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第17話 女傑たち②

 しばらくして――


 一同は破壊された執務室から応接間へと移っていた。


 イングリットのドレスを借りて着替えてきたアンゲリーカが応接間でテーブルを挟んでアルトゥール公たちと対面している。


 着替えるまでの間、何があったかは知らないが、アンゲリーカの後ろにはげっそりした顔のサーリアがふらつきながら立っている。


「先ほどは、大変失礼いたしましたわ」


 アンゲリーカが目を伏せ、粛々とそう謝罪の言葉を口にする。

 お淑やかに、深々と頭を下げるその姿は、先ほどまで暴走していた女と同一人物とはとても思えないものだった。


 編み込んで肩に垂らした、柔らかそうな亜麻色の髪。

 垂れ気味の優しい目元、そして宝石のように輝く鮮やかなエメラルドグリーンの瞳。


 そして、華奢なイングリットの少女趣味の花柄ドレスには納まりきらないメリハリの利いた、豊満な体。


 今にもはち切れそうな胸元を気にしながらも、姿勢を崩さず、凛とした姿。


 どこからどう見ても、深窓の令嬢然とした人物だった。

 そんな彼女にアルトゥール公は咎めるように言う。


「そう思うなら、今後は控えよ。お主が訪ねてくるたびにドアを壊されてはかなわん」


「申し訳ございません」


「よい。それより、本題に入ろう。

手紙を読んでいるなら、儂からの用向きは分かっていようが――」


「あら、どのような内容なのでしょう?

わたくし、最初の一行だけ読んですぐに駆けつけまして。内容はまだ分かっていないのです」


 応接間を静寂が支配する。しかしアンゲリーカは一切空気など読まず、続ける。


「さぁさぁ、アルトゥール様! わたくしにお頼みになりたいこととはなんでしょう? このアンゲリーカ、なんでも致しますわ!」


「……」


 絶句。アルトゥール公はこの女の、自分への狂信的な忠誠心をいささか侮っていた。


 手紙の内容を全て確認もしないうちに、『頼みたいことがある』との文言だけを見て、寝間着のまま飛び出しているのだ。


 この狂信者相手に、迂闊なことは口走ってはならない。

 この女は本当に『なんでも致す』かもしれないのだ。


「……まぁよい。此度、お主に手紙を送ったのは、こちらのミツハル――ラッセルをゲールハイト家の、お主の父君の養子として迎え入れてほしいからである」


 光玄は席を立ち、アンゲリーカに頭を下げ、礼を示した。

 光玄とアルトゥール公を交互に見ては困惑気味なアンゲリーカ。


「そちらの方を、我がゲールハイト家に? わたくしの義弟に、でございますか?

それが、わたくしに『お頼みになりたいこと』なのでしょうか?」


「うむ、どうだ。難しいことだとは思うが、ここは――」


 アンゲリーカの顔がみるみる歪み、涙ぐむ。


「そんなっ……あんまりですわッ! 何故、何故そのような……」


 正直なところ、これはかなりの無理難題だった。


 公爵家と比べて格の落ちる子爵家とはいえ、ゲールハイト家は古くからグランスタイン家を支え続けてきた、由緒正しい貴族家である。


 そこに、このカナン大陸で忌避の対象となる、黒ずくめの人間を養子として迎え入れろという。横暴と取られても仕方のない暴挙だ。


「うぅむ、さすがにお主でも難しいか。忘れよ、他を――」


「――何故、そのような簡単なことを頼まれるのですッ! ()()()ください!

アルトゥール様は、このような些事で軽々しく頼み事をされるべきではございませんッ!!」


「お、おぉ……」


 泣きながら捲し立てるアンゲリーカの剣幕に、アルトゥール公は情けない声を漏らし、気圧された。


(ロタールめ、手紙を送った際のあの微妙な反応はこのためであったか。

おのれ、年を喰らってからどうにも回りくどくてかなわん!)


 ある特命を言い渡され、この場にいないロタールに対して、アルトゥール公は心の中で恨み言を吐いた。


 最初、アンゲリーカへの手紙を送る際、ロタールが抱いた懸念とはこのことであった。


 おそらく、最初ロタールが書いた草案通り、命令調の手紙だったなら、彼女はここまですっ飛んでは来ずに、粛々と『命令』に従って光玄を義弟にしていただろう。


 『頼み事』と、どんな困難で過酷な使命を課されるのかと期待に胸躍らせて来てみれば、彼女にとってはあまりにも簡単極まりない事案だったのだ。


 狂信者アンゲリーカからしたら、どれほどガッカリしたことか。


「ええい、アンゲリーカよ! 泣くでない!」


 ピタリ


 アルトゥール公の言葉に、アンゲリーカはまるで何かのスイッチが切り替わったかのように、即座に泣き止んだ。


 そのあまりの変わり様にアルトゥール公の隣のイングリットなどは思わずびくりと身をすくめ、サーリアは更に顔を青褪めていたほどだ。


「望み通り、お主に命じる! こちらのラッセル(ミツハル)を、ゲールハイト家の養子として迎え入れよ!」


「はいっ! 直ちに!」


 打って変わって花が開いたように、アンゲリーカは満面の笑みを浮かべ、ペンを執った。


 それからのアンゲリーカの行動は早かった。隠居中の父へ、『当主命令』として脅迫じみた内容の手紙を書き、即決で光玄を義弟としたのである。


 伝書鳩が光となり飛び去るのを見届けたアンゲリーカは光玄と向かい合った。


「さて、貴男はこれでわたくしの義弟、ゲールハイト家の人間となりました。

ですが、わたくしは貴男という方を知りませんわ」


「然様でござろうな。――某は義姉上がどのようなお方かよくわかり申したが」


 最後の方の光玄のつぶやきは幸いか、アンゲリーカの耳には届かなかった。


「貴男にいくつか質問しましょう。

その一、盗人がアルトゥール様の財産を盗みに屋敷に入ってきました。それを発見した貴男の行動は?」


「当然、捕らえ首を刎ねまする」


「なるほど。

その二、賊どもがアルトゥール様の民を害しました。貴男の行動は?」


「無論、一人残らず首を刎ねまする」


「――なるほど。

その三、愚か者がアルトゥール様を侮辱しました。貴男の行動は?」


「地の果てまで追いかけ、首を刎ねまする」


「なるほど、なるほど。次が最後ですわ。

その四、もしアルトゥール様ご自身が道を誤り、暗君となれば?」


「――諫め、なお改められねば、お諫め出来なかった責として、某自ら腹を切りて死を以ってお諫め致す」


 うんうんと頷くアンゲリーカ。そしてくるっとアルトゥール公の方を向く。


「アルトゥール様! 彼、素晴らしいですわ!

義弟じゃなく、わたくしの婿として頂いてもよろしくて?」


「ならぬわ!」


「ほほ、冗談ですわ」


 そう冗談めかして言う、彼女の宝石のようにきらめくエメラルドグリーンの瞳は、今の言葉が冗談ではなく、本気であると物語っている。


 今年三十五歳。諸事情あって婚期を逃し、未だ彼女は未婚だ。


 古くから武門の家であるゲールハイト家は、最も武威のある者が家督を継ぐ習わしだ。


 彼女には兄が二人いるが、残念ながら彼らは武の才を母親の胎の中に忘れてきたらしく、アンゲリーカがその才をすべて拾って生まれてきてしまったのである。


 結果、彼女は兄らを押しのけ、更には年老いて覇気のない父までを当主の座から引きずりおろして自らが当主となったのだ。


 それほどの圧倒的かつ輝かしい才が彼女にはあったし、家中の者は誰一人反対の声を上げなかった。


 しかし残念ながら、今のところゲールハイト家には彼女の跡を継ぐべき、当主として相応しい武の才を持つ者はいない。


 兄らの子たち――アンゲリーカの甥と姪たちもまた、武の才には恵まれなかったのである。


 長年武を持ってグランスタイン家を支えてきたゲールハイト家の、武門の家としての終わりが緩やかに訪れている。


 それを危惧したアルトゥール公も、彼女の婿候補を長いこと探してはきたのだが――アンゲリーカの苛烈さについてこれる者など、皆無だったのである。


(正直なところ、悪くはないが……)


 アルトゥール公は並び立つ光玄とアンゲリーカを眺め、歯痒そうに眉間にしわを寄せて唸る。


 まだ光玄の実年齢ははっきり聞いたことはないが、言動を見るに彼はそれなりに歳を重ねており、この二人は恐らくは同年代。


 価値観も完全に一致し、共鳴し合っている。

 どちらも武を尊び、極まっている。

 すぐにでも縁談をまとめてもいいくらいだ。


(だが、ミツハルめは我が娘の()だ)


 メヒティルト夫人には誤魔化したが、アルトゥール公は光玄をイングリットの婿候補の一人として見ている。


 今はまだ無名騎士に過ぎないが、いずれ大陸中に名を馳せる大器であると、彼は確信している。


 グランスタイン家を次代へ導き、娘に寄り添う良き伴侶となってくれるかもしれない。


 彼とイングリットとはそれなりに年齢差はあるようだが、許容できる範囲だ。

 イングリットも、光玄に心を開いている様子。


(何にせよ、イングリットの意思次第であるな)


 押し付けはしない。イングリットにはヴィルヘルミーナのように、望まぬ婚姻に苦しんでほしくないからだ。

 これからの三年間の学園生活を通して、娘には自ら相手を選んでもらう。


 よほど人格に問題のある人物でない限り、アルトゥール公は娘の選んだ相手を婿として認めるつもりでいる。


(しかし、アンゲリーカをどうすればよいものか)


 依然としてアンゲリーカの婚姻問題はアルトゥール公の悩みの種だ。


 おそらく二度とない良縁の光玄は、己の娘のために絶ったのだ。


 もう義弟になった以上、光玄はアンゲリーカの配偶者にはなり得なくなったのだから。


(はぁ、もっとアンゲリーカの婿探しに本腰を入れた方がよかろうな。

ヴォルタ家ゆかりの者ならあるいは……)


 他の武門の家に丁度いい相手がいないか、考えを巡らせるも、やはり光玄ほどいい相手は思いつかない。


 そうアルトゥール公が頭を悩ませている一方で、成り行きを眺めていたメイドサーリアは――


(これ、ミツハル様のゲールハイト家養子入りのための面談では?)


 と、口にはせずに一人つっこむのだった。


 かくして光玄は名家であるグランスタイン家の次期当主に仕える騎士であると同時に、女傑アンゲリーカ・ゲールハイトの義弟になったのだった。


 ここに、騎士ミツハル・ラッセル・ゲールハイト卿が誕生した。



◆◇◆



 その夜。

 光玄は庭園に出ていた。

 義姉アンゲリーカに呼び出されたのである。


 アンゲリーカは、光玄の顔を見るなり顎をしゃくって、地面に刺さった木剣を指した。


 武門の家を預かる当主として、光玄の力がどれほどのものか見てみたいのだろう。


 彼女の意図を察した光玄は、木剣を引き抜こうとしたが、それは尋常ならざる力で半ばまで地面に深々と刺さっており、びくともしない。


(なんという膂力か! まるで根差した木の如し!)


 光玄がそれをやっとの思いで引き抜くと、アンゲリーカは自分の木剣を片手に、ゆっくりと光玄の向かいに進み、立った。


「ラッセル。昼間の問答は素晴らしかったわ。

わたくしの義弟としては、満点と言えるでしょう」


 彼女はそう語りながら木剣を軽く振るう。

 ブオッと、空気が切り裂かれ、その余波が十歩ほど離れたところに立つ光玄にまで届いている。


 やはり、見れば見るほど、常識では語れない女だ。


 身長は光玄よりも高く、身体つきは豊満なれど、他の女性と変わらぬ細腕。

 身に纏うはイングリットから借りた、花柄の少女趣味なドレス。

 手に持つ無骨な木剣があまりにも不釣り合いであるのに、何故かそれがあまりにも似合っている。


 アンゲリーカはその切っ先を光玄に向けてくる。


「――ですが、口先だけなら、なんとでも言えるでしょう。

来なさい、ラッセル。我がゲールハイト家の男児として相応しいかどうか、見せてもらいますわ」


 距離は十歩以上ある。

 しかし、光玄は喉元に抜き身の刃を押し当てられた錯覚を覚えた。


「――ただの手合わせだと思っていたら、死にますわよ」


 尋常ならざる殺気。木剣なれど、彼女なら容易く相手の命を奪える。

 彼女は、光玄が口先だけの軟弱者ならば、この場で殺してしまうつもりなのかも知れない。


 アンゲリーカは、女傑などという言葉で簡単に言い表せる存在ではない。

 武の極みを体現する存在だ。


 光玄だって、剣の才に恵まれ、数十年もの人生を剣に捧げ研鑽を重ねてきた身。

 それなのに、アンゲリーカを前にすると、遥かな高みから見下ろされている感覚に陥ってしまう。


 光玄が足が竦む思いをしたのは、生まれて初めてのことだった。


「ふ、ふははっ」


 光玄の頬に深く笑みが刻まれ、口からは笑い声が漏れる。それは喜悦なのか、虚勢なのか。


 一向に打ち込んでくる様子のない光玄を前に、アンゲリーカは左足をゆっくり引き、半身となって構えを取った。


「――どうしたのです? 来ないのなら、わたくしの方から行きますわよ」


 アンゲリーカの足が地面を蹴り――

 壁が、迫ってきた。


 否、迫ってきたのは、彼女が振るった木剣だ。

 一瞬にして彼我の距離を(ゼロ)にする凄まじい脚力。

 あまりの剣圧、躊躇なき一閃。


 それらが合わさり、まるで壁が迫ってきたように感じたのだ。

 壁を受け流すことなど、できない。


 光玄は敢えて彼女の懐に向かって飛び込んだ。


 直後、ゴォオッ、と背後で(木剣)に押しつぶされた空気の悲鳴が響く。


 そのまま、アンゲリーカの脇をすり抜け、空いた脇腹を斬りつけようとして――

 その直前に、全力で横っ飛びして地面を転がった。


 丁度、光玄の頭があった所を、アンゲリーカの華奢な足が通り過ぎる。


 一拍遅れて、ブワッと風が届き、光玄の頬を叩いた。

 凄まじい脚力だ。回避せず、そのまま喰らっていたら、光玄の頭は粉々に爆ぜていたかも知れない。


「素晴らしいわ、ラッセル。

相手の懐に飛び込む胆力、瞬間の判断力、どれも優れていてよ」


 そう賞賛の声をかけながらも、アンゲリーカは止まらない。


「けれど、攻め手に欠けるのではなくて?

さぁ、わたくしを止めて見せなさい!」


 体勢を整える間もなく、長大な柱(木剣)が横殴りに迫ってくる。


「ぬぅうっ」


 光玄は歯を食いしばり、身をよじって、それをギリギリのところで回避する。

 通り過ぎた長大な柱(木剣)から生じた風圧に、体が泳がされそうになる。


 彼女の剣の速さ自体は、先日のクリッキング・ソーという魔物よりは劣る。

 対応できないほどではない。


 だが、そこに上乗せされた出鱈目な膂力が、光玄の得意とする受け流しという選択肢を潰してくる。

 恐らく、剣と剣が触れ合った瞬間、押しつぶされるだろう。


 更に、彼女の常識外れの身体能力が、通常では考えられない無茶な動きを可能にしている。

 剣を振るう最中、全く体幹がぶれずに必殺の蹴りを放ち、隙を潰してくるのだ。


 光玄をしても、彼女の動きを完全には読み切れない。


 相性が最悪だ。

 いかに光玄が剣の達人であっても、動く壁のような存在を前にしては打つ手なしだ。


 だが、依然として光玄の顔に浮かぶ笑みは崩れない。

 むしろ、犬歯を剥き出しにし、獰猛なものへと変わっている。


(良い! 実に良い!

感じ取るのだ! 一拍速く動き、一歩深く間合いへ踏み込む!)


 そのまま、追撃へ移ろうとするアンゲリーカの懐へ踏み出す。

 さっきの二の舞、今度は膝蹴りが飛んでくる。


 だが今度は先より速く、深く踏み込んで、彼女の軸足を狙う。


「――!」


 驚いたことに、アンゲリーカはその姿勢のまま、軸足だけの力で後ろに跳躍し、光玄との距離を離した。


 不安定な姿勢だったにもかかわらず、柔らかく着地したアンゲリーカは、優雅にカーテシーをするほどの余裕を見せつける。


「――ここまでにしましょうか。わたくしの負け、ですわ」


 見たところ、アンゲリーカは全くの無傷。息も乱しておらず、汗の一滴も流していない。

 対する光玄は冷汗なのか、今のわずかな攻防だけで汗だくになっている。


 それでも、アンゲリーカはあっさりと己の負けを認めた。


 その脇腹――花柄のドレスには、木剣によるものとは思えない鋭い切れ込みが入っており、その下から覗く彼女の白い肌には赤いミミズ腫れが走っている。


「驚きましたわ。あの一瞬、更なる一撃を重ねてくるなんて。

認めましょう、ミツハル。ようこそ、ゲールハイト家へ」


 呼び名が他所向きの『ラッセル』から『ミツハル』に変わっている。

 どうやら、彼女は光玄を真の意味で家族として受け入れたようであった。


「……」


 しかし、対する光玄は青ざめており、頭を抱えている。


「どうかなさいまして? 手ごたえはなかったのだけれど?

もしかして、どこかに当たっているのかしら?」


 光玄は震える指先で、アンゲリーカの脇腹を指す。


「い、いんぐりっと殿の召し物が……」


「あっ」


 慌てて、ドレスの損傷部位を確かめるアンゲリーカ。

 運の悪いことに、ちょうど可愛らしい花柄が真っ二つになってしまっている。


「……ミツハル。裁縫は得意でして?」


「長年、笠を織ってはおりましたが、裁縫はあまりしたことがありませぬ」


「――それなら、わたくしよりはマシでしょう。さぁ、早く部屋へ。

サーリアちゃんあたりにバレる前に直しますわよ!」


 先ほどの激しい手合わせの時とは打って変わって、二人は揃って忍び足で屋敷へ戻り――

 間の悪いことに、ちょうど風呂から上がったばかりのサーリアと、ばったり出くわしてしまった。


 主のお気に入りのドレスを傷つけた二人に対するサーリアの怒りは烈火の如く。


 サーリアがそれを修繕する間、二人は彼女の怒涛のような口撃に曝されるのだった。

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