいと家の末席に名を連ねることとなり申した」
「なっ、なにぃ!? ラッセル・ゲールハイトだと!」
光玄のその自己紹介に、ルノー子爵は突然激しく動揺し、アンゲリーカに詰め寄った。
「アンゲリーカ、これはどういうことだ! ま、まさか……」
「……」
アンゲリーカは黙したまま、品の良い笑みを浮かべるだけ。
未だ動揺した様子で、ルノー子爵はうなされるように言う。
「結婚、したのか? こんな男と……?」
光玄がゲールハイト家に婿入りしたと思い込んだのだろう。
アンゲリーカと光玄を交互に見つめる、ルノー子爵の瞳は動揺と絶望に激しく揺れている。
彼の発言とこの反応を見るに、どうやら敵対関係ではあっても、ルノー子爵はアンゲリーカに懸想しているようである。
「ぷっ」
「えっ」
「――?」
思わず吹き出すアンゲリーカ、呆気にとられるイングリット、そして意味が解らず首をかしげる光玄。
三者三様のその反応に、自分が恥ずかしい勘違いをしたと気づき、ルノー子爵は顔を真っ赤にして光玄に詰め寄る。
「な、なんだ? では貴様は何者だ!?」
「某は、此度げぇるはいと家に養子入りし、あんげりぃか殿を義姉上として仰ぐことになった次第で」
「そ、そうか。義弟なんだな。ええい、紛らわしい! だったら最初からそう言え!」
安堵、そしてすぐさま、また怒り出すルノー子爵。忙しい男だ。
「――そこまでにしていただきましょう」
肩を怒らせるルノー子爵を、テーブル中央の身なりのいい役人風の女性――記録官が諫める。
このような戦場へ女官が赴くのはあまり例がないが、その身なりと堂々とした立ち振る舞いからすると、王宮でもそれなりの地位についている人物なのだろう。
まだ何か言いたいことがある様子のルノー子爵だったが、さすがに王家に対して物を申すわけにもいかず、押し黙った。
ようやく天幕の中が静かになったことを確認した記録官は、ゲールハイト家関係者の方を見て、着席を促す。
「両家は向かい合っておかけください。仲裁役殿はわたしの隣へ」
記録官に促されるまま、光玄とアンゲリーカはリーロンド家の二人の向かい側の席へ座り、イングリットは記録官の隣へ腰を下ろした。
全員の着席を確認した記録官は淡々と交渉を取り仕切る。
「それでは、最終交渉を始めます。まず、両家の主張を確認いたします」
記録官は用意してあった巻物を開いて読み上げる。
「リーロンド家は、二十三年前、アンゲリーカ・ゲールハイトがパーティ会場にて働いた、侮辱的な行為に対し糾弾する」
それを聞いた光玄は、アンゲリーカを見つめる。
一体、何をやらかしたのか。アンゲリーカはその視線に気づきながらも、涼し気な表情で受け流している。
「続いて、ゲールハイト家より。
リーロンド家からの二十年以上に渡る嫌がらせにより、当家は甚大なる被害を被っており、それを糾弾する」
両家の主張をまとめた記録官の表情からは、全く感情が窺えない。
極めて事務的で、人間味らしいものが感じられないほどだ。
「――それでは、仲裁役殿、どうぞ」
続けて、記録官はイングリットをみて、仲裁を求めた。
忌み子イングリットに対してもやはり嫌悪感はみせず、不気味なほどに淡々とした様子で職務に努めている。
深呼吸をして、イングリットは一同に品よく一礼をし、話し始める。
「――グランスタイン公爵家のイングリット・グランスタインでございます。この度は、仲裁役という大任を賜りまして恐縮でございます。
早速ですが、当家としては、ご両家の長年に渡る確執はしかと理解しております」
イングリットは居住まいを正し、背筋を伸ばして両家の面々を順に見つめる。
「――ですが、徒に戦をしては、傷つき、涙するのは民たちでございます。
どうか、今回はこのまま、双方矛を収めてはいただけませんか」
光玄はアンゲリーカに目線で指示を仰ぎ、彼女が頷くと、重々しく口を開いた。
「当家としては、ぐらんすたいん家の仲裁を受け入れ、今回は無条件での停戦に合意する所存。りぃろんど家にも停戦を求める次第でござる」
対するルノー子爵は黙したまま。
カァカァ――
遠くで烏の鳴き声がする。
「ふん、烏どもめ、戦があるとすぐやってきおって。気味の悪いことこの上ない」
そう吐き捨てるルノー子爵の視線は、イングリットに向いている。
『濡れ烏の君』の件を既に聞き及んでいるのだろう。
これはあからさまな侮辱で、グランスタイン家と近しい、ゲールハイト家への挑発だ。
恐らくは記録官の目の前で狼藉を働かせ、後の交渉で優位に立つためか。
実際、光玄は無銘の鯉口を切っており、すぐにでも斬りかかる姿勢である。
アンゲリーカも未だ薄い笑みは浮かべているが、その目は笑ってはいない。
イングリットは悔しさで唇を噛む。
一触即発。
記録官は小さくため息をつくと、立ち上がった。
「――ここまでですね。交渉は決裂したと見なします」
これ以上の交渉は不可能。あとは開戦を宣言するだけだ。
「――お待ちを」
震える、それでいて凛とした声が天幕に響く。
イングリットだ。
彼女はゆっくりと席から立ち上がり、まっすぐ記録官を見つめた。
「――記録官様。ゲールハイト家は、無条件での停戦に合意しておりました。相違ありませんか?」
記録官は先ほどの光玄の発言の記録を確認し、頷く。
「相違ございません。ラッセル卿は、確かにそうおっしゃっておいでです」
「それに対し、リーロンド家は返答をなさいませんでした。
無条件での停戦の申し出に対して、それを無視した。相違ありませんね?」
「はい。確かにそのように記録してあります」
「では、今回の戦の責は、全面的にリーロンド家にあると解釈しても問題ありませんね?」
イングリットのその言葉に、今までニヤついていたルノー子爵の顔から笑みが消え失せる。
「なっ――」
何か反論しようとするルノー子爵だったが、記録官は先んじて宣言する。
「今回に限っては、その解釈で相違ございません。
更に、仲裁役殿に対し、今回の交渉と無関係な発言をしたルノー殿の態度は侮辱に当たると判断いたします。看過することはできません」
変わらず無表情を貫く記録官だが、その声にはどこか咎めるような響きがある。
「――よって、リーロンド家に仲裁に応じる意志はないと見なし、王家は本日の正午より両家の武力行使を認めます。
なお、此度の戦の責任はリーロンド家にあるとし、戦後処理において、王家はゲールハイト家を支持いたします」
「ま、待つのだ、記録官殿! そのようなつもりは――」
「以上です」
取り付く島もない。記録官はそれだけ言うと、決定事項をキッチリ記録し封をすると、そのまま懐にしまい込んだ。
「仲裁役殿、他になにかありますか?」
「いいえ、グランスタイン家からは以上でございます。
仲裁役、イングリット・グランスタインは力及ばず、停戦合意を引き出せませんでした。慙愧の念に堪えません」
そう締めくくり、イングリットはルノー子爵を睨みつける。
足は震え、涙目ではあるが、その黒い瞳はしっかりとルノー子爵を捉えている。
(こ、小娘がぁ……! 最初からこのつもりで……!)
自分が仲裁役としてまともに相手にされないであろうことを予期していたイングリットは、罠を張って記録官を味方につけ、ゲールハイトに有利な状況を作ったのだ。
(待てよ、この記録官の女……! まさか!)
ルノー子爵は、あることに気づいて記録官を見つめ、その胸元についたあるものを見つけ、青ざめた。
金剛晶を模した徽章。
金剛晶の君、ルクレツィア妃を象徴するシンボルだ。
(き、妃陛下の! 王家の記録官が女である時点で気づくべきだった!)
イングリットとゲールハイト家に対する挑発は完全に悪手だった。
ルクレツィア妃の手の者たちは、その主同様、無作法・無礼を決して許さない。
(何故、妃陛下の配下が? 普通なら、大公閣下の手の者がやってくるはず)
ルクレツィア妃は普段、内政を担い、クリスティアン大公は外交と軍事を担う。
いつもなら、クリスティアン大公の記録官がやってくるはずだったのだ。
何にせよ、このままでは、戦後処理で不利な条件を突き付けられかねない。
(くっ、これでは敗戦などした日には大損確定だ。
ならば出来るだけ、ゲールハイトの連中に損害を与えねば)
ルノー子爵は歯ぎしりをすると、家令ライルを引き連れて肩を怒らせながら天幕から出ていった。
光玄はアンゲリーカと共に自陣へ引き返そうとして、肩を震わすイングリットを見てしまった。
大粒の涙を流し、泣いている。ルノー子爵を罠にはめて気丈に振る舞っていたが、あの侮辱がよほど堪えたのだろう。
「いんぐりっと殿――」
光玄が何か慰めの言葉を探そうとしたその時、イングリットの側に立っていた記録官は、懐からハンカチを取り出して彼女の涙を拭った。
「イングリット嬢。よく頑張りましたね。上出来でございました」
「えっ、は、はい」
今までの不気味なほどに事務的な態度は鳴りを潜め、その声色は驚くほど柔らかく、暖かい。
イングリットが落ち着くのを待ってから、記録官は光玄とアンゲリーカに声をかけてきた。
「イングリット嬢はお任せを」
この会戦において王家とグランスタイン家は中立の立場にある。
戦場から少し離れた所に設営された王家の天幕へ向かうのだろう。
アンゲリーカが記録官に頷いてみせた。
「――ええ、よろしくお願いしますわ」
それだけ言うと、アンゲリーカは鎧を鳴らしながら天幕から出ていった。
続いて、アンゲリーカの愛馬、カマエルの地鳴りのような、腹の奥まで響く重厚な蹄鉄の音が響き、遠ざかっていく。
これから、いよいよ会戦が始まる。
イングリットが記録官に連れられ天幕から出ようとしたところで、光玄は彼女の背に向けて声をかけた。
「いんぐりっと殿。必ずやこの光玄が、るのぉめの首を獲り、献上いたしまする」
主を侮辱したルノー子爵へこの怒りをぶつけ、必ず報いを受けさせる。
その決意を、光玄はイングリットに告げたが――
「えっ、い、要りません」
光玄がルノー子爵の首を手に掲げ朗らかに笑う、その光景を想像したのか、イングリットは青ざめている。
正直、首なんて持ってこられても困るのだ。
「――然様か」
光玄はしゅんとした様子で肩を落とす。
「ですが、どうかお怪我などされませんように。ご武運を、ミツハル様」
はにかんだ、柔らかい笑顔を、イングリットが向けてきた。
ルノー子爵の首は要らないようだが、光玄の想いはちゃんと酌んだようである。
「はっ。何卒、この光玄の戦いをご照覧あれ!
必ずや、武士として恥じぬ戦働きをご覧に入れましょうぞ!」
そう力強く宣言した光玄は背を向け、天幕から颯爽と出て行った。
すぐに、ノワールの怒りの嘶きが響き、その蹄の音が遠ざかっていく。
「――ミツハル・ラッセル・ゲールハイト卿ですか。面白いお方ですね」
その後ろ姿を見届けた記録官が、依然として感情の窺えない表情でそう呟く。
けれど、その声色には隠しきれぬ好奇心の音色が混じっていた。




