第18話 女傑たち③
グラントリア王国の王都、グラントローネ。
その王城の後宮、別名『カステルビアンコ』。
完全男子禁制の女の園。
国母、ルクレツィア妃が座すここは、至る所に魔鉱灯が設置されており、昼夜を問わず真昼のように明るい。
掃除は病的なほどに徹底されており、大理石の床はその上に立つ者を鏡のように映し出す。
調度品の類は王城の後宮にしては少ないが、そのいずれもが国宝級の逸品ばかり。
無駄を徹底的に削ぎ落としたような簡素さと、厳選され選び抜かれた絢爛さ。
それらすべてに、ここの主の性格が如実に表れている。
その後宮の主の姿が私室にあった。
ルクレツィア・ダル・モンテ・グラントリーナ。
今年三十二歳の彼女の姿は、まるで十代後半の少女の様だ。
そんなことは、不老無病の加護を授けられた『聖女』でもなければあり得ないことだ。
いつまでも少女の姿を保ち続ける彼女は、聖女ではないかと長年社交界で噂されているが、白教はそれを強く否定している。
彼女は聖職者でもなければ、欠片ほども白き神への信仰心がないからだ。
聖人、聖女は白教の信徒以外にはなり得ないというのが白教の主張である。
だが、いかに白教が否定しようと、彼女はまごうことなき聖女だ。
何故なら、聖人や聖女でなければ手にすることも叶わない神器、『聖剣ルヴァナシール』に主として認められているからだ。
白き神への敬意などひとかけらもなくとも、彼女は確かにその愛を受けているのだ。
――白き神は気まぐれである。
信徒でなくとも、ふとしたことでその寵愛を不信心者や未開人、挙句には異教徒にまで与えることがあるのだ。
それだけにとどまらず、神は彼女に更なる寵愛を与えている。
ルクレツィア妃は、絶世の美女としても大陸中に名を馳せているのだ。
彼女は若き頃より『金剛晶の君』の異名で知られ、グラントリアの至宝とも評されている。
侍女たちの手を借りて、そのグラントリアの至宝たる御身――ルクレツィア妃が風呂から上がり、一糸まとわぬ姿で鏡の前に立っている。
その輝かんばかりに白い肌はまるで真夜中に光り輝く満月のよう。長く、豊かな銀に混ざる薄紫の髪は広がり、まるで翼。
形の良い乳房、引き締まった腰まわり、染み一つない白い臀部からすらりと長く伸びる脚。
そのどれをとってもあまりにも完成された美そのものだった。
ルクレツィア妃が目配せをすると、控えていた侍女らが彼女にドレスを着せ、化粧を施し、装身具をつけていく。
ルクレツィア妃を着飾るドレス・装身具はいずれも大陸一の名工たちが手掛けた、幻の名品と呼ばれるもの。
その中には所有権をめぐって、かつて戦まで巻き起こっていたという、曰くつきの伝説的な品もある。
だが、侍女らにはそれらがむしろ、彼女の美を抑え込むための拘束具のように見えてならなかった。
彼女を着飾る行為が完成された美を穢す、神への冒涜とさえ思えて皆、気後れしている。
経験の浅い幼い侍女に至っては、緊張のあまり手が震える始末であった。
その緊張のせいか、うっかりルクレツィア妃の玉のような肌に爪が引っかかってしまい、幼い侍女は恐れおののく。
「も、もも、もうしわけございません」
「――よろしくてよ」
鈴が転がるような、清涼で優しい声。
ルクレツィア妃の薄紫の瞳が、幼い侍女の顔をじっと見つめ――
「見かけないお顔ですね。身寄りのない平民の子が後宮入りしたばかりと聞きましたが、お前のことですね?」
「は、はい、きさきへいか」
舌足らずな幼い侍女の声は震え、今にも泣きだしそうだ。
ルクレツィア妃は目を細め、問うた。
「お前、名前は何というのです?」
「りゅ、リュイス、ともうします、きさきへいか」
赤みのかかった琥珀色の髪と鮮明な碧の瞳が愛くるしい、七歳か、八歳ほどの、まだ母親に甘えたい年頃の子供だ。
きっと怒られる、そう思った侍女リュイスはその目に涙を溜めて、身をすくめ震える。
「――ふふ」
しかし、ルクレツィア妃はリュイスの不手際を咎めたりはせず、微笑みかけては彼女の頭を優しく撫で、目尻に溜まった涙を指でそっと拭う。
そして、ルクレツィア妃は部屋の花瓶に飾られた一輪の花をリュイスの髪にそっと挿して言った。
「誰だって失敗はするものです。特に、お前のような幼子ならば尚更のこと。気にすることなく、次への励みにしなさいな」
「はっ、はいっ!」
安堵、そして憧れと喜びに目を輝かせる幼い侍女リュイス。
そして、そばかすが目立つ他の侍女が、彼女に「よかったね!」と祝福の言葉をかける。
侍女たちのやり取りを薄い笑みを浮かべ眺めたルクレツィア妃は、身支度が終わると、彼女らを一人ひとり労う。
これが国母の座す、後宮の日常の始まりだ。
仕事を終えて侍女らが退室すると、ルクレツィア妃は玉座と見まごう豪奢な執務椅子に向かい、彼女に任された政務に臨んだ。
現国王レオナルドが病で床に臥せて以来、内政はルクレツィア妃が、外交周りは王弟クリスティアン大公が代行している。
国王の不在――
由々しき事態だが、むしろレオナルドが国政全般を担っていた頃より、この二人による国政分担の方がずっと上手く機能しているため、王子への王位禅譲を急ぐ必要がなくなったほどである。
そのため、王子には社交界の経験を育み、勉学に励み、次代の王として相応しい成長を期待しての学園への入学が決まっている。
しかしながら、その王子の評判は今のところ芳しくない。
一部の熱心な王妃派の貴族たちは、このままルクレツィア妃を女王と推そうとする姿勢を見せており、王弟派の貴族らはそれに反発し軋轢が生じている。
当のルクレツィア妃本人はそれらの諍いには全くの無関心。
他人の思惑など気にも留めず、淡々とやるべきことをこなしている。
ルクレツィア妃が執務椅子に座り、気だるげに頬杖をつくと、女官たちがその前に並び立って次々と報告をあげた。
「財務大臣からの報告です。去年の西部地方での干ばつの影響は、妃陛下の先制的な支援によって極めて軽微で、この春の税収に大きな影響はないとのことです。
該当地域の領主、カンバネーリ子爵家より感謝状が届いております」
「ディラック伯爵家から、学園都市商業区への投資案が届いております」
「王都商人ギルドより、ディラック伯爵家とゴード商会の岩塩市場独占について苦情が届いており――」
取るに足らない報告が続く中、女官の一人が来客を知らせた。
「妃陛下。面会を求める馬車が来ております。『裏口』からです」
『裏口』。完全男子禁制のこの女の園において、唯一例外として秘されている外部との非公式的な謁見の場である。
文字通り密会の場。事前に与えてある印のある馬車は特別にチェックなしでこの後宮まで入ることができる。
当然、その特権が許されている人間は限られている。
「あら、そのような予定はなかったはずではなくて?」
「御者が言うには、グランスタイン家のご嫡子、ディートハルト様でいらっしゃると。『徽章』も確認済みでございます。
早急にご相談したい儀があるとのことでございます」
そこまで聞いて、ルクレツィア妃は直感的にアルトゥール公暗殺は失敗に終わったことを悟り、ドレスの裾に爪を立ててガリッと引っ掻くように握りしめた。
(依頼完遂の報告が予定より遅れていたから、ある程度は予想はついていたけれど……
あの冷血漢、アルトゥール……! ここまでしても仕留められないというの?)
ドレスを握りしめる手に込められた強い力。並々ならぬ強い感情――『恨み』がそこにあった。
しかし、ルクレツィア妃はすぐに平静を取り繕うと、誰に言うわけでもなくつぶやく。
「『雑貨屋』も、それに他の『市場組』のお二人も、実に優秀な方々でしたのに……残念でならなくてよ。
――ディートハルト。わたくしの見込み違いかしら」
ルクレツィア妃は表情を変えず、鈴を転がすような凛とした声で静かに命を下す。
「今日、ここにディートハルトなるお方はお見えになっておりませんわ。
それと――ユリアはどこかしら? ……急いで呼びなさいな」
◆◇◆
ユリア。
後宮に勤める、料理人の一人である。
浅葱色の髪を耳ほどの長さで切りそろえ、その精悍な顔には一切の表情はなく。
背の高いスラリとした体型で、一見美男子と見まごう人物だが、後宮に勤める以上、れっきとした女性である。
彼女は二十歳になったばかりで、若くして不治の病に伏せた母を世話する親孝行娘と、街では評判である。
だが、その裏の顔は体術を極めた無手暗殺の達人。
『凡俗の者ども』の一員で、二つ名は『料理人』である。
血痕などを残さず、標的を仕留めるため組織では重宝されている。
ユリアは、後宮の人気のない裏庭へ誘導された、標的――ディートハルトが乗る馬車へと近づいた。
依頼通り、ユリアは標的を始末すべく忠実に動く。まずは目撃者となる御者を仕留めるべく、滑るように地面を走り一瞬にして距離を詰める。
ユリアのすらりと長い足が伸びて、御者に反応する間も与えず、その顎を鋭い蹴りの一撃が打ち抜く。
哀れな御者の顎はその一撃で完全にひしゃげ、頭は180度回り、あらぬ方を向いた。
まさに一撃必殺。
しかし、その一撃を放ったユリア本人は違和感を覚えていた。
(おかしい、手ごたえがなさすぎる)
いくら不意を突いたからといっても、衝撃の瞬間は生き物であれば必ず反発があってしかるべきだ。
だが、この御者からはそれが全く感じられなかったのだ。
(まさか、死体――)
罠だとユリアが気づいた瞬間、馬車の下部に仕込まれた術式が発動した。
瞬間、地面に衝撃波が走り、地軸を揺るがす轟音が響き、一切の影を掻き消す閃光と共に馬車が弾け飛んだ。
ドォン!!!
火柱が天を衝く勢いで上がり、馬車は木っ端みじんになり、木片が宙を舞った。
たちどころに騒ぎを聞きつけた王宮の近衛騎士団が現場へと迅速に駆け付ける。
驚いたことに、爆心地の中心にいたはずのユリアは、咄嗟に馬を盾にしたうえ、爆風をも利用して大きく跳躍し、ほぼ無傷で難を逃れていた。
後宮の料理人が表の顔である彼女は、この場で近衛騎士に見つかるわけにはいかず、急ぎ現場から離脱した。
◆
離れた場所から、一部始終を眺めていた影の姿があった。
グランスタイン家の執事長、ロタールだ。
迅速に現場から離脱していく凡俗の者どもらしき人間の姿を、彼は興味深く見つめる。
「ふむ、無警戒で馬車に近づいたのはいただけませんが、今の若い凡俗の者どもも中々侮れませんな。
これだけ威力を上げた爆裂魔術でも仕留められませんか」
だが、そんなことは些細なことだ。ロタールの目的はもう達せられている。
「――とはいえ、全て手筈通り。
妃陛下、グランスタイン公爵家の嫡男は――確かに、ここで死にましたぞ」
大混乱に陥った王宮を尻目に、グランスタイン家の執事長にして影は、音もなくその場から立ち去った。




