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なにになろう? ―「もしも魔法が使えたら」の未来―  作者: コペルニクス2号


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第9話 残り九日の名前

 談話室のカレンダーの赤丸は毎朝律儀に進んだ。『残り二十一日』で始まった几帳面な字は今朝『残り九日』になっていた。数えれば十三日目。数字が減るたび、字が少しずつ強くなっている気がする。たぶん気のせいではない。


 残り九日。シミュレーターと座学だけの四日は名前を覚えるのにちょうどよかったらしい。廊下で誰かが「ゴウカ、袖!」と叫び、番号で言い直さなかった。


 *


 その日の午前は「珍種目選抜」だった。正式名称は適性補完測定。目隠しでの部品仕分けだの、消火ホースを担いだままの伝言ゲームだの、軍が何を測っているのか誰にも分からない種目が続き、候補生の間では珍種目としか呼ばれていない。


 ひろしはというと、エクストリームアイロンがけが一位だった。


「ただの候補生。速いな」シゴキ軍曹が記録板と本人を見比べた。「何かコツがあるのか」


「いつも手伝いしてました」


「……そうか」


 軍曹は何かを書き込んだ。あとで盗み見た者によると記録板の備考欄には『生活由来の技能多数。分類不能』とあったらしい。分類不能。あの日は『確認できません』だった。今度は『不能』ときた。──ひろしは大根をもらった晩から、この手の言葉が嫌いではなくなっている。


 *


 午後、ヤミノは医務室にいた。怪我ではない。事故の記録を今ごろ清書している医務班に読み手として借り出されていた。


 速成日程の座学でヤミノは異常な才能を見せていた。機体の警告表示、整備記録、管制の定型文。ああいう無愛想な記号の羅列を、ヤミノは物語のように読む。


「刮目せよ、相棒。この鋼の黙示録《スティール・アポクリファ》、三行目だけ修正履歴が三重である。──これは『完璧を装った危うき均衡』の痕跡だ」


「読めるのかそんなもん?」


 つまり「直したが自信がない」ということらしい。言い回しがすごすぎて、やってることがすごくないように聞こえてしまう。


 普通にしゃべればいいのに、とは本人には言わないでおいた。医務班はそのヤミノにシミュレーターのログ読みまで頼むようになっていた。教官陣より速いことがあるからだ。教官陣は今、別の紙の山に埋まっている。


「ふ……この力、いずれ世界の禁忌に届くであろうな」


「届く前にメシだぞ」


 *


 夕食のあと、ひろしはヒロミの姿を探した。この前、手をどうしたと聞いたら何でもない、と右手をぶんぶん振ってみせた。あの振り方がなんとなく引っかかっている。


 談話室にも洗濯場にもいない。見つけたのは演習場の隅だった。


 的あて訓練の的が一枚だけまだ揺れていた。ずっと訓練していたのだろうか。ヒロミは訓練銃を下ろし、揺れる的をじっと見ている。


「ヒロミ。もう消灯前だぞ」


「……あ、ひろちゃん」


 振り向いた顔はいつものヒロミだった。


「的、倒れたあとも撃ってなかったか」


「倒れきってなかったから」


「規定は三発で終わりのはずだろ?」


「うん。……うん、そうだね」


 ヒロミは銃を丁寧に架台へ戻した。戻す手つきは几帳面で、正確で、どこか名残惜しい。ひろしは「熱心だな」としか言えなかった。


 ヒロミが帳面に書くみたいに、ひろしは心に書いた。


 倒れた的を、まだ見ている目。


「帰ろ、ひろちゃん。明日、実機だって」


「実機!」


 声が裏返った。ヒロミが笑って、さっきの目はどこかへ行った。


 消灯前の談話室は実機の話でわいている。


「聞いたか。訓練機、〈ドリーマー〉って名前らしいぞ」


「夢見る機体か。ウオモイだなあ」


「ロマンで飛ぶ軍だからな」


「……知ってる」とひろしが言ったが、誰も聞いていなかった。


「で、だ」ノリが声を落とした。「実機が来たってことは、そのうち模擬戦がある。──賭けねえか。優勝者当て」


 車座は三十秒でできた。掛け金は非常食のプリン、胴元は当然のようにホシミ。予想表に並んだのは番号ではなく名前だった。三十五人ぶん。倍率の欄はどこも空白のままだ。ひろしはふと、ここにハタケの名前がないことを思った。実機を誰より欲しがっていた人だ。


「倍率は、実機を見てから。シミュレーターと実機は、別の生き物らしいから」


 車座の笑い声を、廊下の靴音が通り過ぎていった。談話室の前で一度だけ止まり、また歩き出す。翌朝、カレンダーの赤丸は『残り八日』に進んでいて、その横にいつもより小さい字で一言だけ添えられていた。


『全員、名前で呼べるようになった』


 誰に宛てたのでもない報告だった。候補生たちはそれを見なかったふりをして、朝礼に並んだ。


 *


 その朝、三十五人は実機格納庫に整列した。回転式の訓練機はまだ演習場の隅で立入禁止の縄の中にいる。その前を通らなければ格納庫へは行けなかった。


 輸送船の貨物室にいた、あの旧式人型機たちが今は立って待っていた。ドリーマー型訓練機。見上げると首が痛くなる高さで、継ぎ接ぎの装甲のあちこちに歴代の候補生がつけたらしい傷が残っている。


「本日より実機訓練に入る。日程は前倒しだ。──その前に、整備班長から連絡事項がある」


 シゴキ軍曹の隣でつなぎ姿の班長が油の染みた紙を読み上げた。


「えー、本訓練の機体は『速成課程用特別設定』で運用されます。ACM──アンチチートマテリアルの設定値と、体の中を巡るぶんのアシストの切替閾値を通常課程より詰めてあります。安全マージンは三割減。三週間で反応だけ仕上げるための、上からのご指示です」


「三割削って大丈夫なんですか」誰かが聞いた。


「七割残ってますが、大丈夫だったことは、まだ一度もありません。事故が起きたことも、まだ一度もありません」


「どっちなんですか?」


「どっちもです」


 誰も演習場のほうは見なかった。見なくても、回転訓練機を囲う縄の場所は全員が知っていた。


 班長は紙を畳む。シゴキ軍曹は何も言わなかった。その顔が誰より雄弁だった。つまりこの設定で人を乗せるのは初めてなのだ。


 搭乗は番号順。乗っている間だけは番号で呼ばれる。順番を間違えると人が死ぬからだ、と軍曹は言った。ひろしの直前の組では三人が機体をゆっくり泳がせ、一人が警報を鳴らした。


 コクピットはシミュレーターと寸分違わず、匂いだけが違う。機械油と、前の誰かの緊張の匂い。マナ同調シートが背中に吸い付いて、計器の真ん中で同調率が目を覚ます。


「ひろし・ただの、起動します」


 ハッチが閉まる。動力が入る。足の裏に床とは違う「地面」の感触が届く。本物だ。本物の巨人の、肩に乗っているんじゃなく、体の中にいる。


 同調率がするすると上がり始めた。六十、七十、七十五──


「よし、いいぞ十六番。ゆっくり右足から──」


 八十五。


「──おい、十六番。上がりすぎだ。落ち着け」


 九十。楽しい。だって本物なのだ。ひろしの気分に呼応してドリーマーの各部が軽くなる。軽くなった右足が、教本の「一歩」より高く上がる。上がった勢いで腰が回る。回った腰が、リズムを拾う。


 ドリーマーが、踊り出した。


 ステップ。ターン。謎の腰振り。格納庫の候補生たちが蜘蛛の子みたいに散り、警報が鳴り、スピーカーで軍曹が吠えた。


「欠陥だ! ドリーマー型の欠陥が出た! ただの、聞け、その機体は感情が乗りすぎると踊る!」


「踊るって何ですか!?」


「原因は分かっとらん! 設計者が納品前夜に祭りに行ったという説まであるが、説だ! いいから深呼吸しろ! つまらないことを考えろ! 洗濯当番だ! 当番表を思い出せ! 全部貴様だ!」


 ひろしは言われたとおり、日々の洗濯を思い浮かべた。ヒロミの訓練着は……違うそうじゃない! ……そういえば久遠の香気ってどんな香りなんだろう……あぁ成人式……当番表。四十人ぶんの物干し。乾き順の計算。裏返ったまま出される靴下。あの直し方。誰のとは言わないが、毎回裏のやつ。


 同調率が六十五まで落ち、ドリーマーは踊りをやめてぴたりと直立した。


 静まり返った格納庫に整備班長の声が落ちた。


「……この子、こんなに踊る子だったかなあ」


 ひろしはコクピットの中で輸送船の年寄りの言葉を思い出す。機械に好かれる方じゃなく、機械が困る方。なるほど、困っている。今まさにドリーマーさんが困っている。


「なお」軍曹がスピーカーで付け足した。「上層部いわく、この欠陥は『感情制御の教材として最高』だそうだ。本官は何も言わん。何も言わんぞ」


 *


 午後はペア機動の訓練だった。二機一組で互いの死角を守りながら飛ぶ、実戦の基本形だ。


 ひろしの相方は当然のようにヤミノだった。


「相棒よ。案ずるな。貴様が乱れれば、我が整える。我が闇に呑まれれば──」


「呑まれる予定があるのか」


「──貴様が引き戻せ。以上が契約だ」


 茶化しかけて、やめた。考えてみればヤミノにこんなに真っすぐ何かを任されたのは初めてだ。


「おう。引き戻す」


「うむ」


 そして実際、ヤミノの飛び方は約束どおりだった。ひろしの同調率が跳ねて機体が浮つくと、ヤミノ機がすっと半機身前に出て、基準になる線を見せてくれる。ひろしが直感で変な軌道を取ると、ヤミノは三秒後にはその意味を理解して理論どおりの補助に変換してくる。


「貴様の機動は出鱈目だ」訓練後、ヤミノは『禁忌録』に何かを書きながら言った。「だが、その出鱈目には癖がある。我はそれを解読しつつある」


「解読できたら教えてくれ。俺も知りたい」


 夕方、カレンダーの『残り八日』の下に赤い字で追記が入った。


『最終課程:ペア対抗模擬戦。明朝実施。全課程の総仕上げとする』


 その下に几帳面な字の補足が続いていた。『組割は十七組。端数の一名は、全戦の審判補助に就く』。組の根拠は書かれていない。ひろしは昨日の珍種目を思い出した。目隠しの部品仕分け。担いだ消火ホース。あれか。あれで決まったのか。


 談話室が沸き、ホシミの予想表に十七組ぶんの倍率が入り始めた。沸きながら誰かがふと言った。


「……明日で総仕上げだろ。そのあと、カレンダーはまだ赤丸が残ってる。あれ、なにすんだ?」


 誰も答えられなかった。前倒しの日程表は埋まっている欄より、空いている欄のほうが多い。


 答えの代わりに廊下の端でシゴキ軍曹が整備班長を捕まえて低い声で何か言っている。「あれが三割減で踊るんだぞ。通常設定に戻せんのか」と聞こえた。「ACM設定ごと承認済みです。現場権限では触れません」と聞こえた。


 それきり廊下は静かになった。静かなまま、明朝が近づく。


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