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第12話 動き出す運命①

 泣き疲れて眠りについたイングリットをサーリアに預けて光玄が執務室に戻ると、出ていった時同様、アルトゥール公は天井を仰ぎ、メヒティルト夫人ははらはらと涙を流していた。


 執務室に入ってきた光玄の姿を見て、ロタールが駆け寄る。


「ミツハル様。お嬢様は?」


「お疲れの様子。さぁりあ殿がお部屋へお連れし、お休みになっておられまする」


「――一度にあまりにも色々な事が起きたのです。無理もありませんな」


 それまで天井を仰いでいたアルトゥール公が、視線を光玄に向けた。


「ミツハルよ、そちらに座れ。今後の話がしたい」


「ハッ」


 アルトゥール公に促され、光玄はソファに座る。


 姿勢よく座るその姿を見てゆっくりと頷いたアルトゥール公は、未だ涙を流すメヒティルト夫人の肩に優しく手を置いて話しかける。


「メヒティルト。辛いようなら、君は部屋で休んでいるといい。体に障ってはいかん」


 その言葉を受け、メヒティルト夫人はハンカチで涙を拭うと居住まいを正した。


「いいえ、わたくしもお供させてください」


「……すまないな」


 そして、アルトゥール公はメヒティルト夫人と共に、ティーテーブルを挟んで光玄の向かいに座ると、真っすぐ彼を見据えた。


「此度、嫡男を放逐したことで次期当主の座はイングリットのものとなったわけでな」


 早速今後の話を切り出すアルトゥール公。

 既にその顔には、先ほどの息子との訣別による陰りは見られない。


「――あの子が次期当主となるからには、他家から婿を迎え入れることとなろう。

従って、王家への嫁入りはできぬ。王子との婚約は近日中に破棄するつもりだ」


 その言葉に、光玄の目つきが鋭くなる。


「婚約破棄ですと……?

御屋形様、ついに立たれるのですな」


「何の話かな」


 政略結婚の破棄。つまり、王家への人質を送らぬと決めたのだ。

 それすなわち――


「いよいよ王家と袂を分かち、覇道を歩まんとされると」


「覇道? 違うが?」


 覇道とはどういうことか。突拍子もない話を口にした光玄を、アルトゥール公は胡乱げな瞳で見つめる。


「皆までおっしゃいますな。この光玄、心得てございまする」


 アルトゥール公は隣に控えるロタールを見つめる。老執事は薄く笑みを浮かべ、首を横に振るだけ。

 光玄への尋問の結果は報告を受けている。

 なんでも、アルトゥール公に天下(せかい)を取らせるなどと宣っていたらしい。


 アルトゥール公は嫌な予感を覚える。

 光玄は王家とこれから一戦交えるとでも考えているのか。

 残念ながら、アルトゥール公にはそのような野心もなければ、今のグランスタイン家にそんな力はない。


「――何を心得た。何を考えているにせよ、おそらく違うぞ」


 どこか興奮気味な光玄を、手をあげ宥めたアルトゥール公は、小さな革袋を一つ、光玄に差し出してきた。


「これは?」


「我がグランスタイン家に仕える以上、お主に給金を出さねばなるまい。

お主の貢献には到底値しないものだが、気持ちとして受け取ってもらいたい」


 そう言って、アルトゥール公は革袋の口を開いて中身を見せてきた。


 金銀の硬貨が数十枚、詰められている。


 光玄は前世でも今でも、貨幣の価値は今一つ分からない。


 というのも、光玄は日ノ本にいた頃、笠を売った対価として、もっぱら米をもらっていたからだ。


 時折、用心棒をしたり、ならず者を成敗するなどして、お礼に何回か銭をもらったことはあったが、それも即日米などに変えていたため、手中に金銭があったことは稀であった。


 そんな光玄の様子に気づいてか、アルトゥール公は説明を付け加えた。


「それだけあれば、平民の三ヶ月分の生活費となろうな。計画的に使うように」


「ハハッ、ありがたき幸せ!」


「それと――」


 アルトゥール公はその革袋から、硬貨を種類別に一枚ずつ取り出してティーテーブルの上に並べた。


 白金貨、金貨、銀貨、銅貨。


 全て何者かの横顔が彫られている。


「さて、ミツハルよ。この者どもこそが、このグラントリア王国の頂点に立つ王家の人間である。

その中でも特に覚えておくべき者が、この二人だ」


 アルトゥール公の指がまず銅貨を指さす。


 緩やかにカールした髪型、丸っこい顔、優し気な目元に、整えられた口髭。


「この男は王弟、クリスティアン大公だ。

人畜無害な顔をしておるが、こう見えて執念深く、悪辣な男である。

儂の若かりし頃よりの悪縁でな、当家を目の敵にしておる」


 続いて、銀貨を指さす。


 そこには、麗しい乙女の横顔が彫られていた。

 柔らかそうな髪、長く豊かな睫毛、まっすぐ前を見据えた意思の強そうな眼差し。

 目、鼻、口、どれをとっても完璧という言葉が相応しいかんばせである。

 小さい銀貨ながら、その美を表現すべく金型職人が苦心した痕跡が見て取れるほどだ。

 この銀貨の顔が誇張されていなければ、まさに天女というべき美貌の女性だろう。


「銀貨の流通量が最も多い故、これから嫌でも目にするであろう。

この女こそが王妃、ルクレツィアだ。今回、ディートハルトを唆して儂を亡き者にせんとした者こそがこの女だ」


 その銀貨の美しい顔を、まるで毛虫でも見るような目で見下ろし、アルトゥール公は続ける。


「言っておくが、こやつの美貌に騙されてはならんぞ。

恐ろしく頭が切れる上に、人心掌握術を心得ておる。

さらに、剣を握ればその実力は剣聖に匹敵するとも言われ、まるで隙が無いのだ」


 光玄は銀貨に穴が開く勢いで見つめる。


(ほう、剣聖とな? 相まみえるのが楽しみにござるな)


 光玄のギラつく瞳に一抹の不安を覚えながら、アルトゥール公は説明を続ける。


「――金貨は、今は重病で床に臥せている現国王のレオナルド。

こやつに代わって国政を二分しているのが、先ほどのクリスティアンとルクレツィアだ。

そして最後の白金貨は建国王、グラントリウスだ」


 アルトゥール公の口ぶりからは、現国王と建国王への敬意など微塵も感じられない。

 それどころか、現国王レオナルドに対しては憎しみさえ滲み出ている。


 アルトゥール公の説明に頷きながらも、まだ熱心に銀貨を見つめていた光玄が素朴な疑問を口にした。


「しかし、そのるくれちあ殿が、いんぐりっと殿を庇護対象として見ている。というのは少々可笑しな話でございまするな」


 凡俗の者どもの三人組がヴィジョンの映像で話していたことが引っかかっていたのだろう。

 イングリットは妃陛下の庇護対象である。どうにも、人物像が上手く掴めない。


「……そこだけは、儂としても理解できぬ。

ディートハルトの話によれば、あの女はイングリットと王子との婚約の提案に二つ返事で承諾したそうなのだ。

むしろ、宰相などの重臣の説得にだいぶ手こずったらしいからな」


 アルトゥール公は髭を弄りながら考え始める。

 そして、やや歯切れ悪そうに話を続けた。


「――一つ考えられることは、イングリットがヴィルヘルミーナと顔立ちがよく似ている、ということぐらいか」


「びるへるみぃな殿、でござるか?」


 ここにきて初めて聞く名前だ。

 その名を自ら口にしておいて、アルトゥール公は痛みを堪えるよう顔を歪め、光玄の問いに答える。


「……ヴィルヘルミーナは、我が妹にして先代王妃だ。

あの愚王レオナルドめに嫁いで、子が産めず、冷遇の末命を落としておる」


「そのようなことが……」


「しかし、尚更わからぬ。ヴィルヘルミーナを死に追いやったのは、他でもないルクレツィアなのだ。

――国母の座ほしさにな。あの女狐めが」


 アルトゥール公の顔が怒りに歪む。光玄が今まで見たこともない恐ろしい形相だ。

 そしてその声には、いつも冷静で豪胆なアルトゥール公からは想像もつかぬ、冷たく粘つくような尋常ならざる恨みがにじみ出ている。


 光玄はそんな主の様子にも臆することなく、意見を述べた。


「確かに、単にお顔が似ているから庇護したい、というのは違うかと」


 その落ち着き払った低い声に、アルトゥール公は落ち着きを取り戻したようで、一度深呼吸をしたその直後には、いつも通りの様子で話し始めた。


「そうだな。何にせよ、あの女の考えていることは本人以外には分からぬ」


 光玄は頷く。そしてイングリットの婚約破棄に話を戻した。


「それより、婚約破棄と言っても、何か口実が要るのでは?」


「その点は心配ない。王子本人がどうしようもない愚物なのでな。

放っておけば向こうから申し出てくるだろう」


 婚約披露パーティでのアウレール王子の振る舞いを思い返したのか、アルトゥール公の声に苛立ちが混じる。

 そして、彼はティーテーブルをバァンと叩き、低い声で唸るように続けた。


「――実は、あの愚王レオナルドめが種無しであるという情報がつい先日、元王宮医師を名乗る人物からもたらされたのだ」


 途端に、部屋の空気が一段と重苦しくなる。

 静かに話を聞いていた、メヒティルト夫人とロタールも口を堅く結んでいる。

 アルトゥール公は全員の顔を見回し、重々しく口を開いた。


「――その直後のあの暗殺の試みだ。偶然とは思えぬ」


「確かに、その通りにございまする。となれば――」


 ヴィルヘルミーナ妃は子を残せぬまま逝去し、そのあとを継いで王妃となったルクレツィア妃からアウレール王子が産まれている。

 しかし、国王レオナルドが本当に不妊であるならば。


 ヴィルヘルミーナ妃は何の咎もなく石女(うまずめ)扱いされ死に追いやられたということになるし、アウレール王子はルクレツィア妃の不貞によって生まれた、正当性のない婚外子ということになる。


 婚約破棄どころか、国が割れるほどのスキャンダルだ。

 ただ、アルトゥール公はそこまでは求めておらず、それが真実だとしても公表するつもりはない。


 公爵として国と民を守る。その考えはこれまでも、これからも変わることはない。

 今のところは、このネタを上手く使って、イングリットを王家から遠ざけたいだけなのだ。


「どうだ、婚約破棄すべき理由はこれで十分だと思わぬか?

儂は、どこの馬の骨の子かも知れぬ者に大事な娘を嫁にはやれぬ」


「然り。しかし、仮に婚約破棄したとして、いんぐりっと殿の婿殿の候補の目星はついておられるので?」


 早くもすっかり家臣らしさが板についた様子の光玄に、アルトゥール公はやや呆れの混じる笑みを向けるが、すぐに真面目な声色で答えた。


「イングリットには相手を自ら選んでもらう。

イングリットは来る四月――来月、『五大国共栄学園』への入学を控えておる」


 そう言いながら、アルトゥール公は金貨を裏返す。

 そこには何やら荘厳なる建物が彫られている。話の流れからすると、これこそが『五大国共栄学園』なるものなのだろう。


「――学園は名目上、大陸各地から集められた少年少女らが切磋琢磨し、それぞれの国を背負い立つ人材育成をと謳ってはいるが、その実は婚姻相手を探すための社交の場というのが実情なのだ」


「ふむ、つまり、王家との婚約破棄の後、学園なる場所でいんぐりっと殿の婚姻相手を探すというわけでござりますな」


 光玄の理解の速さに、アルトゥール公は我が意を得たりとばかりに頷く。


「うむ、おおむねその通りだ。

学園に集まった五大国からの王侯貴族の子弟らの中には、イングリットを見た目だけで判断しない者もおるだろう」


「良案かと存じまする」


 そう答える光玄を、アルトゥール公はじっと見つめる。

 正確にはその黒髪を眺め、何か思うところがある様子だったが軽く首を振ると、話を続けた。


「兎に角、お主の役目は従者としてイングリットと共に学園に入学し、無粋な連中から娘を守ることだ。特に王子の出方には注意するように」


「御屋形様のご命令であればこの光玄、王家とことを構えるのも吝かではございませぬ」


 瞬間、アルトゥール公の背中に冷たいものが流れる。


 自分へ狂信的な忠義を向けるもう一人のある人物を思い出し、下手なことを言ってはろくでもない事態を招きかねないと思ったのだ。


「――ことを構えるでないわ。くれぐれも、相手から仕掛けられない限り無用な争いは起こさぬように」


「はっ、何かあったならば、必ずや倍返しに致します故、ご心配なく」


 殺る気満々。やはり悪い予感しかしない。

 だが、率先して喧嘩を売るなとは釘を刺してある。不安は残るがこの男はそこまで分別がない訳ではない。


「――あの学園は特殊でな。この大陸に存在する唯一の完全中立地帯なのだ。

学園関係者は国籍・身分を問わず皆平等に扱うとの旨がカナン大陸五大国和平条約で定められておる」


「なるほど、でなければ身分や国力を笠に着て無法を働く輩が現れ、新たなる戦の火種にもなりえるから、でござるな」


 光玄の理解の速さに、アルトゥール公は満足そうにうなずく。


「そうだ。身分を超えた交友関係を広げることができる場と言ってもよい。

味方を作れ。無用に敵を作るな。できるな?」


「はっ!」


 光玄は威勢よく返事をする。それが逆にアルトゥール公の不安を煽る。

 彼は胡乱気な目を光玄に向けながら話を進める。


「――その間、儂はレオナルドの不妊の証と、ルクレツィアの不貞の証を探ろう」


 会話に加わらず、静かに見守っていたメヒティルト夫人が揺れる瞳で夫を見つめ、そっとその袖をつかむ。


「あなた……決してご無理はなさいませんよう」


「心得ているよ。今回のような失敗は二度とないと誓おう。

――いつも、不甲斐ない儂の代わりにグランスタイン領を盛り立ててくれて、感謝するよ。

しかし、君はいささか無理をし過ぎるきらいがある。君こそ、無理はするな」


 メヒティルト夫人は微笑むと、真っすぐアルトゥール公を見据えた。


「わたくしがやりたくてやっていることなのですから。

お仕事を取り上げようたって、そうはいきませんよ?」


「うぅむ」


 不服そうな、心配そうな顔で唸るアルトゥール公。

 メヒティルト夫人は自分の膨らんだお腹を優しく撫でながら話す。


「そう不安そうな顔をなさらないでください。

この子が産まれるまでは、ちゃんと身体には気を使いますわ」


「――馬鹿者。産まれてからも、だ」


 ふとアルトゥール公が視線を感じそちらを向くと、ニコニコと笑みを浮かべる光玄と、悪戯っぽく笑うロタールと目が合った。


「ご両人の仲睦まじい様子、大変よろしいかと」


「ええ、その通りでございますな」


 頬を赤く染め、珍しく照れた様子のアルトゥール公。

 彼は誤魔化すように、強めの咳払いをする。


「――ンン、コホン!」


 そして一瞬にして、優しい夫の顔からキリッと威厳ある公爵の顔に切り替えたアルトゥール公は光玄に命じる。


「ミツハル!」


「ハッ」


「お主に命ずる! 我が公爵家の『姫』の剣となり、盾となりて世の悪意から守る『守護騎士』となるのだ!」


「ハハッ! この光玄、この身命を賭し、いんぐりっと殿をお守り致す!」


 頭を下げる光玄を不安半分、期待半分で見つめるアルトゥール公だったが、やがて相好を崩して呆れたように話す。


「くくっ、愚か者め、お主に身命を賭されたら、誰がイングリットを守るのか。

意地汚く生にしがみついてでも娘を守るのだ。よいな?」


 その言葉に光玄は目を丸くした。武士として死をも厭わず忠義を捧げる。

 それこそが忠の尽くし方と思い込んでいただけに、考えもよらなかった。そんな反応だ。


 光玄のその反応に、アルトゥール公の笑みに苦いものが混じる。


(ミツハルめ、危ういな)


 必要に駆られれば、この男は躊躇なく己の命を投げ捨てる。そんな危うさを孕んでいる。

 表情を取り繕うと、光玄が答えた。


「――御意に。善処致しまする」


 善処する。今までのようにはっきりと言い切らず、初めて曖昧な返事を光玄は返した。

 もう少し、この男のことを知っておくべき。そう考えたアルトゥール公はロタールに茶の用意をさせる。


「よい機会だ。もう少しお主のことを話してもらおう」

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