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第15話 目覚め②

 その晩――


 リリアーレは眠れず、一人外の水場にいた。

 寝てなどいられない。彼女の頭の中は『ひかあふ』とディートハルトのことでいっぱいだ。


 冷たい風も気にならない。


 むしろ頭が冴える。


 リリアーレは、知る限りの『光溢れる彼方へ君と共に』の情報を必死に思い起こし、状況把握に努めた。


 乙女ゲーム『光溢れる彼方へ君と共に』――通称『ひかあふ』。


 かつて人気を博した『光溢れる彼方へ』という名の長編ファンタジー小説の学園編である、第二章・芽吹く魔の息吹を元にした乙女ゲーム。


 ――原作小説は厳密にいうと、乙女向けの物語ではない。

 中世ヨーロッパの陰鬱な暗黒時代を元に構築された、重厚な世界観のダークファンタジー小説だ。


 しかし、挿絵担当が耽美的なイケメンを描かせたら右に出る者がいない、女性向け作品の超売れっ子イラストレーターだった。


 そのため、小説の暗く、硬派な内容に反して、女性ファンが圧倒的多数を占めるという逆転現象が起きていたらしい。


 予想をはるかに超える数の女性ファンがついたのを見た出版社のお偉いさんは、これを使わない手はないと思い――乙女向けとして安直なスピンオフゲーム化を押し進めた。


 そうして誕生した『光溢れる彼方へ君と共に』は、豪華声優陣に加えて原作小説版のイラストレーターをそのまま起用したことで話題を呼んだ。


 しかし、そのご都合主義な展開とマイルドすぎる仕上がりは、硬派な原作ファンの逆鱗に触れた。


 『原作へのリスペクトが足りない』だの『コレジャナイ』だのと、彼ら彼女らからは大バッシングを受けることになったのだ。


 それでも、絶望に彩られた世界観は一部踏襲された。


 原作のキャッチコピー――『どんな絶望に満ちた世界でもきっとあなたを見てくれる人がいる』も継承され、先の見えない現代社会に疲れたお嬢様方に強く刺さる内容となった。


 艱難辛苦、絶望的な状況でヒーローたちが手を差し伸べる――

 まさに『光溢れる彼方』へ導いてくれる、スパダリっぷりが大いにウケた。


 かつての浩子――リリアーレもまた、その物語に救われた一人であったのだ。


 こうして、乙女ゲーム『光溢れる彼方へ君と共に』は、商業的にはある程度の成功を収めることとなった。


 だが、話はそこで終わらなかった。


 ――後年、原作小説『光溢れる彼方へ』の熱烈なファンの一人がゲーム開発会社のディレクターとなった。


 ディレクターは大好きな物語の、安直な乙女ゲーム化に対する積年の恨みを晴らすがごとく、周囲の反対を押し切り、『ひかあふ』のリメイク化を断行。


 原作小説に忠実な『ひかあふ』ワールドを再現し、件のディレクターの所属した会社がシミュレーションゲームの名家だったこともあって、リメイク版はただの乙女ゲームの枠に収まらない、本格的なシミュレーションRPGへと生まれ変わっていた。


 多くのシーンにおいて、良かれと選んだ選択肢によっていずれかの登場人物が死亡したり、選択肢によって何者かが不幸になるのが目に見えて分かっていても、推しの好感度のためにそれを選べるか否か――


 プレイヤー自身の『人間性』が問われる選択肢が多数存在するなど、見事に再現された原作小説の世界観は、多くの『ひかあふ』原作ファンを唸らせた。


 これらの試みは原作小説ファンだけでなく、本格的なゲーマーにも評価され新規ユーザー獲得に成功していた。


 世間一般では『ひかあふ』のゲームと言えば、無印の旧作ではなく、このリメイク版という認識が支配的であったほどだ。


 リリアーレ個人としては、純粋な乙女ゲームだった無印版とはさまざまな仕様が異なるリメイク版に対して、多少微妙な思いを抱いていた。


 それでも、リメイク版にて正式攻略対象に昇格となったディートハルトの存在に釣られ、パワーアップしたストーリーに当時のリリアーレはまた夢中になった。


 無印版ほどではないものの、彼女はライトゲーマーなりに何周もプレイし、またもや見事にハマったのだった。


 リリアーレは、この世界が『ひかあふ無印版』か、それとも仕様が異なる『ひかあふリメイク版』なのか――冷静に推理し始めた。


 無印版では、ゲームスタート地点は十七歳の春、『主人公の学園入学』からチュートリアルが始まったはずだ。

 孤児出身の主人公の辛い過去はダイジェストで流されるのみだ。


 対して、リメイク版では十歳の『孤児時代』から物語が始まり、チュートリアルと共に丁寧に描写され、追体験することとなる。


 そして、現状リリアーレは十歳の孤児として、過酷な孤児院生活を送っている。


 どんよりした、異様にリアルで、息苦しいダークファンタジーの世界。


 つまり、ここは『ひかあふリメイク版』或いは、『原作小説版』の世界である、とリリアーレは結論づけた。


 次に、最も大事なこと。この世界における自分は一体何者なのか――


 そのヒントは、リリアーレという自分の名前にあった。それは乙女ゲーム『ひかあふ』における『主人公』の公式名だったのだ。


 乙女ゲームの仕様上、主人公の名前はプレイヤーが自由に設定するため、デフォルトネームは設定されておらず、空欄である。


 そのため、ちらっと流し読みした、公式資料集に書かれている主人公の公式名など、覚えているはずもなかったのだ。


 もっと早く気づけていれば――と、リリアーレは悔しさに唇を噛んだ。


 無印版より過酷で容赦のないこの世界なら、一日たりとも無駄にはできないというのに。


 ――それからのリリアーレの行動は速かった。


 部屋に戻ると、寝支度をしていたニーナに自分のうなじをみせた。


「ねぇ、ニーナ。この辺なんかヒリヒリする。虫かなんかに刺されたのかな」


「んん? こんなさむいのに虫ぃ? どれどれ」


 ニーナは目を凝らしてリリアーレのうなじを見つめる。


(アタシの記憶が確かなら、きっと『アレ』があるはず)


「なにこれ、あざ? なんか変な形。なんか雷? みたい」


(やっぱりあった! 『雷紋(らいもん)』!)


 心の中でリリアーレは歓喜する。

 そして変なものを目にした世話焼きの少女は当然それを放置しない。


「せんせいに言ってくるね」


 ニーナが報告しに行ってから、しばらくして――

 荒々しくドアが開かれ、先生が見慣れない恰幅のいい男を伴ってやってきた。


 いつも子供たちに強圧的だった先生は、その恰幅のいい男の前では借りてきた猫のように身をすくめている。

 恰幅のいい男は先生を鋭く睨みつける。


「普段、しっかり子供たちを管理していないのかね? あざや斑点などにはしっかり目を光らせておきなさいと言っているだろう」


「も、申し訳ございません、院長。うなじまでには気が回らず……」


 汚いと言って、子供たちの髪に触れる事さえ厭うような男だ。

 うなじ深くに埋もれている小さな痣などに気づけるはずはないのだ。


 先生の弁解に、恰幅のいい男――院長の表情が更に険しくなる。


「伝染病だったらどうするのかね? 昨年、他の孤児院で『黒き神の呪詛』が出たばかりだろう」


 先生の顔は青を通り越して白くなってきている。


「まぁいい、この娘のうなじを見せたまえ」


 先生は院長の命令に従って、リリアーレの後ろ髪を乱暴に掴んでうなじを晒した。

 しばらく目を凝らしてそこを見つめていた院長の顔から、次第に表情が消えていく。


 そして、院長は先生の手を強かに叩き、リリアーレを解放した。


「さぁ、リリアーレちゃん。ちょっと、他の部屋でお話ししようか」


 先ほどと打って変わってにこやかな顔に、猫なで声。

 院長の気持ち悪いくらいの変わり身に、部屋の全員はあっけにとられる。


 リリアーレだけを除いて。


「はい」





 にこやかな顔の院長の後に続いて行った部屋は、寒々とした孤児院の他の部屋とはまるで別世界だった。


 暖かい暖炉の光。柔らかなカーペット。清潔なベッド。


 部屋に着くなり、院長は使用人を呼び出した。


「いいかね、すぐに彼女を風呂に入れなさい。香油も惜しまずに使うのだ。絶対に粗末に扱わないように。いいね?」


 念を押す院長に使用人は頷き、リリアーレの手を引いて風呂へ向かった。


 風呂に入れられ、リリアーレが使用人に洗われる最中、隣の部屋から院長と先生の話し声が漏れ出ていた。


「一体、どうしたというんです? あの痣はなんですか? 病気などではないんですか?」


「あれは『雷紋』だよ。君も話ぐらい聞いたことはあるだろう?」


「あの大英雄、『霹靂帝』の!?」


 霹靂帝ヘンドリックス。大陸覇権国家カルスタイン帝国の現皇帝。

 長きにわたる戦乱の世を終わらせ、二度目の黒き神の呪詛の大流行を終息へ導いた、人族の未来を守った大英雄。


「その血を引く者にのみ顕れる紋様なのだよ。ふふっ、思わぬ拾い物をしたものだ」


「しかし、リリアーレは娼婦の子供です。それほど価値があるとは……」


「当然、政治的価値はないとも。母の出自が卑しすぎる。

さすがに、高位貴族の方々は食いつかんだろう」


「でしたら」


「但し、子のいない下級貴族の方々なら、霹靂帝に縁のある子は喉から手が出るほど欲しがるはず。早速、リリアーレの養子縁組を始めたまえ」


 要するに、リリアーレは家を飾る手頃なステータスになる。

 何せ霹靂帝は、人族の未来を守った稀代の大英雄だ。その実子の養子縁組はすぐにでも決まる。


「は、はい」


 そんな話を聞きながらリリアーレは自分のうなじに触れる。

 記憶にある通りの展開だ。


 本来の展開とは時期がかなり違うが。


 リリアーレの記憶にある本来の展開なら、十六歳になるまで養子縁組が決まらず、主人公は娼館に売られることになる。


 その娼館入り前夜、身体を検める段階でようやく霹靂帝の私生児であることが発覚し、急遽ある子爵家への養子縁組が決まるというのが、『ひかあふリメイク』の最序盤の展開である。


 風呂から上がったリリアーレは化粧台の前に座らされ、ボサボサの髪を整えてもらった。


 しばらくして、綺麗に磨かれた化粧台の鏡に映った少女は、この短時間で見違えるほどの変貌を遂げていた。


 さすがに骨ばって痩せた身体はすぐどうにかできるものではないが、垢を落とし、髪の毛を綺麗に整えただけで、眩しいばかりの美少女に早変わりしていたのだ。


(さすがは乙女ゲーの主人公(ヒロイン)。元々の出来が違うのよね)


 前世の浩子の顔立ちも際立って整っていたが、このリリアーレが持つ潜在力はそれ以上だ。


 どういう因果で大好きな物語の主人公として転生できたのかはリリアーレには分からない。

 だが、流されるがまま生きていた前世とは違う。

 今度は、リリアーレ自身の手で人生を動かしていけるのだ。


(今度こそ、上手く生きる。そして、ディートハルトに会う)


 出来上がった『商品』を満足そうに眺めた院長は、猫なで声でリリアーレに話す。


「さぁ、これからは新しいご両親に会うまで、この部屋を使っていいよ。お仕事にもいかなくていい」


 そして手を顎に当てて、不躾な目でリリアーレの身体を見つめ、隣の使用人に言った。


「もう少し見栄えをよくしなくては。明日からリリアーレの食事は朝・昼・夕、三食出しなさい。毎日ちゃんと風呂にも入れるように」


「はい」


 使用人がそう淡々と返事すると、院長は微笑みを絶やさず、先生と使用人を伴って部屋から出ていく。


「では、お休み。今日はしっかり休むのだよ」


 一人になる。リリアーレは途端に心細くなった。


「あの、ニーナは?」


 その名を聞いた院長は立ち止まり、顔だけをリリアーレに向けて言った。


「君はあのような者を気にする必要はない。

――もう会うこともないのだからね」


 院長はそう寒気がするほど抑揚のない声で返事し、ドアを閉めて出ていった。


 一人になったリリアーレはベッドに入り、シーツに包まる。

 羽毛か何かで詰められたベッドはふかふかで、シーツはしっかり洗濯が行き届いていてお日様の香りがする。


 暖炉の火で部屋はほかほかと温まっており、快適そのものだ。


「……ニーナ」


 どこか心の片隅に、穴がぽっかり空いた気分。

 たった数日一緒にいただけの少女。


 はっきり言えば、モブ。NPCだ。


 だが、もう会えない。そう思うとどうしてか不安で心細くなった。


 リリアーレは予定されていた運命を六年も前倒しにし、手繰り寄せた。

 それでもこの晩、彼女は眠れぬ夜を過ごすのだった。



◆◇◆



 それから一週間後。


 早速リリアーレの養子縁組が決まった。


 相手はグラントリア王国の西部穀倉地帯を領地とする裕福な地方貴族、カンバネーリ子爵家。


(ゲーム版と同じ家ね。いわゆる、シナリオの強制力ってやつかな)


 運命のタイムスケジュールを変えても、リリアーレを養子に迎えに来たのはゲーム版と変わらない、カンバネーリ子爵夫妻だった。


 早速リリアーレと対面した夫妻は喜色を浮かべる。


「まぁ、なんて可愛らしいのかしら!」


 今日から義母になるカンバネーリ夫人がリリアーレの手を取って柔らかく微笑む。

 見た感じだと、四十代を超えている。


 いつまでたっても子ができずに焦っていたところに、あの大英雄の血を引く子供の話を聞いてやってきたのだ。


 リリアーレは表情を作る。


 礼儀正しく落ち着いた雰囲気? それとも利発で賢そうな雰囲気?


 カンバネーリ夫妻をよく観察する。


(この感じだと、そのどちらでもないかな)


 長年子供を求めてきた夫妻に一番刺さるのは――


「はじめましてっ、リリアーレです!」


 元気よく、子供らしく。相手が貴族だからって変に礼儀作法を気にしない方がいい。

 たかが孤児でしかない今のリリアーレにそんなものは求められていない。


 顔の筋肉を緩め、自然な笑顔を作る。

 外面を取り繕うのは前世からの得意中の得意技だ。


 相手に合わせて仮面を付け替えるのも。


 実際、隣に控える院長や先生などは目を丸くしている。


 リリアーレのその『仮面』に魅入られたように、カンバネーリ夫人は優しく彼女を抱き寄せた。


「ああっ、なんて愛らしいのかしら。ねぇ、あなた」


 夫を見つめるカンバネーリ夫人。その声は涙ぐんでさえいる。


「ああ、わかっているとも。院長、彼女を早速我が家の養女として迎え入れる。こちらは約束の手続き金だ」


 同伴していたカンバネーリ家の執事らしき男がトレーに大きな革袋を乗せ、院長の前に置いた。

 そしてそれを前に恐縮している院長に続けて言う。


「――確かめなさい」


 ようやく院長は頭を深々と下げると、震える手で革袋の口を開き、息を飲んだ。


 中には眩しいばかりの金貨がぎっしり詰まっている。数百枚。下手すると一千枚にまで届きそうだ。


「こ、これは」


「おや、足りないのかね?」


 一瞬、院長の顔に欲の色が滲むが、すぐに彼はそれを掻き消した。


「いいえ、とんでもございません! むしろ多いくらいで……」


 瞬間、院長を見つめるカンバネーリ子爵の表情に、毛虫でも見るような嫌悪感が露わになる。


「今回の養子縁組の際こちらの孤児院『栄光の殿堂』を少し調べさせてもらったのだが――あまりにも劣悪に過ぎる。

毎年、ルクレツィア妃陛下より多額の寄付金を頂いているはずだが?」


 びくりと院長と先生の肩が震える。


「今回、手続き金を多めに用意したのは、この孤児院への寄付も兼ねているのだ。

()()()がこんな劣悪な環境に身を置いていたなど、我慢ならんのでね」


 『我が娘』と口にしながらちらりとリリアーレを見る子爵の顔は、実の娘を見るような慈愛に満ちたものだ。

 同時に、院長に対しては研ぎ澄まされたナイフが如く、鋭い視線を向けている。


「――寄付金の使用用途は報告させてもらうよ。いいね?」


 そう視線以上に冷たい声で詰められた院長は、生きた心地がしないようで、その恰幅のいい身体を震わせ、返事をするのがやっと。


「はっ、はいっ。必ずご報告させていただきます!」


「よろしい。では、私たちはこれで失礼させていただく。

リリアーレ、お荷物はそれだけかな?」


 院長への厳しい口調とは打って変わって、子爵は柔らかい声でリリアーレに尋ねた。


 リリアーレの私物は小包が一つだけ。

 この孤児院に捨てられた時、手に持っていたものらしい。


 中身は古いリリアーレの産着。捨ててしまっても良さそうなものだったが、ゲーム版だとこういう何気ないアイテムが後々重要になることもままある。


「はい、だいじなものなんです」


「お母様との思い出の品ですのね? なら、大事にしなければなりませんわ」


 何やら産みの母親との思い出の品なのかと都合よく解釈したのか、カンバネーリ夫人は涙ぐんでリリアーレを優しく抱きしめる。


 この世界での産みの母の顔は全く覚えていない。だがリリアーレはそんなことはおくびにも出さず、大事そうに小包を胸に抱きしめた。


 そんなリリアーレの頭をカンバネーリ子爵が優しく撫でる。


「さぁ、出発の前にお友達や世話になった人たちに挨拶をしてきなさい」


「いいんですか?」


「もちろんだとも」


 子爵にぺこりと礼をしたリリアーレは、すぐにニーナの元へ走った。


 たった数日留まった、寒々しい六人部屋。

 荒々しくドアを開け放ち中へ。


「ニーナ!!」


「わっ、びっくりしたぁ!」


 急に大声で名前を呼ばれたそばかすの少女が目を丸くしてリリアーレを見ている。

 どうやら誰なのか分かっていない様子だ。


「アタシよ、リリアーレ!」


「えっ、リリアーレちゃん!? す、すごい綺麗! お姫様みたい!」


 ニーナは目を輝かせてリリアーレを見つめる。


「う、うん。あの、ね。実はニーナにお別れを言いに来たんだ」


「……そっか」


 小綺麗になったリリアーレの姿から事情を察したのだろう。

 ニーナは少し寂しそうに笑い――


「よかったね!」


 と、そのそばかすだらけの顔に満面の笑みを浮かべた。

 途端にリリアーレは泣きそうになった。


 この世話焼きの優しい女の子にはもう二度と会えなくなるからだ。

 ――身分や家の問題じゃない。


 ゲーム知識を持っているリリアーレは知っている。


 主人公(リリアーレ)と同室の世話焼き少女は、この冬、不治の病『黒き神の呪詛』に侵され命を落とすことになることを。

 本人に自覚のないまま、既にその身が病に蝕まれ始めていることを。


「リリアーレちゃん、元気でね!」


 リリアーレは喉が詰まって、上手くお別れの言葉が出なかった。

 結局絞り出したのは――


「……またね」


 それが精いっぱいだった。


 逃げるようにニーナと別れ、孤児院から出たリリアーレは、もう一人世話になった人に挨拶をすべく、その姿を探した。


「ドルトンさん……」


 だが、いつもの工事現場にその姿はない。

 近くにいたレンガ係りの話によると、グランスタイン領から送られてきた石材の管理のため、他の現場へ行ったとのことだった。


「……おじいちゃん」


 ドルトンは中年ではあるが、おじいちゃん呼ばわりされる年齢ではない。

 だが、リリアーレはあの日、乱暴に頭を撫でるあの手に、かつての祖父のソレを感じていたのだ。


 最後に一言だけ、お礼を言いたかった。でも、あまりカンバネーリ夫妻を待たせるわけにはいかない。


 ドルトンに会えないなら、もう会うべき人はいない。


 リリアーレは、後ろ髪を引かれる思いで、カンバネーリ夫妻の待つ馬車へ向かったのだった。

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