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第9話 尋問②

 ロタールの後に続いて辿り着いた客間は、比較的豪奢な造りの部屋だった。


 いかに質実剛健を唱えるグランスタイン家と言えど、貧相な部屋に客人を泊めるわけにはいかない。


 とはいえ、ギリギリ失礼にならない程度のものでしかなく、大貴族の格に相応しいかと言えば、間違いなく否である。


(むむ、落ち着かぬ)


 だが、それでも光玄にはあまりにも豪奢過ぎた。そしてあまりにも広すぎた。十人は優に寝られるほどの広さの部屋を一人で使えと言われても困るのだ。


 それに、世界が変わっても異人とは、何故寝起きする部屋で土足で過ごすのか。


 廊下までならまだどうにか理解できる。


 しかし、外で何を踏んだか判らぬ土足で寝室に踏み込むのは正気の沙汰ではない。


 戦々恐々する光玄の視線の先で、高価そうなふかふかの赤カーペットの上に、先導するロタールが当たり前のように土足で踏み込んだ時――思わず光玄は頭を抱えてしまった。


 光玄が日ノ本にいた頃、ある異人が彼の長屋へ用心棒の依頼に訪れたことがあった。


 その異人はあろうことか、いきなり土足で畳に踏み込んできたのだ。


 危うく、その異人を斬り捨てそうになって、大騒ぎになりかけたほろ苦い記憶が光玄の頭の中に蘇っていた。


 そんな光玄の様子に、ロタールは首をかしげる。


「――いかがなされましたか?」


「い、いや。些事にござれば」


 郷に入っては郷に従えという。こちらではこれが常識なのだ。


 ロタールに倣い、光玄はおそるおそる爪先から――そしてゆっくりと体重をかけてカーペットに土足で踏み込んだ。


 ――その瞬間、光玄は何か人として大事なものを失った気がしてならなかった。


 百面相する光玄のことを特に気にする様子もなく、ロタールは流れるように彼を部屋中央の食卓へと導き、椅子を引いて座るよう促した。


 勧められるがまま、美しい装飾の施された椅子に光玄が座ると、サーリアと同じ服装の女性たち――メイドたちが次々と食事を運び、光玄の前の食卓に並べ始めた。


「本日の昼食はパンと鶏ガラ出汁ポタージュ。

そしてチーズとハーブの盛り合わせ、川マスのバター香草焼きとなります」


 何一つ、光玄には分からない。たぶん、テーブルに並べられた品々の名前だろう。


(お、多すぎる)


 浪人時代の光玄の日々の昼食と言えば、雑穀飯に漬物が少々。

 贅沢をしたところで、雑穀飯を白米に変え、漬物に加えて魚の干物が関の山であった。


 懐事情によっては何も食べられない日も多々あった。


 初めて見る贅沢すぎる食事に光玄は躊躇う。


 が、こちらに来てから口にしたものと言えば干し芋の切れ端と、リテスハイムの宿で出された、味の薄い家畜の餌のような汁物だけだった。


 鼻腔を突く香ばしい料理の匂いに、胃袋が猛烈に空腹を訴える。


 しかし、光玄には異人の食事作法も、食器の使い方も分からない。


 小ぶりの短刀と匙のような物の用途は何となく分かる。

 見慣れない、小さな熊手のような尖った形をした食器に関しても、料理を突き刺して口に運ぶためのものだろうが、何故それが二種類も必要なのか分からない。

 それぞれ微妙に大きさは違うが、どれも同じに見える。


 ロタールはにこやかな顔で隣に控え、メイドたちは感情の窺えない顔で壁際に並び、光玄が食事を終えるのを待っている。


(うぅむ、こうも見られながらだと……)


 食器を中々取れず、光玄の手が宙に迷う。


 その様子を見て、瞬時に光玄の胸中を察したロタールは、懐から手持ちの呼び鈴を取り出すと、テーブルの上に置いた。


「ミツハル様、お食事がお済みになりましたら、こちらでお呼びつけくださいませ。それでは、ごゆるりとどうぞ」


 にこやかな表情を崩さずそのまま綺麗な一礼をすると、ロタールはメイドたちに退室を促した。


 黒ずくめの光玄とよほど同じ空間に居たくなかったのか、メイドたちはホッとした顔でロタールの後に続いて足早に出ていき――ようやく光玄は一人になれた。


(有難し)


 早速、作法を気にせず料理を存分に味わう。


 まず、汁物らしきものに手を伸ばし皿ごと持ち上げ、口をつけて飲む。

 確か、鶏ガラ何とかと言っていたものだ。


 鶏なぞ、今まで口にしたのは数えるほどしかなかったが、確かに鶏の風味が口いっぱいに広がる。


 それだけではない。程よい塩辛さと、何かしらの薬味が利いているのか、わずかな辛みと甘味が複雑に絡み合った、光玄の人生における初めての味わいだった。


 あっという間に鶏ガラ汁を飲み干し、皿は空になった。


「美味し!」


 思わず空いた方の手で自分の膝を叩くほどの、驚きの味わいであった。


 皿を置き、今度はキツネ色の塊――パンを手に取る。それをそのまま齧ろうとして、思いのほか堅いと気づき、手でちぎって口にした。


「ふむ」


 大した味はしない。穀物由来の香りが鼻を抜けるだけ。


 米のようなものかと思案し、何となく皿の底にわずかに残った汁をパンにつけて口に入れ――

 光玄は己の失敗に気づき、後悔した。


(しまった――このぱんとやらに汁をつけて食した方が断然旨いではないか)


 しかし、飲んでしまったものは仕方がない。残り汁を無駄なくパンに付けて平らげる。


 続いて、焼き魚らしきものを手に取って齧りつく。


 おそらく淡水魚。しかし、生臭さなどまったくない。濃厚な、謎の汁で味付けされており、絶妙な焼き加減で皮はパリッと、肉はふんわりと焼きあがっている。


 やや脂っぽく、くどくなりがちな後味を香草の爽やかさで締めている。


「絶品なり」


 次に、独特の臭みのある黄色い塊を一切れ手に取り、口に入れて唸った。


「むぅう、これは酒が欲しい」


 独特の臭みと風味。一口しただけで、光玄は黄色い塊――チーズの虜になってしまった。


 一緒に添えられた香草で口内をすっきりさせ、またチーズを一切れ。


 ――至福のひと時であった。


 気が付けば、並べられていた食器を全く使わず、食事を終えてしまっていた。


(これではいかぬな。いかに腹が空いていたとはいえ、まるで無作法な田舎者丸出しではないか。折を見てしかと学ぶべきであろうな)


 腹が満たされ、人心地がつくと早速反省点が出てきたのである。


 食事を終えた光玄はロタールを呼ぶべく、テーブルの上に置かれた呼び鈴を鳴らした。


 だが、何の音もしない。代わりに淡い光を発するだけ――


(い、いかん、壊してしまったのか?)


 光玄は俄かに焦りだす。グランスタイン家に仕えて早々物を壊したなどと、あってはならないことだ。


 しかし、それは杞憂だったようで、わずか一呼吸おいてドアをノックする音がした。

 どういう仕組みか、音のならない呼び鈴に反応したロタールがやってきたのだ。


「ロタールにございます。お呼びでしょうか」


 ドアの外からの声。だが、一向に入ってくる様子はない。


(そうか、入ってくるよう言わねばならぬか。

むむ、何と言って入ってもらえばいいのやら)


 武士然としてはいるが、光玄は元百姓で、ならず者――浪人だ。

 こうやって誰かに傅かれ、もてなされた経験がなかったため、どうにも偉ぶるのが苦手である。


「う、うむ、お入りくだされ」


 音もなくドアを開いて入室したロタールは一礼をして光玄の元まで歩み寄る。


「お食事はお済みでしょうか。お皿をお下げしても?」


「うむ、よろしく頼み申す。しかし、大変美味にござった! このような絶品を味わったのはこの光玄、初めてにございまする!」


「お気に召されたようで大変うれしゅうございます。食後のお口直しにワインなどいかがでしょう?」


「わいん?」


「ブドウで作られたお酒にございます」


「さ、酒を? 頂いてもよろしいか?」


 光玄は表情の変化が読みづらい男だ。

 だが、彼への尋問を経たロタールは、それが単に顔立ちがこちらの大陸の人間と異なるせいで分かりづらいだけであることに気が付いている。


 むしろ、よく見ると感情豊かでコロコロと表情が変わっている。


 それでもなお、まだ光玄への理解は不十分だった。


 堅苦しい言葉遣いと硬派な印象から、ロタールは彼が酒類などは好まないと判断し、食後に軽めに提供するつもりだったが――案外酒好きらしい。


「――もちろんでございます。ミツハル様がお酒を嗜まれるのでしたら、お食事と共にお出しすべきでしたね。

――大変申し訳ございません」


「ろたぁる殿、それには及びませぬよ。美味な食事に酒まで頂けると聞き、驚いている次第にござれば。あまり気になさらぬよう」


「寛大なお言葉、痛み入ります。では、ワインをお出しいたします。

本日はここより南方、フランカイス王国のブルドーラ産二十五年ものの『ラ・パーニエ』となります」


「――?? ありがたく、頂戴いたす」


 ワインの銘柄を言われたところで当然、光玄には分からない。


(いけませんね。ついつい、いつもの貴族の方々のつもりでお相手してしまいました)


 心の中で軽く反省したロタールはテーブルにワイングラスを置き、流れるような手さばきでワインボトルを開け、グラスに注ぎながらわかりやすくかみ砕いて説明する。


「こちら、ブドウという果実をもとに作られたお酒にございまして。口当たりの良さと、芳醇な香り、甘味が評判でございます。

初めて飲まれるのでしたら、多少渋さが気になるかと思われますが……

よろしければ、何かおつまみをお出ししましょうか?」


「むむ……然様ならば……その」


 躊躇する光玄。やはり厚遇されることに慣れていないのだろう。それとも、賤しく見られるのが嫌なのか、どうも遠慮がちである。


「――当家の方針にて、食事はできる限り質素なものをと決まっておりまして。

恩人たるミツハル様にお粗末なおもてなししかできず、大変心苦しい限りでございます。

ですが、ご遠慮はなさいませんよう。お望みでしたら、出来得る限りのおもてなしを致します」


 実際、先ほど光玄が食べた食事は公爵家で出されるにはあまりにも質素な――否、貧相なものであった。


 一般的な領民が日頃食べる食事に一品を足し、多少香辛料や調味料を加えてランクアップさせた程度のものでしかないのだ。


 先日、光玄が仕官願いをした際のアルトゥール公の言葉――公爵家とは言え、落ち目である――その言葉に嘘はなかった。


 グランスタイン領は山地が多く、農業はそれほど盛んではない。つまり、税収はあまり良い方ではない。


 何よりも、とある事情から王家に対して多額の借金を背負っており、その返済に追われじわじわと公爵家の財政は圧迫されている。


 領民への増税など、自らの首を絞めるようなもの。どうしても経費削減の方に舵を取るほかないのだ。


「いや、某はまこと、あれほどのご馳走にありつけたことはありませぬ。大変美味にござった」


「ご配慮、痛み入ります。では、何か好物などございましたら、どうぞ遠慮なくお申しつけください」


「――では、あの、黄色くて妙な匂いのするものをいただけませぬか」


「黄色くて匂う……チーズのことでございますね。かしこまりました。直ちにご用意させていただきます」


 光玄の曖昧な説明からご所望の品がチーズであることを察したロタールは、メイドを呼び出し、厨房へ取りに行かせた。


「ほう、あれはちぃずというものにござるか」


 光玄の目が期待に輝く。その目を見たロタールは心の中のミツハルノートに、『チーズが好物』と書き込んだ。


「さて、チーズが届くまでの間、この後のご予定をお伺いしたく存じます。この後はお休みになられますか?」


「ふむ、まずはあの本に軽く目を通したいところにござる」


 光玄の視線の先、ベッド脇のサイドテーブルには三冊の絵本が積まれている。

サーリアに呆れられながらも借りてきた、件の子供向けの絵本だ。


 こちらもやはり神モドキの神通力が働いているのか、見知らぬ文字だというのにちゃんと意味は分かる。

 故に光玄は分かりやすく、もっとも心惹かれた題名の絵本を選んだのだ。


「かしこまりました。他に御用がございましたら、お気軽にお呼びくださいませ。

もし屋敷の敷地外へ赴かれるのでしたら、何卒一言お声がけくださいませ。案内の者をお付けいたします」


「うーむ、今のところ外へ行く用事はございませぬ」


「畏まりました。でしたら、ご夕食の時間に改めてお伺いいたします」


 夕食と聞き、つい先ほど昼食を食べたばかりだというのに、期待に目を光らせ大仰に頷く光玄。


「楽しみでござる!」


「――それと、今夜あたり是非ともお願いしたいお仕事がございます」


 まるで子供のように屈託なく期待に目を光らせていた光玄の顔からスッと表情が消え失せた。


 ロタールの声色は先ほどと全く変わらず穏やかで優しげなものだったが、その中に潜む『何か』を察したのだ。


「ご随意に。お呼びとあらばこの光玄、即座に駆けつけまする」


「――ありがとうございます。おや、チーズが届いたようですね」


 チーズを持って来たメイドは、光玄の前にそれを失礼にならない程度に素早く置くと、そそくさと出ていった。


「やれやれ、皆してそそっかしいことです。これは近いうちに『教育』が必要ですね。それでは、ミツハル様。ごゆるりとお寛ぎくださいませ。

何かございましたら、ご遠慮なさらずお申し付けくださいますよう」


 優雅な一礼と共に、ロタールは退室していき――


 よほど気に入ったのか、彼の退室を待たずに光玄の手は熊手に似た食器――フォークを雑に逆手に持ち、その先端はチーズに伸びている。


「ふふ、ご奉仕し甲斐のあるお方ですね」


 ドアを閉める折、チーズを口にし弛む光玄の顔を見て、老執事は微笑ましいとばかりにつぶやいたが、既にチーズの虜となった光玄にその声は届かなかった。


 そして初めて味わうワインの渋さにわずかに顔をしかめたが、ほどなくその香りが大変気に入ったのか、目を閉じ堪能する。

 そしてまたチーズへフォークが伸び――


 こうして光玄はしばしの間、至福のひと時を堪能するのであった。

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